ロン・ヤンス
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| カタカナ | ロン・ヤンス | |||||
| ラテン文字 | Ron JANS | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1958年9月29日(54歳) | |||||
| 出身地 | ズウォレ | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW / MF | |||||
| ユース | ||||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1976-1983 | 157 | (44) | ||||
| 1982-1984 | 63 | (16) | ||||
| 1984-1987 | 99 | (10) | ||||
| 1987-1988 | 16 | (0) | ||||
| 1988-1991 | 54 | (5) | ||||
| 監督歴 | ||||||
| 1991-1993 | ||||||
| 1993-1996 | ||||||
| 1996-2000 | ||||||
| 2000-2002 | ||||||
| 2002-2010 | ||||||
| 2010-2012 | ||||||
| 2012 | ||||||
| 2013- | ||||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ロン・ヤンス(Ron Jans、1958年9月29日 - )は、オランダのオーファーアイセル州ズヴォレ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
目次 |
来歴 [編集]
地元PECズウォレのアカデミー出身。オランダ時代はフォワードとしてプレーした。
1976年、当時エールステディヴィジ(2部リーグ)のPECズウォレで選手キャリアをスタートし、翌シーズンエールディヴィジ(1部リーグ)昇格に貢献した。1982年FCフローニンゲンに移籍し、UEFAカップ1983-84ではアトレティコ・マドリード相手にゴールを決めている。1984年、ローダJCに移籍した。
1987年、ハンス・オフト監督に誘われてJSL1部所属のマツダSC(サンフレッチェ広島の前身)に入団する[1]。同年、攻撃的なMFとして、ハーフナー・ディドや信藤克義(信藤健仁)・松田浩・猿沢茂や高橋真一郎・小林伸二らと共に[1]、同シーズンの天皇杯決勝進出に貢献したが、JSLではシーズン終了後2部に降格してしまう。オフト監督が退任するのと同時にマツダを退団した。
その後オランダに戻り、1988年BVフェーンダムに移籍し、1991年現役引退した。
現役と並行して教師の資格をとっており、現役引退後は一旦フローニンゲンにあるインターナショナルスクールのマールテンス大学でドイツ語教師をしていた[2]。それと並行してアマチュアクラブでサッカー指導者の道を歩み始めた。2000年、アキレス1894をアマチュアチャンピオンに導いている。
BVOエメンでアシスタントコーチを務めていた2002年10月、成績不振により退任したドワイト・ローデヴェーヘス監督の後を継いでFCフローニンゲン監督に就任し[2]、8試合で勝ち点1しか取れずにいたチームを残留させた。2005-06シーズンは5位に食い込み、14年ぶりのUEFAカップ出場に導いた。2010年に勇退した。
2010年夏、フローニンゲンのライバルチームであるSCヘーレンフェーン監督に就任した[3]。エースストライカーのバス・ドストとの関係がこじれた[4]こともあり、1年目は下位に低迷したが、2年目である2011-12シーズンでは途中段階でリーグ3位に入り一時は優勝争いを演じた[5]。別のクラブでの指揮を望んだことから[4]、同シーズン末に契約満了により退任した[5]。
2012年5月、ベルギーの名門であるスタンダール・リエージュ監督に就任した[6]ものの、成績不振により同年10月に解任された[7]。
2013年、古巣PECズウォレに監督として復帰する[8]。
個人成績 [編集]
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
| 1976-77 | ズウォレ | エールステディヴィジ | 7 | 1 | |||||||
| 1977-78 | ズウォレ | エールステディヴィジ | 31 | 14 | |||||||
| 1978-79 | ズウォレ | エールディヴィジ | 33 | 3 | |||||||
| 1979-80 | ズウォレ | エールディヴィジ | 24 | 3 | |||||||
| 1980-81 | ズウォレ | エールディヴィジ | 33 | 11 | |||||||
| 1981-82 | ズウォレ | エールディヴィジ | 29 | 12 | |||||||
| 1982-83 | フローニンゲン | エールディヴィジ | 34 | 12 | |||||||
| 1983-84 | フローニンゲン | エールディヴィジ | 29 | 4 | |||||||
| 1984-85 | ローダ | エールディヴィジ | 34 | 4 | |||||||
| 1985-86 | ローダ | エールディヴィジ | 31 | 2 | |||||||
| 1986-87 | ローダ | エールディヴィジ | 34 | 4 | |||||||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1987-88 | マツダ | JSL1部 | 16 | 1 | |||||||
| オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
| 1988-89 | フェーンダム | エールディヴィジ | 34 | 4 | |||||||
| 1989-90 | フェーンダム | エールステディヴィジ | 10 | 1 | |||||||
| 1990-91 | フェーンダム | エールステディヴィジ | 10 | 0 | |||||||
| 通算 | オランダ | エールディヴィジ | 315 | 59 | |||||||
| オランダ | エールステディヴィジ | 58 | 16 | ||||||||
| 日本 | JSL1部 | 16 | 1 | ||||||||
| 総通算 | 389 | 76 | |||||||||
脚注 [編集]
- ^ a b “ロン(麻雀ではなく)”. Foot! (2009年2月14日). 2012年8月22日閲覧。
- ^ a b 「フローニンヘン風という美学」footballista、ソルメディア、2009年2月11日号、17頁
- ^ “Ron Jans named as new boss of Heerenveen” (英語). ESPN (2010年2月22日). 2012年8月22日閲覧。
- ^ a b “Ron Jans weg bij Heerenveen” (オランダ語). ad.nl (2010年5月1日). 2012年8月22日閲覧。
- ^ a b “ファン・バステン氏が今夏に監督復帰”. UEFA (2012年2月13日). 2012年8月22日閲覧。
- ^ “Ron Jans aan de slag bij Belgische topclub Standard Luik” (オランダ語). voetbal international (2012年5月15日). 2012年8月22日閲覧。
- ^ “Standard zoekt opvolger voor Ron Jans” (オランダ語). nieuwsblad.be (2012年10月23日). 2012年10月23日閲覧。
- ^ “Jans keert bij eerste liefde PEC Zwolle terug als trainer” (オランダ語). voetbal INTERNATIONAL (2013年3月18日). 2013年5月17日閲覧。
参考資料 [編集]
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