ジョン・テリー
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| 名前 | |||||||
| 本名 | ジョン・ジョージ・テリー | ||||||
| 愛称 | JT | ||||||
| ラテン文字 | John TERRY | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1980年12月7日(31歳) | ||||||
| 出身地 | ロンドン | ||||||
| 身長 | 188cm[1] | ||||||
| 体重 | 78kg[1] | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | DF (CB) | ||||||
| 背番号 | 26 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月22日現在。 2. 2011年10月11日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ジョン・ジョージ・テリー(John George Terry, 1980年12月7日 - )は、イングランドのサッカー選手。プレミアリーグのチェルシーFCに所属し、主将を務めている。ポジションはCB。
FIFPro年間最優秀選手賞の守備部門に創設された2005年度から4年連続で名を列ね、UEFAチャンピオンズリーグの最優秀DF賞を2005年[2]と2008年に2度獲得、PFA年間最優秀選手賞を2005年に獲得[3]などの実績がある。
目次 |
[編集] 来歴
少年時代からチェルシーFCのアカデミー(下部組織)に所属する。トップチームに昇格したての頃は同じポジションにマルセル・デサイーやフランク・ルブーフがいたため出場機会はほとんどなかったが、ノッティンガム・フォレストへのレンタル移籍を経て2000-01シーズン、当時の監督だったクラウディオ・ラニエリに重用され出場機会が増加。2003-04シーズンには衰えが隠せなくなったマルセル・デサイーに代わりディフェンスラインを統率した。
2004年にジョゼ・モウリーニョが監督に就任するとチームのキャプテンに指名される。モウリーニョがフランク・ランパードらイングランド人と共に主将テリーに託した「率先してチームを引っ張ってほしい」という言葉通りに抜群のキャプテンシーを発揮。守っては、そのモウリーニョと共にやって来た新加入のディフェンダー・リカルド・カルヴァーリョと共にリーグ最少失点の堅陣を築いた。守備だけにはとどまらず攻撃の場面では得意のヘディングでゴールを量産した。中でもUEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメント一回戦FCバルセロナ戦でのヘディングゴールはチームを救う一撃となった。なお、このシーズンで自身初となるUEFAチャンピオンズリーグ最優秀ディフェンダーに選出されている。
2006年10月14日のレディング戦では、GKのペトル・チェフが試合開始早々に相手MFスティーヴン・ハントのひざが頭に直撃し負傷退場となった上に、代わりに出場した控えGKのカルロ・クディチーニも後半ロスタイムに相手DFと接触し負傷退場となってしまった。交代枠を使い切っていたため、テリーがわずかな時間ながら代役GKとしてゴールマウスを守ることになり、自らのポジションであったセンターバックはFWのドログバが入ることになった。
2006年末から2007年の2月にかけて、腰の手術のためにチームを離脱。モウリーニョ監督はその間パウロ・フェレイラやマイケル・エッシェンをセンターバックに起用していたが、リヴァプールとのアウェー戦では0-2で完敗するなど守備の安定感を欠き、テリーの偉大さを証明する結果となった。2月3日に行われたチャールトン・アスレティックとのアウェー戦で終了間際に交代でピッチに登場し、約一ヶ月ぶりの復帰を果たす。翌週のミドルスブラではスターティングメンバーに復帰し、以前と変わらぬ安定したプレーを見せた。
2007-2008シーズンのマンチェスター・ユナイテッドとのチャンピオンズリーグ決勝戦は両チーム譲らずPK戦に突入した。マンチェスター・ユナイテッドで三番目のキッカーを務めたクリスティアーノ・ロナウドのキックをペトル・チェフが止め、決めれば優勝という状況で5番目のキッカーであったテリーに順番が回ってくる。しかし降りしきる雨によってぬかるんだピッチに足をとられたテリーはボールをポストに当ててしまい失敗。その後チェルシーで7番目のキッカーを務めたニコラ・アネルカのキックをエドウィン・ファン・デル・サールが止め、結果マンチェスター・ユナイテッドに敗れた。テリーは涙を流し悲嘆にくれ、その後チームのホームページ内で謝罪をした。しかし「彼が居なければ我々は決勝に勝ち進むことは出来なかっただろう」とランパードが語るように擁護の声も多かった。 それを裏付けるように、このシーズンで自身二度目となるUEFAチャンピオンズリーグ最優秀ディフェンダーに選出された。
[編集] 代表実績
代表初出場は、2003年6月のセルビア・モンテネグロとの親善試合。
EURO2004にも代表入りし、出場停止中だったリオ・ファーディナンドに代わり3試合に出場した。
2006 FIFAワールドカップではソル・キャンベルに代わりレギュラーに定着、リオ・ファーディナンドとともにイングランドの堅守を支えた。
この後、デビッド・ベッカムに代わってイングランド代表のキャプテンを務めていたが、2010年2月、不倫疑惑が浮上し、ファビオ・カペッロは、テリーを主将から解任した。
2010 FIFAワールドカップのグループリーグ第3節におけるスロベニア戦において、後半67分に、相手FWのミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチのシュートをスライディングでブロックした直後、なおもゴールに迫るズラトコ・デディッチのシュートに対し、頭部からダイブしてのブロックを試みる。結果的に自身のブロックは失敗したものの失点を免れ、この勇敢なプレーは高い評価を受けた。
2011年3月にカペッロにより再び主将に任命された[4]。
2012年2月3日、前年10月23日の対クイーンズ・パーク・レンジャーズFC戦でアントン・ファーディナンドに対して人種差別的な発言をしたという疑惑により、FAによって主将をはく奪された。これに対してカペッロが不満を示し、代表監督を辞任するという事態に発展した。
[編集] その他
- フィジカルに長け、1対1と空中戦に無類の強さを見せる。深い読みを生かしたパスカットも得意。体格を生かしたヘディングは世界でも最高クラスである。このためセットプレー時には得点源として期待される。また時節、果敢な攻め上がりを見せ、チームに奮起を促すこともある。闘争心を全面に出した気迫溢れるプレーと高いキャプテンシーを持ち、リーダーとしての資質も高い。[要出典]
- チェルシーの下部組織に入団する前はウェストハムの下部組織に所属していた。それ以前にはセンラブFCという少年チームに所属しており、中盤でプレイしていた。その時のチームメイトにボビー・ザモラ、レドリー・キング、ポール・コンチェスキー、ジェイロイド・サミュエル、一つ下の年代にジャーメイン・デフォーら、現在はプレミアリーグでプレイするメンバーが多数所属していた。
- 敵味方関係なく相手のネーミングに臆しない所があり、新人の頃に不甲斐無いプレーをしたジャンフランコ・ゾラに怒鳴ったことがある。
- 主力選手としては大きな背番号「26」を背負い続けているが、これはかつて「25」を背負っていたチェルシーの英雄、ジャンフランコ・ゾラへの敬意であり、「もう一歩進めば、偉大なゾラに追いつける」という思いが込められている。
- プレイステーション2でしばしば遊ぶという。その熱中ぶりはチームメイトを家に招き、自身がイメージキャラクターにもなった、コナミのウイニングイレブンのパーティーを開くほど(しかもトロフィーまで作っている)。因みにこのパーティではチームメイトのグレン・ジョンソンとジョー・コールがそれぞれ優勝し、今度はティエリ・アンリも招いてパーティーをすることを示唆している。
- 現在の妻とは学生時代から10年以上の交際を経て、07年6月に結婚。双子の男女子がいる。
- 前述の2006年末の腰の手術で椎間板の一部を除去、クラブ側からは約一ヶ月の離脱という発表があったが、手術翌日には軽いランニングをこなしてしまった。
- 06/07シーズンカーリングカップ決勝アーセナルFC戦は直前の負傷で出場が危ぶまれていたが無事に出場。しかし、コーナーキックからの混戦でボールを頭で押し込もうとして、ボールをクリアしようとしたアブー・ディアビの蹴りをまともに顔面で受け、気絶してしまった。[5]応急処置の後に病院に運ばれたが、その後無事に優勝セレモニーに参加している。
- 実兄(ポール・テリー)もプロサッカー選手。2011-12シーズンはカンファレンス・サウスのサロックFCでプレーしている。
- 前述のチャンピオンズリーグ決勝戦でのPK失敗を皮肉られたこのようなものまで現れた。
- 気迫に満ちたプレーが特徴であり、同僚のフランク・ランパードをして「男の中の男("a man's man")」と称された[6]。
[編集] 所属クラブ
- 1997年-現在
チェルシー
- →2000年3月-2000年5月
ノッティンガム・フォレスト (loan)
[編集] 脚注
- ^ a b “Chelsea FC profile” (英語). chelseafc.com (2008年7月16日). 2010年1月4日閲覧。
- ^ “Best Defender 2005” (英語). uefa.com (2005年7月1日). 2010年1月4日閲覧。
- ^ “Terry claims player of year award” (英語). BBC Sport (2005年4月24日). 2010年1月4日閲覧。
- ^ 主将復帰のテリー、代表の勝利に集中Goal.com 2011年3月22日
- ^ [1]
- ^ Fifield, Dominic (22 May 2008). “Terry was a stand-in for key penalty miss”. The Guardian (London) 2008年5月22日閲覧。
[編集] 外部リンク
- chelseafc.com(英語)
- FIFA.com(英語)
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1 チェフ | 2 イヴァノヴィッチ | 3 コール | 4 D・ルイス | 5 エッシェン | 6 ロメウ | 7 ラミレス | 8 ランパード | 9 F・トーレス | 10 マタ | 11 ドログバ | 12 ミケル | 15 マルダ | 16 メイレレス | 17 ボシングワ | 18 ルカク | 19 フェレイラ | 21 カルー | 22 ターンブル | 23 スタリッジ | 24 ケーヒル | 26 テリー | 27 ハッチンソン | 34 バートランド | 35 L・ピアソン | 40 イラーリオ 監督: ビラス・ボアス |
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