アルベルト・アクィラーニ
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| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Alberto AQUILANI | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1984年7月7日(28歳) | |||||
| 出身地 | ||||||
| 身長 | 185cm | |||||
| 体重 | 77kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 背番号 | 10 | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2002-2009 | 102 | (9) | ||||
| 2003-2004 | → |
41 | (4) | |||
| 2009-2012 | 18 | (1) | ||||
| 2010-2011 | → |
33 | (2) | |||
| 2011-2012 | → |
15 | (1) | |||
| 2012- | 25 | (7) | ||||
| 代表歴2 | ||||||
| 2006- | 23 (4) | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2013年5月31日現在。 2. 2013年5月31日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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アルベルト・アクイラーニ(Alberto Aquilani, 1984年7月7日 - )は、イタリア・ラツィオ州ローマ出身のサッカー選手。ACFフィオレンティーナ所属。ポジションはミッドフィールダー。
目次 |
経歴[編集]
クラブ[編集]
ローマ出身で地元ASローマの下部組織で育った。2001年にはイングランドのチェルシーFCやアーセナルが獲得に動いたが、「ローマでプレイするのが幼いころからの夢だ」として断っている。2002年5月10日のトリノFC戦でセリエAデビュー。翌2003-04シーズンはセリエBのUSトリエスティーナへレンタル移籍した。復帰後はローマの主力となり、2004-05シーズンには計38試合に出場。その後もローマのタイトル獲得や2年連続のセリエA2位・UEFAチャンピオンズリーグベスト8などに貢献するが、慢性的な怪我により絶対的なレギュラー定着には至らなかった。
2008-09シーズン終了後には新たに4年契約を結んだものの、リヴァプールFCがスペインのレアル・マドリードへ移籍したシャビ・アロンソの後釜として獲得に動き、2009年8月5日に5年契約の移籍金2000万ユーロで加入した。ただし怪我を負ったままでの移籍だったため開幕から数カ月はリハビリに費やすことになり、10月21日にようやくリザーブチームで試合に出場。10月28日のカーリングカップ・アーセナル戦で途中出場し、リヴァプールでのデビューを果たした。11月9日のバーミンガム・シティFC戦ではプレミアリーグデビューを飾り、12月9日のチャンピオンズリーグ・フィオレンティーナ戦では移籍後初の先発出場を記録した。2010年3月15日のポーツマスFC戦で移籍後初ゴールを記録したものの、2009-2010シーズンは怪我で出場試合も数えるほどしかなく、2010 FIFAワールドカップでもイタリア代表から落選するなど、失意のシーズンとなった。
ラファエル・ベニテスが退任してロイ・ホジソンが新監督に就任してほどなく構想外となり、8月25日にクリスティアン・ポウルセンと入れ替わる形でユヴェントスにレンタル移籍。わずか1シーズンでの国内復帰となった。パサーの少ないユヴェントスにおける貴重な存在として、セントラルハーフのレギュラーに定着した。11月13日の古巣ローマとの初対戦ではヴィンチェンツォ・イアクィンタの先制点をアシストするなど活躍し、マンオブザマッチに選出された。結局7位に低迷しヨーロッパカップ戦への出場権すら得られなかったものの、自身は33試合に出場し2得点・5アシストを記録し復調の気配を見せた。
その後、買取オプションは行使されず2011年6月25日に一旦リヴァプールへ復帰したものの、8月26日にアンドレア・ピルロとの入れ替わる形でACミランへのレンタル移籍が決まった。ミランでは主にインサイドハーフとして起用された。
シーズン後はリヴァプールにレンタルバックされたが、2012年8月3日にリッカルド・モントリーヴォと入れ替わる形でフィオレンティーナに完全移籍することが発表された[1]。
代表[編集]
イタリア代表では2006年11月15日の親善試合・トルコ戦で初出場。その後もEURO2008のメンバーに選ばれるなどコンスタントに招集され続けているが、レギュラー獲得までにはいたっていない。2008年10月15日のワールドカップ予選のモンテネグロ戦では、代表初ゴールとなる先制点と決勝点の2得点を挙げる活躍を見せた。2009年2月10日のブラジル戦以降は招集されず、2010 FIFAワールドカップの出場も逃したが、ユヴェントスでの活躍が評価されて2010年11月14日に1年9ヶ月ぶりに代表に復帰した。2011年8月10日のスペインとの親善試合でおよそ2年ぶりの得点となる決勝ゴールを挙げ、勝利に貢献した。
エピソード[編集]
- ローマ在籍時から故障が多く、ロマニスタからは「スワロフスキー」というあだ名をつけられていた[2]。
- ローマの苦しい財政状況などもあってリヴァプール移籍を決断したものの「ローマを去るのは非常に残念だ」とし、全ローマファンに感謝を示した[3]。
- また、ローマのキャプテンであり同じくローマの下部組織出身のフランチェスコ・トッティはリヴァプール移籍を許したフロントを批判した[4]。
所属クラブ[編集]
ASローマ 2002-2009
- →
USトリエスティーナ 2003-2004 (loan)
リバプールFC 2009-2012
フィオレンティーナ 2012-
獲得タイトル[編集]
クラブ[編集]
- コッパ・イタリア : 2006-07, 2007-08
- イタリア・スーパーカップ : 2007
代表[編集]
- UEFA U-19欧州選手権 : 2003
出典・脚注[編集]
- ^ BORJA VALERO, GONZALO RODRIGUEZ E AQUILANI ALLA FIORENTINAviolachannel.tv(2012-8-3)(イタリア語),2012-8-3閲覧
- ^ Goal.com アクイラーニ、デビューは2カ月後?
- ^ Goal.com ローマとの別れを惜しむアクィラーニ
- ^ Goal.com トッティ、アクイラーニ放出に怒り
外部リンク[編集]
- FIFA.com Profile
- FIGC National Team Archive (イタリア語)
- Profile at AS Roma (イタリア語)
- Liverpool profile
- Alberto Aquilani - Soccerbase
- アルベルト・アクィラーニ - National-Football-Teams.com
- ESPN Profile
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