トゥルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
トゥルク
Turku / Åbo
Turku postcard 2009.jpg
Flag of turku Finland-.svg Turku.vaakuna.svg
市旗 市章
位置
トゥルクの位置の位置図
トゥルクの位置
座標 : 北緯60度27分20秒 東経22度16分20秒 / 北緯60.45556度 東経22.27222度 / 60.45556; 22.27222
歴史
成立 1292年
行政
フィンランドの旗 フィンランド
 県 南西スオミ県
 郡 トゥルク郡
 市 トゥルク
地理
面積  
  市域 306.41km2(118.3mi2
    陸上   245.7km2(94.9mi2
    水面   60.71km2(23.4mi2
人口
人口 (2010年現在)
  市域 176,401人
    人口密度   717.95人/km2(1859.5人/mi2
その他
等時帯 EETUTC+2
夏時間 EESTUTC+3
郵便番号 20000–20960
公式ウェブサイト : http://www.turku.fi
トゥルク城 (2005.08)
ポートアーサー地区標榜(2005.08)(Ravintola Port Arthur = フィンランド語で「レストラン・ポートアーサー」)

トゥルク (Turku) は、フィンランド南西部の町であり、バルト海に面す。南西スオミ県の県庁所在地である。トゥルク郡に属する。フィンランド最古の町として、また旧首都として知られ、かつては主要なハンザ同盟都市であった。スウェーデン語名は、Åbo(オーボ)。

1229年ローマ教皇がこの地に司教座をおいたことから町が築かれたといわれる。1640年スウェーデンクリスティーナ女王によって、オーボ王立アカデミーヘルシンキ大学の前身)が建設された。以来1812年ヘルシンキが首都となるまでフィンランドの中心都市として栄えた。

2011年欧州文化首都に制定された。

概要[編集]

フィンランドの南西部に位置する港湾都市。町の中心にアウラ川が流れ、近くのトゥルク城や少し上流のトゥルク大聖堂がシンボル。中心にマーケット広場 (kauppatori) があり、夏はアウラ川沿いにカフェテラスがあり、またクラシックからポップスまで様々なジャンルの音楽が集結したトゥルク音楽祭も開かれる。12月から1月にかけては美しいクリスマスイルミネーションに彩られる。

バルト海に面した港湾都市として歴史的にスウェーデンとのつながりが強く、現在でも人口の5%程度はスウェーデン語を母語とする。スウェーデン語Åbo(オーボ)は、歴史的にスウェーデン語話者が集住していたアウラ川左岸の地区名に由来する。

過去に何度も大火に見舞われた上、第二次世界大戦の激しい空襲も経験しており、古くからの街並みはほとんど残っていない。今でも工事中に不発弾が発見されることもある。

ヘルシンキからは、フィンランド国鉄VRの特急ペンドリーノを使えば2時間弱。フィンランドでは都市間を結ぶ長距離バスのネットワークが発達しているので、これを利用してもよい。トゥルク市郊外にはトゥルク空港があり、飛行機の利用も可能。

国際的な交通としては、スウェーデン首都ストックホルムと結ぶヴァイキング・ラインシリヤラインバルト海クルーズが有名である。

トゥルク市内の一番土地の高い場所[要出典]、市内を一望できる小丘(Kakolanmäki カコランマキ)にはトゥルク刑務所があったが、2007年秋に移転した。トゥルクは、カコランマキを含む7つの丘を擁する町として知られている。

日本との関連[編集]

トゥルクには、ポート・アーサー(旅順)という地区がある。Port Arthur のフィンランド語での読み方は "ポルト・アルトゥル" に近い("ポート・アーサー" は英語読み)。地元では略して Portsa"ポルツァ" と呼ばれている。20世紀初頭に労働者向けの住宅地として開発されたのが、この地区の始まりであった。現在では、クラシックな木造家屋が立ち並ぶ高級住宅街となっている。

Port Arthurという地区名が旅順に由来するが、これは、特に日露戦争における旅順での日本の勝利を祝って命名された、といった性格のものではない。地区名の由来として、Portsa ry(この地区で活動する住民組織) のウェブサイト[1]に紹介されているのは、次のようなエピソードである。
1900年代の初め、開発中のこの地区で作業をしていた石工が、少年たちに度々「なにを作っているの」と尋ねられ、あるとき「新しい Port Arthur 要塞」と答えた。当時、日露戦争でロシアが旅順(=Port Arthur)要塞を失ったことは、大きな話題になっていた。この石工の答えから、新しい地区が Port Arthur と呼ばれるようになったという。
トゥルクを中心とした日刊紙であるTurun Sanomat(トゥルン・サノマット)紙のインターネット版[2]にも、同様のエピソードを紹介した記事が掲載されている。

日露戦争当時、フィンランドはロシアの自治領であり独立の気運が高まっていた。また、日本はフィンランドの独立活動家などへ武器の輸出を行っていた。 日本がフィンランド独立のために武器援助を行った大砲が今でもトゥルク市のトゥルク城に展示されている。

名所・旧跡[編集]

  • トゥルク城 (Turun linna)
  • トゥルク大聖堂 (Turun tuomiokirkko)
  • ヴァイノ・アールトネン美術館 (Wäinö Aaltosen museo)
  • ルオスタリンマキ手工芸博物館 (Luostarinmäen Käsityöläismuseo)
  • シベリウス博物館 (Sibeliuksen museo)

トゥルク出身の人物[編集]

姉妹都市[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 外部リンクPortsa ry
  2. ^ 外部リンクTurun Sanomat紙2007年5月12日付記事

座標: 北緯60度27分05秒 東経22度16分00秒 / 北緯60.45139度 東経22.26667度 / 60.45139; 22.26667