アントニオ・カッサーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
アントニオ・カッサーノ Football pictogram.svg
Antonio Cassano Euro 2012 vs England.jpg
名前
ラテン文字 Antonio CASSANO
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 1982年7月12日(32歳)
出身地 Bari-Stemma.png バーリ
身長 175cm
体重 78kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 パルマ
ポジション FW / MF
背番号 99
利き足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2001 イタリアの旗 バーリ 48 (6)
2001-2006 イタリアの旗 ローマ 118 (39)
2006-2008 スペインの旗 レアル・マドリード 19 (2)
2007-2008 イタリアの旗 サンプドリア (loan) 22 (10)
2008-2010 イタリアの旗 サンプドリア 67 (21)
2010-2012 イタリアの旗 ACミラン 33 (7)
2012-2013 イタリアの旗 インテル 28 (8)
2013- イタリアの旗 パルマ 34 (12)
代表歴2
2003- イタリアの旗 イタリア 35 (10)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年5月18日現在。
2. 2012年7月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アントニオ・カッサーノAntonio Cassano, 1982年7月12日 - )は、イタリアプッリャ州バーリ出身の同国代表セリエAパルマ所属のサッカー選手。ポジションはFW

来歴[編集]

クラブ[編集]

バーリ[編集]

バーリの旧市街で育つ[1]。幼いころに父親が家を出たため、母親の手で育てられ、生活は楽ではなかった[1]。地元のクラブASバーリ下部組織を経て17歳でトップチームに昇格し、1999年12月11日レッチェ戦でセリエAにデビュー。翌週のインテル戦で50メートルをドリブル突破してゴールを挙げ注目を集める。複数のクラブの争奪戦の末、デビューから約1年半後の2001年7月1日、当時のセリエAチャンピオンであったASローマに2,850万ユーロの移籍金で移籍した[2]

ローマ[編集]

新天地のローマでは恩師となるファビオ・カペッロ監督と出会う。カペッロはカッサーノのよき保護者であろうと努め、何度も衝突があったにもかかわらず、カッサーノもカペッロを父親のように慕っていた[3]。3年目の2003–04シーズンには33試合で14ゴールを挙げ、キャプテンのフランチェスコ・トッティと共にローマの攻撃の中心を担うまでに成長した。しかし、翌シーズンにカペッロがユヴェントスに移ると、混乱の中で相次いで就任した後任監督のルディ・フェラールイジ・デル・ネリらとの間で問題を抱え、一時はチームから外された。翌2005-06シーズンからはルチアーノ・スパレッティ監督がチームの指揮を執り、チーム状態も上向いたが、カッサーノはクラブ側と契約更新で揉め、このことでトッティとの関係が悪化したこともあり移籍の噂が絶えなかった。

レアル・マドリード[編集]

2006年1月3日スペインレアル・マドリードに500万ユーロの移籍金で移籍した[4]。加入直後は調整不足を露呈し満足な結果を残せず、マスコミから「マドリードはブラジルのブタ(ロナウド)だけでなくイタリアからもブタ(カッサーノ)を連れてきた」と酷評を受けた。翌2006年夏にローマ時代の恩師であるカペッロが新監督に就任すると、体重の問題を解消し調子を取り戻すことに成功[5]。しかし、10月30日ジムナスティック・タラゴナ戦後、ロッカールームでカペッロ監督を侮辱する言動をしたことでトップチームの練習への参加禁止処分を受けた[6][7]。クラブからは半ば戦力外の扱いを受け、2007年の冬の移籍市場での移籍が検討されたが結局は残留し[8]、ピッチの外からチームのリーグ優勝を見守った。

サンプドリア[編集]

サンプドリアでゲームキャプテンを務めるカッサーノ

2007年8月13日にマドリーからサンプドリアに買い取りオプション付きの1年のレンタル移籍で移籍した[9]。母国復帰にもイタリアのファンやメディアの反応は冷ややかだったが[10]ワルテル・マッツァーリ監督から全幅の信頼を与えられたことで復活[11]。10得点6アシストの活躍でチームの躍進に大きく貢献した。

2008年5月30日、サンプドリアへ5年契約で完全移籍[12]。同時にアンジェロ・パロンボに次ぐ副キャプテンに就任した。2009年1月にジャンパオロ・パッツィーニが移籍してくると、抜群のコンビネーションを発揮しアシストを量産。往年のジャンルカ・ヴィアリロベルト・マンチーニのコンビを彷彿とさせると讃えられた[13]2010年1月31日フィオレンティーナへの移籍が決まりかけていたが、パロンボやパッツィーニの説得を受け残留した[14]。ところが、10月30日リカルド・ガッローネ会長と口論したことでクラブから謹慎処分を受け[15]、謝罪も拒否したことからクラブから契約解除が通達された[16]。結果的にリーグ仲裁委員会の裁決で契約解除は認められなかったものの、チームを追われることになった[17]

ミラン[編集]

2010年12月21日ACミランと3年半契約を結ぶ。移籍金は500万ユーロ[18]2011年1月8日カリアリ戦で初出場すると、17試合で4得点を記録し、チームは7シーズンぶりのスクデットを獲得。しかし、同じフォワードのズラタン・イブラヒモビッチアレシャンドレ・パトロビーニョらと比べ出場時間は限られ、シーズン終了後には移籍も噂された[19]

10月29日の古巣ローマ戦後に体調不良を訴え緊急入院。診察の結果、左右の心房を隔てる隔壁に卵円孔が開いている先天性の心臓疾患であることがわかり、手術を受けることになった[20]。術後の経過は順調で約半年後の2012年4月2日に練習復帰が許可された[21]4月7日のフィオレンティーナ戦で復帰すると[22]4月29日シエナ戦でゴールを決めた[23]。シーズン終了直後のインタビューではミランへの感謝と愛着を語ったが[24]、2012-13シーズン開幕前に相次いで主力選手が放出されたことに不信感を抱き[25]、一転して移籍を希望した[26]

インテル[編集]

2012年8月22日インテルへ完全移籍し2年契約を結んだ[27]。サンプドリア時代に同僚だったジャンパオロ・パッツィーニとの交換トレードで、加えてミランからインテルへ移籍金700万ユーロが支払われた[28][29]。ミラン時代と同様に攻撃をリードし2013年明け以降の失速とともに負傷者が増加し、自身も2013年4月7日アタランタBC戦でハムストリングを痛めそのままシーズンを終えた。

パルマ[編集]

2013年7月3日パルマへ完全移籍[30]イシャク・ベルフォディル獲得の取引の一部である。

代表[編集]

スコット・パーカー(右)と競り合うカッサーノ(2012年6月25日、イングランド戦)

2003年11月のポーランド戦でイタリア代表デビューを果たし、いきなり代表初ゴールを決めた。翌年のEURO2004では、フランチェスコ・トッティデンマーク戦でクリスティアン・ポウルセンに唾を吐いて出場停止となっていた)に代わって先発出場したスウェーデン戦で同点ゴール、さらにブルガリア戦で逆転ゴールを決めたが、イタリアは総得点の差でグループリーグで敗退[31][32]。カッサーノはピッチ上で涙を流した。

2004年に就任したマルチェロ・リッピとは反りがあわず、2006年W杯のメンバーから外れた。2006年ロベルト・ドナドーニが新監督になると約1年ぶりに代表に招集され、EURO2008にも出場。本大会の練習中にジョルジョ・キエッリーニと喧嘩したことが報じられ[33]、チームも準々決勝で敗退した。

EURO2008終了後にマルチェロ・リッピが監督に復帰すると、再び代表から遠ざかり、2010年W杯にも招集されなかった。しかし、2010年チェーザレ・プランデッリが監督に就任すると、新体制の初戦となるコートジボワールとの親善試合に招集され[34]、スタメン出場。EURO2012の予選では背番号10を与えられ、予選10試合で6ゴールを挙げる活躍でチームを本大会に導いた。2011年8月10日スペインとの親善試合では故郷バーリでの開催ということで、ジャンルイジ・ブッフォンからキャプテンマークを譲られ初めてキャプテンとしてプレーした[35]

EURO2012の本大会では6試合すべてに先発出場し1ゴール1アシストを記録。グループステージ突破のかかったアイルランド戦では決勝点を挙げ、準決勝のドイツ戦ではマリオ・バロテッリの先制点をアシストするなど、イタリアの準優勝に貢献した。一方で大会終了後、会見中に同性愛者への差別発言があったとしてUEFAから1万5000ユーロの罰金処分を受けた[36][37]

プレースタイル[編集]

Il Gioiello di Bari Vecchiaバーリ旧市街の宝石)と称されるファンタジスタ[38]。ボールを持つと技術と知性を発揮し、素晴らしい視野の広さとゴールへの意識を併せ持つ[39]。本人は「ゴールよりアシストが好きだ」とし[40]、チームメイトの長友佑都へのアドバイスの中で「ギリギリまで味方を見て、パスの出しどころがなければシュートを打つ」という旨を語っている[41]

人物[編集]

選手経歴[編集]

イタリアの旗 UCサンプドリア 2007-2008(期限付き移籍

クラブでの出場成績[編集]

2011年10月29日時点
クラブ シーズン リーグ カップ 国際大会 合計
出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト
バーリ 1999-2000 21 3 0 - - - - - - 21 3 0
2000-01 27 3 2 2 0 0 - - - 29 3 2
通算 48 6 2 2 0 0 - - - 50 6 2
ローマ 2001-02 22 5 0 3 1 0 5 0 0 30 6 0
2002-03 27 9 2 5 1 0 11 4 1 43 14 3
2003-04 33 14 4 - - - 6 4 0 39 18 4
2004-05 31 9 1 8 1 0 3 1 0 42 11 1
2005-06 5 2 1 - - - 2 1 1 7 3 2
通算 118 39 8 16 3 0 27 10 2 161 52 10
レアル・マドリード 2005-06 12 1 1 4 1 0 1 0 0 17 2 1
2006-07 7 1 2 1 1 0 4 0 0 12 2 2
通算 19 2 3 5 2 0 5 0 0 29 4 3
サンプドリア 2007-08 22 10 6 2 0 0 1 0 0 25 10 6
2008-09 35 12 15 4 1 0 6 2 3 45 15 18
2009-10 32 9 10 1 2 0 - - - 33 11 10
2010-11 7 4 2 - - - 3 1 2 10 5 4
通算 96 35 33 7 3 0 12 3 5 115 41 38
ミラン 2010-11 17 4 6 4 0 0 - - - 21 4 6
2011-12 16 3 10 0 0 0 3 1 0 19 4 10
通算 33 7 16 4 0 0 3 1 0 40 8 16
インテル 2012-13 28 8 9 2 1 0 9 1 0 39 10 9
通算 28 8 9 2 1 0 9 1 0 39 10 9
通算 342 97 71 36 9 0 56 15 7 434 121 78

代表での年別得点[編集]


イタリア代表 国際Aマッチ
出場 得点
2003 2 1
2004 4 2
2005 2 0
2006 2 0
2007 - -
2008 5 0
2009 - -
2010 5 2
2011 8 4
2012 7 1
通算 35 10

代表でのゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 スコア 試合概要
1 2003年11月12日 ワルシャワ  ポーランド 3–1 国際親善試合
2 2004年6月18日 リスボン  スウェーデン 1–1 UEFA EURO 2004
3 2004年6月22日 ギマランイス  ブルガリア 2–1 UEFA EURO 2004
4 2010年9月3日 タリン  エストニア 1–2 UEFA EURO 2012予選
5 2010年9月7日 フィレンツェ  フェロー諸島 5–0 UEFA EURO 2012予選
6 2011年6月3日 モデナ  エストニア 3–0 UEFA EURO 2012予選
7 2011年9月2日 トースハウン  フェロー諸島 1–0 UEFA EURO 2012予選
8 2011年10月11日 ペスカーラ  北アイルランド 3–0 UEFA EURO 2012予選
9 2011年10月11日 ペスカーラ  北アイルランド 3–0 UEFA EURO 2012予選
10 2012年6月18日 グダニスク  アイルランド 2–0 UEFA EURO 2012

脚注[編集]

  1. ^ a b カッサーノのマドリー入りが決定”. uefa.com (2006年1月3日). 2008年5月4日閲覧。
  2. ^ “問題児”カッサーノがマドリーに参上”. uefa.com (2006年1月5日). 2012年6月30日閲覧。
  3. ^ カペッロ「カッサーノはサッカー選手として新しく生まれ変わる」”. livedoor スポーツ (2006年1月7日). 2008年5月4日閲覧。
  4. ^ レアル・マドリード カッサーノのサンプドリアへの期限付き移籍を発表”. AFPBB News (2007年8月15日). 2008年5月4日閲覧。
  5. ^ カッサーノ「もう体重に問題はない」 livedoorスポーツ 2006年07月26日
  6. ^ マドリー、カッサーノの練習参加を禁止”. uefa.com (2006年10月30日). 2012年6月30日閲覧。
  7. ^ カッサーノ、チームに謝罪。‘カッサーノ問題’もようやく一件落着”. livedoor スポーツ (2006年11月12日). 2008年5月4日閲覧。
  8. ^ カッサーノ、ベッカムよりひどい状況 livedoorスポーツ 2007年02月09日
  9. ^ サンプドリアがカッサーノを獲得”. uefa.com (2007年8月14日). 2008年5月4日閲覧。
  10. ^ カッサーノ、サンプドリアへ。“更生”なるか? livedooreスポーツ 2007年08月15日
  11. ^ サンプドリア、18年ぶりの復活。~キーマンはあの悪童カッサーノ~ NumberWeb 2009/10/18
  12. ^ カッサーノがサンプドリアに完全移籍”. uefa.com (2008年5月30日). 2009年3月12日閲覧。
  13. ^ “Garrone: "Cassano e Pazzini come Mancini e Vialli" (Garrone: "Cassano and Pazzini like Mancini and Vialli"” (Italian). SampdoriaNews. (2009年2月24日). http://www.sampdorianews.net/index.php?action=read&idnotizia=2464 2009年3月29日閲覧。 
  14. ^ サンプドリアFWカッサーノが急転残留 nikkansports.com 2010年2月1日
  15. ^ サンプ、会長と口論のカッサーノを処分へ goal.com 2010年10月30日
  16. ^ 会長激怒でサンプドリアがカッサーノを解雇”. livedoor スポーツ (2010年10月30日). 2008年5月4日閲覧。
  17. ^ 契約解除棄却!カッサーノ50%減の裁決 nikkansports.com 2010年12月17日
  18. ^ カッサーノがミランへ 背番号は「99」 nikkansports.com 2010年12月22日
  19. ^ カッサーノにジェノア移籍の可能性浮上 nikkansports.com 2011年7月31日
  20. ^ “カッサーノは先天性心臓疾患 手術で復帰は半年後?”. goal.com. (2011年11月3日). http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2011/11/03/2740346/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%81%AF%E5%85%88%E5%A4%A9%E6%80%A7%E5%BF%83%E8%87%93%E7%96%BE%E6%82%A3-%E6%89%8B%E8%A1%93%E3%81%A7%E5%BE%A9%E5%B8%B0%E3%81%AF%E5%8D%8A%E5%B9%B4%E5%BE%8C 2012年1月22日閲覧。 
  21. ^ 心臓手術を受けたカッサーノ、練習再開へ uefa.com 2012年4月3日
  22. ^ カッサーノが心臓疾患からの復帰を振り返る「再び生きていくことができた」 soccerking 2012年05月17日
  23. ^ カッサーノの復帰ゴールを喜ぶミラン goal.com 2012/04/30
  24. ^ 涙で今季を振り返ったカッサーノ「ミランが最強」 livedoorスポーツ 2012年05月12日
  25. ^ カッサーノとパッツィーニのトレード、クラブ間合意と報道 goal.com 2012年8月21日
  26. ^ ガッリアーニ:「カッサーノは移籍を望んでいる」 インテルとパッツィーニとのトレード交渉開始 livedoorスポーツ 2012年08月20日
  27. ^ メルカート:アントニオ・カッサーノがインテルに完全移籍 inter.it 2012年8月22日
  28. ^ メルカート:パッツィーニはミランへ完全移籍 inter.it 2012年8月22日
  29. ^ カッサーノとパッツィーニのトレードが完了 goal.com 2012年8月22日
  30. ^ Cassano al Parma! Domani alle 18.30 al Tardini la presentazione a stampa e tifosi Parma FC 2013年7月3日
  31. ^ カッサーノ新エース襲名弾/欧州選手権”. nikkansports.com (2004年6月20日). 2008年5月4日閲覧。
  32. ^ 修復されなかったカテナチオ。”. - goo スポーツ:NumberWeb -. 2008年5月4日閲覧。
  33. ^ 伊代表カッサーノ練習で仲間にぶち切れ 日刊スポーツ、2008年6月5日
  34. ^ イタリア代表、カッサーノやバロテッリを招集 goal.com 2010/08/07
  35. ^ Prandelli gusta il successo "Personalità e coraggio"la Gazetta dello Sport.it 2011年8月10日
  36. ^ カッサーノ、EUROでの差別発言で罰金 uefa.com 2012年7月20日
  37. ^ “ゲイ差別発言”のカッサーノに罰金150万円 欧州選手権中に失言 デイリースポーツ 2012年7月21日
  38. ^ Cassano, il Gioiello di Bari Vecchia vavel.com 2012年6月28日
  39. ^ Antonio Cassano Bio, Stats, News - Football / Soccer espn fc
  40. ^ カッサーノが語るインテル、ダービー、長友… goal.com 2012年10月2日
  41. ^ “カッサーノの教え”が生んだアシスト、長友「カッサーノのことが頭をよぎった」 ゲキサカ
  42. ^ カッサーノは異国で大人になれるか。 NumberWeb 2006年1月6日
  43. ^ 【豊福 晋の欧州蹴球日記】“カッサナータ”に悩まされるローマ”. OCNスポーツ (2004年11月16日). 2008年5月4日閲覧。
  44. ^ カッサーノ自伝で「600~700人の女性と関係を持った」Livedoorスポーツ 2008年11月13日
  45. ^ Cassano si è sposato (Cassano has been married)” (Italian). Corriere dello Sport (2010年6月19日). 2010年6月21日閲覧。
  46. ^ カッサーノに第2子誕生 名前は「リオネル」 goal.com 2013年3月19日
  47. ^ カッサーノ:「オレはバロテッリよりひどかった」 goal.com 2010年5月13日
  48. ^ カペッロとの過去を語るカッサーノ livedoorスポーツ 2010年09月14日
  49. ^ カッサーノ再生に満足のカペッロ goal.com 2010年9月14日
  50. ^ 4つのダービーで得点をマークしたカッサーノ Livedoorスポーツ 2010年4月13日

外部リンク[編集]



この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。