ASローマ

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ASローマ
原語表記 Associazione Sportiva Roma 1927 S.p.A.
愛称

i Giallorossi(ジャッロロッシ、黄と赤)
La Maggica(魔術師)

i Lupi(ルピ、狼)
クラブカラー (橙色に近い)黄と赤
創設年 1927年
所属リーグ セリエA
ホームタウン ローマ
ホームスタジアム スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ
収容人数 72,698
代表者 アメリカ合衆国の旗 イタリアの旗 ジェームズ・パロッタ
監督 フランスの旗 リュディ・ガルシア
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
コッパ・イタリア優勝杯を受け取る、キャプテンのトッティ(2007-08シーズン)

アッソチアツィオーネ・スポルティーバ・ローマ1927Associazione Sportiva Roma 1927 S.p.A.; BITASR, LSE0DMN)は、イタリアローマを本拠地とするサッカークラブチームである。ASローマ、あるいは単にローマとも表記される。

1927年にファシスト政権によって取り決められた合併によって設立され、1951-52シーズンを除いた全シーズンでイタリアのトップディビジョンに参加している。

ローマはセリエAを3回(1941-42、1982-83、2000-01)、コッパ・イタリアを9回、スーペルコッパ・イタリアーナを3回制している。欧州の舞台では、1960-61インターシティーズ・フェアーズカップで優勝した。また、1983-84のヨーロピアンカップと1990-91のUEFAカップ決勝に進出したものの、それぞれリヴァプールインテルに敗れ、準優勝に終わっている。

2012年2月、『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2010-11シーズンのクラブ収入は1億4350万ユーロ(約160億円)であり、欧州第15位、イタリアではACミランインテルナツィオナーレ・ミラノユヴェントスFCに次ぐ第4位である[1]

エンブレムのオオカミのマークは古代ローマの建国神話におけるロムルスレムスの兄弟の逸話から取られたものである。サポーターはロマニスタと呼ばれる。

同じローマに本拠地を置くラツィオとはクラブ、サポーター共にライバル意識があり、2チームの対戦はローマ・ダービーと呼ばれるイタリアのダービーマッチとして知られている。

歴史[編集]

1927年夏、ファシスト党イタロ・フォッシ[2]によりイタリアサッカー選手権に参加していたローマを本拠地とするローマンSSアルバ=アウダチェフォルティトゥード=プロ・ローマSGSの3クラブが合併し、ASローマが設立された[2]。合併の目的は、当時強豪であった北イタリアのクラブのライバルとなる首都の強豪クラブを作ることだった[2]SSラツィオは、クラブの会員でイタリアサッカー連盟幹部のヴァカロ将軍の介入により、ローマの主要クラブとして唯一合併から免れた。

黄金期[編集]

1979-80シーズンにニルス・リードホルムが監督に就任し、コッパ・イタリアを制するとここから黄金期に突入する。ファルカンブルーノ・コンティらを擁したチームは1982-83シーズンにスクデットを獲得。翌シーズンのチャンピオンズカップでは決勝に進出するものの、決勝戦でリヴァプールにPK戦で敗退した。

リードホルムの後任にスヴェン・ゴラン・エリクソンが就任。エリクソン体制の2年目に、当時は絶頂期だったユヴェントスFCとの優勝争いを演じて、一時は首位を守ったが終盤に敗戦(暗黒の日曜日とも呼ばれた)して最終的にユヴェントスに優勝をさらわれることとなった。それから再び優勝争いに加わるのは2000-01シーズンになるまで待たなければならなかった。

低迷期[編集]

それ以降は上位と中位をさまよい、監督交代も日常茶飯事であったが、1990-91シーズンはカップ戦が好調で、コッパ・イタリアを制し、UEFAカップでも決勝に進出したが、インテルに敗れタイトルを逃した。

1992年にフランチェスコ・センシが買収し会長に就任(2008年まで)。フランチェスコ・トッティがデビューするなど明るい材料はあったが、この頃のセリエAは大きな変革期で、クラブはこの流れに乗り遅れた。センシが会長に就任して以降も負のサイクルは続き、タイトルとは無縁の日々が10年近くも続くことになった。

ファビオ・カペッロ監督時代[編集]

1999-2000シーズンには、ファビオ・カペッロを監督に招聘。カペッロの招聘は見事的中し、1年目から優勝争いに加わったが、得点力のあるトッティをFWとして起用するため、新司令塔として後期シーズン開幕に向けて獲得した中田英寿がチームにフィットしなかった事と選手層の薄さから失速し、チャンピオンズリーグ出場圏外まで順位を落とした(この年ライバルのラツィオは国内2冠を達成した)。

2000年にイタリア国内のクラブではラツィオに次いで株式を上場した。これにより、補強資金を確保できたクラブは、2000-01シーズン開幕前にガブリエル・バティストゥータエメルソンワルテル・サムエルといった選手を獲得した。バティストゥータ、ヴィンチェンツォ・モンテッラマルコ・デルヴェッキオらのFWと、好調だった前年の前期シーズン同様、トッティを司令塔に置いた攻撃陣、エメルソン、カフーアウダイール、サムエルの守備陣を擁したチームは、序盤戦からほぼ独走状態で18シーズンぶり3回目のスクデットを獲得した。

以降は、サッカーバブル崩壊の影響を受けたこともあり、優勝争いに加わることはなく、2001-02シーズンと2003-04シーズンに2位に食い込み、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を得ることしかできなかった。

クラブレコード更新[編集]

2004-05シーズンは、カペッロがユヴェントスへ移籍し、監督交代も相次ぎ、更にはカルチョ・スキャンダルの影響を受けて低迷した。UEFAチャンピオンズリーグではホームでのディナモ・キエフ戦が没収試合となり、以降ホームでのレアル・マドリード戦とバイエル・レバークーゼン戦を無観客で行わなければならなかった。終盤にはブルーノ・コンティが監督に就任し、コッパ・イタリアでは2年ぶりに決勝に進出した(それ以降のコッパ・イタリアでは6年で5回決勝に進出している)。

2005-06シーズンからルチアーノ・スパレッティが監督に就任すると、当時のリーグ新記録となる11連勝をローマ・ダービーにおいて達成したが、トッティの怪我が影響し中位に沈んだ。しかし、カルチョ・スキャンダルの影響を上位チームが受けたこともあり2位に浮上。

2006-07シーズン、2007-08シーズンも2位となり、特に2007-08シーズンは最終節まで首位インテルを追い詰めた。また、この2シーズン連続でUEFAチャンピオンズリーグでベスト8に食い込むなど好成績を残した。更に、2006-07シーズンには16年ぶりにコッパ・イタリアを制し、翌年に連覇も達成した。そして本来CFタイプではないトッティをそのポジションに置く「ゼロトップ(トップレス)」はサッカー戦術の新潮流となった。

2008-09シーズンはCLではベスト16だったが、リーグ戦では6位と、優勝争いはおろか、CL出場権まで逃してた。2008年にセンシ会長が死去し、娘のロゼッラが会長を務めた。

2009-10シーズンは開幕から2連敗し、その責任を取ってスパレッティが監督を辞任。後任のクラウディオ・ラニエリによってチームは巻き返し、公式戦20戦無敗、リーグ24戦無敗のクラブレコードをローマ・ダービーにおいて更新。UEFAヨーロッパリーグでは決勝トーナメント1回戦で敗退したものの、セリエAではインテルと激しい優勝争いを繰り広げ、33節で最大14あった勝ち点差をひっくり返し首位に浮上した。しかし35節で再び2位に沈むと、最終節まで優勝の可能性を残しながらも2位に終わった。また、コッパ・イタリアでは2年ぶりに決勝に進出したが、インテルに敗れ準優勝となった。

2010-11シーズンは不振に陥り、クラウディオ・ラニエリ監督は2011年2月に解任。シーズン終了までヴィンチェンツォ・モンテッラが指揮を執った。

クラブの売却と新時代へ[編集]

ローマのオーナーであるセンシ家は長年資金難に悩まされており、2010年7月には経営権がイタリア最大の銀行グループウニクレーディトの管理下におかれるほどであった。2011年3月、米国大リーグ、ボストン・レッドソックスのパートナーであるイタリア系アメリカ人トーマス・R・ディベネデト英語版がオーナーの地位に就いた。パレルモでディレクターを務めたワルテル・サバティーニをスポーツディレクターとして招聘し、FCバルセロナB監督であったルイス・エンリケを招聘した。そして、2011年の夏の市場では大量補強を行い、ボージャン・クルキッチミラレム・ピアニッチホセ・アンヘルフェルナンド・ガゴエリク・ラメラパブロ・オズヴァルドといった若手選手を中心としつつ、マールテン・ステケレンブルフガブリエル・エインセといった選手を獲得した。しかし、結果は7位という欧州カップ戦に出られない成績に終わり、2012年5月、ルイス・エンリケ監督、オーナーのディベネデト氏は辞意を表明した。

後任にオーナーは前任者と同じイタリア系アメリカ人のジェームズ・パロッタに、監督はズデネク・ゼーマンの就任を発表。しかしリーグ戦での不振が要因でゼーマンは2013年2月2日に解任された。後任には長くローマでテクニカルスタッフを担当しているアウレリオ・アンドレアッツォーリが暫定的に指揮を執ることになった。2013年6月12日、リールからリュディ・ガルシアの招聘。2013-14シーズンは、セリエA記録となる開幕10連勝を達成、その後もインテルなどのライバルチームに勝利を収め、17節カターニャ戦まで無敗を維持した。

サポーターとライバル関係[編集]

スタディオ・オリンピコでのローマファン達

ローマはユヴェントスインテルミランナポリに次いでイタリで5番目にファンの多いサッカークラブであり、イタリアのサッカーファンの約7%がローマを応援している(2006年4月の調査)[3]。歴史的に、ローマ市のローマサポーターの大部分はインナーシティ、特にテスタッチョから来ている[4]

クラブの伝統的なウルトラス集団はCommando Ultrà Curva Sud(CUCSの略称で知られる)[5]であった。CUCSは多くの小さなグループの合併によって設立され、欧州サッカーの歴史において最も歴史あるグループの一つであると見なされていた[5]。しかしながら、1990年代中頃までに、CUCSはライバル派閥に取って代わられ、最後には解散した。この時以来、スタディオ・オリンピコクルヴァ・スッド(南スタンド)はより右翼的な集団[5]であるASローマ・ウルトラスやボーイズ、ジョヴィネッツァなどによって管理されている。しかしながら、最も古いグループであるFedayn政治に無関心であり、政治はローマの主要なアイデンティティではなく、全体のアイデンティティの単なる一部分である。

ローマの試合中のスタディオ・オリンピコ

最も知られているクラブアンセムは、アントネッロ・ベンディッティが歌った「Roma (non si discute, si ama)」(Roma Romaとしても知られている)である[6][7]。曲の題名は「ローマは議論の余地は無く、愛されるべき」といった意味であり、毎試合前に歌われる。同じ歌手による「Grazie Roma」はホームゲームで勝利した後に流れる。最近は、ザ・ホワイト・ストライプスの楽曲「セヴン・ネイション・アーミー」のリフも試合で広く親しまれるようになってきている[8]

ライバル関係[編集]

イタリアサッカーにおいて、ローマには多くのライバルがいる。最初のそして最大のライバルは、共にスタディオ・オリンピコを本拠地とするラツィオである。この2チームのダービーマッチは「デルビー・デッラ・カピターレ」(首都ダービー)呼ばれる。過去には、1979-80シーズンの試合のおいてクルヴァ・スッドから発射された緊急照明弾が原因で起こったラツィオファンVincenzo Paparelliの死亡事故[9]や、死亡者が出たという根拠のないうわさに端を発したスタジアム外での暴力を受けて試合放棄となった2004年3月の事例[10]など、時折暴力沙汰が起こっている。

SSCナポリとも、「デルビー・デル・ソーレ」(太陽のダービー)を闘うライバル関係にある[11]。今日では、ローマファンはユヴェントス(1980年代にライバル関係が生まれた)やミランインテル(近年上昇している)といったセリエAの強豪も(チャンピオンズリーグ出場権を争うことから)ライバルと考えている[5]

近年一部のローマサポーターとイングランドのクラブのファンとの間で数多くの衝突事例やその後のスタジアム外での暴力が起こっており[12]、多くのリヴァプールファンが刺される事件も起こった(ヘイゼルの悲劇も参照)。

それ以来、一部のイングランド人サポーターがローマにおいて暴力を受けたり刺される事件がさらに起こっている。2001年にリヴァプールがローマを訪ずれた際や、2006年のミドルスブラファンとの衝突、2007年のマンチェスターユナイテッドファンとの衝突などである。2009年3月、アーセナルサポーターを乗せた長距離バスがスタディオ・オリンピコのすぐ外でローマの「ウルトラス」の集団によって攻撃された。バスの窓ガラスは割られ、少なくとも一人が車両に乗り込み、火を放ち、サポーターの膝を刺した[13]

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

過去の成績[編集]

  • 1979-80 セリエA 7位
  • 1980-81 セリエA 2位
  • 1981-82 セリエA 3位
  • 1982-83 セリエA 1位
  • 1983-84 セリエA 2位
  • 1984-85 セリエA 7位
  • 1985-86 セリエA 2位
  • 1986-87 セリエA 7位
  • 1987-88 セリエA 3位
  • 1988-89 セリエA 7位
  • 1989-90 セリエA 6位
  • 1990-91 セリエA 9位
  • 1991-92 セリエA 5位
  • 1992-93 セリエA 10位
  • 1993-94 セリエA 7位
  • 1994-95 セリエA 5位
  • 1995-96 セリエA 5位
  • 1996-97 セリエA 12位
  • 1997-98 セリエA 4位
  • 1998-99 セリエA 6位
  • 1999-2000 セリエA 6位
  • 2000-01 セリエA 1位
  • 2001-02 セリエA 2位
  • 2002-03 セリエA 8位
  • 2003-04 セリエA 2位
  • 2004-05 セリエA 8位
  • 2005-06 セリエA 2位
  • 2006-07 セリエA 2位
  • 2007-08 セリエA 2位
  • 2008-09 セリエA 6位
  • 2009-10 セリエA 2位
  • 2010-11 セリエA 6位
  • 2011-12 セリエA 7位
  • 2012-13 セリエA 6位

現在のチーム[編集]

フォーメーション[編集]

<4-3-3> 2013-14シーズン 第2節スターティングメンバー

スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ

Soccer.Field Transparant.png

デ・サンクティス
# 26
マイコン
# 13
ベナティア
# 17
カスタン
# 5
バルザレッティ
# 42
デ・ロッシ
# 16
ストロートマン
# 6
ピアニッチ
# 15
フロレンツィ
# 24
トッティ(C)
# 10
ジェルヴィーニョ
# 27

現所属メンバー[編集]

2013年1月31日現在
No. Pos. 選手名
1 ルーマニアの旗 GK ボグダン・ロボンツ
2 ブラジルの旗 DF ラファエウ・トロイ
3 ブラジルの旗 DF ドド (Flag of Portugal.svg)
5 ブラジルの旗 DF レアンドロ・カスタン (Flag of Italy.svg)
6 オランダの旗 MF ケヴィン・ストロートマン
8 セルビアの旗 FW アデム・リャイッチ
10 イタリアの旗 FW フランチェスコ・トッティ (Captain sports.svg)
11 ブラジルの旗 MF ロドリゴ・タッデイ (Flag of Italy.svg)
13 ブラジルの旗 DF マイコン
15 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 MF ミラレム・ピアニッチ (Flag of Luxembourg.svg)
16 イタリアの旗 MF ダニエレ・デ・ロッシ (副主将)
17 モロッコの旗 DF メディ・ベナティア (Flag of France.svg)
No. Pos. 選手名
20 ブラジルの旗 MF ミシェル・バストス (Flag of France.svg)
22 イタリアの旗 FW マッティア・デストロ
24 イタリアの旗 MF アレッサンドロ・フロレンツィ
26 イタリアの旗 GK モルガン・デ・サンクティス
27 コートジボワールの旗 FW ジェルヴィーニョ
28 ポーランドの旗 GK ウカシュ・スコルプスキ
33 クロアチアの旗 DF ティン・イェドバイ
35 ギリシャの旗 DF ヴァシリス・トロシディス
42 イタリアの旗 DF フェデリコ・バルザレッティ
44 ベルギーの旗 MF ラジャ・ナインゴラン (Flag of Indonesia.svg)
46 イタリアの旗 DF アレッシオ・ロマニョーリ
94 イタリアの旗 FW フェデリコ・リッチ

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍中の選手[編集]

in
No. Pos. 選手名
2 ブラジルの旗 DF ラファエウ・トロイ (サンパウロ)
20 ブラジルの旗 MF ミシェル・バストス (アル・アイン)
No. Pos. 選手名
44 ベルギーの旗 MF ラジャ・ナインゴラン (カリアリ)
out
No. Pos. 選手名
7 ブラジルの旗 MF マルキーニョ (エラス・ヴェローナ)
20 コートジボワールの旗 FW タッロ・ガジ (アジャクシオ)
55 リトアニアの旗 GK トマス・スベドカウスカス (ペスカーラ)
88 イタリアの旗 FW マルコ・ボリエッロ (ウェストハム)
91 イタリアの旗 DF アレッサンドロ・クレシェンツィ (ノヴァーラ)
-- イタリアの旗 GK ジャンルカ・クルチ (ボローニャ)
-- スペインの旗 DF ホセ・アンヘル (レアル・ソシエダ)
-- セルビアの旗 DF ペタル・ゴルボヴィッチ (ノヴァーラ)
-- ルーマニアの旗 MF セバスティアン・ムラデン (オリャネンセ)
-- アルゼンチンの旗 MF レアンドロ・パレデス (キエーヴォ)
No. Pos. 選手名
-- イタリアの旗 DF フェデリコ・バルバ (グロッセト)
-- イタリアの旗 MF パオロ・フラスカトーレ (レッジーナ)
-- イタリアの旗 MF ステファノ・サベッリ (バーリ)
-- イタリアの旗 MF アマート・チチレッティ (カッラレーゼ)
-- イタリアの旗 MF フェデレコ・ヴィヴィアーニ (ラティーナ)
-- イタリアの旗 MF マルコ・ダレッサンドロ (チェゼーナ)
-- イタリアの旗 FW ジャンルカ・レオナルディ (クネオ)
-- イタリアの旗 FW マッテオ・ポリターノ (ペルージャ)
-- パラグアイの旗 FW アントニオ・サナブリア (サッスオーロ)
-- イタリアの旗 FW ジャンマリオ・ピシテッラ (チッタデッラ)

13/14移籍[編集]

歴代監督[編集]

歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Deloitte Football Money League 2012 2012年2月9日に国際監査法人『デロイト』が公表した2010-11シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング。
  2. ^ a b c La Storia” (Italian). AS Roma. 2007年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月6日閲覧。
  3. ^ L'altra metà del pallone: Supporters of football clubs in Italy”. L'Expresso. オリジナル2009年5月8日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090508122124/http://website.lineone.net/~view_from_the_terrace/italsce.html 2014年2月6日閲覧。 
  4. ^ “Campo Testaccio”. Viva la Roma. (2007年6月24日). http://www.asrtalenti.altervista.org/index.php?a=campo_testaccio.htm 
  5. ^ a b c d “Italian Ultras Scene”. View from the Terrace. (2007年6月29日). http://website.lineone.net/~view_from_the_terrace/italsce.html [リンク切れ]
  6. ^ Inno AS Roma”. 2013年10月26日閲覧。
  7. ^ “Roma Profile”. Goal.com. (2006年4月). http://www.goal.com/en-US/Squadra.aspx?IdSquadra=7&SEOTeamName=AS+Roma [リンク切れ]
  8. ^ “'Seven Nation Army' coro dei tifosi romanisti”. Indie-Rock.it. (2007年6月29日). http://www.indie-rock.it/news_look.php?id=408 
  9. ^ “Vincenzo”. UltrasLazio.it. http://www.ultraslazio.it/public/?page_id=207 2014年2月6日閲覧。 
  10. ^ “22 March: Derby confusion”. FootballInRome.co.uk. (2007年6月29日). http://www.footballinrome.co.uk/news.html 2014年2月6日閲覧。 
  11. ^ “Football Derby matches in Italy”. FootballDerbies.com. (2007年6月29日). http://www.footballderbies.com/index.php?country=2 
  12. ^ “ローマでトッテナムサポーターが襲われる、ラツィオのファンの犯行か”. AFP. (2012年11月23日). http://www.afpbb.com/articles/-/2913002?pid=9880938 2014年2月6日閲覧。 
  13. ^ “Arsenal fan attacked in Rome”. London: BBC News. (2009年3月12日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/7938851.stm 2014年2月6日閲覧。 

外部リンク[編集]

公式