クインシー・オウス=アベイエ
|
||||
|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||
| 本名 | クインシー・ジェームス・オウス=アベイエ | |||
| 愛称 | クインシー | |||
| ラテン文字 | Quincy James OWUSU-ABEYIE | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1986年4月15日(25歳) | |||
| 出身地 | アムステルダム | |||
| 身長 | 180cm | |||
| 体重 | 74kg | |||
| 選手情報 | ||||
| 在籍チーム | ||||
| ポジション | FW | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 2 | ||||
|
||||
| 2. 2010年6月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
||||
| ノートでこのテンプレートの色について意見を募集しています。 | ||||
クインシー・ジェームス・オウス=アベイエ(Quincy James Owusu-Abeyie, 1986年4月15日 - )は、ガーナのサッカー選手。ポジションはフォワード(CF, LWG)。パナシナイコスFC所属。
U-21オランダ代表歴がある。
[編集] 来歴
アムステルダムに住むガーナ人の両親のもとに生まれ、アヤックス・アムステルダムのユース育成システムで9年間を過ごした。2002年、ハイバリーでのトライアル中に注目され、同年9月にアーセナルFCへ完全移籍。17歳でアーセナルFCのトップチームでデビューする。2003年10月、カーリングカップのロザラム・ユナイテッド戦で途中出場。同大会で2試合に出場した。
アーセナルFCのU-21チーム時代、対ウォルバーハンプトン・ワンダラーズで1人で6得点を決めたという逸話がある。アーセナルではマシュー・コノリー、ケリー・ギルバートと共にアーセナルFC関係者が“若手有望株三人衆”と呼んでいた[要出典]。
FIFA ワールドユース選手権でU-20日本代表と対戦し、その驚異的な身体能力を見せつけた。フィジカルコンタクトに強い本田圭佑を含む日本選手が3人がかりでも高速ドリブルを止められず、アシストを記録した。
2007年1月にオランダ代表入りを断念し、国籍を持つガーナ代表入りを決意した。2008年1月、アフリカネイションズカップにてガーナ代表として初キャップを記録した。
2010 FIFAワールドカップの初戦セルビア戦の後半終了間際にワールドカップ初出場を果たした。
[編集] エピソード
- アーセナルのトップチームとの練習試合で彼のマークについていたコロ・トゥーレは「一人で止めるのは無理。潜在的な能力はクリスティアーノ・ロナウドをも凌駕する」と発言。
- 2009年7月、本人が直接浦和レッズのクラブハウスに訪れるなど、獲得を検討されていた模様だが、金銭面で折り合わず合意には至らなかったことが、8月10日に行われた浦和レッズ主催のトークイベントで明らかになった。
[編集] 所属クラブ
- ユース
- 2001-2002
アヤックス・アムステルダム
- シニア
- 2002-2006
アーセナルFC - 2006-2010
FCスパルタク・モスクワ
- → 2007-2008
セルタ・デ・ビーゴ (loan) - → 2008
バーミンガム・シティ (loan) - → 2009
カーディフ・シティFC (loan) - → 2010
ポーツマスFC (loan)
- 2010-
アル・サッド
|
|
|---|
|
2 セイタリディス | 3 サリエギ | 4 ブームソン | 5 カンテ | 6 ビトロ | 7 ニニス | 8 イオアニディス | 9 トチェ | 10 フリストドゥロプーロス | 11 レト | 14 オウス=アベイエ | 17 ゼカ | 18 ビャシュミール | 19 プレッシ | 22 マリノス | 23 シモン | 24 ヴィントラ | 25 コツォリス | 26 カラグーニス | 27 カルネジス | 28 ペトロプーロス | 29 カツラニス | 31 スピロプーロス | 35 マブリアス | 36 レオンティウ | 38 クレイトン | 39 メリシス | 40 カピノス | 71 ルドルフ 監督: フェレイラ |
|
|||||