ホセ・マヌエル・フラド

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ホセ・マヌエル・フラド Football pictogram.svg
Jose Manuel Jurado 2011-08-03.jpg
名前
本名 José Manuel Jurado Marín
カタカナ ホセ・マヌエル・フラド・マリン
ラテン文字 Jose Manuel JURADO
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 1986年6月29日(27歳)
出身地 サンルーカル・デ・バラメーダ
身長 176cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム ロシアの旗 FCスパルタク・モスクワ
ポジション MF (OH), セカンドトップ
背番号 19
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2006
2005-2006
2006-2010
→2008-2009
2010-2013
→2012-2013
2013-
レアルマドリードB
レアル・マドリード
アトレティコ・マドリード
RCDマジョルカ (loan)
シャルケ04
スパルタク・モスクワ (loan)
スパルタク・モスクワ
105 (13)
4 0(0)
125 0(13)
41 0(9)
72 0(9)
24 0(3)
9 0(2)
代表歴2
2001-2002
2002-2003
2004-2005
2006-2009
スペインの旗 スペイン U-16
スペインの旗 スペイン U-17
スペインの旗 スペイン U-19
スペインの旗 スペイン U-21
5 0(1)
16 0(6)
8 0(2)
18 0(5)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年9月21日現在。
2. 2011年4月15日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ホセ・マヌエル・フラド・マリン(José Manuel Jurado Marín, 1986年6月29日 - )は、スペインカディス県出身のサッカー選手。ポジションは攻撃的ミッドフィルダー、セカンドトップ、左ウイング。ロシア・プレミアリーグFCスパルタク・モスクワ所属。

経歴[編集]

レアル・マドリードカンテラで育つ。「ジネディーヌ・ジダンの後継者」「カンテラのジダン」と謳われ期待されていた。Bチームのレアル・マドリード・カスティージャでは数年主力選手として活躍。アルバロ・アルベロアや、ロベルト・ソルダードファンフランディエゴ・ロペス等とBチームの黄金期を築き、2部リーグへ昇格させるなど攻撃の中心として活躍した。

また、ユース世代のスペイン代表を経験しており、2003年にはU-17欧州選手権で準優勝しU-17世界選手権に出場、準優勝した。なお2005年ワールドユースは、カスティージャで昇格争いをしていたため他のチームメイトと共に参加しなかった。U-21代表ではの主力選手であった。

しかしながら他のカンテラ出身の選手たちと同様、「銀河系軍団」と呼ばれたトップチームではほとんど出番を与えられることは無かった。 2006年8月に同じマドリードを本拠とするアトレティコ・マドリードに移籍金300万ユーロの4年契約で、2年後に600万ユーロで買い戻せるオプション付きで移籍した。カンテラで育てた有望な若手を、よりによって隣のライバルチームに移籍させるレアル・マドリードの手法はメディアの注目を惹き、物議を醸した。

この移籍は、当時チームのスポーツディレクターを務めていたプレドラグ・ミヤトビッチが会長の休暇不在中に成立。その話を耳にした当時の会長ラモン・カルデロンは急いでチームへと戻り、アトレティコ側との会談を取り付けた。そして最初の条件は維持し、新たに、

  1. 「最初の2シーズン、フラドをベルナベウでプレーさせた場合アトレティコに罰則が課されること。」
  2. 「契約期間の4年の間にフラドを移籍させる場合、レアル・マドリードに優先交渉権があり、まず最初にレアル・マドリードと交渉しなければならない。」

というこの2つの条件をなんとか追加させることが出来た。

移籍後は両サイドMFの主力である選手が相次いで怪我でいなくなったチーム事情から与えられたチャンスを見事に掴み、レアル・マドリード時代の鬱憤を晴らす切れのあるプレーを見せた。2007-08シーズンは出場機会が減少し、16試合出場にとどまる。

2008-09シーズンは出場機会を求めてマジョルカへレンタル移籍。35試合に出場し、9ゴール9アシストと活躍を見せた。

2009-10シーズンにアトレティコに復帰。不調に陥るチームの中でも好パフォーマンスを披露しレギュラーの座を掴む。

2010-11シーズン、シャルケ04からオファーを受け[1]、クラブや監督のキケ・フローレスは難色を示したものの[2]、移籍を強く希望し[3]、夏の移籍市場が閉まる直前の2010年8月31日にシャルケへの移籍が決定した[4]

なお、移籍決定前に出場したリーガ・エスパニョーラ第1節・スポルティング・ヒホン戦で1ゴールを挙げ、アトレティコへの惜別弾となった。

シャルケでは同年12月4日のバイエルン戦で先制弾となる初ゴールを決めた。その次の試合となるUEFAチャンピオンズリーググループステージベンフィカ戦ではラウールが胸で落としたボールから先制ゴールを決めた。チームはグループステージを首位で通過し、ホームで行われた準々決勝インテル戦2ndlegでラウールのゴールをアシストし、チームのクラブ史上初となるベスト4進出に貢献した。

所属クラブ[編集]

→2008-2009 スペインの旗 マジョルカ (on loan)
→2012-2013 ロシアの旗 FCスパルタク・モスクワ (on loan)
  • 2013- ロシアの旗 FCスパルタク・モスクワ

タイトル[編集]

クラブ[編集]

スペインの旗 アトレティコ・マドリード
ドイツの旗 シャルケ04

脚注・出典[編集]

外部リンク[編集]