マールテン・ステケレンブルフ

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マールテン・ステケレンブルフ Football pictogram.svg
Maarten Stekelenburg (2010).jpg
名前
ラテン文字 Maarten STEKELENBURG
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 1982年9月22日(31歳)
出身地 Haarlem wapen.svg ハールレム
身長 197cm
体重 92kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 フラム
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2011
2011-2013
2013-
オランダの旗 アヤックス
イタリアの旗 ローマ
イングランドの旗 フラム
191 (-193)
48 (-70)
0 (0)
代表歴2
2004- オランダの旗 オランダ 54 (-40)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年5月19日現在。
2. 2012年11月14日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マールテン・ステケレンブルフMaarten Stekelenburg, 1982年9月22日 - )はオランダ北ホラント州ハールレム出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパープレミアリーグフラムFC所属。

経歴[編集]

アヤックスの下部組織出身で、2002年8月18日ユトレヒト戦でエールディヴィジデビューを飾った。その後はボグダン・ロボンツから定位置を奪い、後衛に欠くことの出来ないゴール前のディフェンスリーダーであったが、故障や不安定なプレーぶりから2008-09シーズン途中には一時ケネト・フェルメールにレギュラーを奪われた。

2004年9月3日リヒテンシュタイン戦でオランダ代表デビューを果たし、3-0で完封した。マルコ・ファン・バステン監督によって2006 FIFAワールドカップ出場メンバーに招集されたが、出場機会はなかった。UEFA欧州選手権2008にも招集されたが、エトヴィン・ファン・デル・サールが正GKを務めたためやはり出場機会はなかった。2008年9月6日オーストラリア戦では、44分のFWジョシュア・ケネディとの接触がファールとみなされ、レッドカードで一発退場となった。オランダ代表で退場処分を受けた初のゴールキーパーとなった。

ファン・デル・サールの代表引退後はベルト・ファン・マルワイク監督によって正GKに選ばれた。2010年5月27日2010 FIFAワールドカップ本大会に出場するメンバーに選ばれた[1]。グループリーグからスペインとの決勝戦までの全7試合にフル出場し、たびたびファインプレーを見せてチームの32年ぶりの決勝進出に貢献した。準決勝のウルグアイ戦で臀部をいためたが[2]、スペイン戦にも出場し、MFセスク・ファブレガスとの1対1の局面で好セーブを見せるなど[3]、敗れはしたものの、90分で決着をつけさせなかった。

2011年8月2日エミリアーノ・ヴィヴィアーノの獲得に失敗したイタリアASローマに4年契約・632万5000ユーロ+ボーナスで移籍[4]。背番号は息子の誕生日である24を選択した[5]。これによって、アヤックス時代にレギュラーを争ったロボンツと再び同僚となった。

9月17日インテル・ミラノとの一戦でルシオと接触。その際にルシオに顔を蹴られてしまい、一時意識を失って病院に運ばれた[6]

初年度は正GKとしてプレーしていたがルイス・エンリケ監督が退任し、ズデネク・ゼーマンが14年ぶりに監督に復帰するとマウロ・ゴイコエチェアが優先的に起用されるようになり、ベンチを温める試合が増えた。

2013年6月5日プレミアリーグフラムFCに4年契約で移籍した[7]サンダーランドAFCとの開幕戦でデビューしたが、肩を痛めて途中交代し早々の離脱となった。

評価[編集]

2010 FIFAワールドカップではブラジル戦でカカのミドルシュートをセービングするなどファインプレーを連発し、評価は上昇している。足下の技術が高く、194cmの長身を生かしたハイボールの処理も万全と言える。身長が高く、足下のプレーが上手いことからオランダ史上最高の守護神と評されるエドウィン・ファン・デル・サールと比較されることが多く「ファン・デル・サール2世」の異名をとる。

所属クラブ[編集]

脚注[編集]