シャビ・アロンソ
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| 名前 | |||||||
| 本名 | シャビエル・アロンソ・オラーノ | ||||||
| 愛称 | バスクの星、マエストロ、エル・プルモン(肺)[1] | ||||||
| ラテン文字 | Xabi Alonso Olano | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1981年11月25日(30歳) | ||||||
| 出身地 | トロサ | ||||||
| 身長 | 183cm | ||||||
| 体重 | 79kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | MF | ||||||
| 背番号 | 14 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月22日現在。 2. 2011年10月7日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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シャビエル・アロンソ・オラーノ (Xabier Alonso Olano, 1981年11月25日 - ) は、スペイン、バスク州トロサ出身の同国代表サッカー選手。リーガ・エスパニョーラ・レアル・マドリード所属。ポジションはMFで、ピボーテの位置を得意とする。
「バスクの星」と呼ばれる。元スペイン代表でもある父のペリコ・アロンソは80年代にリーガ2連覇を達成したレアル・ソシエダのスターだった。兄のミケル・アロンソもレアル・ソシエダに所属したサッカー選手である。2人の息子の父親でもある。
中盤の底のピボーテのポジションで、広い視野とレンジが広く精度の高いパスで守備と攻撃を繋ぐ役割を担う[1][2]。ピッチ上での状況判断に優れており、パスのアイディアも豊富である[1][2]。ジョゼ・モウリーニョからは「ジョゼップ・グアルディオラに似ている」と絶賛され、「ピッチ上の指揮官」と評された[3][4]。
目次 |
[編集] 経歴
幼少期に6年間バルセロナで過ごした後、サン・セバスティアンへと移った。サン・セバスティアンのビーチ、ラ・コンチャでミケル・アルテタらと遊ぶうちにテクニックを身に付けた[5]。
サン・セバスティアンのクラブであるアンティグオコで才能を見せ、レアル・ソシエダの下部組織へと入団。1997年にレンタル先のエイバルでデビュー。2部リーグでのプレーだったが多くの出場機会を与えられプレーメーカーとしての能力を磨くと、再びレンタルでエイバルに放出された2001-02シーズンを機にソシエダでもレギュラーの座を確保した。
2002-03シーズン開幕当初、2部降格候補の一角でしかなかったソシエダの中で、アロンソは期待の一若手に過ぎなかったが、レイノー・ドヌエ監督の下ラ・レアルは大躍進。アロンソは非常に正確なパスで攻撃を自由自在に操り、終わってみればシーズンを2位で終える成功を収め[6]UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得する原動力となった。そして、その年のドン・バロン・アワード・最優秀スペイン人選手に選ばれた。
翌の2003-04シーズンは、リーガ・エスパニョーラとチャンピオンズリーグに並行して出場するという「二足のわらじ」が足枷となり、リーガでは2002-03シーズンと比べると明らかに見劣りする12位という結果に終わったが、チャンピオンズリーグではチームをベスト16に引き上げる原動力になった。これを機にアロンソの名は本格的に世界に知れ渡って行く。
その後、レアル・マドリードやリヴァプールなど、数々のクラブが彼を獲得しようと動いた。本人は残留の意を表していたが、クラブ側の都合で放出されることが決定し、ラファエル・ベニテスが指揮を執ることとなったリヴァプールに1600万ユーロ (約21億6,000万円) で、移籍する決意をする。アロンソ本人は、過去バレンシアで2度のリーグ優勝や1度のUEFAカップ制覇を遂げたベニテス監督の下で指導を受けたかったという。
リヴァプール移籍1年目の2004-05シーズン、ボルトン戦にてプレミアリーグデビューを果たすと、1-0で破れはしたもののアロンソはパスの技術をメディアから賞賛された[7]。フラム戦では、2得点を奪われた状態で折り返した後半から途中出場すると、フリーキックからリヴァプールでの初ゴールを記録。その試合、リヴァプールは後半4得点を挙げて逆転勝利した[8]。
元日のチェルシー戦でフランク・ランパードにタックルを受け、左足首を骨折した。全治5カ月で戦線離脱を余儀なくされるが、驚異的な回復力を見せシーズン終盤に復帰。チャンピオンズリーグでは決勝に出場し、決勝のACミラン戦ではPKのこぼれ球を押し込む同点ゴールを挙げ、チームの逆転優勝に貢献した。
2006年1月7日に行われたFAカップ3回戦、ルートン・タウンFC戦では、自陣から60ヤード強のロングシュートを決めた[9][10]。この試合、アロンソが自陣からゴールを決めることに200ポンドを賭けていたリヴァプールファンがこのゴールで25,000ポンドを得た[11]。ウェストハムとのFAカップ決勝でもフリーキックからスティーヴン・ジェラードの同点ゴールをアシストし、タイトル獲得に貢献。また、2006年9月20日、ニューカッスル戦でも70ヤードのロングシュートを記録。このゴールはBBCから「常軌を逸した」と表現され[12]、インデペンデント紙からはクラブ史に残るゴールの一つと評された[13]。
2007-08シーズン初めは、怪我によるジェラードの不在のため、本来の位置よりも前のポジションでプレー。6-0で勝利したダービー・カウンティFC戦では2ゴールを挙げた[14]。ポーツマス戦で軽傷を負ってしまい、更にその後のトレーニングで悪化。6週間の離脱を余儀なくされた[15]。2007年の終わりに怪我から復帰したが、その後の数ヶ月間はハビエル・マスチェラーノ、ルーカス・レイヴァらとの激しいポジション争いが続いた[16]。2008年1月12日、ミドルスブラとの試合でリヴァプール100試合出場を達成した。
2008年の夏の移籍市場では、中盤の補強を進めるユヴェントスが強い興味を示し[17]、また、ベニテスがアストン・ヴィラのギャレス・バリー獲得のための移籍資金捻出のため放出の意向を示し、移籍間近とも言われたが、結局リヴァプールに残留。
2008-09シーズンは、夏の市場でチームが自身を放出をしようとしたことに対し、スタンフォード・ブリッジでのチェルシー戦ではその試合唯一の得点を挙げてチェルシーの過去4年間のホーム無敗記録を破るなど、うっぷんをはらすかのように中盤の核的な存在として大活躍し、マンチェスター・ユナイテッドとの熾烈な優勝争いを演じる原動力となった。
前年同様に2009年夏の移籍市場では移籍が騒がれ、特に銀河系軍団の再構築を目標としているレアル・マドリード会長のフロレンティーノ・ペレスや、前年の夏同様ユヴェントス、そして莫大な資金力をバックに持つマンチェスター・シティが強い興味を示した。これに対しベニテス監督は移籍の可能性を否定していたが、アロンソは移籍を直訴し[18]、8月に移籍金推定3000万ユーロ(約40億5,000万円)でレアル・マドリードへ移籍。クラブにはすぐに馴染み、スペイン・マルカにてリーガ・エスパニョーラのベストイレブンに選ばれる、シャビ、ハビ・マルティネスらと共にスペインプロリーグ機構の選ぶLFPアワード、最優秀MFにノミネートされるなどの活躍を見せた[19]。また、いくつかのスペインの報道機関やサポーターからはLa Barba Roja (赤髭)というニックネームもつけられた[20]。
副キャプテンであるグティがベシクタシュへ移籍したことにより、2010-11シーズンから背番号は22番から代表でも付けている14番に変更になった。ジョゼ・モウリーニョからは不在がチームに大きな影響を与える選手と評価された[21]。チャンピオンズリーググループリーグアヤックス戦で、4-0でリードした後半終了間際にアロンソとセルヒオ・ラモスが相次いで遅延行為で退場となった[22]。退場の直前にイェジー・ドゥデクがイケル・カシージャスに耳打ちをしていたシーンも流され、トーナメント前に累積警告を消化するため故意に反則を犯した疑いがあるとしてUEFAの調査が入ることとなった[23]。そして、アロンソ自身には2万ユーロの罰金が科せられた[24]。2011年、2010 FIFAワールドカップで優勝したことなどを評価され、地元からタンボール・デ・オロ(金の太鼓)を受賞した[25]。W杯後のシーズンであったもののキャリア最多となる公式戦52試合に出場し、スペインでの自身初タイトルとなったコパ・デル・レイ優勝にも貢献した[1]。
[編集] 代表
スペインのU-21チームで大活躍し、2003年4月にイニャキ・サエス監督からのエクアドルとの親善試合に招集された(試合は4-0で勝利)。ポルトガルで行われたEURO2004にも出場し、ウクライナ戦で初先発したが、当時、リーガ・エスパニョーラ最高のドブレ・ピボーテとも言われていたバレンシアの双頭、ルベン・バラハとダビド・アルベルダからレギュラーの座を奪うことはできなかった。2006 FIFAワールドカップに向けたメンバーにも招集され、レギュラーとして3試合に出場。ウクライナ戦では得点も記録した。
2006FIFAワールドカップではDFラインの前のアンカーのポジションで起用され、その一方でDFラインを大きく押し上げる戦術を用いた。しかし、DFラインの後に広大なスペースを残す弱点を突かれ、フランス戦ではフランク・リベリーに同点ゴールを許し、チームも敗れた。
EURO2008ではスペイン代表の中盤のポジションには「クアトロ・フゴーネス」と称されるシャビ、イニエスタ、セスク・ファブレガス、ダビド・シルバら優秀なMFが多くいるためレギュラーを掴めていなかったが、彼らにない守備力を生かしスーパーサブとしてスペインの優勝に貢献した。グループリーグ最終戦となるギリシャ戦ではマン・オブ・ザ・マッチにも選ばれた[26]。
大会後、監督がビセンテ・デル・ボスケへ交代してからは、広い視野と展開力を買われ、中盤司令塔のポジションでレギュラーに定着。2010 FIFAワールドカップにおいても全試合に先発出場した。決勝戦であるオランダでは、28分にニヘル・デ・ヨンクからタックルを受けて負傷。しかし、その後も87分にセスク・ファブレガスと交代するまで試合に出続けた。その試合は両チーム合わせて14枚(内スペイン5枚)ものイエローカードが出る荒れた試合となり、またオランダの伝説的選手であるヨハン・クライフもラフプレーの多い母国代表を批判した[27]。試合後、デ・ヨングのタックルについてアロンソは「これまでに受けたタックルの中でも最悪のものの一つ」と語った[28]。
また、2001年12月29日のガーナ戦では、バスク国代表としてもデビューした[29]。
[編集] エピソード
- 16歳の時には英語を学ぶために1ヶ月間アイルランドで過ごしたほか、大学を卒業しており、知的な人物と見られている。リヴァプールの町の歴史に詳しいなど、プレー以外でもリヴァプールファンの心をつかんでいた。レアル・マドリード移籍後もリヴァプールのファンであり、タイムズ・オンラインで「自分はいまだリヴァプールのファンであり、これからもそうあり続ける」と語った[30]。リヴァプールで生まれた息子は、リヴァプールのサポーターとして育てている[4]。
- アーセナルFC所属のミケル・アルテタは幼馴染であり、アルテタが2005年にエヴァートンFCに移籍する際にはリヴァプールの良さを伝え[31]、リヴァプールでもお互い近所に住んでいた[32]。また、同じくバスク出身でありレアル・ソシエダのチームメイトでもあったファン・ウガルテとも仲が良く、2004年にレックスハムAFCへ移籍する際にも彼を説得した。
- 自分が所属した各クラブのユニフォームを持っているほか、ジネディーヌ・ジダンやアラン・シアラー、ロイ・キーン、ポール・スコールズ、パベル・ネドベドら対戦相手のユニフォームも保持している。中でもジダンを直接対決した中で最高の相手に挙げており、「サッカーの模範というべき存在」と述べている。また、共にプレーした選手ではサミ・ヒーピアを一番インパクトを受けた選手としている。その他にも、ビセンテ・デル・ボスケを敬愛していると語った[33]。同じピボーテのポジションで手本としていた選手は、フェルナンド・レドンドとジョゼップ・グアルディオラ[2]。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 代表
- 2008年 UEFA欧州選手権2008 - 優勝
- 2010年 2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会 - 優勝
[編集] クラブ
-
- 2004-2005 UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝
- 2005-2006 FAカップ - 優勝
- 2005年 UEFAスーパーカップ - 優勝
- 2006年 コミュニティーシールド - 優勝
-
- 2010-2011 コパ・デル・レイ - 優勝
[編集] 個人
- 2002-2003 最優秀スペイン人選手 (リーガ・エスパニョーラ)
[編集] 個人成績
| クラブ | シーズン | リーグ | カップ | リーグカップ | 欧州カップ | 通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
| 1999-00 | 5 | 0 | 1 | 0 | — | 0 | 0 | 6 | 0 | ||
| 2000-01 | 14 | 0 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | 14 | 0 | ||
| 2000-01 | 17 | 0 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | 17 | 0 | ||
| 2001-02 | 30 | 3 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | 30 | 3 | ||
| 2002-03 | 32 | 3 | 1 | 0 | — | 0 | 0 | 33 | 3 | ||
| 2003-04 | 35 | 3 | 0 | 0 | — | 8 | 1 | 43 | 4 | ||
| 2004–05 | 24 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | 32 | 3 | |
| 2005–06 | 35 | 3 | 5 | 2 | 0 | 0 | 11 | 0 | 51 | 5 | |
| 2006–07 | 32 | 4 | 1 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | 50 | 4 | |
| 2007–08 | 19 | 2 | 3 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 27 | 2 | |
| 2008–09 | 33 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 10 | 1 | 47 | 5 | |
| 2009–10 | 34 | 3 | 0 | 0 | — | 7 | 0 | 41 | 3 | ||
| 2010–11 | 34 | 0 | 7 | 1 | — | 11 | 0 | 52 | 1 | ||
| 合計 | 201 | 12 | 9 | 1 | 0 | 0 | 26 | 1 | 236 | 14 | |
| 合計 | 143 | 15 | 12 | 2 | 4 | 0 | 48 | 2 | 207 | 19 | |
| 通算 | 344 | 27 | 21 | 3 | 4 | 0 | 74 | 3 | 443 | 33 | |
[編集] 脚注
- ^ a b c d Goal.com50:シャビ・アロンソ(49位)Goal.com 2011年7月29日
- ^ a b c 「プレーメーカーとしての誇り」OCNスポーツ
- ^ 【彷彿】モウリーニョ監督「シャビ・アロンソを見ていると現役時代のグアルディオラを思い出す」wowow.co.jp、2010年11月24日
- ^ a b REAL MADRID レアル・マドリー シャビ・アロンソOCNスポーツ
- ^ Arteta seeks revenge in battle of BasquesThe Guardian、2006年3月25日
- ^ レアル・ソシエダがリーガ優勝を成し遂げた1981-82シーズン以来最高位。
- ^ Bolton 1-0 LiverpoolBBC Sport、2004年8月29日
- ^ Alonso inspires a change of fortuneguardian.co.uk、2004年10月17日
- ^ Echoes of another epic as Liverpool forced to treat Luton like MilanThe Guardian、2006年1月9日
- ^ この時、相手キーパーはペナルティエリアから出てきており、無人のゴールに蹴り入れた。
- ^ Fan makes £25,000 on dream goalBBC news、2006年1月10日
- ^ Liverpool 2-0 NewcastleBBC Sport、2006年9月20日
- ^ Liverpool 2 Newcastle United 0: Alonso hits 70-yard wonder goal to thrill RedsThe Independent、2006年9月21日
- ^ Benitez has Liverpool dreaming of a new tilt at the titleThe Guardian、2007年9月2日
- ^ Bad breaks put Xabi Alonso and Daniel Agger out for six weeksLiverpool Daily Post、2007年9月20日
- ^ Steven Gerrard out of cup clash as Xabi Alonso returns Steven Gerrard out of cup clash as Xabi Alonso returnsLiverpool Echo、2007年12月18日
- ^ ユーベ、シャビ・アロンソ獲り本格化!!livedoor.com、2008年7月3日
- ^ シャビ・アロンソ、マドリー移籍を直訴と報道footballweekly、2009年7月30日
- ^ Seis azulgranas, en el once ideal de la Ligamarca.com、2010年5月18日
- ^ Capitán sin brazaleteEl Pais、2010年5月19日
- ^ モリーニョ監督「良いプレーができなければ、未来はないと思った方がいい」スポーツナビ、2010年10月26日
- ^ Masterful Madrid take top spot in styleuefa.com、2010年11月23日
- ^ 【サッカー】故意に退場処分? UEFAがR・マドリー2選手調査へsearchina news、2010年11月24日
- ^ モウリーニョ監督に処分 1試合資格停止と罰金47news.jp、2010年12月1日
- ^ シャビ・アロンソ:準決勝進出を決めたいrealmadrid.jp、2011年1月21日
- ^ Second string Spain too good for GreeceReuters、2008年1月18日
- ^ 【W杯】クライフ氏、母国オランダを痛烈に批判産経ニュース、2010年7月14日
- ^ X・アロンソ:「デ・ヨングのタックルは最悪」asahi.com、2010年7月13日
- ^ Euskadi-GhanaEuskadiko Futbol Federakundea
- ^ Alonso: My son's a Redliverpoolfc.tv、2011年4月4日
- ^ Mikel Arteta and Xabi Alonso's special bond put on hold in Everton-Liverpool derbyLiverpool Echo、2008年9月26日
- ^ Arteta puts friendship on hold as Everton eye EuropeThe Times、2006年3月25日
- ^ アロンソ:すべてのフットボーラーはレアル・マドリードのようなチームでプレーすべきrealmadrid.jp、2010年3月11日
[編集] 外部リンク
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