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ジョージ・ウェア |
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| 名前 |
| 本名 |
ジョージ・マネー・オポング・ウスマン・ウェア |
| 愛称 |
リベリアの怪人 |
| ラテン文字 |
George WEAH |
| 基本情報 |
| 国籍 |
リベリア |
| 生年月日 |
1966年10月1日(45歳) |
| 出身地 |
モンロビア |
| 身長 |
185cm |
| 体重 |
82kg |
| 選手情報 |
| ポジション |
FW/MF/DF |
| 代表歴 |
| 1988-2002 |
リベリア |
60 (22) |
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ジョージ・マネー・オポング・ウスマン・ウェア(George Manneh Oppong Ousman Weah、1966年10月1日 - )は、リベリア、モンロビア出身の元同国代表サッカー選手。
バロンドールの規定が改定されて最初の年である1995年にFIFA最優秀選手と欧州最優秀選手を受賞。ゴールキーパーを含めたほとんどのポジションをこなす。高い身体能力とゴール決定力を誇り、ACミラン時代のラツィオ戦では一人スルーパスからゴールを決めたことも有名。また、96~97シーズンの開幕戦で自陣ペナルティエリア付近から約80メートルを相手ゴール前まで単独でドリブル突破した上でゴールを決めた際、翌日の地元紙は「サンシーロにUFO出現」の見出しを掲げた。
[編集] 経歴
モンロビア郊外のブッシュロード島のシャンティタウンにて14人兄弟の3番目として生まれる。幼い時に父親を失い、祖母に育てられた彼の最初の夢はモンロビアのテレフォンオペレーターになることだった。
15歳の時に当時3部リーグ所属の地元のサッカークラブ、ヤング・サバイバーズと契約するとゴールキーパーとしてサッカーキャリアをスタートする。すぐに得点をする事へ楽しさを覚え、フォワードへ転向、30試合に出場し31得点を記録。チームを2部リーグに昇格させる。
その後1部リーグのクラブを経て、1986年にはリベリアで最高のチームであったインビンシブル・イレブンへ移籍。このクラブではキャプテンを務め得点王にもなる活躍を見せ、カメルーンのスカウトの目にとまり1987年に国外デビューを果たす。
1シーズンカメルーンで過ごしたウェアはその後フランスのASモナコへ移籍しそのポテンシャルを開花させ、1991年にフランスカップをもたらすと、翌年にはチームを欧州カップ・ウィナーズカップの決勝に導いた。その後移籍したパリSGでもチームをリーグ優勝に導くと、1995年には再びフランスカップをチームにもたらす。
1995年、アフリカ人として初のバロンドールを受賞し、同年にFIFA選出の世界年間最優秀選手賞も受賞。最後に自身3度目(89年、94年、95年)となるアフリカ年間最優秀選手賞と、この年の個人タイトルを総なめにした。
マルコ・ファン・バステンの後釜として加入したACミランでは数多くのゴールをあげた。驚異的な身体能力を誇り、「リベリアの怪人」と呼ばれた。その後は膝の怪我等も有り、99/00シーズン途中にチェルシーに移籍。以降マンチェスター・シティ、マルセイユ、アル・ジャジーラと渡り歩き2002/2003シーズンをもって現役引退した。
内戦で傷ついた祖国リベリアの為にジョージ・ウェア基金を設立するなどしてリベリアのユニセフ親善大使も務めている。(立候補の際、規定により一時的に大使を辞めている[1]
サッカー選手引退後、アメリカのフロリダ州とニューヨークで妻子と共に暮らしていたが、2005年のリベリア大統領選挙に民主変革会議(CDC)候補として立候補し、一旦はリベリアに帰るも、元世界銀行職員、国連開発計画アフリカ局長で“鉄の女”とも言われるエレン・ジョンソン・サーリーフに僅差で敗れた。
2008年1月、日本の福島県社会人リーグ3部西のバリエンテ郡山の総監督に就任したが、来日は就任会見時の1度のみで、シーズン開幕後に来日することはなかった。同クラブは不祥事のため2008年シーズンをもって運営会社が解散。ウェアも事実上退任した。
[編集] 家族
息子にジョージ・ウェア・ジュニアがおり、1995年から父親の様にプロのサッカー選手になる為にスタートしている。2004年にACミランのプリマヴェーラと契約し、2008年にスイスのCSロモントイズと契約した。また以前U-20のアメリカ代表であった。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人タイトル
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| フランス |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
フランス杯 |
期間通算 |
| 1988-89 |
モナコ |
|
ディヴィジョン・アン |
23 |
14 |
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| 1989-90 |
|
17 |
5 |
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| 1990-91 |
|
29 |
10 |
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| 1991-92 |
|
34 |
18 |
|
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| 1992-93 |
パリ-SG |
|
30 |
14 |
|
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| 1993-94 |
|
32 |
11 |
|
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| 1994-95 |
|
34 |
7 |
|
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| イタリア |
リーグ戦 |
イタリア杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 1995-96 |
ミラン |
|
セリエA |
26 |
11 |
|
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|
|
|
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| 1996-97 |
|
28 |
13 |
|
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|
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| 1997-98 |
|
24 |
10 |
|
|
|
|
|
|
| 1998-99 |
|
26 |
8 |
|
|
|
|
|
|
| 1999-00 |
|
10 |
4 |
|
|
|
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| イングランド |
リーグ戦 |
FLカップ |
FAカップ |
期間通算 |
| 1999-00 |
チェルシー |
|
プレミア |
11 |
3 |
|
|
|
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| 2000-01 |
マンチェスター・C |
|
7 |
1 |
|
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| フランス |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
フランス杯 |
期間通算 |
| 2000-01 |
マルセイユ |
|
ディヴィジョン・アン |
19 |
5 |
|
|
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| UAE |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 2001-02 |
アル・ジャジーラ |
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| 2002-03 |
|
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| 通算 |
フランス |
ディヴィジョン・アン |
218 |
84 |
|
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| イタリア |
セリエA |
114 |
46 |
|
|
|
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| イングランド |
プレミア |
18 |
4 |
|
|
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|
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|
| UAE |
|
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| 総通算 |
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[編集] 出典
- ^ )George Weah has temporarily stepped aside from his role with UNICEF
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アフリカ年間最優秀選手賞 |
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| 1970年代 |
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| 1980年代 |
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| 1990年代 |
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| 2000年代 |
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| 2010年代 |
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| 1970年から1994年までは『フランス・フットボール』誌が選出。1992年以降、アフリカサッカー連盟(CAF)によって選出。 |
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バロンドール受賞者 |
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| 1950年代 |
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| 1960年代 |
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|
| 1970年代 |
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| 1980年代 |
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|
| 1990年代 |
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| 2000年代 |
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