アリエン・ロッベン

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アリエン・ロッベン Football pictogram.svg
Arjen Robben.jpg
アリエン・ロッベン(2012年)
名前
愛称 フライング・ダッチマン
カタカナ アリエン・ロッベン
ラテン文字 Arjen ROBBEN
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 1984年1月23日(30歳)
出身地 ベドゥム
身長 182cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン
ポジション FW/MF
背番号 10
利き足 左足
ユース
オランダの旗 VVベドゥム
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2002 オランダの旗 フローニンゲン 46 (8)
2002-2004 オランダの旗 PSV 56 (18)
2004-2007 イングランドの旗 チェルシー 67 (15)
2007-2009 スペインの旗 レアル・マドリード 50 (11)
2009- ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 106 (56)
代表歴2
2003- オランダの旗 オランダ 77 (26)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年5月11日現在。
2. 2014年6月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アリエン・ロッベンArjen Robben, 1984年1月23日 - )は、オランダフローニンゲン州ベドゥム出身のプロサッカー選手ブンデスリーガバイエルン・ミュンヘン所属。オランダ代表ポジションフォワード(WG, ST,CF)およびミッドフィールダー(SH)。日本ではロッ"ペ"ンと間違って表記、発音されることも多い。レフティ。

来歴[編集]

オランダ時代[編集]

地元のクラブ、VVベドゥムでサッカーを始める。FCフローニンゲン在籍時の2000年、16歳でプロデビュー。レギュラーとしてプレーした後、2002年PSVへ移籍。ここでも1年目から12得点を挙げ、2002-03年度のヨハン・クライフ賞を受賞した。

チェルシー[編集]

2004年移籍金1800万ユーロで[要出典]チェルシーFCに入団した。チェルシー在籍中、精巣腫瘍を患いながらも手術により回復した[1][2]

EURO2004の後にプレシーズンで負った怪我の影響で、プレミアリーグのデビューこそ遅れたものの、11月に復帰した。同月のプレミアリーグ月間最優秀選手賞にも輝いている。その後も怪我に悩まされながらもチェルシーの二冠制覇に貢献した。本職は4-3-3の左WGながら、2006-07シーズンにはアンドリー・シェフチェンコの加入によりクラブは4-4-2へとシステムを変更し、このため出番が減少。

レアル・マドリード[編集]

レアル・マドリード時代

2007年8月22日スペインレアル・マドリードへの移籍が、5年契約・移籍金3600万ユーロ[要出典]で決まる。膝の故障でシーズンは出遅れたが9月18日チャンピオンズリーグヴェルダー・ブレーメン戦でデビュー。すぐに左サイドMFのポジションでスターティングメンバーを獲得した。また、EURO2008にも招集された。

バイエルン・ミュンヘン[編集]

2009年8月28日バイエルン・ミュンヘンへの移籍で合意し移籍することとなった。移籍金は2500万ユーロ(約34億円)の4年契約とされ[要出典]、ロッベンは背番号10を背負うこととなった。フランク・リベリーと共に両サイドから攻撃に参加、デビュー戦となったVfLヴォルフスブルク戦で2得点を挙げた。2010年3月9日UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦2ndレグACFフィオレンティーナ戦ではミドルシュートを決め、また4月7日の準々決勝2ndレグのマンチェスター・ユナイテッドFC戦でもコーナーキックからボレーシュートを決めた。4月17日ハノーファー96戦で自身初のハットトリックを達成した(試合は7-0で勝利)。4月21日オリンピック・リヨンとのチャンピオンズリーグ準決勝1stレグでも決勝点となるミドルシュートを決め決勝進出に貢献した。同大会ではインテル・ミラノとの決勝戦を戦った末準優勝の成績を収めたが、ブンデスリーガではチームトップ・リーグ5位タイの16得点を挙げ、バイエルンの2冠に貢献。シーズン終了後にはドイツ年間最優秀選手に選出された。

2010-11シーズン、2010 FIFAワールドカップでの負傷の影響でチームへの復帰は翌年1月まで遅れたが、リーグ14試合で12得点8アシストを記録した。

2011-12シーズンは2度目のUEFAチャンピオンズリーグ決勝進出を果たすが古巣のチェルシーに敗れ、またも準優勝に終わった。

2012-13シーズン、ブンデスリーガを当時史上最速で優勝すると、2年連続でUEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出、同じドイツの最大のライバルであるボルシア・ドルトムントを破って悲願の優勝を果たした。 DFBポカールも優勝し、ドイツ史上初の3冠達成に貢献した。同年にはDFLスーパーカップUEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップでも優勝、この年6冠を達成した。

代表歴[編集]

オランダ代表でプレーするロッベン(EURO 2012デンマーク戦)

サッカーオランダ代表として2006 FIFAワールドカップでは初戦のセルビア戦で18分に得点を挙げた。これが決勝点となり、その試合のマン・オブ・ザ・マッチとなった。大会では、6試合に出場して2得点を挙げた。

EURO2008にも招集された。

2010 FIFAワールドカップのオランダ代表にも名を連ねたが、大会前のハンガリーとの親善試合でフェイントに失敗しハムストリングを負傷。一時は大会欠場も囁かれたがグループリーグ第3戦のカメルーン戦から復帰。決勝トーナメント一回戦のスロバキア戦ではミドルシュートで先制点を挙げ、大会選定のマンオブザマッチに選出される。準決勝のウルグアイ戦ではヘディングで3点目を挙げた。スペインとの決勝では2度の決定機を阻止されたものの攻撃の中心となり、オランダの準優勝に貢献した。しかし大会後、クラブで行ったメディカルチェックにて太ももの筋断裂が発覚し、これに対しバイエルンのカール・ハインツ・ルンメニゲ会長はワールドカップで強行出場を続けさせたとしてオランダ代表を批判した[3]。この怪我への補償として、2012年5月にアリアンツ・アレーナでバイエルンとオランダ代表の親善試合が行われている[4]

EURO2012にも招集された。

2014 FIFAワールドカップでもオランダ代表に選出され、トップパフォーマンスとリーダーシップによってオランダ代表を大会3位に導いた。

プレースタイル[編集]

  • 世界最高のドリブラーとも称される、世界最強のウインガー 。100メートルを10秒台で走るとも言われる爆発的なスピードと高度なテクニックを併せ持つ。トップスピードでのボールコントロール、狭いスペースを苦にしないドリブル突破とそこから繰り出すクロスボール、そしてキャリアを重ねるごとに精度が高まる一方のシュートはいずれも比類なきレベルにある。一人で強力なカウンター攻撃を完遂させ、単独で違いを作り出して試合を決めることができる。 ほとんどのタッチを左足のみで行う緩急を駆使したドリブルは独特のリズムを刻み、対面するDFを無力化する。どれほど優れたDFでも1対1で止めることは極めて困難であるため、ロッベンを止めるために複数のDFがロッベンに集中し、他の攻撃を担う選手のマークが手薄になるという効果もある。上記したようにシュートも強烈で抜群の精度を誇り、特にペナルティーエリア近く、右45度あたりからのシュートは相手の脅威となり、またクロスボールも正確。以前まで課題とされていた好不調の激しさも今ではその面影は無く、常に相手を恐怖に陥れる。また、ロッベンが大舞台で弱いという指摘は、UEFAチャンピオンズリーグ決勝で優勝を決めるゴールを決めている事などから適切でないように思われる。一方で、爆発的なスプリント力ゆえに筋肉系のけがが多く、シーズンを通じて稼働できない事もある[5][6][7]オランダ代表の試合がロッベンのワンプレーで決まると言っても過言ではない。[8]

評価[編集]

  • プレースタイル故にドイツではフランツ・ベッケンバウアーから「エゴイスト」と批判されたが、彼をプロ・デビューさせたヤン・ファン・ダイクは「アリエンは若い時からずっとエゴイスト。彼にとっては普通の事であり、それが彼の才能。彼がエゴイストであるのが問題なら売るべき。エゴイズムが彼を強くしてるんだから」と語った[9]
  • 2014年ワールドカップではオランダ代表の実質的キャプテンを務め、かつてのエゴイストのイメージを完全に払拭、チーム・プレイヤーとしての成長を示した。特に猛暑の中のメキシコ戦で後半の給水タイムにチームメイトに激しく声をかけるシーンは誰がこのチームのリーダーかをはっきり表していたと言える[10]
  • ユヴェントスジュゼッペ・マロッタGM(ゼネラルマネージャー)はロッベンについて、「ロッベンは、現時点で間違いなくヨーロッパ最高であるクラブで、堂々とプレーして高い能力を見せている」と高く評価している[11]

私生活[編集]

  • 2004年12月、同年初頭に睾丸癌を患い、摘出手術を行なって、病を克服したことを告白している。
  • 2007年6月にガールフレンドと結婚し、現在3児の父親である[12]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

クラブ シーズン リーグ 背番号 リーグ戦 カップ戦 国際大会 合計
試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール
2000-01 オランダの旗 フローニンゲン エールディヴィジ 18 2 0 0 - - 18 2
2001-02 28 6 6 4 - - 34 10
クラブ通算 46 8 6 4 0 0 52 12
2002-03 オランダの旗 PSV エールディヴィジ 11 33 12 4 1 37 13
2003-04 23 6 8 2 31 8
クラブ通算 56 18 12 3 68 21
2004-05 イングランドの旗 チェルシー プレミアリーグ 16 18 7 6 1 5 1 29 9
2005-06 28 6 5 1 6 0 39 7
2006-07 21 2 7 0 7 1 35 3
クラブ通算 67 15 18 2 18 2 103 19
2007-08 スペインの旗 Rマドリード リーガ・エスパニョーラ 11 21 4 2 1 5 0 28 5
2008-09 29 7 0 0 6 1 35 8
クラブ通算 50 11 2 1 11 1 63 13
2009-10 ドイツの旗 バイエルン ブンデスリーガ 10 24 16 3 3 10 4 37 23
2010-11 14 12 1 1 2 0 17 13
2011-12 24 12 3 2 9 5 36 19
2012-13 16 5 5 4 9 4 30 13
2013-14 28 11 10 4
クラブ通算 78 45 12 10 30 13 120 68
キャリア通算 297 97 38 17 71 19 406 133

代表での成績[編集]

試合数[編集]


オランダ代表 国際Aマッチ
出場 得点
2003 3 1
2004 8 2
2005 6 3
2006 10 2
2007 4 0
2008 6 2
2009 8 1
2010 7 4
2011 1 0
2012 10 2
2013 11 5
2014 3 4
通算 77 26

出場大会[編集]

タイトル[編集]

チェフとともに05-06シーズンプレミアリーグ優勝トロフィーを持つロッベン

クラブ[編集]

オランダの旗 PSVアイントホーフェン
イングランドの旗 チェルシー
スペインの旗 レアル・マドリード
ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン

個人[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]


この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。