アレシャンドレ・ロドリゲス・ダ・シウヴァ

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アレシャンドレ・パト Football pictogram.svg
Alexandre Pato Real Madrid-Milan.jpg
名前
本名 アレシャンドレ・ロドリゲス・ダ・シウヴァ
Alexandre Rodrigues da Silva
愛称 パト(アヒル
ラテン文字 ALEXANDRE PATO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1989年9月2日(24歳)
出身地 パト・ブランコ
身長 179cm[1]
体重 78kg[2]
選手情報
在籍チーム ブラジルの旗 コリンチャンス
ポジション FW (CF,ST,WG)
背番号 7
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2006
2007-2013
2013-
2014-
ブラジルの旗 インテルナシオナル
イタリアの旗 ミラン
ブラジルの旗 コリンチャンス
ブラジルの旗 サンパウロ (loan)
代表歴2
2007-2008
2008, 2012
2008–
ブラジルの旗 ブラジル U-20
ブラジルの旗 ブラジル U-23
ブラジルの旗 ブラジル
12 (8)
9 (3)
25 (10)
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2013年9月6日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アレシャンドレ・ロドリゲス・ダ・シウヴァ(Alexandre Rodrigues da Silva, 1989年9月2日 - )は、ブラジルパラナ州パト・ブランコ出身のサッカー選手。ポジションFW登録名アレシャンドレ・パト(Alexandre Pato)。コリンチャンスに所属。あだ名の「パト」は、出身地に由来する[3]

来歴[編集]

クラブ[編集]

インテルナシオナル

4歳の時にはじめたフットサルで基本技術を身につけ[3]、12歳でSCインテルナシオナルの下部組織に入団した[4]。16歳のときにU-20の州選手権で得点王を獲得し、「クラブ史上最高の素材」と評判になった。当時は他クラブの引き抜きを恐れ、あえて下部組織で教育を続けられた[4]。2006年11月末のパルメイラス戦でデビューすると、開始わずか1分でプロ入り初ゴールを決め、さらに3得点に絡むというドラマチックなデビューを飾った[3]。17歳でFIFAクラブワールドカップ2006に出場、得点を上げるなどの実績を残している。アル・アハリ戦では肩でリフティングをするドリブルを披露するなどし、メディアの注目を集めた[3]

2007年7月、カナダで行われたFIFA U-20ワールドカップでの活躍により、ACミランインテル・ミラノレアル・マドリードチェルシーFCなどが獲得オファーを出した。

ミラン

2007年8月、セリエAのACミランへ移籍。移籍金は推定2200万ユーロ(約36億円)。しかし、FIGCのEU圏外選手登録年齢制限が解ける18歳にならないと試合出場ができないため、公式戦に出場するのは翌2008年初頭からとなり、1月4日レガ・カルチョから登録を完了したことが発表された。

2008年1月13日、セリエA第18節の対SSCナポリ戦にてセリエAデビューを果たし、この試合でセリエA初ゴール記録。シーズン通算で20試合に出場し、チーム3位となる9得点を挙げた。

2008-09シーズンはレギュラーに定着し36試合に出場。チーム2位でセリエA全体でも6位となる15得点を挙げ、セリエA年間最優秀若手選手賞を受賞。なお、イタリア人選手以外での受賞は、前年度のマレク・ハムシークに続き2人目。

2009-10シーズンはレオナルド監督の下、ロナウジーニョマルコ・ボリエッロとともに3トップを形成し好パフォーマンスを披露。2010年1月にはブラジル人選手として初めて、オスカル・デル・カルチョの年間最優秀若手選手賞を受賞した。一方で、2010年1月に肉離れを起こして以降、負傷を繰り返すようになり、2年間で8度の筋肉の怪我を負っている[5]

2010年12月にはアメリカのデューク大学で精密検査を受けた[6]

2011-12シーズンはさらに負傷離脱が続き、リーグ戦11試合出場でわずか1得点に終わった。

2012-13シーズンからフィリッポ・インザーギの引退で欠番となった背番号「9」を背負うも度重なる負傷癖は変わらず。冬の移籍市場で移籍を志願した[7]

コリンチャンス

2013年1月、母国のコリンチャンスに完全移籍した[8]。契約は4年間で移籍金は1500万ユーロ(約17億円)[9]

2014年2月、サンパウロFCにレンタル移籍した[10]

代表[編集]

2008年3月26日、ロンドンで行われた国際親善試合、対スウェーデン戦でA代表デビュー。決勝点となるゴールを決め、華々しいデビューを飾った。しかし、度重なる怪我の影響もあり2010 FIFAワールドカップのメンバーからは外れた。ワールドカップ終了後最初の試合となったアメリカとの親善試合では約1年ぶりに招集され、デビュー戦以来となるゴールも記録した。

人物[編集]

2009年7月に結婚し[11]、その後はゴールを決めたあとに妻に向け両手でハートマークを作るパフォーマンスを度々していたが[4]、2010年に離婚した[12]。2011年からはミランのシルヴィオ・ベルルスコーニ名誉会長の娘であるバルバラ・ベルルスコーニと交際していた[13]

所属クラブ[編集]

→2014.1 - ブラジルの旗 サンパウロFC

タイトル[編集]

ブラジル代表でのパト

代表[編集]

クラブ[編集]

個人[編集]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2006 インテルナシオナル 1 1
2007 インテルナシオナル 11 9 5
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
2007-08 ミラン 7 セリエA 18 9 0 0 -
2008-09 36 15 0 0 -
2009-10 23 12 0 0 -
2010-11 25 14 3 2 -
2011-12 11 1 1 1 -
2012-13 9 -
通算 ブラジル 10 6
イタリア 113 51 4 3 -
総通算
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFA CL
2007-08 ミラン 7 2 0
UEFA UEFA EL
2008-09 ミラン 7 6 3
2009-10 ミラン 7
通算 UEFA 8 3

代表[編集]

チーム シーズン 出場 得点
ブラジル代表[14] 2008 4 1
2009 4 0
2010 3 3
2011 7 2
2012 4 3
2013 3 1
通算 25 10
日時 場所 相手 スコア 結果 大会
1. 2008年3月26日 イングランドの旗 ロンドン  スウェーデン 0–1 0–1 親善試合
2. 2010年8月10日 アメリカ合衆国の旗 イーストラザフォード  アメリカ合衆国 0–2 0–2 親善試合
3. 2010年10月7日 アラブ首長国連邦の旗 アブダビ  イラン 0–2 0–3 親善試合
4. 2010年10月11日 イングランドの旗 ダービー  ウクライナ 0–2 0–2 親善試合
5. 2011年7月13日 アルゼンチンの旗 コルドバ  エクアドル 1–0 4–2 コパ・アメリカ2011
6. 3–2
7. 2012年5月30日 アメリカ合衆国の旗 ワシントンD.C.  アメリカ合衆国 1–4 1–4 親善試合
8. 2012年8月15日 スウェーデンの旗 ストックホルム  スウェーデン 0–2 0–3 親善試合
9. 0–3
10. 2013年9月6日 ブラジルの旗 ブラジリア  オーストラリア 5–0 6–0 親善試合

脚注[編集]

外部リンク[編集]