ヘルシンキ
| ヘルシンキ Helsinki / Helsingfors |
|||
|---|---|---|---|
|
|||
| 位置 | |||
ヘルシンキの位置 |
|||
| 座標 : 北緯60度10分0秒 東経24度56分0秒 / 北緯60.16667度 東経24.93333度 | |||
| 歴史 | |||
| 設立 | 1550年 | ||
| 首都制定 | 1812年 | ||
| 行政 | |||
| 国 | |||
| 州 | 南スオミ州 | ||
| 県 | ウーシマー県 | ||
| 市 | ヘルシンキ | ||
| 地理 | |||
| 面積 | |||
| 市域 | 187.1km2(72.2mi2) | ||
| 陸上 | 186.4km2(72mi2) | ||
| 水面 | 0.7km2(0.3mi2) | ||
| 市街地 | 765.6km2(295.6mi2) | ||
| 都市圏 | 3822.2km2(1475.8mi2) | ||
| 人口 | |||
| 人口 | (2011年現在) | ||
| 市域 | 588,941人 | ||
| 人口密度 | 3,079人/km2(7,974.6人/mi2) | ||
| 市街地 | 1,044,063人 | ||
| 市街地人口密度 | 1,330人/km2(3,444.7人/mi2) | ||
| 都市圏 | 1,322,576人 | ||
| 都市圏人口密度 | 339人/km2(878人/mi2) | ||
| 備考 | フィンランドで最大 | ||
| その他 | |||
| 等時帯 | EET (UTC+2) | ||
| 夏時間 | EEST (UTC+3) | ||
| 公式ウェブサイト : [1] | |||
ヘルシンキ(フィンランド語:Helsinki、スウェーデン語:Helsingfors)は、フィンランド共和国の首都。北欧有数の世界都市。フィンランドの南部(北緯60度10分、東経24度56分)に位置し、バルト海の最奥、フィンランド湾の北、多島海のヘルシンキ湾に面している。別名「バルト海の乙女」。スラングで主にヘルシンキ市民にはスタディ(Stadi),市周辺住民にはヘサ(Hesa)とも呼ばれている。
ヘルシンキ市の人口は約59万人。ヘルシンキ市の周辺にはエスポー、ヴァンターなどの衛星都市があり、約100万人が住んでいる。フィンランドの公用語がフィンランド語とスウェーデン語の二言語であるため、二言語併用が原則となっているほか、地名(駅名、停留所名なども)はフィンランド語、スウェーデン語で別々に存在する。
市内には様々な教会があり、中には1967年にスオマライネン兄弟によってデザインされ、岩盤をくりぬいて作ったテンペリアウキオ教会などがある。
2007年にはユーロビジョン・ソング・コンテストが開催された。
目次 |
[編集] 歴史
1550年、スウェーデン国王のグスタフ1世によって、バルト海貿易の中枢であったハンザ同盟都市でエストニアの首都タリンに対抗する目的で建設された港湾都市。当初、ヘルシングフォシュHelsingfors([hɛlsiŋ'fɔrs])とスウェーデン語で名付けられ、今日でもスウェーデン語ではそう呼ばれている。命名の由来には諸説あるが、(川の狭まった場所)の意味などとされる。そこからフィンランド語のHelsinkiが生まれる。
都市の建設と入植は困難を極め、火事、疫病、飢饉、戦争など度重なる災禍に見舞われ、特に1710年のペストでは人口の3分の2を失った。町の存亡さえ危惧され、長い間バルト海の他の都市に圧されていた小さな港町だったが、スオメンリンナ要塞の建設が、都市の発展の契機となった。特に第二次ロシア・スウェーデン戦争(フィンランド戦争)で軍事的な重要性を帯る。
戦争の結果、1809年にフィンランドはロシアに割譲されフィンランド大公国が誕生、ロシアのアレクサンドル1世が1812年にフィンランド大公国の首都をスウェーデンに近いトゥルクからスオメンリンナ要塞のあるヘルシンキに遷都させたことで、フィンランド一の都会へと変貌を遂げることになる。ヘルシンキ大学もトゥルクから移り建学。1808年の大火で町の3分の2が消失していたことで、それを契機にエーレンストレムらを中心に新都市の計画が練られ、新古典主義建築の多い審美的な近代都市に生まれ変わった。新首都の計画・建設にはロシア皇帝自らの意向が深く反映された。
第一次世界大戦後の1917年にフィンランドは独立を宣言、ヘルシンキは正式に首都となるも、1918年に始まるフィンランド内戦では赤軍に陥落する。白軍によって奪回され、被害はタンペレなど国内の他都市に較べ軽微であった。内戦後、エリエル・サーリネンらによって都市の再開発が試みられた。第二次世界大戦期には、冬戦争ならびに継続戦争で、ソ連軍の猛爆撃を受けるが、都市防衛には成功し、第二次世界大戦における首都の戦禍としてはヨーロッパの参戦国では最も軽微で済んだ。
1952年には夏季オリンピックを開催。着実な復興を世界に示した。都市圏の肥大化はヨーロッパの諸都市の中では遅れて始まり、1990年代になってから、ヘルシンキ首都圏の成長率は、ヨーロッパで最も目覚しいものになっている。その一方で、EU加盟国の首都の中では、人口密度がブリュッセルに次いで低く、自然環境の保護にも成功している。
[編集] 教育
ヘルシンキには190の普通科学校、41の高等学校、15の職業訓練学校がある。高等学校の半数は私立もしくは州立である。更に8つの総合大学と4つの技術専門学校がある。
[編集] 大学
- ヘルシンキ大学
- アールト大学 (旧: ヘルシンキ工科大学、ヘルシンキ経済大学、ヘルシンキ芸術デザイン大学)
- ヘルシンキ経済大学
- 経済ビジネス行政スウェーデン・スクール(Swedish School of Economics and Business Administration)
- フィンランド芸術アカデミー
- シベリウス・アカデミー
- シアター・アカデミー
[編集] 交通
ヘルシンキでは、主な交通機関はヘルシンキ市交通局によって運営され、電車、地下鉄、バス、トラムが含まれている。Helsinki Metropolitan Area Council はエスポー、ヴァンター、カウニアイネンも管轄している。年間乗客数はおよそ2億1千万人で国内最多。半数近い乗客がバスを利用する。
現在のフィンランドでは、トラム・地下鉄・バスのすべてがある都市はヘルシンキのみとなっている。以前はトゥルクとヴィボルグにもトラムがあったが、トゥルクでは1972年に、ヴィボルグでは1957年に廃止された。 ヘルシンキの地下鉄は1982年に開業した。16年間、まっすぐな1路線があるのみだったが、1998年にイタケスクス駅に分岐点が追加された。地下鉄はヘルシンキ東側の郊外に住む通勤者にとって重要な交通手段となっており、西側へはエスポーまで拡張する計画があるが、経済的な面からプロジェクトは遅れている(fi:Länsimetro)。自動運転システムへの移行を進めており、2013年末までにヘルシンキの地下鉄は運転手なしで運行される予定である[1]。
ヘルシンキにはヘルシンキ・ヴァンター国際空港とマルミ空港の2つの空港がある。国際線は、ヘルシンキ北方17キロに位置するヴァンターのヘルシンキ・ヴァンター国際空港を利用する。
タリンやストックホルム、オーランド諸島などへのフェリーの運航はヴァイキングライン、シリヤライン(タリンク)など複数の会社が行っている。フィンラインはドイツ・トラヴェミュンデ行きのフェリーを、シリヤラインはドイツ・ロストック行きのフェリーも運航している。タリンへはヘリコプターで移動することも可能である。
鉄道は国内各地のほか、ロシアのサンクトペテルブルクとはカレリアントレインズによって3時間半で結ばれている。
[編集] 地理
ヘルシンキの面積は686km²で、そのうち陸地が186,8km²、陸水が0,75km²、残りの500km²が海水域である。ヘルシンキには315の島があり、海岸線は98キロメートルにも及び、湖として分類される陸水がない。主な島としてセウラサーリ、ラウッタサーリ、コルケアサーリ(フィンランド最大の動物園としても有名)、スオメンリンナ島 (Sveaborg)(要塞島)やサンタハミナ島(軍事島)が挙げられる。「サーリ」(saari) とはフィンランド語で島のことである。
陸地は森林が3724ヘクタール、公園が987ヘクタール(造園済は858ヘクタール)で、野原が約800ヘクタール。公園地域は合計で6020ヘクタール。市内には42の自然保護地域があり、その面積は約770ヘクタール。市の植物はカエデ、市の動物はリス。
市のメインストリートはItäväyläで、11251メートルの長さがあり、一般道が72941メートルで残りは国道。市中心部のメインストリートはマンネルヘイミン通りで5480メートル。市中心部で最短の通りはクルーヌンハカにあるVälikatuで、25メートル。市全体で最短の通りはラッシラにあるLuotikujaで、9メートルしかない。
[編集] 気候
ヘルシンキは海と大陸に挟まれた所に位置するため、フィンランド人からはヘルシンキの冬はかなり穏やかであるが、夏は暖かい(内陸部のような猛暑となることがない)と言われている。一方で、海から吹く風により体感温度は内陸部よりもずっと低く感じられる。
2006年度の年間平均気温は摂氏6,7度。最も平均気温が低い月は2月で氷点下7,9度、最も平均気温が高い月は7月の摂氏18,9度だった。2006年は異常気象の影響で夏と初冬の気温が平年より高かった。
| ヘルシンキの気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 最高気温記録 ℃ (°F) | 8.5 (47.3) |
10.3 (50.5) |
15.1 (59.2) |
21.9 (71.4) |
27.6 (81.7) |
30.9 (87.6) |
31.6 (88.9) |
31.2 (88.2) |
26.2 (79.2) |
17.5 (63.5) |
11.6 (52.9) |
9.8 (49.6) |
31.6 (88.9) |
| 平均最高気温 ℃ (°F) | −1.7 (28.9) |
−2.3 (27.9) |
1.2 (34.2) |
6.8 (44.2) |
14.0 (57.2) |
18.7 (65.7) |
20.9 (69.6) |
19.3 (66.7) |
13.9 (57) |
8.6 (47.5) |
3.6 (38.5) |
0.2 (32.4) |
8.6 (47.5) |
| 平均最低気温 ℃ (°F) | −6.9 (19.6) |
−7.7 (18.1) |
−4.2 (24.4) |
0.4 (32.7) |
6.0 (42.8) |
11.0 (51.8) |
13.7 (56.7) |
12.6 (54.7) |
8.1 (46.6) |
3.8 (38.8) |
−0.8 (30.6) |
−5.0 (23) |
2.6 (36.7) |
| 最低気温記録 ℃ (°F) | −34.3 (-29.7) |
−31.5 (-24.7) |
−24.5 (-12.1) |
−16.3 (2.7) |
−4.8 (23.4) |
0.7 (33.3) |
5.4 (41.7) |
2.8 (37) |
−4.5 (23.9) |
−11.6 (11.1) |
−18.6 (-1.5) |
−29.5 (-21.1) |
−34.3 (-29.7) |
| 降水量 mm (inches) | 47 (1.85) |
36 (1.42) |
38 (1.5) |
36 (1.42) |
32 (1.26) |
49 (1.93) |
62 (2.44) |
78 (3.07) |
66 (2.6) |
73 (2.87) |
68 (2.68) |
58 (2.28) |
642 (25.28) |
| 降雪量 cm (inches) | 6.8 (2.68) |
13.7 (5.39) |
12 (4.7) |
0.4 (0.16) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0.5 (0.2) |
2.8 (1.1) |
2.8 (1.1) |
39 (15.4) |
| 出典: Climatological statistics for the normal period 1971–2000 2009-01-03 | |||||||||||||
[編集] 建築
ヘルシンキには注目すべき建築物が多くある。最古の建築物は新古典主義とエンパイア方式によって建てられた。その少し後にアール・ヌーヴォー様式、機能主義、モダニズムによって建築された。
[編集] 1800年~1850年代
ヘルシンキの大部分の建物は1808年に起きた大火事の後に建てられたものである。ヘルシンキ大聖堂前のヘルシンキ元老院広場とカターリーナン通りが交差した所に位置するセデルホルミンホール(Sederholmin talo)は1757年に建築されたものでヘルシンキ中心街に現存する最古の建物であり、スオメリンナ要塞の建築が始まった頃にできたものである。
[編集] 新古典主義とエンパイア様式
ヘルシンキが首都となった際、火事で消失してしまった跡地に新たな建物を建築する事が急務となった。都市計画家として選ばれたドイツ人のカール・ルードヴィッヒ・エンゲルは新古典主義の建築物を設計し、都市再建計画委員会の理想に答えた。エンゲルが設計した建築物は特にヘルシンキ元老院広場とその周辺にあり、ヘルシンキ大学校舎(1828年~32年築)、閣議公邸(1818年~22年築)がある。元老院広場の北側に位置するエンパイア様式のヘルシンキ大聖堂(1830年~40年築)は彼の建築物としては最も知られていると思われる。
他近隣の建築物としてはヘルシンキ市庁舎(1818年築)、ヘルシンキ大学図書館(1836年~45年築)、現在の内科専門病院(sisätautien klinikka)(1826年築)、聖三位一体教会(Pyhän Kolminaisuuden kirkko )(1828年築)、ヘルシンキ旧市庁舎(1819年築)、ヘルシンキ最古の教会vanha kirkko(1826年築)などがある。エンパイア様式の大統領官邸はスウェーデン出身のPehr Granstedtの設計によるものである。
[編集] 1850年~1925年
1800年~1900年代頃は多くの建築物が建てられたが、アール・ヌーヴォー様式の高層住宅がヘルシンキの多くの通りを占めた。
ヘルシンキ中央駅の南側に位置するアテネウム美術館(1887年築)はフィンランド人建築家Theodor Höijerの設計により建設されたものである。彼の建築物としては多くのレリーフや彫像が知られている。フィンランド銀行の向い側に位置するネオ・ルネッサンス方式のヘルシンキ議員ホール(säätytalo,1891年築)はフィンランド人建築家Gustaf Nyströmによって設計されたものである。生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂とも。1868年築)も当時に設計されたものである。
[編集] アール・ヌーヴォー
アール・ヌーヴォーはヘルシンキの建築物に見かけられた建築様式である。重要なアール・ヌーボー建築家はヘルシンキではフィンランド人のLars Sonckであり、彼のペンから生み出された多くの高層建築と高さのあるカッリオ教会(Kallion kirkko,1908~12年築)は、アール・ヌーヴォーと民族ロマン主義を結合させたものである。ヘルシンキのランドマークになっているのがヘルシンキ中央駅(1919~22年築)で、これもまた重要なアール・ヌーヴォー建築家のエリエル・サーリネン(Eliel Saarinen)の設計によるものである。
[編集] 民族ロマン主義
民族ロマン主義がヘルシンキでみられるのは特にフィンランド国立博物館(1905年~10年築)で、Herman Gesellius、Armas Lindgren、エリエル・サーリネン(Eliel Saarinen)の3人によって設計された。外見は中世フィンランドの要塞を模倣したものを民族ロマン主義様式にしたものになっている。建物の中は主にアール・ヌーヴォー様式で占められている。ヘルシンキ中央駅の隣にあるフィンランド国立劇場(1902年築)もまたヘルシンキの民族ロマン主義的な建物として知られており、建築家Onni Tarjanneにより設計されている。
[編集] ネオ・ゴシック主義
ネオ・ゴシック主義はヘルシンキの奥に残っている。唯一見かけられる公共建築物はプナヴオリ地区に位置するヨハンネス教会(Johanneksenkirkko,1878年築)で、建築家 Adolf Melanderにより設計された。双塔は74メートルの長さがあり、座席が2600席もあるフィンランド最大の石造教会である。教会の正面には数千体もの小さな彫像があり、それがフィンランドのネオ・ゴシック様式建築物のピーク時の詳細を表している。
[編集] 1925年以降
1925年以降はますます盛んに目立つ建物が建てられるようになっていっている。ヘルシンキには機能主義とモダニズムに関連する建築物が多く取って代わるようになった。この時期注目すべきなのが建築家Johan Sigfrid Sirén によって設計されたフィンランド国会議事堂(1926~31年築)で、機能主義のはしりを感じさせるものでありながら古典主義に最も近い、という建築物である。この時代の建築物は他にも超高層ビルと名付けられたホテルトルニ(1931年築)がある。ミッコ・アルマンノン(Mikko Armannon)が設計したパシラテレビ塔(Pasilan linkkitorni)(1983年築)は、ヘルシンキで最も高い建築物で146メートルの高さがある。
フィンランドの建築物で規制のない自由な発想で造られたものにトゥーロ地区(Töölö)に位置するテンペリアウキオ教会がある。スオマライネン兄弟によって設計されたこの教会はテンペリアウキオ岩をくり抜いて造られたものである。外側からは出入り口と屋根しか見えない。
[編集] モダニズム
ヘルシンキのモダン建築物の最先端にあるのが現代美術館キアスマで、多様な発想から生まれたこの建築物は2つの直線と湾曲した壁面から成っている。キアスマの傍にはヘルシンキ新聞社ビル(サノマタロ、1999年築)というガラス張りの建物がある。
[編集] 文化
ヘルシンキはフィンランド文化の中心地である。ヘルシンキにはヘルシンキ国立博物館やヘルシンキ現代美術館、ヘルシンキ市立美術館、アテネウム美術館、自然史博物館、郵便博物館などの博物館・美術館がある。
この都市で行われるミュージカルイベントは主にフィンランディア・ホールとフィンランド国立オペラで開催される。さらに大きな劇場を要する場合は、アイスホッケー競技場のハートウォールアリーナやヘルシンキ・メッセセンターなどの大きな施設がある。
ヘルシンキは情報技術やデジタル・カルチャーが盛んな都市としても有名である。
ヘルシンキ出身の世界的音楽バンドに、HIM、ザ・ラスマス、The 69 Eyes、Stratovariusなどが挙げられる。
[編集] イベント
- Valon Voimat: "Forces of Light"、冬の芸術祭
- Helsingin Juhlaviikot: 毎年8月に行われるフェスティバル
- Vappu 毎年行われる学生と労働者のためのカーニバル。
- ナイステンキュンッピ(Naisten kymppi) 5月に行われる女性の為の10キロマラソン(歩きも可)
- ヘルシンキシティマラソン 8月に行われるフィンランド最大のマラソンイベント
- バルティックニシン市 10月にマーケット広場で行われるニシン市。屋台が並び、さまざまなニシンを味わえる。
[編集] 観光
ヘルシンキは27の景観保護区があり、バルト海の乙女と呼ばれる何キロも続く海岸線に彩られた街である。さほど大きな街ではないが、活気に満ちている。
主要観光スポットの一つにスオメンリンナ要塞があり、ユネスコの世界遺産に登録されている。他にはセウラサーリという島があり、レクリエーション地区と屋外博物館がある。親子連れに適している場所にリンナンマキ遊園地とコルケアサーリ動物園がある。
教会では岩盤でできたテンペリアウキオ教会、正教会の生神女就寝大聖堂、そして福音ルーテル派のヘルシンキ大聖堂が有名。ヘルシンキ大聖堂の周りにはヘルシンキ大学の校舎と閣議公邸がある。大聖堂から歩いて直ぐの所に海に面したマーケット広場(カウッパトリ)があり、さらにその周りには大統領官邸と市庁舎がある。マーケット広場から街の中心へ向かう通りに挟まれるようにしてエスプラナーディ公園がある。
マンネルヘイミン通りにはストックマンデパート、マンネルヘイム元帥像を正面に構えた1999年オープンのキアズマ現代美術館が、そして少し北上すると国会議事堂、その先に国立博物館があり、博物館では石器時代から現在に至るまでのフィンランドの歴史を展示している。国立博物館から更に先には主に交響楽団の演奏が行われるフィンランディアホール、オペラやバレエが公演される国立オペラハウス、オリンピアスタディオンがある。アレクサンテリン通りは店舗が並び、街の中心街となっている。市最大のショッピングセンターはイタケスクス・ショッピングセンターで、街の中心からは地下鉄を利用して行くことができる。
ヘルシンキ主要部の概観を効率的に見るにはトラムの3Tを利用するのが適しており、環状線を8の字に一回りする(3Bの路線は反対周り)。
[編集] ギャラリー
-
生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)
[編集] 姉妹都市
[編集] ヘルシンキ出身の著名人
- タルヤ・ハロネン:フィンランドの大統領。
- トーベ・ヤンソン:作家、ムーミンの生みの親。
- アドルフ・エリク・ノルデンショルド:鉱山学者・探検家。
- エサ=ペッカ・サロネン:作曲家・指揮者。
- リーナス・トーバルズ:Linuxの開発者。
- アルトゥーリ・ヴィルタネン:ノーベル化学賞を受賞。
- ミカ・ワルタリ:作家。
- アルト・ハエルコーネン:やり投選手。1984年ロサンゼルスオリンピック金メダル
- ILMARI:ヒップホップミュージシャン。RIP SLYMEのメンバー。
- マイケル・モンロー:ロックミュージシャン。元ハノイ・ロックスのメンバー。
- ペッテリ・コポネン:プロバスケットボール選手。フィンランド代表。2007年のNBAドラフト1巡目30位。
- ハンノ・モットーラ:プロバスケットボール選手。フィンランド代表。元NBA選手。
[編集] オリンピック
1952年のヘルシンキオリンピックの開催地であった。
[編集] 参考文献
- ^ “Automatic metro” (2009年12月15日). 2011年1月4日閲覧。
[編集] 関連項目
- トゥルク(旧首都)
- バルト海
- バルト海クルーズ
- ヘルシンキ (小惑星)(ヘルシンキに因んで命名された小惑星)
- HJKヘルシンキ(ヘルシンキを本拠地に置くサッカークラブチーム)
[編集] 外部リンク
- 公式
- ヘルシンキ市公式サイト (フィンランド語)(スウェーデン語)(英語)
- Helsinki.fi (英語)
- 日本政府
- 在フィンランド日本大使館 (日本語)
- 観光
- ヘルシンキ - ウィキトラベル
- ヘルシンキ観光局 (日本語)
- フィンランド政府観光局 - ヘルシンキ (日本語)
|
|||||||||||