ボージャン・クルキッチ

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ボージャン・ケルキック Football pictogram.svg
Borjan... Revelação Espanhola!.jpg
名前
本名 ボージャン・ケルキック・ペレス
Bojan Krkić Pérez
ラテン文字 BOJAN
セルビア語 Бојан Кркић
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 1990年8月28日(23歳)
出身地 リニョラ
身長 170cm
体重 65kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 ストーク・シティFC
ポジション FW (CF)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2007 スペインの旗 バルセロナB 22 (10)
2007-2011 スペインの旗 バルセロナ 104 (26)
2011-2013 イタリアの旗 ローマ 33 (7)
2012-2013 イタリアの旗 ミラン (loan) 19 (3)
2013-2014 スペインの旗 バルセロナ 0 (0)
2013-2014 オランダの旗 アヤックス (loan) 24 (4)
2014- イングランドの旗 ストーク 0 (0)
代表歴2
2006-2007 スペインの旗 スペイン U-17 20 (16)
2007-2011 スペインの旗 スペイン U-21 21 (4)
2008 スペインの旗 スペイン 1 (0)
2007 カタルーニャ州の旗 カタルーニャ 6 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年7月23日現在。
2. 2013年7月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ボージャン・クルキッチ・ペレス(Bojan Krkić Pérez, 1990年8月28日 - )は、スペインカタルーニャ州リェイダ県リニョラ出身のサッカー選手。ポジションはFWボージャンの他にボヤンとも表記されるが、出身地のカタルーニャ地方では、ボージャンという発音が最も近い。

同名の父、ボージャン・クルキッチは1980年代レッドスター・ベオグラードでプレーしたセルビア人の元サッカー選手で、現在はFCバルセロナのスカウトを務める。母はスペイン人(カタルーニャ人)の看護師。そのためカタルーニャ選抜としてもプレーする。

略歴[編集]

幼少のころに名門バルセロナに入団し、カンテラの各カテゴリの得点記録を軒並み塗り替え、バルセロナの若手有望株と期待された。特に2006年に昇格したセカンドチームであるバルセロナBではセンターフォワードのレギュラーポジションに定着し、22試合で10ゴールとジョバニ・ドス・サントスらとともにオフェンスの中心を担う活躍をみせるなど、カンテラ通算7年間(1999年~2006年)で900点以上をあげた[1]

この活躍が評価され、2007-08シーズンからはわずか16歳にしてドス・サントスと共にトップチームへの昇格し、直後のプレシーズンマッチ第2戦のハーツ戦にて得点に絡む活躍を見せている。

リーガ・エスパニョーラにデビューしたのは2007年9月16日のリーガ第3節CAオサスナ戦であり、17歳と18日という若さでのデビューとなった。また、その3日後の9月19日に行われたオリンピック・リヨン戦でUEFAチャンピオンズリーグのデビューを果たした。

そして、それから1ヵ月後の10月20日、リーガ第8節ビジャレアルCF戦で得点を挙げてクラブ最年少得点記録を更新した。この初ゴールのアシストは、それまでの記録保持者であるメッシであった。この2007-08シーズンではリーガデビューからコンスタントに試合に出場し、リーガ10ゴールを挙げるなどトップチームに定着するに至った。これは同じく17歳でデビューしたラウル・ゴンサレスの9ゴールを抜きリーガ・エスパニョーラの新人記録となった。

なお、デビュー時点では、スペインの労働法により18歳未満とはプロ契約を結べなかった為、バルセロナとプロ契約をしていなかった。このため、マンチェスター・ユナイテッドアーセナルチェルシーといったイングランドのクラブがボージャンを獲得しようとしたが、本人はバルセロナを離れるつもりはないと明言し、最終的には18歳になった直後にバルセロナとプロ契約を結んだ。

2008-09シーズンから背番号を移籍したジャンルカ・ザンブロッタが付けていた11に変更した。

スペイン代表としては2008年2月のフランスの親善試合で初めて招集され、代表の最年少出場記録を塗り替えることが期待されたものの、体調を崩したため出場することはなかった。その後、2008年9月10日ワールドカップ2010予選のアルメニア戦で代表デビューを果たした。

2010-11シーズンから背番号を移籍したズラタン・イブラヒモビッチが付けていた9に変更した。2010年12月にはFCバルセロナとの契約を2015年まで延長。契約解除金はそれまでの8000万ユーロから増額され、1億ユーロに設定された [2]。2011年3月リーガエスパニョーラ第29節ヘタフェ戦で、クラブ史上最年少でリーガ100試合出場を遂げ、「本当に素晴らしい夜だった。僕にとっても、チームにとってもこのような試合は必要だったんだ。ピッチに立てて、それもゴールを決められてうれしいよ。100試合出場だって気付いたときは、鳥肌が立ったんだ。それもバルサでの100試合出場。これまでやってきた自分の仕事を、とても誇らしく思っている。これだけ早く100試合出場を達成できたのは、サポーターのおかげだ。いつもファンから愛されていると感じてきたし、そのことが僕に戦い続ける力を与えてくれているんだ」とコメントした[3]

出場機会を求めて、2011年7月にルイス・エンリケ率いるASローマに1200万ユーロで移籍。なお、この移籍契約には2012-13シーズン終了後にFCバルセロナが1300万ユーロで義務的買戻しを実行する条項が含まれている。 この買戻しはASローマによって阻止することは可能だが、その場合は移籍金の総額が4000万ユーロへと増額される[4]。10月1日、アタランタBC戦においてダニエレ・デ・ロッシからのアシストで移籍後初ゴールを記録した。

2012年ASローマからACミランにレンタル移籍[5]。1シーズンのこのレンタル移籍に関して、ローマとバルセロナの間の前述の契約内容に影響は無い旨、レンタル発表時にFCバルセロナは公式サイトで伝えている[6]

2013年7月、バルセロナへ復帰し、アヤックスに1年間のレンタルで加入した[7]

2014年7月22日、ストーク・シティFCに4年契約で移籍した[8]

エピソード[編集]

  • カタルーニャの親善大使である。
  • 元チームメイトのリオネル・メッシとはメッシとボージャンの曾祖父どうしが兄弟で遠縁の親戚である[9]

個人成績[編集]

クラブ ディビジョン シーズン リーグ 国内
カップ
UEFA その他* 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
FCバル
セロナB
セグンダB 2006–07 22 10 22 10
通算 22 10 22 10
FCバル
セロナ
プリメーラ 2007–08 31 10 8 1 9 1 48 12
2008-09 23 2 9 5 10 3 42 10
2009–10 23 8 4 2 5 1 4 1 36 12
2010–11 27 6 5 1 3 0 2 0 37 7
通算 104 26 26 9 27 5 6 1 163 41
ローマ セリエA 2011–12 33 7 2 0 2 0 37 7
通算 33 7 2 0 2 0 37 7
ミラン 2012–13 19 3 2 0 6 0 27 3
通算 19 3 2 0 6 0 27 3
アヤックス エールディヴィジ 2013–14 24 4 3 1 4 0 1 0 32 5
通算 24 4 3 1 4 0 1 0 32 5
セグンダB通算 22 10 22 10
プリメーラ通算 104 26 26 9 27 5 6 1 163 41
セリエA通算 52 10 4 0 8 0 64 10
エールディヴィジ通算 24 4 3 1 4 0 1 0 32 5
総通算 202 50 33 10 39 5 7 1 281 66

タイトル[編集]

U-21欧州選手権でのボージャン

クラブ[編集]

スペインの旗 FCバルセロナ
オランダの旗 アヤックス

代表[編集]

U-17スペイン代表
U-21スペイン代表

脚注[編集]

外部リンク[編集]