ディルク・カイト

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ディルク・カイト Football pictogram.svg
Dirk Kuijt, July 2009 - The Prime Minister of Thailand Photo.jpg
名前
本名 Dirk Kuijt
カタカナ ディルク・カイト
ラテン文字 Dirk KUYT
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 1980年7月22日(31歳)
出身地 カトヴァイク
身長 184cm
体重 83kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 リヴァプールFC
ポジション FW
背番号 18
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
1998-2003
2003-2006
2006-
オランダの旗 FCユトレヒト
オランダの旗 フェイエノールト
イングランドの旗 リヴァプールFC
160 (51)
101 (71)
266 (68)
代表歴 2
2004- オランダの旗 オランダ 84 (24)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月22日現在。
2. 2011年11月15日現在。
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ディルク・カイト(Dirk Kuyt, Dirk Kuijt, Nl-Dirk Kuijt.ogg 発音ヘルプ / リンク1980年7月22日 - )は、オランダ南ホラント州カトヴァイク出身の同国代表プレミアリーグリヴァプールFC所属のサッカー選手。ポジションはフォワード

目次

[編集] 経歴

リヴァプールでのカイト

1998年ユトレヒトに入団。1年目から頭角を現してレギュラーとして活躍。2002-03シーズンには20得点を挙げる活躍を見せ、KNVBカップ獲得にも貢献した。その活躍が認められて2003-04シーズンからはそのシーズンで移籍したピエール・ファン・ホーイドンクの代役としてフェイエノールトでプレー。サロモン・カルーと強力2トップを形成し、ここでも高い得点能力を発揮して20得点を挙げ、チームの主力に成長した。

翌2004-05シーズンには開幕戦のデ・フラーフスハップ戦でハットトリックを決めるなど、高い得点力を発揮しキャリアハイの29得点を挙げてリーグ得点王に輝いた。2005-06シーズンにはキャプテンに就任しチームを引っ張り、自身も25ゴールを挙げる活躍をした。オランダで1999年から2006年までの7シーズンで233試合が行われ、そのうちわずか5試合しか欠場しなかった。また2001年3月から2006年4月までの間179試合連続出場を記録した。

2006年夏、プレミアリーグリヴァプールに移籍した。移籍金は1800万ユーロ(約26億6400万円)。移籍してまもなくレギュラーとして活躍し始め、2006-07シーズンは、ピーター・クラウチクレイグ・ベラミールイス・ガルシアらと2トップを組み、チーム最多となる12得点を記録した。

2007-08シーズン、開幕前にチームはフェルナンド・トーレスアンドレイ・ヴォロニンといったワールドクラスの選手を前線に補強。しかし、トーレスとの2トップは機能したとは言い切れず、リヴァプールはスタートダッシュに失敗。優勝戦線からの早期脱落を余儀なくされると、チームはシステムを4-4-2から、スティーヴン・ジェラードをトップ下に配置する4-2-3-1に変更する。これに伴い、1トップの座をトーレスに譲ると、カイト自身は右MFとして新境地を開拓し、本職であるヨッシ・ベナユンジャーメイン・ペナントを差し置いて、レギュラーとして活躍を続ける。ポジションがゴールから離れた位置に変更されたこともあり、リーグ戦でのゴール数は極端に減少(32試合で3ゴール)したものの、UEFAチャンピオンズリーグではゴールを量産(11試合で5ゴール)した。

2008-09シーズンは、開幕当初から右MFに固定され、トーレスの不在時には代役を完璧にこなすなど、抜群の存在感を示した。

2009-10シーズン、カイトが試合後アンフィールドで出待ちのファンにサインをしていたところ、娘推定2歳が父の姿を真似、出待ちのファンにボールペンでサイン(お絵かき)をするという偉業を達成する。ただし、カイト本人は他のファンにサインをしていたためにこのことには気付いていない。ちなみにこの子の髪も顔もカイトにそっくりである。

[編集] 代表歴

オランダ代表でのカイト

当時代表監督であったマルコ・ファン・バステンよりロイ・マカーイパトリック・クライファートといったストライカーが多くいたオランダ代表に初招集を受けた。2004年9月3日のリヒテンシュタイン戦では代表デビューを果たした。2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では12試合中試合をスタメンで出場し、本戦出場に貢献した。

2006 FIFAワールドカップではベンチに降格してしまう。グループステージ1戦目のセルビア・モンテネグロ戦で後半14分にルート・ファン・ニステルローイに代わって出場した。2戦目終了時点でグループステージ突破が決まったため、3戦目のアルゼンチン戦ではスタメンで出場した。決勝トーナメント1回戦のポルトガル戦ではファン・ニステルローイに代わりスタメンのチャンスが回ってきたがゴールは挙げられず1-0で敗れチームは敗退した。

2008年にはUEFA欧州選手権2008のメンバーに選出され、6月9日に行われたグループステージ1戦目のイタリア戦でヴェスレイ・スナイデルジョバンニ・ファン・ブロンクホルストのゴールをアシストしチームの勝利に大きく貢献した。6月13日のフランス戦では前半9分にゴールを挙げ勝利に貢献した。しかしチームは決勝トーナメント1回戦のロシア戦で敗れ敗退した。

2010 FIFAワールドカップではグループリーグ1戦目のデンマーク戦で2点目のゴールを挙げ、自身ワールドカップ初得点となった。

[編集] タイトル

クラブ
オランダの旗 FCユトレヒト
イングランドの旗 リヴァプールFC
個人

[編集] 外部リンク



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