ヴェスレイ・スナイデル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
ヴェスレイ・スナイデル Football pictogram.svg
Sneijder crop.jpg
名前
カタカナ ヴェスレイ・ベンヤミン・スナイデル
ラテン文字 Wesley Benjamin Sneijder
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 1984年6月9日(27歳)
出身地 ユトレヒト
身長 170cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 インテル
ポジション MF(OHCH)
背番号 10
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
2002-2007
2007-2009
2009-
アヤックス
レアル・マドリード
インテル
127 (44)
52 (11)
51 (8)
代表歴 2
2003- オランダの旗 オランダ 80 (23)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月22日現在。
2. 2011年11月15日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj
ノートでこのテンプレートの色について意見を募集しています。

ヴェスレイ・ベンヤミン・スナイデルWesley Benjamin Sneijder1984年6月9日 - )は、オランダユトレヒト出身の同国代表サッカー選手。ポジションはMF。また、「ウェスレイ」、「ウェズレイ」、「スネイデル」の他、英語読みの「ウェスリー・スナイダー」とも表記される。

目次

[編集] 経歴

[編集] 生い立ち~アヤックス時代

ユトレヒトで祖父、父もプロ選手であったというサッカー一家に生まれた。兄、弟と共にサッカー選手を志し、1992年にアマチュアのDOSというクラブからアヤックスの下部組織に入団。

2002-03シーズン、2002年12月22日のエクセルシオール戦にてトップチームデビューを果たす。同シーズンはリーグ、カップ計23試合に出場し5ゴールという活躍を見せた。

2003-04シーズン、その卓越したパススキルを存分に発揮しセンターハーフのレギュラーに定着。シーズン計38試合出場、10ゴールを挙げリーグ制覇に大きく貢献し、同シーズンのヨハン・クライフ賞を受賞。2004-05、2005-06シーズンは司令塔としてアヤックスを支えたものの、ライバルであるPSVフース・ヒディンクの下で全盛期を迎えており、クラブレベルでの特筆した成果を収めることが出来なかった。2006-07シーズン、クラブで背番号10を与えられると、卓越したパスセンスに加えゴールを狙う積極性が増し、FKやミドルシュートでゴールを量産。リーグで18得点という成績を叩きだした。

[編集] レアル・マドリード時代

2007年8月12日、同じスペインバレンシアCFとの獲得レースを制したレアル・マドリードへ加入。移籍金は2500万ユーロとされ、背番号はデビッド・ベッカムの着けていた23に決まった。2007-08シーズン、開幕戦となったアトレティコ・マドリードとのマドリード・ダービーでリーガデビューを果たすと、続くビジャレアル戦で2得点、UDアルメリア戦で1得点を挙げ、その後も中心選手として活躍し、レアル・マドリードのリーグ2連覇に貢献した。2008-09シーズンは背番号10を与えられたが、負傷の影響、更にはリハビリや通院と称してオランダのテレビタレントの女性と不倫を重ねていたことが発覚[1]離婚慰謝料を求められ裁判沙汰になるなどして活躍できず結果を残すことは出来なかった[2]

[編集] インテル時代

本人は残留を希望するも、レアル・マドリードが2009年夏の移籍市場にて大型補強を行ったことにより放出候補となり、2009年8月28日、半ば追い出されるような形でイタリアインテルナツィオナーレ・ミラノへ移籍した。移籍金は1500万ユーロ(約20億円)、年俸400万ユーロの4年契約とされている。加入から2日でミラノダービーに先発出場し、加入したばかりとは思えないパフォーマンスを見せ、インテルの大勝に貢献。10月3日に行われたウディネーゼ戦で後半ロスタイムにチームを救うセリエA初得点を挙げた。その後も中心選手として活躍し、インテルの史上3度目となるセリエA5連覇、また、イタリア史上初の主要タイトル3冠達成に大きく貢献した。シーズン終了後、UEFA最優秀MFに選出された。

インテルでの3冠獲得と後述のワールドカップでの活躍から2010年のFIFAバロンドールの最有力候補と考えられていたが、2010年12月7日に発表された最終候補3人から外れ、物議を醸した[3][4]。結局、スナイデルはベストイレブンに選出されるにとどまった。

[編集] 代表での実績

オランダ代表で、ロッベン(左)とトレーニングするスナイデル

2003年4月30日ポルトガル戦で代表デビューを果たす。同年10月11日のUEFA欧州選手権2004予選モルドバ戦で代表初得点を記録すると、同年11月19日には同予選プレーオフスコットランド第2戦で1得点3アシストの活躍で同国をUEFA欧州選手権2004本戦出場に導き、自身も本大会のメンバーに選出された。予選終盤での活躍とは裏腹に本大会ではシステムが4-4-2から4-3-3へ変更され中盤の枚数が減り、フィリップ・コクーエドガー・ダーヴィッツクラレンス・セードルフといった百戦錬磨のベテランを揃えていたため、ベンチを暖める時間が多かった。同国は準々決勝で開催国ポルトガルに敗れ、ベスト4で大会を去った。

その後、新監督に就任したマルコ・ファン・バステンからも信頼を与えられ、2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選フィンランド戦、アンドラ戦でゴールを挙げる活躍を見せ、同国の2006 FIFAワールドカップ出場に貢献。自身も本大会メンバーに選出された。かつてのアヤックスでのチームメイトラファエル・ファン・デル・ファールトと攻撃的MFのポジションを争い、死のグループと呼ばれたグループCを突破したが、ベスト16で敗退を喫した。

UEFA欧州選手権2008では、グループリーグ第1戦のイタリア戦にて、ジョバンニ・ファン・ブロンクホルストが左サイドから上げたアーリークロスを、エリア右からディルク・カイトがヘディングでふわりとあげたボールを、完璧なタイミングで飛び出してきたイタリアのGKジャンルイジ・ブッフォンが僅かに開けてしまったシュートコースに叩き込んだ。このゴールと1アシストの活躍で勝利に貢献。同国はベスト8で敗退してしたものの、大会を通じて非常に高いパフォーマンスを見せ、欧州サッカー連盟の選ぶ23人のベストプレイヤーの中に選ばれた。

2010FIFAワールドカップでのスナイデルとファン・デル・ファールト

2010 FIFAワールドカップでは、グループリーグの日本戦で決勝点となるゴールを決め、ワールドカップ初ゴールを記録。決勝トーナメントでは準決勝まで3試合連続ゴールを決めた。前述の日本戦の他、グループリーグ第1戦のデンマーク戦、逆転の2ゴールを挙げた準々決勝ブラジル戦、勝ち越しゴールを挙げた準決勝ウルグアイ戦の4試合で大会選定のマンオブザマッチに選出される活躍を見せ、オランダの32年ぶりの決勝進出に貢献した。また、大会5ゴールでディエゴ・フォルラントーマス・ミュラーダビド・ビジャに並ぶ得点王(FWとして併用されない純粋なミッドフィールダーがW杯得点王に輝いたのは、スナイデルが初の快挙)となり、ブロンズブーツ賞とシルバーボール賞を受賞した[5]

[編集] 人物・エピソード

[編集] 個人成績

クラブ シーズン リーグ 背番号 リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 合計
試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール
オランダの旗 アヤックス 2002–03 エールディヴィジ 18 17 4 3 1 3 0 23 5
2003–04 エールディヴィジ 18 30 9 1 0 7 1 38 10
2004–05 エールディヴィジ 18 30 7 4 2 7 0 41 9
2005–06 エールディヴィジ 18 19 5 3 2 7 4 29 11
2006–07 エールディヴィジ 10 30 18 4 1 9 1 43 20
合計 126 43 15 6 33 6 174 55
スペインの旗 レアル・マドリード 2007–08 リーガ・エスパニョーラ 23 30 9 2 0 5 0 37 9
2008–09 リーガ・エスパニョーラ 10 22 2 0 0 1 0 23 2
合計 52 11 2 0 6 0 60 11
イタリアの旗 インテル 2009–10 セリエA 10 26 4 4 1 11 3 41 8
2010–11 セリエA 10 25 4 2 0 9 3 36 7
合計 51 8 6 1 20 6 77 15
合計 229 62 23 7 59 12 311 81

[編集] 獲得タイトル

[編集] クラブ

アヤックス
レアル・マドリード
インテル

[編集] 個人

  • アムステルダム年間最優秀若手選手賞 : 2003
  • オランダ年間最優秀若手選手賞 : 2004
  • アヤックス年間最優秀若手選手賞 : 2004
  • アヤックス年間最優秀選手賞 : 2007
  • UEFA欧州選手権2008大会選定優秀選手
  • UEFA欧州選手権2008 大会ベストゴール(グループリーグ初戦、フランス戦)
  • UEFA最優秀MF : 2010
  • 2010 FIFAワールドカップ アディダス・シルバーボール賞
  • 2010 FIFAワールドカップ アディダス・ブロンズブーツ賞
  • FIFA年間ベストイレブン : 2010

[編集] 脚注

  1. ^ 当時、その女性にはオランダ人歌手の恋人がいたが、スナイデルとの密会が破局の原因となった。
  2. ^ a b スナイデルのインテル移籍の真相!?最愛の女性をマドリッドに残し…… http://news.livedoor.com/article/detail/4415680/
  3. ^ スナイデル、バロンドール争いでトップ3に入れずLivedoorスポーツ 2010年12月6日
  4. ^ モラッティ、スナイデル落選に「愚かな決定」Livedoorスポーツ 2010年12月7日
  5. ^ スポーツナビ (2010年7月12日). “大会MVPはウルグアイのフォルラン=W杯”. 2010年7月13日閲覧。
  6. ^ http://news.livedoor.com/article/detail/4999387/
  7. ^ バロンドール、従来の選出法なら受賞者はスナイデルLivedoorスポーツ 2011年1月11日
  8. ^ スナイデル:「モウリーニョはベストの監督」Livedoorスポーツ 2011年1月11日
  9. ^ / 「Wes Sneijder: analysis of world class player-Netherlands」
  10. ^ 「長友がスナイデルの自宅でクラシコを観戦、ビッグイヤーを手にする記念ショットも」
  11. ^ スナイデル、残留希望の理由は長友「ユウトがいるインテルに残りたい」SOCCER KING 2011年7月13日

[編集] 外部リンク


個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語