エドソン・ブラーフハイト
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| 名前 | |||||||
| 本名 | エドソン・レーン・ブラーフハイト | ||||||
| ラテン文字 | Edson Rene Braafheid | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1983年4月8日(28歳) | ||||||
| 出身地 | |||||||
| 身長 | 176cm | ||||||
| 体重 | 72kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | DF (SB, CB) | ||||||
| 背番号 | 28 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月21日現在。 2. 2010年7月30日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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エドソン・ブラーフハイト(Edson Rene Braafheid, 1983年4月8日 - )は、スリナム共和国・パラマリボ出身のサッカー選手。ブンデスリーガ・TSG1899ホッフェンハイム所属。オランダ代表である。ポジションはDF(左サイドバック、センターバック)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] クラブ
[編集] オランダ時代
2003年にFCユトレヒトからデビューし、3シーズン半でリーグ戦81試合に出場した。2007-08シーズン冬の移籍期間に、FCユトレヒトとの契約満了により移籍金なしの3年契約でFCトゥウェンテに移籍し、2007年2月10日のフェイエノールト戦で初出場した。FCユトレヒトでは左サイドバックとして輝きを放ったが、トゥウェンテでは頑強なセンターバックという新境地を開拓した。フレット・ルッテン監督のおかげで、人目を引く程度のタレントから素晴らしいセンターバックに変貌した。
[編集] バイエルン・ミュンヘン
クラブとは2010年までの契約を結んでいたが、2009年6月11日に移籍金250万ユーロでバイエルン・ミュンヘンに移籍した。しかし、前半戦を通してポジションを獲得することができず、2010年2月1日、スコティッシュ・プレミアリーグのセルティックFCに半年間の契約でレンタル移籍した。バイエルンのルイス・ファン・ハール監督は「ファンの支持を得られなかったため」だと説明しているが[1]、監督との間に確執があったためだとされる[2]。2月7日のスコティッシュカップ・ダンファームリン・アスレティックFC戦でデビューした。デビュー戦から7試合連続で先発出場したが、3月25日のキルマーノックFC戦後にトニー・モウブレイ監督が解任されると、以後の5戦はトップチームから外れた。2010-11シーズンはバイエルンで開幕を迎えたが、少ない出場機会でオウンゴールを記録するなど振るわなかった。
[編集] TSG1899ホッフェンハイム
2011年1月27日、TSG1899ホッフェンハイムと3年半の契約を交わした[3]。2月5日の1.FCカイザースラウテルン戦がリーグデビュー戦となったが、途中出場してわずか数分後に一発退場処分を受けた[4]。3月12日のボルシア・ドルトムント戦で2試合目の出場を果たし、その試合からはシーズン最終節まで9試合連続で先発出場した。
[編集] オランダ代表
2006年、ポルトガルで開催されたUEFA U-21欧州選手権で優勝した。2008年初頭、評論家のHugo Borstはブラーフハイトのことを真のディフェンダーを評し、UEFA欧州選手権2008のオランダ代表メンバーに招集されるべきだと述べた。オランダのサッカーファンはヤープ・スタムやフランク・デ・ブールなどマルコ・ファン・バステン監督に重用されているディフェンダーたちをよく思っていなかった。UEFA欧州選手権のメンバーには選出されなかったが、2008年夏にはトゥウェンテで同僚のロブ・ウィーラールト(オーバーエイジ枠)とともに北京オリンピックのオランダ代表メンバーに招集された。しかし、トゥウェンテはUEFAチャンピオンズリーグの予選を控えていたため、代表に合流することは許されなかった。
2009年2月11日、チュニジア戦でオランダA代表デビューした。2010 FIFAワールドカップ欧州予選には1試合しか出場していないが、予選突破確定後にポジションをつかんだ[2]。2010年5月11日、2010 FIFAワールドカップに向けたオランダ代表候補30人の中に選出された[5]。5月28日、本大会に出場するメンバー23人に選出された[6]。グループリーグから準決勝までは出番がなかったが、決勝のスペイン戦延長途中に初出場すると、GKマールテン・ステケレンブルフへのノールックバックヘッドパスなどで会場を沸かせた。
[編集] 所属クラブ
- 2003-2007
FCユトレヒト - 2007-2009
FCトゥウェンテ - 2009-2011.1
バイエルン・ミュンヘン
- 2010 →
セルティックFC
- 2011.1-
TSG1899ホッフェンハイム
[編集] 個人成績
- 2010-11シーズン終了時点
| シーズン | クラブ | 国 | リーグ | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2003–04 | FCユトレヒト | エールディヴィジ | 14 | 0 | |
| 2004–05 | FCユトレヒト | エールディヴィジ | 23 | 0 | |
| 2005–06 | FCユトレヒト | エールディヴィジ | 31 | 2 | |
| 2006–07 | FCユトレヒト | エールディヴィジ | 13 | 0 | |
| 2006–07 | FCトゥウェンテ | エールディヴィジ | 11 | 0 | |
| 2007–08 | FCトゥウェンテ | エールディヴィジ | 32 | 0 | |
| 2008–09 | FCトゥウェンテ | エールディヴィジ | 33 | 1 | |
| 2009–10 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 9 | 0 | |
| 2009–10 | セルティックFC (loan) | スコティッシュ・プレミア | 10 | 0 | |
| 2010–11 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 3 | 0 | |
| 2010–11 | TSG1899ホッフェンハイム | ブンデスリーガ | 10 | 0 | |
| 通算 | 181 | 4 |
[編集] 脚注
- ^ ファン・ハール、ブラーフハイトのセルティック移籍を説明Goal.com、2010年4月21日
- ^ a b 【輝くヒーロー】オランダ代表ブラーフハイトサンスポ、2010年2月4日
- ^ ブラーフハイト、ホッフェンハイムに移籍バイエルン・ミュンヘン公式サイト、2011年1月27日
- ^ マッチレポート::ドイツ ブンデスリーガJ Sports、2011年2月5日
- ^ オランダ代表、V・ニステルローイ落選Goal.com、2010年5月12日
- ^ オランダ代表、23人のメンバーが決定Goal.com、2010年5月28日
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1 ハース | 2 ベック | 3 ヤイッスレ | 5 コンパー | 6 ルディ | 7 ヴクチェビッチ | 8 アイヒナー | 9 シップロック | 10 バベル | 11 シグルズソン | 13 ウィリアムス | 15 ムラパ | 16 ヨンソン | 17 ヴァイス | 19 イビシェヴィッチ | 20 オバシ | 21 カイザー | 22 フィルミノ | 23 サリホヴィッチ | 25 ヴォーサー | 26 イバーツベルガー | 28 ブラーフハイト | 29 ヴェステルゴーア | 30 カスティールス | 33 シュターケ | 34 トマラ | 37 グルド | 39 ラキッチ 監督: バッベル |
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