マイケル・エッシェン

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マイケル・エッシェン Football pictogram.svg
Michael Essien 4633.jpg
名前
本名 マイケル・コジョ・エッシェン
愛称 バイソン
ラテン文字 Michael ESSIEN
基本情報
国籍 ガーナの旗 ガーナ
生年月日 1982年12月3日(30歳)
出身地 アクラ
身長 177cm
体重 85kg
選手情報
在籍チーム スペインの旗 レアル・マドリード
ポジション MF
背番号 15
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2003
2003-2005
2005-2012
2012-
フランスの旗 SCバスティア
フランスの旗 オリンピック・リヨン
イングランドの旗 チェルシーFC
スペインの旗 レアル・マドリード
65 (11)
71 (7)
163 (17)
代表歴2
2002- ガーナの旗 ガーナ 53 (9)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年6月15日現在。
2. 2011年6月3日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

マイケル・エッシェンMichael Kojo Essien, 1982年12月3日 - )は、ガーナ出身の同国代表リーガ・エスパニョーラレアル・マドリード所属のサッカー選手。ポジションはMF。愛称はバイソン(野牛)。スペルの関係上ファーストネーム、ファミリーネーム共に様々な呼び方があるが、イングリッシュコメンタリーはこの選手を呼ぶ時に「エシエン」(エシアンとも)と呼んでいる。

目次

経歴 [編集]

2006年ドイツW杯アフリカ予選でも大活躍し、ガーナの本大会初出場および本大会ベスト16進出に大きく貢献した。

17歳の時にマンチェスター・ユナイテッドのトライアルを受け合格しているが、A代表出場試合数が規定に足りず、断念した。

その後バスティアに入団し、当初は両サイドバックや、センターバックとして活躍。

03-04シーズンに、パリ・サンジェルマンとの争奪戦の末にリヨンへ移籍。 運動量を活かすためにボランチへコンバートされたこともあり一気にブレイク。リヨンの快進撃の中心を担い、04-05シーズンには、リーグ・アン最優秀選手に選出された。

この活躍に目を付けたチェルシーに、3800万ユーロ(約51億円)という破格で移籍。その際、両クラブが衝突し移籍交渉が1ヵ月にも及ぶ事になり、また、エッシェン自身がリヨンでの出場や練習参加を拒んだり、チェルシー移籍願望などの発言により物議を醸すが、最終的には念願の移籍を果たした。当時、3800万ユーロはフランスのクラブに支払われた額としては史上最高。(リヨンの年間支出額の1/3とも言われている)その後、チェルシーではレギュラーとして活躍。モウリーニョ前監督からは「ジョン・テリードログバと並び、代えの利かない選手」と賞賛されている。08-09シーズンにはCL準決勝での活躍によりチェルシー・ゴールオブザイヤーを受賞した。

2012年8月31日、レアル・マドリードにレンタル移籍[1]

人物・エピソード [編集]

  • 睡眠時間は1日14時間[2]
  • 代表チームの同僚であるサリー・ムンタリとは親交が厚く、ムンタリはインタビューの中で「エッシェンは兄のような存在で、インテルナツィオナーレ・ミラノからのオファーが届いた時、『モウリーニョがいるからきっと成長できる。悩まずインテルに行くべきだ。』と移籍を後押ししてくれた。」と語っている。(2008年12月4日ガゼッタ・デッロ・スポルト
  • ケガなどによる欠場の少ない選手として知られていたが、2008年9月5日に行われた、ワールドカップアフリカ予選のリビア戦にてヒザ前十字靭帯を断裂する大ケガを負った。ガーナ代表でキャプテンをつとめるアッピアは、この時の様子を、「エッシェンは子供のように泣いており、それを見た僕らは皆動揺した。」と語っている。上記の離脱は、チェルシーFCにも悪影響を与え、当時の同僚のジョー・コールはインタビューで、「エッシェンが違いを生んでいる。シーズン前半のチェルシーに欠けていたのは、中盤に彼がいることで生まれるペースだ。エッシェンはチームのエンジンさ」とコメントしている。(デイリー・メール紙)

タイトル [編集]

クラブ
フランスの旗 オリンピック・リヨン
イングランドの旗 チェルシーFC

脚注 [編集]

  1. ^ Goal.com (2012年9月1日). “エッシェン、レンタルでチェルシーからマドリーへ移籍”. 2012年9月1日閲覧。
  2. ^ Gary Payne (2007年8月3日). “Essien: I sleep 14 hours a day” (英語). The Sun. 2010年9月7日閲覧。

外部リンク [編集]