ASローマ

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ASローマ
原語表記 Associazione Sportiva Roma 1927 S.p.A.
愛称 ジャッロ・ロッソ(黄と赤)
クラブカラー (橙色に近い)黄と赤
創設年 1927年
所属リーグ セリエA
ホームタウン ローマ
ホームスタジアム スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ
収容人数 82,922
代表者 アメリカ合衆国の旗 イタリアの旗 ジェームズ・パロッタ
監督 イタリアの旗 アウレリオ・アンドレアッツォーリ(暫定)
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
ASローマのサポーター
コッパ・イタリア優勝杯を受け取る、キャプテンのトッティ(2007-08シーズン)

ASローマAssociazione Sportiva Roma 1927 S.p.A.)は、イタリアローマを本拠地とするサッカークラブチーム。

目次

概要 [編集]

エンブレム[1]オオカミのマークは古代ローマの建国神話におけるロムルスレムスの兄弟の逸話から取られたものである。サポーターはロマニスタと呼ばれる。

同じローマに本拠地を置くラツィオとはクラブ、サポーター共に極めてライバル意識が高く、2チームの対戦はローマ・ダービーとしてイタリアのダービーマッチの中で最も白熱する試合として知られ、ミラノ・ダービーとともにシーズンの目玉とされている。コッパ・イタリア優勝回数はユヴェントスと並び最多の9回である。創立以来、セリエB降格を1度経験している。

本拠地が首都・ローマということもあってか、ユヴェントスACミランインテルと共に国内外で人気の高いチームである。

2012年2月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2010-2011シーズンのクラブ収入は1億4350万ユーロ(約160億円)であり、欧州第15位、イタリアでは第4位である[2]

歴史 [編集]

1927年にアルバ(Alba)、ローマン(Roman)、フォルティトゥード(Fortitudo)の3クラブが合併して誕生した。

黄金期 [編集]

1979-80シーズンにニルス・リードホルムが監督に就任し、コッパ・イタリアを制するとここから黄金期に突入する。パウロ・ロベルト・ファルカンブルーノ・コンティらを擁したチームは1982-83シーズンにスクデットを獲得。翌シーズンのチャンピオンズカップでは決勝に進出するものの、決勝戦でリヴァプールにPK戦で敗退した。

リードホルムの後任にスヴェン・ゴラン・エリクソンが就任。エリクソン体制の2年目に、当時は絶頂期だったユヴェントスFCとの優勝争いを演じて、一時は首位を守ったが終盤に敗戦(暗黒の日曜日とも呼ばれた)して最終的にユヴェントスに優勝をさらわれることとなった。それから再び優勝争いに加わるのは2000-01シーズンになるまで待たなければならなかった。

低迷期 [編集]

それ以降は上位と中位をさまよい、監督交代も日常茶飯事であったが、1990-91シーズンはカップ戦が好調で、コッパ・イタリアを制し、UEFAカップでも決勝に進出したが、インテルに敗れタイトルを逃した。

1992年にフランチェスコ・センシが買収し会長に就任(2008年まで)。フランチェスコ・トッティがデビューするなど明るい材料はあったが、この頃のセリエAは大きな変革期で、クラブはこの流れに乗り遅れた。センシが会長に就任して以降も負のサイクルは続き、タイトルとは無縁の日々が10年近くも続くことになった。

ファビオ・カペッロ監督時代 [編集]

1999-2000シーズンには、最後の切り札としてファビオ・カペッロを監督に招聘。カペッロの招聘は見事的中し、1年目から優勝争いに加わったが、得点力のあるトッティをFWとして起用するため、新司令塔として後期シーズン開幕に向けて獲得した中田英寿がチームにフィットしなかった事と選手層の薄さから失速し、チャンピオンズリーグ出場圏外まで順位を落としてしまう。さらに、この年はライバルのラツィオが国内2冠を達成するという、クラブにとってはこれ以上ない屈辱のシーズンに終わった。

2000年に国内クラブではラツィオに次いで株式を上場した。これにより、補強資金を確保できたクラブは、2000-01シーズン開幕前にガブリエル・バティストゥータエメルソンワルテル・サムエルといった大物選手の獲得に成功。バティストゥータ、ヴィンチェンツォ・モンテッラマルコ・デルヴェッキオらセリエA屈指のFWと、好調だった前年の前期シーズン同様、トッティを司令塔に置いた攻撃陣、エメルソン、カフーアウダイール、サムエルの守備陣を擁した充実のチームは、序盤戦からほぼ独走状態で18シーズンぶり3回目のスクデットを獲得する。

以降は、サッカーバブル崩壊の影響を受けたこともあり、優勝争いに加わることはなく、2001-02シーズンと2003-04シーズンに2位に食い込み、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を得ることしかできなかった。

クラブレコード更新 [編集]

2004-05シーズンは、カペッロがユヴェントスへ移籍し、監督交代も相次ぎ、更にはカルチョ・スキャンダルの影響を受けて低迷する。UEFAチャンピオンズリーグではホームでのディナモ・キエフ戦が没収試合となり、以降ホームでのレアル・マドリード戦とバイエル・レヴァークーゼン戦を無観客で行わなければならなかった。終盤にはブルーノ・コンティが監督に就任し、コッパ・イタリアでは2年ぶりに決勝に進出した(それ以降のコッパ・イタリアでは6年で5回決勝に進出している)。

2005-06シーズンからルチアーノ・スパレッティが監督に就任すると、当時のリーグ新記録となる11連勝をローマ・ダービーにおいて達成したが、トッティの怪我が影響し中位に沈んだ。しかし、カルチョ・スキャンダルの影響を上位チームが受けたこともあり2位に浮上。

2006-07シーズン、2007-08シーズンも2位となり、特に2007-08シーズンは最終節まで首位インテルを追い詰めた。また、この2シーズン連続でUEFAチャンピオンズリーグでベスト8に食い込むなど好成績を残した。更に、2006-07シーズンには16年ぶりにコッパ・イタリアを制し、翌年に連覇も達成した。そして本来CFタイプではないトッティをそのポジションに置く「ゼロトップ(トップレス)」はサッカー戦術の新潮流となった。

08-09シーズンはCLではベスト16だったが、リーグ戦ではまさかの6位。優勝争いはおろか、CL出場権まで逃してしまった。2008年にセンシ会長が他界し、娘のロゼッラが会長を務めた。

09-10シーズンは開幕から2連敗し、その責任を取ってスパレッティが監督を辞任。後任のクラウディオ・ラニエリによってチームは巻き返し、公式戦20戦無敗、リーグ24戦無敗のクラブレコードをローマ・ダービーにおいて更新。UEFAヨーロッパリーグでは決勝トーナメント1回戦で敗退したものの、セリエAではインテルと激しい優勝争いを繰り広げ、33節で最大14あった勝ち点差をひっくり返し首位に浮上する。しかし35節で再び2位に沈むと、最終節まで優勝の可能性を残しながらも2位に終わった。また、コッパ・イタリアでは2年ぶりに決勝に進出したが、インテルに敗れ準優勝となった。

10-11シーズンは不振に陥り、クラウディオ・ラニエリ監督は2011年2月に解任。後任にシーズン終了までヴィンチェンツォ・モンテッラが指揮を執ることに。

クラブの売却と新時代へ [編集]

ローマのオーナーであるセンシ家は長年資金難に悩まされており、2010年7月には経営権がイタリア最大の銀行グループウニクレーディトの管理下におかれるほどであった。2011年3月、米国大リーグ、ボストン・レッドソックスのパートナーであるイタリア系アメリカ人トーマス・R・ディベネデトThomas R. DiBenedetto)氏がオーナーの地位に就いた。スポーツディレクターにパレルモで辣腕を振るったワルテル・サバティーニを招聘し、FCバルセロナB監督であったルイス・エンリケを招聘した。 そして、2011年の夏の市場では大量補強を行い、ボージャン・クルキッチミラレム・ピアニッチホセ・アンヘルフェルナンド・ガゴエリク・ラメラパブロ・オズヴァルドといった若手選手を中心としつつ、マールテン・ステケレンブルフガブリエル・エインセといった実力者を獲得した。 しかし、結果は7位という欧州カップ戦に出られない成績に終わり、2012年5月、ルイス・エンリケ監督、オーナーのディベネデト氏は辞意を表明した。

後任にオーナーは前任者と同じイタリア系アメリカ人のジェームズ・パロッタに、監督はズデネク・ゼーマンの就任を発表。しかしリーグ戦での不振が要因でゼーマンは2013年2月2日に解任された。後任には長くローマでテクニカルスタッフを担当しているアウレリオ・アンドレアッツォーリが暫定的に指揮を執ることになった。

タイトル [編集]

国内タイトル [編集]

国際タイトル [編集]

現所属メンバー [編集]

フォーメーション [編集]

<4-3-3> 2012-13シーズン スターティングメンバー

スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ

Soccer.Field Transparant.png

ステケレンブルフ
# 24
ピリス
# 23
ブルディッソ
# 29
カスタン
# 44
バルザレッティ
# 42
デ・ロッシ
# 16
ブラッドリー
# 4
ピアニッチ
# 15
ラメラ
# 8
トッティ(C)
# 10
デストロ
# 22
No. Pos. 選手名
1 ルーマニアの旗 GK ボグダン・ロボンツ
3 ブラジルの旗 DF マルキーニョス
4 アメリカ合衆国の旗 MF マイケル・ブラッドリー
5 ブラジルの旗 DF レアンドロ・カスタン (Flag of Italy.svg)
7 ブラジルの旗 MF マルキーニョ
8 アルゼンチンの旗 MF エリク・ラメラ (Flag of Spain.svg)
9 イタリアの旗 FW パブロ・オズヴァルド (Flag of Argentina.svg)
10 イタリアの旗 FW フランチェスコ・トッティ (Captain sports.svg)
11 ブラジルの旗 MF ロドリゴ・タッデイ (Flag of Italy.svg)
13 ウルグアイの旗 GK マウロ・ゴイコエチェア (Flag of Spain.svg)
15 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 MF ミラレム・ピアニッチ (Flag of Luxembourg.svg)
16 イタリアの旗 MF ダニエレ・デ・ロッシ (副主将)
17 ウルグアイの旗 FW ニコラス・ロペス
No. Pos. 選手名
20 イタリアの旗 MF シモーネ・ペッロッタ
22 イタリアの旗 FW マッティア・デストロ
23 パラグアイの旗 DF イバン・ピリス (Flag of Italy.svg)
24 オランダの旗 GK マールテン・ステケレンブルフ
27 ブラジルの旗 DF ドド (Flag of Portugal.svg)
29 アルゼンチンの旗 DF ニコラス・ブルディッソ (Flag of Italy.svg)
35 ギリシャの旗 DF ヴァシリス・トロシディス
42 イタリアの旗 DF フェデリコ・バルザレッティ
46 イタリアの旗 DF アレッシオ・ロマニョーリ
47 ブラジルの旗 MF ジョナタン・ルッカ (Flag of Italy.svg)
48 イタリアの旗 MF アレッサンドロ・フロレンツィ
55 リトアニアの旗 GK トマス・スベドカウスカス
77 ギリシャの旗 MF パナギオティス・タフツィディス

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

ローン移籍中の選手 [編集]

in
No. Pos. 選手名
13 ウルグアイの旗 GK マウロ・ゴイコエチェア (ダヌービオ)
22 イタリアの旗 FW マッティア・デストロ (ジェノア)
No. Pos. 選手名
23 パラグアイの旗 DF イバン・ピリス (デポルティーボ・マルドナド)
out
No. Pos. 選手名
21 フランスの旗 DF ロイク・ネゴ (スタンダール・リエージュ)
-- コートジボワールの旗 FW タッロ・ガジ (バーリ)
-- イタリアの旗 GK ジャンルカ・クルチ (ボローニャ)
-- スペインの旗 DF ホセ・アンヘル (レアル・ソシエダ)
-- イタリアの旗 DF アレッサンドロ・クレシェンツィ (ノヴァーラ)
-- ルーマニアの旗 MF セバスティアン・ムラデン (ヴィートルゥル)
-- イタリアの旗 DF フェデリコ・バルバ (グロッセト)
-- イタリアの旗 MF パオロ・フラスカトーレ (サッスオーロ)
No. Pos. 選手名
-- イタリアの旗 MF ステファノ・サベッリ (ASバーリ)
-- イタリアの旗 MF アマート・チチレッティ (カッラレーゼ)
-- イタリアの旗 MF フェデレコ・ヴィヴィアーニ (パドヴァ)
-- イタリアの旗 MF マルコ・ダレッサンドロ (ACチェゼーナ)
-- スペインの旗 FW ボージャン・クルキッチ (ACミラン)
-- イタリアの旗 FW ジャンルカ・レオナルディ (ACクネオ)
-- イタリアの旗 FW マルコ・ボリエッロ (ジェノアCFC)
-- イタリアの旗 FW マッテオ・ポリターノ (ペルージャ・カルチョ)

12/13移籍 [編集]

監督

歴代監督 [編集]

永久欠番 [編集]

歴代所属選手 [編集]

GK [編集]

DF [編集]

MF [編集]

FW [編集]

脚注 [編集]

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  1. ^ ASローマのエンブレム
  2. ^ Deloitte Football Money League 2012 2012年2月9日に国際監査法人『デロイト』が公表した2010-2011シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング。

外部リンク [編集]

公式
その他