サン・セバスティアン
| 州 | |
|---|---|
| 県 | |
| 面積 | 60.89km² |
| 標高 | 6m |
| 人口 | 183,308人(2007年) |
| 人口密度 | 3,010人/km² |
| 住民の呼称 | donostiarra |
| 自治体首長 | フアン・カルロス・イサギーレ(Bildu) |
サン・セバスティアン(カスティーリャ語:San Sebastián)またはドノスティア(バスク語:Donostia)は、スペインの都市。公式には、ドノスティア=サン・セバスティアン(Donostia-San Sebastián)と呼ばれる。バスク州のギプスコア県の県都である。人口は182,930人(2005年推計)。
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地勢・産業[編集]
ビスケー湾に面するスペイン北東部の港湾都市であり、物流の拠点であるほか漁業も盛んである。風光明媚な海岸線などによって高級保養地として知られ、多くの王族や国家元首が来訪した。フランス国境に近く、国境までは約15キロ程度。海に突き出した2つの山モンテ・ウルグルとモンテ・イゲルドにはさまれたコンチャ湾に、弧を描くビーチがある。旧市街は、モンテ・ウルグルのふもとにある。近隣の都市としては、約80キロ西のビルバオ、約45キロ北東のバイヨンヌ(フランス領)などが挙げられる。
歴史[編集]
- 1174年、ナバーラ王のサンチョ6世によって自治権を与えられる。
- 1200年、カスティーリャ王国のアルフォンソ8世に征服されるが、自治権は認められる。
- 1656年、スペイン王女とルイ14世が近くのアンダイエで結婚するまで、王宮の司令部として使われる。
- 1728年、王立ギプスコア・デ・カラカス会社(Real Compañía Guipuzcoana de Caracas)の設立により、アメリカ大陸のスペイン領との貿易が盛んになる。
- 1808年、スペイン独立戦争の間、ナポレオン1世軍により占領される。
- 1813年、8月31日、サン・セバスチャンを包囲したイギリスとポルトガルの部隊がフランスの占領軍を破る。解放軍が自制を失って街を焼き払ったにもかかわらず、住民は反フランス感情を捨てなかった。現在では丘のふもとの通り(8月31日通り)だけが残っている。
- 1813年、街が同じ場所に再建される。若干レイアウトが変更されたが、建築上は同じスタイルであった。
- 1833年、Sir George de Lacy Evans指揮下のイギリス義勇軍がカルリスタの攻撃から街を守った。死者はモンテ・ウルグルの「イギリス墓地」に埋葬されている。
- 1863年、市壁が取り壊され(その残骸はBoulevardeの地下駐車場で見ることができる)、市域の拡張が始まる。
- 1936年、スペイン内戦によって分断される。労働総同盟(UGT)は、バスク民族主義者に対して恐怖政治を行う。
- 1937年、スペイン内戦の結果、この地方はファランヘ党の支配下に置かれ、UGTに報復が行われた。
政治[編集]
2011年5月22日に行われた自治体選挙において、同年4月に設立されたばかりの政党連合BILDU(BILDU-EA-ALTERNATIBA、実態は旧バタスナ)が24.29%の票を獲得し、第一政治勢力となった。獲得評議員数は、Bildu:8、バスク社会党(PSE-EE):7、バスク国民党(Partido Popular del País Vasco):6、バスク民族主義者党(EAJ-PNV):6となった[1](得票順)。自治体首長はBilduのフアン・カルロス・イサギーレ(Juan Karlos Izagirre)が選出された。同市長が就任後まず行ったことが自治体庁舎内の式典等で使用されるサロンから国王の肖像画を取り外すことであった[2]。
| '2011年5月22日自治体選挙 | |||||
| 政党 | 得票数 | 得票率 | 獲得議席 | ||
| BILDU-EA-ALTERNATIBA | 21,110 | 24.29% | 8 | ||
| PSE-EE (PSOE) | 19,666 | 22.63% | 7 | ||
| PP | 16,502 | 18.99% | 6 | ||
| EAJ-PNV | 15,587 | 17.93% | 6 | ||
スポーツ[編集]
サン・セバスチャンは、リーガ・エスパニョーラに所属するサッカークラブレアル・ソシエダのホームである。また、スタジアムEstadio Anoetaでは、ラグビーユニオンのチーム、ビアリッツ・オリンピックの試合が行われている。
スペインプロバスケットボールリーグのギプスコア・バスケットクラブ(Gipuzkoa Basket Club)の本拠地である。
バスク地方は自転車ロードレースが盛んな地域で、夏にはサン・セバスチャンを舞台としたワンデイレースであるクラシカ・サンセバスチャンが行われる。
文化[編集]
毎年1月20日(聖セバスチャンの祭日)には、「タンボラーダ」(Tamborrada)として知られる祭りが行われる。真夜中に旧市街の憲法広場で市長がサン・セバスチャンの旗を掲げ、それから24時間街中に太鼓の音が満ちあふれる。コックと兵士の衣装を着た人々が街を練り歩く。この祭りの起源は、ナポレオン戦争中にフランスの占領軍が毎日モンテ・ウルグルからサン・テルモまで行進したのを、スペイン人の商人(コックを含む)がそのまねをしながらあざ笑ったことによると言われる。のちに、この行列はVicente "Txiki" Buenecheaが樽を太鼓として寄贈したことで発展した。
参加者は、行列に必要なものが提供される"Sociedades"で夕食をとる。行列への参加は、伝統的に男性にしか認められていない。最近では、もっとも厳格な人でも「タンボラーダの夜」に女性が参加するのを認めている。参加者は自分たちで料理した洗練された食事をとる。食事は海産物(伝統的にはシラスウナギだが、現在では値段が高騰したので提供されない)と上等のワインからなる。
タンボラーダは、「ドノスティア人」にとって一年でもっとも重要な祭りである。一晩中太鼓の音を聞いた後で、子供たちは子供版のタンボラダに参加する。子供たちは伝統的に兵士の格好をして街を練り歩く。たいていはその衣装は特定の国(イギリス、ドイツ、ルーマニアなど)を表すものである。
毎年8月には「Semana Grande」または「Aste Nagusia」と呼ばれる祭りが開かれ、花火大会が毎晩行われる。湾をまたがって花火が打ち上げられ、最後に勝者が発表される。
サン・セバスチャンは、バスク料理と「pintxos」(ピンチョス)でも知られ、港の近くにはレストラン街がある。
サン・セバスチャンでは、バスク地方でもっとも重要な国際映画祭ドノスティア=サン・セバスチャン国際映画祭が開かれる。また同様に国際音楽祭としてサン・セバスティアン音楽週間が開かれる。
サン・セバスチャンは2016年の欧州文化首都に選定された[3][4]
姉妹都市[編集]
脚注[編集]
- ^ スペイン内務省 2011年地方選挙結果
- ^ “Bildu retira el retrato del Rey porque 'no representa a la mayoría de donostiarras'” (スペイン語). El Mundo紙2011年6月25日版. 2011年7月1日閲覧。
- ^ “San Sebastián será capital europea de la cultura en 2016” (スペイン語). El País紙6月28日. 2011年7月11日閲覧。
- ^ “San Sebastián será Capital Cultural en 2016” (スペイン語). El Diario Vasco紙6月28日. 2011年7月11日閲覧。
外部リンク[編集]
- 公式サイト
- Flickrのサン・セバスチャンの写真
- ドノスティアの写真
- サン・セバスチャン - ドノスティアの写真ギャラリー
- 市の写真
- スペイン政府観光局オフィシャルサイト サン・セバスチャン(日本語)