ASローマ
| ASローマ | ||||
|---|---|---|---|---|
| 原語表記 | Associazione Sportiva Roma 1927 S.p.A. | |||
| 愛称 | ジャッロ・ロッソ(黄と赤) | |||
| クラブカラー | (橙色に近い)黄と赤 | |||
| 創設年 | 1927年 | |||
| 所属リーグ | セリエA | |||
| ホームタウン | ローマ | |||
| ホームスタジアム | スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ | |||
| 収容人数 | 82,922 | |||
| 代表者 | ||||
| 監督 | ||||
| 公式サイト | 公式サイト | |||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | ||||
ASローマ(Associazione Sportiva Roma 1927 S.p.A.)は、イタリア・ローマを本拠地とするサッカークラブチーム。
目次 |
概要 [編集]
エンブレム[1]のオオカミのマークは古代ローマの建国神話におけるロムルスとレムスの兄弟の逸話から取られたものである。サポーターはロマニスタと呼ばれる。
同じローマに本拠地を置くラツィオとはクラブ、サポーター共に極めてライバル意識が高く、2チームの対戦はローマ・ダービーとしてイタリアのダービーマッチの中で最も白熱する試合として知られ、ミラノ・ダービーとともにシーズンの目玉とされている。コッパ・イタリア優勝回数はユヴェントスと並び最多の9回である。創立以来、セリエB降格を1度経験している。
本拠地が首都・ローマということもあってか、ユヴェントス、ACミラン、インテルと共に国内外で人気の高いチームである。
2012年2月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2010-2011シーズンのクラブ収入は1億4350万ユーロ(約160億円)であり、欧州第15位、イタリアでは第4位である[2]。
歴史 [編集]
1927年にアルバ(Alba)、ローマン(Roman)、フォルティトゥード(Fortitudo)の3クラブが合併して誕生した。
黄金期 [編集]
1979-80シーズンにニルス・リードホルムが監督に就任し、コッパ・イタリアを制するとここから黄金期に突入する。パウロ・ロベルト・ファルカン、ブルーノ・コンティらを擁したチームは1982-83シーズンにスクデットを獲得。翌シーズンのチャンピオンズカップでは決勝に進出するものの、決勝戦でリヴァプールにPK戦で敗退した。
リードホルムの後任にスヴェン・ゴラン・エリクソンが就任。エリクソン体制の2年目に、当時は絶頂期だったユヴェントスFCとの優勝争いを演じて、一時は首位を守ったが終盤に敗戦(暗黒の日曜日とも呼ばれた)して最終的にユヴェントスに優勝をさらわれることとなった。それから再び優勝争いに加わるのは2000-01シーズンになるまで待たなければならなかった。
低迷期 [編集]
それ以降は上位と中位をさまよい、監督交代も日常茶飯事であったが、1990-91シーズンはカップ戦が好調で、コッパ・イタリアを制し、UEFAカップでも決勝に進出したが、インテルに敗れタイトルを逃した。
1992年にフランチェスコ・センシが買収し会長に就任(2008年まで)。フランチェスコ・トッティがデビューするなど明るい材料はあったが、この頃のセリエAは大きな変革期で、クラブはこの流れに乗り遅れた。センシが会長に就任して以降も負のサイクルは続き、タイトルとは無縁の日々が10年近くも続くことになった。
ファビオ・カペッロ監督時代 [編集]
1999-2000シーズンには、最後の切り札としてファビオ・カペッロを監督に招聘。カペッロの招聘は見事的中し、1年目から優勝争いに加わったが、得点力のあるトッティをFWとして起用するため、新司令塔として後期シーズン開幕に向けて獲得した中田英寿がチームにフィットしなかった事と選手層の薄さから失速し、チャンピオンズリーグ出場圏外まで順位を落としてしまう。さらに、この年はライバルのラツィオが国内2冠を達成するという、クラブにとってはこれ以上ない屈辱のシーズンに終わった。
2000年に国内クラブではラツィオに次いで株式を上場した。これにより、補強資金を確保できたクラブは、2000-01シーズン開幕前にガブリエル・バティストゥータ、エメルソン、ワルテル・サムエルといった大物選手の獲得に成功。バティストゥータ、ヴィンチェンツォ・モンテッラ、マルコ・デルヴェッキオらセリエA屈指のFWと、好調だった前年の前期シーズン同様、トッティを司令塔に置いた攻撃陣、エメルソン、カフー、アウダイール、サムエルの守備陣を擁した充実のチームは、序盤戦からほぼ独走状態で18シーズンぶり3回目のスクデットを獲得する。
以降は、サッカーバブル崩壊の影響を受けたこともあり、優勝争いに加わることはなく、2001-02シーズンと2003-04シーズンに2位に食い込み、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を得ることしかできなかった。
クラブレコード更新 [編集]
2004-05シーズンは、カペッロがユヴェントスへ移籍し、監督交代も相次ぎ、更にはカルチョ・スキャンダルの影響を受けて低迷する。UEFAチャンピオンズリーグではホームでのディナモ・キエフ戦が没収試合となり、以降ホームでのレアル・マドリード戦とバイエル・レヴァークーゼン戦を無観客で行わなければならなかった。終盤にはブルーノ・コンティが監督に就任し、コッパ・イタリアでは2年ぶりに決勝に進出した(それ以降のコッパ・イタリアでは6年で5回決勝に進出している)。
2005-06シーズンからルチアーノ・スパレッティが監督に就任すると、当時のリーグ新記録となる11連勝をローマ・ダービーにおいて達成したが、トッティの怪我が影響し中位に沈んだ。しかし、カルチョ・スキャンダルの影響を上位チームが受けたこともあり2位に浮上。
2006-07シーズン、2007-08シーズンも2位となり、特に2007-08シーズンは最終節まで首位インテルを追い詰めた。また、この2シーズン連続でUEFAチャンピオンズリーグでベスト8に食い込むなど好成績を残した。更に、2006-07シーズンには16年ぶりにコッパ・イタリアを制し、翌年に連覇も達成した。そして本来CFタイプではないトッティをそのポジションに置く「ゼロトップ(トップレス)」はサッカー戦術の新潮流となった。
08-09シーズンはCLではベスト16だったが、リーグ戦ではまさかの6位。優勝争いはおろか、CL出場権まで逃してしまった。2008年にセンシ会長が他界し、娘のロゼッラが会長を務めた。
09-10シーズンは開幕から2連敗し、その責任を取ってスパレッティが監督を辞任。後任のクラウディオ・ラニエリによってチームは巻き返し、公式戦20戦無敗、リーグ24戦無敗のクラブレコードをローマ・ダービーにおいて更新。UEFAヨーロッパリーグでは決勝トーナメント1回戦で敗退したものの、セリエAではインテルと激しい優勝争いを繰り広げ、33節で最大14あった勝ち点差をひっくり返し首位に浮上する。しかし35節で再び2位に沈むと、最終節まで優勝の可能性を残しながらも2位に終わった。また、コッパ・イタリアでは2年ぶりに決勝に進出したが、インテルに敗れ準優勝となった。
10-11シーズンは不振に陥り、クラウディオ・ラニエリ監督は2011年2月に解任。後任にシーズン終了までヴィンチェンツォ・モンテッラが指揮を執ることに。
クラブの売却と新時代へ [編集]
ローマのオーナーであるセンシ家は長年資金難に悩まされており、2010年7月には経営権がイタリア最大の銀行グループウニクレーディトの管理下におかれるほどであった。2011年3月、米国大リーグ、ボストン・レッドソックスのパートナーであるイタリア系アメリカ人、トーマス・R・ディベネデト(Thomas R. DiBenedetto)氏がオーナーの地位に就いた。スポーツディレクターにパレルモで辣腕を振るったワルテル・サバティーニを招聘し、FCバルセロナB監督であったルイス・エンリケを招聘した。 そして、2011年の夏の市場では大量補強を行い、ボージャン・クルキッチやミラレム・ピアニッチ、ホセ・アンヘル、フェルナンド・ガゴ、エリク・ラメラ、パブロ・オズヴァルドといった若手選手を中心としつつ、マールテン・ステケレンブルフやガブリエル・エインセといった実力者を獲得した。 しかし、結果は7位という欧州カップ戦に出られない成績に終わり、2012年5月、ルイス・エンリケ監督、オーナーのディベネデト氏は辞意を表明した。
後任にオーナーは前任者と同じイタリア系アメリカ人のジェームズ・パロッタに、監督はズデネク・ゼーマンの就任を発表。しかしリーグ戦での不振が要因でゼーマンは2013年2月2日に解任された。後任には長くローマでテクニカルスタッフを担当しているアウレリオ・アンドレアッツォーリが暫定的に指揮を執ることになった。
タイトル [編集]
国内タイトル [編集]
- スクデット: 3回


- 1941-42, 1982-83, 2000-01
- コッパ・イタリア: 9回








- 1963-64, 1968-69, 1979-80, 1980-81, 1983-84, 1985-86, 1990-91, 2006-07, 2007-08
- スーペルコッパ・イタリアーナ: 2回

- 2001, 2007
国際タイトル [編集]
- インターシティーズ・フェアーズカップ: 1回
- 1960-61
- アングロ・イタリアン・カップ: 1回
- 1971-72
現所属メンバー [編集]
フォーメーション [編集]
<4-3-3> 2012-13シーズン スターティングメンバー
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括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍中の選手 [編集]
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12/13移籍 [編集]
詳細は「:en:List of Italian football transfers summer 2012」を参照
歴代監督 [編集]
アウレリオ・アンドレアッツォーリ 2013-
ズデネク・ゼーマン 2012-2013
ルイス・エンリケ 2011-2012
ヴィンチェンツォ・モンテッラ 2011
クラウディオ・ラニエリ 2009 - 2011
ルチアーノ・スパレッティ 2005 - 2009
ブルーノ・コンティ 2005
ルイジ・デル・ネーリ 2004 - 2005
ルディ・フェラー 2004
チェーザレ・プランデッリ 2004
ファビオ・カペッロ 1999 - 2004
ズデネク・ゼーマン 1997 - 1999
エツィオ・セッラ 1996
ニルス・リードホルム 1996
カルロス・ビアンチ 1996
カルロ・マッツォーネ 1993 - 1996
ヴヤディン・ボシュコヴ 1992 - 1993
オッタビオ・ビアンキ 1990 - 1992
ルイジ・ラディス 1989 - 1990
Luciano Spinosi 1988-1989
ニルス・リードホルム 1988
アンジェロ・ソルマーニ 1986-1988
スヴェン・ゴラン・エリクソン 1984 - 1986
ニルス・リードホルム 1980 - 1984
フェッルッチオ・ヴァルカレッジ 1979-1980
グスタボ・ジャノーニ 1978 - 1979
ニルス・リードホルム 1974 - 1977
Tonino Trebiciani 1972-1973
エレニオ・エレーラ 1971-1972
Luciano Tessari 1970
エレニオ・エレーラ 1968-1970
Oronzo Pugliese 1966-1968
ファン・カルロス・ローレンツォ 1965-1966
ルイス・ミロ 1964-1965
アルフレド・フォニ 1963-1964
Naim Kryeziu 1963
ルイス・カルニグリア 1961-1963
アルフレド・フォニ 1960-1961- シャーロシ・ジェルジ 1959-1960
- グンナー・ノルダール 1958-1959
- アレック・ストック 1957-1958
- ギド・マセッティ 1956-1957
- シャーロシ・ジェルジ 1956
- ジェシー・カーヴァー 1954-1956
- マリオ・ヴァルリエン 1953-1954
- ジュゼッペ・ヴィアーニ 1951-1953
- ギド・マセッティ 1950-1951
- ピエトロ・セラントーニ 1950
- フルヴィオ・ベルナルディーニ 1949-1950
- ルイジ・ブルネッラ 1948-1949
- センケイ・イムレ 1947-1948
- ジョヴァンニ・デニ 1945-1947
- ギド・マセッティ 1943-1945
- ケルテース・ゲーザ 1942-1943
- シャファー・アルフレード 1939-1942
- ギド・アラ 1938-1939
- ルイジ・バルベジーノ 1934-1938
- コヴァーチ・ラヨシュ 1933-1934
- バル・ラースロー 1932-1933
- ハーバート・バージェス 1930-1932
- ギド・バッカーニ 1929-1930
- ウィリアム・ガーバット 1927-1929
永久欠番 [編集]
- 6 - アウダイール
歴代所属選手 [編集]
詳細は「:Category:ASローマの選手」を参照
GK [編集]
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DF [編集]
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MF [編集]
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FW [編集]
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脚注 [編集]
- ^ ASローマのエンブレム
- ^ Deloitte Football Money League 2012 2012年2月9日に国際監査法人『デロイト』が公表した2010-2011シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング。
外部リンク [編集]
- 公式
- ASローマ公式サイト (イタリア語)
- ローマクラブ日本公式サイト (日本語)
- レガ・カルチョ - ASローマ (イタリア語)
- UEFA.com - ASローマ (日本語)
- その他
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