マルコ・マテラッツィ

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マルコ・マテラッツィ Football pictogram.svg
Marco Materazzi - Inter Mailand (1).jpg
名前
愛称 マトリックス
ラテン文字 Marco Materazzi
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 1973年8月19日(41歳)
出身地 レッチェ
身長 193cm
体重 92kg
選手情報
在籍チーム インドの旗 チェンナイインFC
ポジション DF
背番号 TBD
利き足
代表歴2
2001–2008[1] イタリアの旗 イタリア 41 (2)
監督歴
2014- インドの旗 チェンナイインFC(選手兼監督)
2. 2008.10.26現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マルコ・マテラッツィ (Marco Materazzi, 1973年8月19日 - ) はイタリアプッリャ州レッチェ県レッチェ出身のプロサッカー選手サッカー指導者。インディアン・スーパーリーグチェンナイインFC所属。ポジションディフェンダー

非常にアグレッシブなプレースタイルで知られ、通算で60枚以上のイエローカードと25枚以上のレッドカードをもらっている。また、2006年ドイツワールドカップ決勝でいわゆるジダン頭突き事件の当事者となったことで世界的な注目を集めた。愛称はマトリックス

来歴[編集]

クラブ[編集]

キャリア初期[編集]

1990-91シーズンにFCメッシーナ下部組織で競技生活を開始。アマチュアのトア・ディ・クイント (1991–92) 、セリエC2マルサラ・カルチョ (1993-94) 、セリエC1ASトラパーニ (1994-95)を経て、1995年に当時セリエBに所属していたペルージャ・カルチョに移籍する。

ペルージャ[編集]

1996-97シーズン前半はセリエC1のカルピFCレンタルで修行に出され、18試合7得点を記録。冬にペルージャに復帰し、1997年2月2日のインテル戦で23歳にして初めてセリエAのピッチに立つ。その後、シーズン後半のみで14試合に出場し2得点の成績を残した。

1998–99シーズンにはプレミアリーグエバートンFCに移籍し、25試合1得点の成績を挙げたが、翌シーズンにはペルージャに復帰。この頃からレギュラーに定着し、半年ほどの間であったが中田英寿とチームメートとしてプレーしている。2000-01シーズンにはそれまでダニエル・パサレラが持っていたDFによるシーズン最多得点記録(11得点)を更新する12得点を挙げる活躍を見せた。2000-01シーズン終了後、1000万ユーロの移籍金でインテルへ移籍した。

インテル[編集]

インテルでは在籍10シーズンで公式戦276試合に出場、20得点を決め、15のタイトルを勝ち取った[2]。2008-09シーズン以降は出場機会が減少したが、ロッカールームのまとめ役としてチームに貢献し、サポーターからも愛された。

2010-11シーズン終了後、残り短いキャリアを考え出場機会を求めての移籍の可能性を示唆[3]。2011年6月20日、本人とクラブの合意の上で契約期間を1年残して契約を解除し退団した[4]。彼の背番号23は本人の意思によりアンドレア・ラノッキアに引き継がれた[5]

代表[編集]

2001年4月の南アフリカ戦で27歳にしてイタリア代表として初出場。2002年と2006年の二度のFIFAワールドカップに出場した。

2002年日韓ワールドカップではパオロ・マルディーニアレッサンドロ・ネスタの控えであったが、グループステージのクロアチア戦でネスタの負傷退場に伴い途中出場。しかし、低調なプレーで失点に絡み、以後の試合では出場機会がなかった。

2006年ドイツW杯では、グループステージのチェコ戦で前回大会同様に負傷したネスタに代わって途中出場。決勝点となる代表初得点を決める活躍でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。以後、出場停止となったウクライナ戦を除く全ての試合でファビオ・カンナヴァーロジャンルイジ・ブッフォンらと共に鉄壁のディフェンスを築いた。

決勝戦ではフランスの先制点となるPKを献上するファウルを犯すが、その12分後にコーナーキックからのヘディングで自ら同点ゴールを叩き込んだ。試合は延長戦を経てPK戦にもつれこむと、マテラッツィは2人目のキッカーとしてPKを決め、イタリア代表の24年ぶり4回目の優勝に貢献。ジダン頭突き事件の当事者となったことも相まって大きなインパクトを残した。

エピソード[編集]

  • 2007年1月28日のUCサンプドリア戦において、サンプドリアのMFジェンナーロ・デルヴェッキオがインテルのGKジュリオ・セーザルに激しく接触したことにマテラッツィが抗議。両者は口論になり、デルヴェッキオがマテラッツィに頭突きを浴びせた。結果、デルヴェッキオは一発退場、激昂し抗議し続けたマテラッツィにもイエローカードが提示された。試合後マテラッツィは「(頭突きを食らって勝てるのなら)それでいい」と前向きに言い放った[6]
  • 2010年1月24日のACミラン戦で勝利した試合終了直後に、イタリア首相でミランのオーナーでもあるシルヴィオ・ベルルスコーニの顔を模したマスクをかぶってピッチに現れ、チームメートと勝利を喜びあったことがイタリア国内で物議を醸した[7]。後日、自身のホームページで「あれはほんのジョークのつもりだった。いつだって僕がやることは問題になる。どこでも売っているようなカーニバル用のマスクでさえもね。トラブルを起こすつもりなんかなかったし、むろん、揶揄したり政治的な意味があるなんてことはまったくない。ベルルスコーニ氏自身、痛烈な皮肉好きの人物なのだから、今回のことは笑って許してくれると思う」と釈明をした。
  • 2010年4月20日に行われたバルセロナとのチャンピオンズリーグ準決勝ファーストレグの試合終了後、ファンの批判に怒ってユニフォームを地面に投げつけたマリオ・バロテッリに激怒し、ロッカールームで制裁を加えた[8]。この様子を目撃したズラタン・イブラヒモビッチは「マテラッツィはバロテッリを殺す勢いだった」と語っている[9]

所属クラブ[編集]

インテルでプレーするマテラッツィ
ユース経歴
プロ経歴
イタリアの旗 カルピ 1996-1997 (loan)

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
1990-91 メッシーナ 0 0
1991-92 トール・ディ・クイント
1992-93
1993-94 マルサラ セリエC 25 4
1994-95 トラパーニ 13 2
1995-96 ペルージャ 19 セリエB 1 0
1996-97 カルピ セリエC 18 7
ペルージャ 23 セリエA 14 2
1997-98 ペルージャ 23 セリエB 32 5 2 0
1998-99 エバートン 15 プレミア 27 1
1999-00 ペルージャ 23 セリエA 21 3 2 0
2000-01 30 12 2 0
2001-02 インテル 23 1 1 0
2002-03 20 1
2003-04 14 3
2004-05 26 0 5 0
2005-06 22 2 7 0
2006-07 28 10 3 0
2007-08 23 1 4 0
2008-09 8 0 2 0
2009-10 12 0 4 0
2010-11 8 0 2 0
通算 イタリア
総通算

脚注[編集]

  1. ^ “Marco Materazzi - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/materazzi-intl.html 
  2. ^ 誕生日:マテラッツィ、おめでとう!インテル公式 2011年08月19日
  3. ^ マテラッツィ:「移籍の可能性はある」goal.com 2011/06/06
  4. ^ マテラッツィ、インテルと契約解除で合意へgoal.com 2011/06/21
  5. ^ ラノッキア:「マトリックスの背番号『23』に相応しいプレーを」 inter.it 2011年07月21日
  6. ^ マテラッツィ、今度は“アッパー頭突き”を食らうlivedoorスポーツ 2007年01月29日
  7. ^ マテラッツィ、冗談のつもりが処分に?goa.com 2010/01/26
  8. ^ マテラッツィ、バロテッリを蹴飛ばす?goal.com 2010/04/22
  9. ^ 【バルサ】イブラヒモヴィッチ「マテラッツィはバロテッリを殺す勢いだった」wowow 2010年4月22日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]