ミクロネシア連邦

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ミクロネシア連邦
Federated States of Micronesia
ミクロネシア連邦の国旗 Seal of the Federated States of Micronesia.svg
国旗 (国章)
国の標語:Peace Unity Liberty
(英語: 平和、連帯、自由)
国歌ミクロネシアの愛国者
ミクロネシア連邦の位置
公用語 英語
首都 パリキール
最大の都市 ウェノ
政府
大統領 マニー・モリ
首相 なし
面積
総計 702km2175位
水面積率 極僅か
人口
総計(2004年 108,155人(179位
人口密度 154人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(xxxx年 xxx,xxxアメリカ合衆国ドル
GDP (MER)
合計(2008年 2億[1]ドル(177位
GDP (PPP)
合計(2008年 3億[2]ドル(172位
1人あたり 2,844ドル
独立
 - 日付
アメリカ合衆国の信託統治領から
1986年11月3日
通貨 アメリカ合衆国ドル (USD)
時間帯 UTC (+10)(DST:なし)
ISO 3166-1 FM / FSM
ccTLD .fm
国際電話番号 691

ミクロネシア連邦(ミクロネシアれんぽう)、通称ミクロネシアは、太平洋ミクロネシア地域に位置するオセアニア国家マリアナ諸島の南東、パラオの東、マーシャル諸島の西、パプアニューギニアの北ないし北東にある。地理的には、カロリン諸島と呼ばれる。首都は、ポンペイ島パリキールである。

国名[編集]

正式名称は、Federated States of Micronesia。略称、FSM。単なる Micronesia は、この国を含むさらに広い地域全体の公式名称であるが、しばしば、この国を指す言葉としても用いられる。

日本語の表記はミクロネシア連邦。通称ミクロネシア。英語での発音はマイクロニージャ[ˌmaɪkroʊˈniʒə] である。

歴史[編集]

先史時代[編集]

言語学的、考古学的見解によると、紀元前4000年から紀元前2000年には、フィリピンインドネシア地方から渡ってきた定住者がいたといわれている。また、東側のポンペイ州やチューク州にはギルバート諸島やソロモン諸島からツバル、キリバスを経由して来た一団もおり、最初の開拓者は、進んだ農業(栽培)技術と高度な航海知識を持つオーストロネシア語族の民族であったと推測されている。

ポンペイ島では、12世紀から14世紀頃にかけてシヤーウテール王朝が支配していた。コスラエでは14世紀から19世紀中頃まで王朝があった。

スペイン、ドイツ統治時代[編集]

1525年、香料諸島(インドネシア)を目指して航海していたポルトガルの探検隊がヤップ島本島とユリシー島を「発見」。1529年スペインの探検隊がカロリン諸島を「発見」し、大航海時代にはスペインを中心とした国の中継点となり、ヤップ島にはスペイン植民地政府が設置され、1595年マリアナ諸島カロリン諸島がスペインの領土と宣言した。しかし、キリスト教の布教以外に実際に統治は行わなかった。コスラエは、1824年フランス船が入港したのがヨーロッパとの最初の接触であった。その後、スペインは1886年に要塞建設などを開始した。

1869年ドイツが貿易の拠点をヤップ島に開設し、スペインがそれに対し1885年に軍隊を派遣したが、結局スペインは1899年米西戦争に敗れ国力が疲弊していたこともあり、ドイツにパラオを含むカロリン諸島を売却した。ドイツはこの地を「ドイツ領カロリン諸島」として植民地化した。

日本統治時代[編集]

1914年より第一次世界大戦が勃発し、日本が赤道以北のドイツ領ミクロネシアを管理下に置いた。日本はそれ以前よりドイツ領ミクロネシアとの経済関係を強化しており、ミクロネシアの経済は日本との貿易に依存していた。

1920年国際連盟は日本にミクロネシアの統治を委任し、日本の「委任統治領南洋諸島」として南洋庁の下に置かれた。この期間、先住民の人口は、当時約40,000人ほどしかなかったのに対し、日本人居住者は85,000人を超えていた。植民政策により日本人事業家が経済を活発化させたため、サトウキビ、採鉱、漁業、熱帯農業が主要産業となり、ミクロネシアは貿易黒字が続くという状態であった。

第二次世界大戦が勃発すると、世界最大級の環礁に囲まれたトラック諸島などは、天然の要塞として日本軍の太平洋における最重要拠点のひとつとなった。1944年2月から、アメリカ軍はこの地域の日本軍基地に対して攻撃を開始し、軍事基地としての機能を喪失させると大部分の島は軍事作戦上放置された。第二次世界大戦の終戦により日本の統治は終了した。

アメリカ信託統治から独立[編集]

1947年国際連合はミクロネシア地域を6つの地区(ポンペイ(旧称ポナペ)、コスラエ(旧称クサイエ島。当時は、ポンペイの一部とされていた。)、チューク(旧称トラック)、ヤップ、パラオ、マーシャル諸島、マリアナ諸島北部)に分け、アメリカ合衆国を受任国とする太平洋諸島信託統治領とした。

1965年アメリカはミクロネシア議会の発足に合意、1970年代後半より自治独立の交渉が始まった。1978年7月、ミクロネシア憲法が起草され、信託統治領下の6つの地域のうち、マーシャル諸島とパラオでは住民投票で否決されたものの、残りのトラック(現在のチューク)、ヤップ、ポナペ(現在のポンペイ)およびクサイエ島(現在のコスラエ)の4地域では可決した。このため、ポンペイ、チューク、ヤップ、コスラエの4地区が「ミクロネシア連邦」を構成する州となり、ミクロネシア連邦(FSM)憲法の下で連邦制をとることが決定し、国連はこれを認めた。

1979年5月10日、この憲法が発効して、ミクロネシア連邦が施行されたため、国際連盟・国連による長年にわたる管理下のもと失われていた主権を回復した。旧地区は連邦を構成する州となり、独自の州憲法を採択した。そして、連邦および各州の議員を選ぶための統一選挙も行われ、全ミクロネシア議会の議長であったトシオ・ナカヤマが初代大統領に就任した。

1986年11月3日にミクロネシア連邦は、国防と安全保障をアメリカに委託した自由連合盟約国として、事実上独立した。1990年12月に、国際連合安全保障理事会は正式に信託統治の終了を宣言し、1991年、ミクロネシア連邦は国連に加盟し、国際社会の一員となった。

独立までの経過については信託統治#太平洋諸島も参照。

政治[編集]

大統領制をとっている連邦国家で、政党はない。大統領の任期は4年で、各州出身議員の間から互選されるという紳士協定による輪番制。

連邦議会は一院制で、4年任期議員4名(各州1名)、2年任期議員10名(チューク州5名、ポンペイ州3名、ヤップ州1名、コスラエ州1名)。

米国とミクロネシア連邦の間で締結されている自由連合盟約により、安全保障及び一部外交上の権限はアメリカ合衆国が保持している。

地理[編集]

ミクロネシア連邦の地図

ミクロネシア連邦は、フィリピンの東に浮かぶカロリン諸島に属する607の島からなる。島は東西に約3000kmに渡って広がっている。

地方行政区分[編集]

ミクロネシア連邦は、4つの州からなる。

国旗の4つの白い星は、これらの州を表している。

経済[編集]

漁業と農業(ココナッツキャッサバ)が主産業で、魚介類を主に日本へ輸出し、生活必需品を主にアメリカ合衆国から輸入しているが、貿易額は赤字を記録している。IMFに加盟しており、歳入の約5割がアメリカからの援助額で、2003年から20年間で13億ドルを援助する予定で漁業・農業・観光による自立経済を目指している。

情報・通信[編集]

ミクロネシアの放送局は、地上波をヤップ州が担当しており州営のヤップテレビがある。ほかに、有線放送としてアイランド・ケーブルテレビがある。インターネットはFSM Telecommunications Corporationというプロバイダが主流である。新聞はインサイド・オセアニアがある。

国民[編集]

日系4世のマニー・モリ

住民はミクロネシア系が多い。また、ポリネシア系の住民もいる。日系ミクロネシア連邦人もおり、人口の2割を占めているとも言われ、現在の大統領であるマニー・モリは日系4世である。

言語は英語公用語であり、また共通語として使われている。その他チューク語ヤップ語コスラエ語ポンペイ語ウリシ語ウォレアイ語カピンガラマンギ語ヌクオロ語などが使われている。

現在では減少しているが、高齢者の中には日本語を話せる人もいる。また、日本語由来の単語も多く、日本人の姓を使っている人もいる。

宗派宗教としてはキリスト教が有力であり、ローマ・カトリックプロテスタントが半分程度である。ただし土着の精霊信仰も色濃く残っており、近年はキリスト教によって抑圧されていた儀式の復活も行われている。

脚注[編集]

  1. ^ World Bank>World Development Indicators database>Gross domestic product 2008 2009年7月19日閲覧[1]
  2. ^ World Bank>World Development Indicators database>Gross domestic product 2008, PPP 2009年7月19日閲覧[2]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

政府

日本政府

観光

その他