アリエン・ロッベン

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アリエン・ロッベン Football pictogram.svg
Arjen Robben.jpg
名前
愛称 フライング・ダッチマン
ラテン文字 Arjen ROBBEN
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 1984年1月23日(29歳)
出身地 ベドゥム
身長 182cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム 600px Bianco e Blu a scacchi bordati di Rosso.png バイエルン
ポジション MFFW
背番号 10
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2002
2002-2004
2004-2007
2007-2009
2009-
600px FC Groningen.png フローニンゲン
600px Bianco e Rosso bordato d'oro con iniziali Nere.png PSV
600px Azzurro e Bianco con Leone, Staffa.svg チェルシー
600px Bianco viola reale.png Rマドリード
600px Bianco e Blu a scacchi bordati di Rosso.png バイエルン
46 (8)
56 (18)
67 (15)
50 (11)
62 (40)
代表歴2
2003- オランダの旗 オランダ 64 (17)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年5月5日現在。
2. 2013年2月6日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

アリエン・ロッベンArjen Robben, 1984年1月23日 - )は、オランダ王国フローニンゲン州ベドゥム出身の同国代表サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(SH)およびフォワード(WG)。ドイツ・ブンデスリーガバイエルン・ミュンヘンに所属している。

目次

経歴 [編集]

地元のクラブ、VVベドゥムでサッカーを始める。FCフローニンゲン在籍時の2000年、16歳でプロデビュー。レギュラーとしてプレーした後、2002年PSVへ移籍。ここでも1年目から12ゴールを挙げ、2002-03年度のヨハン・クライフ賞を受賞した。

2004年移籍金1800万ユーロで[要出典]チェルシーFCに入団した。チェルシー在籍中、精巣腫瘍を患いながらも手術により回復した[1][2]

EURO2004の後にプレシーズンで負った怪我の影響で、プレミアリーグのデビューこそ遅れたものの、11月に復帰した。同月のプレミアリーグ月間最優秀選手賞にも輝いている。その後も怪我に悩まされながらもチェルシーの二冠制覇に貢献した。本職は4-3-3の左WGながら、2006-07シーズンにはアンドリー・シェフチェンコの加入によりクラブは4-4-2へとシステムを変更し、このため出番が減少。2006 FIFAワールドカップでは初戦のセルビア戦で18分に得点を挙げた。これが決勝ゴールとなり、その試合のマン・オブ・ザ・マッチとなった。大会では、6試合に出場して2ゴールを挙げた。

レアル・マドリード時代

2007年8月22日スペインレアル・マドリードへの移籍が、5年契約・移籍金3600万ユーロ[要出典]で決まる。膝の故障でシーズンは出遅れたが9月18日チャンピオンズリーグヴェルダー・ブレーメン戦でデビュー。すぐに左サイドMFのポジションでスターティングメンバーを獲得した。また、EURO2008にも招集された。

2009年8月28日バイエルン・ミュンヘンへの移籍で合意し移籍することとなった。移籍金は2500万ユーロ(約34億円)の4年契約とされ[要出典]、ロッベンは背番号10を背負うこととなった。フランク・リベリーと共に両サイドから攻撃に参加、デビュー戦となったVfLヴォルフスブルク戦で2ゴールを挙げた。2010年3月9日UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦2ndレグACFフィオレンティーナ戦ではミドルシュートを決め、また4月7日の準々決勝2ndレグのマンチェスター・ユナイテッドFC戦でもコーナーキックからボレーシュートを決めた。4月17日ハノーファー96戦で自身初のハットトリックを達成した(試合は7-0で勝利)。4月21日オリンピック・リヨンとのチャンピオンズリーグ準決勝1stレグでも決勝点となるミドルシュートを決め決勝進出に貢献した。同大会ではインテルとの決勝戦を戦った末準優勝の成績を修めたが、ブンデスリーガではチームトップ・リーグ5位タイの16得点を挙げ、バイエルンの2冠に貢献。シーズン終了後にはドイツ年間最優秀選手に選出された。

オランダ代表にてヴェスレイ・スナイデル(右)と共に練習をするロッベン(左)

2010 FIFAワールドカップのオランダ代表にも名を連ねたが、大会前のハンガリーとの親善試合でフェイントに失敗しハムストリングを負傷。一時は大会欠場も囁かれたがグループリーグ第3戦のカメルーン戦から復帰。決勝トーナメント1回戦のスロバキア戦ではミドルシュートで先制点を挙げ、大会選定のマンオブザマッチに選出される。準決勝のウルグアイ戦ではヘディングで3点目のゴールを挙げた。スペインとの決勝では2度の決定機を阻止されたものの攻撃の中心となり、オランダの準優勝に貢献した。しかし大会後、クラブで行ったメディカルチェックにて太ももの筋断裂が発覚し、これに対しバイエルンのカール・ハインツ・ルンメニゲ会長はワールドカップで強行出場を続けさせたとしてオランダ代表を批判した[3]。この怪我への補償として、2012年5月にアリアンツ・アレーナでバイエルンとオランダ代表の親善試合が行われている[4]。チームへの復帰は翌年1月まで遅れたが、リーグ14試合で12得点8アシストを記録した。

プレースタイル [編集]

  • 世界最高クラスのドリブラーと称されるウインガー 。100メートルを10秒台で走るとも言われる爆発的なスピードと高度なテクニックを併せ持つ。ほとんどのタッチを左足のみで行う緩急を駆使したドリブルは独特のリズムを刻み、対面するDFを無力化する。シュートも強烈で抜群の精度を誇り、特にペナルティーエリア近く、右45度あたりからのシュートは相手の脅威となる。またクロスも正確。一方で、爆発的なスプリント力ゆえに筋肉系のけがが多く、シーズンを通じて稼働できない難点がある[5][6][7]

私生活 [編集]

  • 2004年12月、同年初頭に睾丸癌を患い、摘出手術を行なって、病を克服したことを告白している。
  • 2007年6月にガールフレンドと結婚し、現在2児の父親である[8]

所属クラブ [編集]

獲得タイトル [編集]

ツェフとともに05-06シーズンプレミアリーグ優勝トロフィーを持つロッベン

チームタイトル [編集]

個人タイトル [編集]

個人成績 [編集]

クラブ シーズン リーグ 背番号 リーグ戦 カップ戦 国際大会 合計
試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール
2000-01 オランダの旗 フローニンゲン エールディヴィジ 18 2 0 0 - - 18 2
2001-02 28 6 6 4 - - 34 10
クラブ通算 46 8 6 4 0 0 52 12
2002-03 オランダの旗 PSV エールディヴィジ 11 33 12 4 1 37 13
2003-04 23 6 8 2 31 8
クラブ通算 56 18 12 3 68 21
2004-05 イングランドの旗 チェルシー プレミアリーグ 16 18 7 6 1 5 1 29 9
2005-06 28 6 5 1 6 0 39 7
2006-07 21 2 7 0 7 1 35 3
クラブ通算 67 15 18 2 18 2 103 19
2007-08 スペインの旗 Rマドリード リーガ・エスパニョーラ 11 21 4 2 1 5 0 28 5
2008-09 29 7 0 0 6 1 35 8
クラブ通算 50 11 2 1 11 1 63 13
2009-10 ドイツの旗 バイエルン ブンデスリーガ 10 24 16 3 3 10 4 37 23
2010-11 14 12 1 1 2 0 17 13
2011-12 24 12 3 2 9 5 36 19
2012-13
クラブ通算 62 40 7 6 21 9 90 55
キャリア通算 281 92 33 13 62 15 376 120

脚注 [編集]

外部リンク [編集]


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