エルイェロ・エリア
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| 名前 | ||||||
| 本名 | エルイェロ・ヘオルヘ・リナルド・エリア | |||||
| 愛称 | エリー | |||||
| ラテン文字 | Eljero George Rinaldo Elia | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1987年2月13日(26歳) | |||||
| 出身地 | 南ホラント州フォールブルフ | |||||
| 身長 | 177cm | |||||
| 体重 | 78kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ||||||
| ポジション | FW (WG) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 2004-2007 2007-2009 2009-2011 2011-2012 2012- |
59 (6) 64 (11) 52 (7) 4 (0) |
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| 代表歴2 | ||||||
| 2006-2008 2009 2009- |
7 (1) 3 (2) 28 (2) |
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2012年5月26日現在。 2. 2012年11月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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エルイェロ・ヘオルヘ・リナルド・エリア(Eljero George Rinaldo Elia, 1987年2月13日 - )は、オランダ・南ホラント州フォールブルフ出身のサッカー選手。ヴェルダー・ブレーメン所属。ポジションはフォワード(ウイング)。
目次 |
経歴 [編集]
クラブ [編集]
- ADOデン・ハーグ
1996年からADOデン・ハーグの下部組織に在籍し、2000年から2002年までの期間はアヤックス・アムステルダムの下部組織に所属していた。2004年、17歳でADOデン・ハーグのトップチームデビューし、そのシーズンは4試合に出場して1得点した。2005年にはオランダU-19代表に招集されたが、急速に成長したことから2006年初頭にはオランダU-21代表に選出された。しかしADOデン・ハーグの新監督にレックス・スフーンマカーが就任し、エリアはクラブとの関係を悪くしていった。
- FCトゥヴェンテ
2007年、FCトゥヴェンテに移籍した。2008-09シーズンは開幕から3戦連続で得点し、その後もコンスタントに得点した[1]。チーム最多の先発回数を記録し、チーム3位の9得点の活躍でリーグ戦2位躍進に貢献した。ブレイズ・ヌクフォ、マルコ・アルナウトヴィッチとの3トップでチーム総得点の6割弱の37点を稼いだ。アーセナルFCとのUEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦に敗れて回ったUEFAカップでは2008年11月6日のグループリーグ・マンチェスター・シティFC戦で同点ゴールを決めた[2]。12月3日のシャルケ04戦ではグループリーグ突破を決めるケネス・ペレスの決勝点の起点となった[3]。2008-2009シーズンのオランダ年間若手最優秀選手としてヨハン・クライフ賞を受賞。
- ハンブルガーSV
2009年7月4日、移籍金900万ユーロの5年契約でハンブルガーSVに移籍した。かつて在籍したアヤックス・アムステルダムもエリア獲得を狙っていたが、FCトゥヴェンテのヨープ・ムンスターマン会長はリーグ内の強豪に選手を譲渡することに難色を示し、アヤックスからのオファーを拒んだ[4]。ハンブルガーSVに所属しているヨリス・マタイセンやロメオ・カステレン、ハンブルガーSVに所属した経験のあるラファエル・ファン・デル・ファールトやハリド・ブラルーズに相談してハンブルガーSV移籍を決意したという[5]。移籍金の5%を古巣のADOデン・ハーグが受け取る。右膝と膝蓋腱の負傷によりプレシーズンをほぼ棒に振ったが、8月9日、リーグ開幕戦のSCフライブルク戦で69分にピオトル・トロヒョウスキと代わって途中出場し、デビューを飾った。8月15日のボルシア・ドルトムント戦でははじめて先発出場した。8月23日のVfLヴォルフスブルク戦で7分にリーグ戦初得点を決め、9月12日のVfBシュトゥットガルト戦でも得点した。11月8日、ロベルト・エンケの最後の試合となったハノーファー96戦ではチームの2点目を決めた。開幕から14試合全てに連続出場中だったが、11月28日の1.FSVマインツ05戦で前半早々にタックルを受けて負傷交代した。
- ユヴェントスFC
2011年8月にユヴェントスFCに4年契約で移籍。移籍金は900万ユーロで契約内の達成内容によって100万ユーロのボーナスが追加される。ユヴェントスではアントニオ・コンテ監督の信頼を得るに至れず、カップ戦を含め公式戦5試合の出場に終わった。
- ヴェルダー・ブレーメン
2012年7月にヴェルダー・ブレーメンに移籍。移籍金は550万ユーロで契約内の達成内容によって200万ユーロのボーナスが追加される。
オランダ代表 [編集]
オランダ代表としては前述の年代別代表に選出されたのち、2009年8月12日の親善試合・イングランド戦で初めてA代表に招集される。この試合では出場しなかったものの、9月5日の親善試合・日本戦で後半開始からアリエン・ロッベンに代わって途中出場し初出場を記録し[6]、2アシストで3-0の勝利に貢献した[7]。テレビの解説者をしていたヤープ・スタムは「エリアの動きのすべてが相手の脅威となっていた」と称えた[7]。その4日後のワールドカップ予選・スコットランド戦では決勝点となる代表初ゴールを記録した[8]。
2010年5月、2010 FIFAワールドカップに出場するオランダ代表メンバー23人に選出された[9]。
所属クラブ [編集]
- 2004-2007
ADOデン・ハーグ - 2007-2009
FCトゥヴェンテ - 2009-2011
ハンブルガーSV - 2011-2012
ユヴェントスFC - 2012-
ヴェルダー・ブレーメン
脚注 [編集]
- ^ zerozerofootball.comEljero Elia Season 2008/2009
- ^ livedoorスポーツ (2008年11月6日). “シティー、ロビーニョの鮮烈なゴールで白星発進”. 2009年8月17日閲覧。
- ^ livedoorスポーツ (2008年12月3日). “トウェンテ、前監督との勝負を制しGL突破”. 2009年8月17日閲覧。
- ^ スポーツナビ (2009年7月6日). “トゥエンテのエリアがハンブルガーSVに移籍”. 2009年9月14日閲覧。
- ^ uefa.com (2009年7月6日). “エリアがハンブルガーに移籍”. 2009年9月14日閲覧。
- ^ スポーツナビ (2009年9月5日). “オランダに0-3で敗れる”. 2009年9月5日閲覧。
- ^ a b 『footballista #134』ソルメディア、2009年9月16日号
- ^ uefa.com (2009年9月9日). “オランダ全勝、スコットランドの夢を砕く”. 2009年9月14日閲覧。
- ^ オランダ代表、23人のメンバーが決定Goal.com、2010年5月28日
外部リンク [編集]
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