アントニオ・コンテ

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アントニオ・コンテ Football pictogram.svg
Antonio Conte.jpg
名前
ラテン文字 Antonio CONTE
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 1969年7月31日(44歳)
出身地 レッチェ
身長 178cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF(CH,RSH)
利き足
代表歴
1994-2000 イタリアの旗 イタリア 20 (2)
監督歴
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

アントニオ・コンテAntonio Conte1969年7月31日 - )は、イタリアレッチェ出身の元同国代表のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。現在はユヴェントスFC監督。

経歴[編集]

選手[編集]

生まれ故郷レッチェを本拠地とするUSレッチェで5年以上プレーした後、10年以上もの間、ユヴェントスFCに在籍し、ムードメーカーとしてベンチを引っ張ってきた選手。チームのキャプテンを務め、試合中に選手を鼓舞する姿は見る者を圧倒する程であった。キャリアの晩年は右膝の故障により、左足一本でのプレーとなった。

代表ではアメリカW杯EURO2000のメンバーに選出される。イタリアはコンテがメンバー入りしたどちらの大会も準優勝という好成績を収めている。サイドの選手であったが、特に2000年欧州選手権のトルコ戦では見事なオーバーヘッドを決める活躍をした。

指導者[編集]

引退後は指導者の道へ進み、2006-2007シーズンはセリエBのアレッツォで監督を務めたが、成績不振により辞任した。2007年末には、セリエBのASバーリ監督に就任。2008-2009シーズンにはチームをセリエA昇格に導き、古巣ユヴェントスの監督就任が噂されたが、バーリとの契約を延長した。しかし、直後に契約解除となる。その後、開幕4試合で解任されたアンジェロ・グレグッチの後任としてアタランタBCの監督に就任。しかし、2010年1月8日にチームの不振が原因で監督を辞任した。わずか3ヶ月半の在任だった。その後2010年5月にセリエBのACシエナの監督に就任。2トップに加え、両ウイングを配した「4-2-4」という斬新なシステムを用い、シエナをわずか1年でセリエA復帰に貢献した。

2011年5月、解任されたルイジ・デル・ネーリの後任として古巣のユヴェントスFCの監督就任が決定。就任当初は懐疑的な声が上がったものの、「4-2-4」にこだわらず、「4-3-3」や「3-5-2」など様々な布陣を使うなど戦術の柔軟さを見せたり、「闘将」とよばれた現役時代と同様にチームをライン際で鼓舞する姿を見せ、2002-03シーズン以来(カルチョポリで剥奪されたタイトルを含めると2005-06以来)のセリエA優勝、しかも23勝15分という無敗での優勝に導いた。2012年5月、2013年までの契約を2015年まで延長した。

ACシエナ時代に八百長を知りながら告知しなかった罪に問われ、裁定の結果10か月の資格停止処分を受けた(その後処分は4ヶ月に短縮)。[1]

私生活[編集]

  • 2013年6月10日、10年間にわたって交際していたイタリア人女性と結婚。2人の間には娘がいる[2]
  • 20代後半までは頭髪が薄かったが、30歳になると急激に頭髪が増えたことから増毛したとの噂が流れている。

選手歴[編集]

指導歴[編集]

代表歴[編集]

タイトル[編集]

選手[編集]

指導者[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Goal.com (2012年8月10日). “コンテに10カ月の停止処分”. 2012年9月6日閲覧。
  2. ^ http://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20130611/115813.html