ヴェスレイ・スナイデル

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ヴェスレイ・スナイデル Football pictogram.svg
Wesley2012.JPG
名前
愛称 ウェズ
カタカナ ヴェスレイ・ベンヤミン・スナイデル
ラテン文字 Wesley Benjamin Sneijder
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 1984年6月9日(29歳)
出身地 ユトレヒト
身長 170cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム トルコの旗 ガラタサライ
ポジション MF (OH / CH)
背番号 10
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2007
2007-2009
2009-2013
2013-
オランダの旗 アヤックス
スペインの旗 レアル・マドリード
イタリアの旗 インテル
トルコの旗 ガラタサライ
127 (44)
52 (11)
76 (13))
21 (7)
代表歴2
2003- オランダの旗 オランダ 96 (26)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年月9月26日現在。
2. 2013年10月15日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ヴェスリー・ベンヤミン・スネイデルWesley Benjamin Sneijder (オランダ語発音: [ˈʋɛs.li ˈsnɛi̯.dər] ( 聞く), 1984年6月9日 - )は、オランダユトレヒト出身の同国代表サッカー選手。ポジションはMF。また、「ヴェスレイ」、「ウェスレイ」、「ウェズレイ」、「スナイデル」の他、英語読みの「ウェスリー・スナイダー」とも表記される(実際はオランダでもヴェスリーと発音される)。

経歴[編集]

生い立ち~アヤックス時代[編集]

ユトレヒトで祖父、父もプロ選手であったというサッカー一家に生まれた。兄(ジェフレイ)、弟(ロドニー)と共にサッカー選手を志し、1992年にアマチュアのDOSというクラブからアヤックスの下部組織に入団。

2002-03シーズン、2002年12月22日のエクセルシオール戦にてトップチームデビューを果たす。同シーズンはリーグ、カップ計23試合に出場し5ゴールという活躍を見せた。

2003-04シーズン、その卓越したパススキルを存分に発揮しセンターハーフのレギュラーに定着。シーズン計38試合出場、10ゴールを挙げリーグ制覇に大きく貢献し、同シーズンのヨハン・クライフ賞を受賞。2004-05、2005-06シーズンは司令塔としてアヤックスを支えたものの、ライバルであるPSVフース・ヒディンクの下で全盛期を迎えており、クラブレベルでの特筆した成果を収めることが出来なかった。2006-07シーズン、クラブで背番号10を与えられると、卓越したパスセンスに加えゴールを狙う積極性が増し、FKやミドルシュートでゴールを量産。リーグで18得点という成績を叩きだした。

レアル・マドリード時代[編集]

2007年8月12日、同じスペインバレンシアCFとの獲得レースを制したレアル・マドリードへ加入。移籍金は2500万ユーロとされ、背番号はデビッド・ベッカムの着けていた23に決まった。2007-08シーズン、開幕戦となったアトレティコ・マドリードとのマドリード・ダービーでリーガデビューを果たすと、続くビジャレアル戦で2得点、UDアルメリア戦で1得点を挙げ、その後も中心選手として活躍し、レアル・マドリードのリーグ2連覇に貢献した。2008-09シーズンは背番号10を与えられたが、負傷の影響、更にはリハビリや通院と称してオランダのテレビタレントの女性と不倫を重ねていたことが発覚[1]離婚慰謝料を求められ裁判沙汰になるなどして活躍できず結果を残すことは出来なかった[2]

インテル時代[編集]

本人は残留を希望するも、レアル・マドリードが2009年夏の移籍市場にて大型補強を行ったことにより放出候補となり、2009年8月28日、半ば追い出されるような形でイタリアインテルナツィオナーレ・ミラノへ移籍した。移籍金は1500万ユーロ(約20億円)、年俸400万ユーロの4年契約とされている。加入から2日でミラノダービーに先発出場し、加入したばかりとは思えないパフォーマンスを見せ、インテルの大勝に貢献。10月3日に行われたウディネーゼ戦で後半ロスタイムにチームを救うセリエA初得点を挙げた。その後も中心選手として活躍し、インテルの史上3度目となるセリエA5連覇、また、イタリア史上初の主要タイトル3冠達成に大きく貢献した。シーズン終了後、UEFA最優秀MFに選出された。インテルでの3冠獲得と後述のワールドカップでの活躍から2010年のFIFAバロンドールの最有力候補と考えられていたが、2010年12月7日に発表された最終候補3人から外れ、物議を醸した[3][4]。結局、スナイデルはベストイレブンに選出されるにとどまった。 しかしその後は負傷や監督交代などの影響で不振に陥った。

ガラタサライ時代[編集]

2013年1月、ガラタサライへの移籍に合意。

代表での実績[編集]

オランダ代表で、ロッベン(左)とトレーニングするスナイデル

2003年4月30日ポルトガル戦で代表デビューを果たす。同年10月11日のUEFA欧州選手権2004予選モルドバ戦で代表初得点を記録すると、同年11月19日には同予選プレーオフスコットランド第2戦で1得点3アシストの活躍で同国をUEFA欧州選手権2004本戦出場に導き、自身も本大会のメンバーに選出された。予選終盤での活躍とは裏腹に本大会ではシステムが4-4-2から4-3-3へ変更され中盤の枚数が減り、フィリップ・コクーエドガー・ダーヴィッツクラレンス・セードルフといった百戦錬磨のベテランを揃えていたため、ベンチを暖める時間が多かった。同国は準々決勝で開催国ポルトガルに敗れ、ベスト4で大会を去った。

その後、新監督に就任したマルコ・ファン・バステンからも信頼を与えられ、2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選フィンランド戦、アンドラ戦でゴールを挙げる活躍を見せ、同国の2006 FIFAワールドカップ出場に貢献。自身も本大会メンバーに選出された。かつてのアヤックスでのチームメイトラファエル・ファン・デル・ファールトと攻撃的MFのポジションを争い、死のグループと呼ばれたグループCを突破したが、ベスト16で敗退を喫した。

UEFA欧州選手権2008では、グループリーグ第1戦のイタリア戦にて、ジョバンニ・ファン・ブロンクホルストが左サイドから上げたアーリークロスを、エリア右からディルク・カイトがヘディングでふわりとあげたボールを、完璧なタイミングで飛び出してきたイタリアのGKジャンルイジ・ブッフォンが僅かに開けてしまったシュートコースに叩き込んだ。このゴールと1アシストの活躍で勝利に貢献。同国はベスト8で敗退したものの、大会を通じて非常に高いパフォーマンスを見せ、欧州サッカー連盟の選ぶ23人のベストプレイヤーの中に選ばれた。

2010FIFAワールドカップでのスナイデルとファン・デル・ファールト

2010 FIFAワールドカップでは、グループリーグの日本戦で決勝点となるゴールを決め、ワールドカップ初ゴールを記録。決勝トーナメントでは準決勝まで3試合連続ゴールを決めた。前述の日本戦の他、グループリーグ第1戦のデンマーク戦、逆転の2ゴールを挙げた準々決勝ブラジル戦、勝ち越しゴールを挙げた準決勝ウルグアイ戦の4試合で大会選定のマンオブザマッチに選出される活躍を見せ、オランダの32年ぶりの決勝進出に貢献した。また、大会5ゴールでディエゴ・フォルラントーマス・ミュラーダビド・ビジャに並ぶ得点王(FWとして併用されない純粋なミッドフィールダーがW杯得点王に輝いたのは、スナイデルが初の快挙)となり、ブロンズブーツ賞とシルバーボール賞を受賞した[5]

人物・エピソード[編集]

  • ラファエル・ファン・デル・ファールトとはアヤックスユース時代からの友人。
  • 前妻とは2005年6月18日結婚し、2006年9月4日には長男が誕生するも、前述したオランダのテレビタレントの女性との不倫が原因で2009年1月21日に離婚[2]2010年7月17日に不倫関係にあった女性との結婚式を行った[6]
  • 前述の通り2010年のFIFAバロンドールの有力候補とされていながら最終候補3人にも残ることができなかったスナイデルだが、これはこの年からバロンドールFIFA年間最優秀選手が統合され、選出方法が変わったことによるものだと報じられた。以前までのバロンドールの選出方法であるジャーナリストによる投票のみを見るとスナイデルはトップの得票を得ており、各国代表の投票によりリオネル・メッシらに逆転されている[7]
  • インテルで3冠を経験した時の監督であるジョゼ・モウリーニョを高く評価しており、2011年1月10日チューリッヒで行われたFIFAの授賞式で顔を合わせた際にはスピーチで「モウリーニョと一緒に仕事ができて嬉しかった。彼には、僕が彼を世界最高の監督だと思っていると伝えたい」と語り、モウリーニョの涙を誘った[8]
  • あるサッカー雑誌のインタビューで、今まで対戦した中で、最も上手いと思った選手に小野伸二の名を挙げた[9]
  • 自宅に招いた当時のチームメートの長友佑都とチャンピオンズリーグを一緒にテレビ観戦する様子をtwitterに投稿したことが話題となった[10]。また、2011年夏にインテル残留の希望を表明した際にも、「素晴らしいチームメイト」としてハビエル・サネッティとともに長友の名前を挙げるなど、仲が良い[11]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

クラブ シーズン リーグ 背番号 リーグ戦 カップ戦 国際大会 合計
試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール
2002–03 オランダの旗 アヤックス エールディヴィジ 18 17 4 3 1 3 0 23 5
2003–04 30 9 1 0 7 1 38 10
2004–05 30 7 3 1 7 0 40 8
2005–06 19 5 3 2 7 4 29 11
2006–07 10 30 18 4 1 9 1 43 20
クラブ通算 126 43 14 5 33 6 173 54
2007–08 スペインの旗 レアル・マドリード リーガ・エスパニョーラ 23 30 9 2 0 5 0 37 9
2008–09 10 22 2 2 0 4 0 28 2
クラブ通算 52 11 4 0 9 0 65 11
2009–10 イタリアの旗 インテル セリエA 10 26 4 4 1 11 3 41 8
2010–11 25 4 2 0 9 3 36 7
2011–12 20 4 2 0 5 0 27 4
2012–13 5 1 0 0 3 1 8 2
クラブ通算 76 13 8 1 28 7 112 21
キャリア通算 254 67 26 6 70 13 350 86

代表での成績[編集]

代表国 出場 得点
2003  オランダ 3 2
2004 14 3
2005 3 0
2006 10 0
2007 11 3
2008 10 3
2009 7 1
2010 15 7
2011 7 4
2012 10 1
2013 6 2
通算 96 26

代表での得点[編集]

# 開催日 開催地 対戦国 スコア 結果 大会
1. 2003年10月21日 オランダの旗 アイントホーフェン  モルドバ 2–0 5–0 UEFA EURO 2004予選
2. 2003年11月19日 オランダの旗 アムステルダム  スコットランド 1–0 6–0 UEFA EURO 2004予選
3. 2004年8月18日 スウェーデンの旗 ストックホルム  スウェーデン 1–1 2–2 親善試合
4. 2005年6月8日 オランダの旗 アムステルダム  フィンランド 1–1 3–1 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
5. 2005年8月17日 スペインの旗 バルセロナ  アンドラ 0–3 0–3 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
6. 2007年3月14日 オランダの旗 アムステルダム  ロシア 2–0 4–1 親善試合
7. 2007年9月4日 オランダの旗 アムステルダム  ブルガリア 1–0 2–0 UEFA EURO 2008予選
8. 2007年10月17日 オランダの旗 アイントホーフェン  スロベニア 1–0 2–0 UEFA EURO 2008予選
9. 2008年5月1日 オランダの旗 ロッテルダム  ウェールズ 2–0 2–0 親善試合
10. 2008年6月9日 スイスの旗 ベルン  イタリア 2–0 3–0 UEFA EURO 2008
11. 2008年6月13日 スイスの旗 ベルン  フランス 4–1 4–1 UEFA EURO 2008
12. 2009年5月9日 オランダの旗 エンスヘーデ  日本 2–0 3–0 親善試合
13. 2010年6月1日 オランダの旗 ロッテルダム  ガーナ 3–1 4–1 親善試合
14. 2010年6月5日 オランダの旗 アムステルダム  ハンガリー 2–1 6–1 親善試合
15. 2010年6月19日 南アフリカ共和国の旗 ダーバン  日本 1–0 1–0 2010 FIFAワールドカップ
16. 2010年6月28日 南アフリカ共和国の旗 ダーバン  スロバキア 2–0 2–1 2010 FIFAワールドカップ
17. 2010年7月2日 南アフリカ共和国の旗 ポートエリザベス  ブラジル 1–1 2–1 2010 FIFAワールドカップ
18. 2–1
19. 2010年7月6日 南アフリカ共和国の旗 ケープタウン  ウルグアイ 1–2 2–3 2010 FIFAワールドカップ
20. 2011年2月9日 オランダの旗 アイントホーフェン  オーストリア 1–0 3–1 親善試合
21. 2011年3月29日 オランダの旗 アムステルダム  ハンガリー 2–2 5–3 UEFA EURO 2012予選
22. 2011年9月3日 オランダの旗 アイントホーフェン  サンマリノ 2–0 11–0 UEFA EURO 2012予選
23. 10–0
24. 2012年6月2日 オランダの旗 アムステルダム  北アイルランド 2–0 6–0 親善試合
25. 2013年6月11日 中華人民共和国の旗 北京市  中国 0–2 0–2 親善試合
26. 2013年10月15日 トルコの旗 イスタンブル  トルコ 0–2 0–2 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選

獲得タイトル[編集]

クラブ[編集]

オランダの旗 アヤックス
スペインの旗 レアル・マドリード
イタリアの旗 インテル・ミラノ
トルコの旗 ガラタサライ

個人[編集]

  • アムステルダム年間最優秀若手選手賞 : 2003
  • オランダ年間最優秀若手選手賞 : 2004
  • アヤックス年間最優秀若手選手賞 : 2004
  • アヤックス年間最優秀選手賞 : 2007
  • UEFA欧州選手権2008大会選定優秀選手
  • UEFA欧州選手権2008 大会ベストゴール(グループリーグ初戦、フランス戦)
  • UEFA最優秀MF : 2010
  • 2010 FIFAワールドカップ アディダス・シルバーボール賞
  • 2010 FIFAワールドカップ アディダス・ブロンズブーツ賞
  • FIFA年間ベストイレブン : 2010

脚注[編集]

  1. ^ 当時、その女性にはオランダ人歌手の恋人がいたが、スナイデルとの密会が破局の原因となった。
  2. ^ a b スナイデルのインテル移籍の真相!?最愛の女性をマドリッドに残し…… http://news.livedoor.com/article/detail/4415680/
  3. ^ スナイデル、バロンドール争いでトップ3に入れずLivedoorスポーツ 2010年12月6日
  4. ^ モラッティ、スナイデル落選に「愚かな決定」Livedoorスポーツ 2010年12月7日
  5. ^ スポーツナビ (2010年7月12日). “大会MVPはウルグアイのフォルラン=W杯”. 2010年7月13日閲覧。
  6. ^ http://news.livedoor.com/article/detail/4999387/
  7. ^ バロンドール、従来の選出法なら受賞者はスナイデルLivedoorスポーツ 2011年1月11日
  8. ^ スナイデル:「モウリーニョはベストの監督」Livedoorスポーツ 2011年1月11日
  9. ^ / 「Wes Sneijder: analysis of world class player-Netherlands」
  10. ^ 「長友がスナイデルの自宅でクラシコを観戦、ビッグイヤーを手にする記念ショットも」
  11. ^ スナイデル、残留希望の理由は長友「ユウトがいるインテルに残りたい」SOCCER KING 2011年7月13日

外部リンク[編集]