ヴェスレイ・スナイデル
|
|||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | |||||||
| カタカナ | ヴェスレイ・ベンヤミン・スナイデル | ||||||
| ラテン文字 | Wesley Benjamin Sneijder | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1984年6月9日(27歳) | ||||||
| 出身地 | ユトレヒト | ||||||
| 身長 | 170cm | ||||||
| 体重 | 72kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | MF(OH・CH) | ||||||
| 背番号 | 10 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
|
|||||||
| 代表歴 2 | |||||||
|
|||||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月22日現在。 2. 2011年11月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
|||||||
| ノートでこのテンプレートの色について意見を募集しています。 | |||||||
ヴェスレイ・ベンヤミン・スナイデル(Wesley Benjamin Sneijder、1984年6月9日 - )は、オランダ・ユトレヒト出身の同国代表サッカー選手。ポジションはMF。また、「ウェスレイ」、「ウェズレイ」、「スネイデル」の他、英語読みの「ウェスリー・スナイダー」とも表記される。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 生い立ち~アヤックス時代
ユトレヒトで祖父、父もプロ選手であったというサッカー一家に生まれた。兄、弟と共にサッカー選手を志し、1992年にアマチュアのDOSというクラブからアヤックスの下部組織に入団。
2002-03シーズン、2002年12月22日のエクセルシオール戦にてトップチームデビューを果たす。同シーズンはリーグ、カップ計23試合に出場し5ゴールという活躍を見せた。
2003-04シーズン、その卓越したパススキルを存分に発揮しセンターハーフのレギュラーに定着。シーズン計38試合出場、10ゴールを挙げリーグ制覇に大きく貢献し、同シーズンのヨハン・クライフ賞を受賞。2004-05、2005-06シーズンは司令塔としてアヤックスを支えたものの、ライバルであるPSVがフース・ヒディンクの下で全盛期を迎えており、クラブレベルでの特筆した成果を収めることが出来なかった。2006-07シーズン、クラブで背番号10を与えられると、卓越したパスセンスに加えゴールを狙う積極性が増し、FKやミドルシュートでゴールを量産。リーグで18得点という成績を叩きだした。
[編集] レアル・マドリード時代
2007年8月12日、同じスペインのバレンシアCFとの獲得レースを制したレアル・マドリードへ加入。移籍金は2500万ユーロとされ、背番号はデビッド・ベッカムの着けていた23に決まった。2007-08シーズン、開幕戦となったアトレティコ・マドリードとのマドリード・ダービーでリーガデビューを果たすと、続くビジャレアル戦で2得点、UDアルメリア戦で1得点を挙げ、その後も中心選手として活躍し、レアル・マドリードのリーグ2連覇に貢献した。2008-09シーズンは背番号10を与えられたが、負傷の影響、更にはリハビリや通院と称してオランダのテレビタレントの女性と不倫を重ねていたことが発覚[1]、離婚と慰謝料を求められ裁判沙汰になるなどして活躍できず結果を残すことは出来なかった[2]。
[編集] インテル時代
本人は残留を希望するも、レアル・マドリードが2009年夏の移籍市場にて大型補強を行ったことにより放出候補となり、2009年8月28日、半ば追い出されるような形でイタリアのインテルナツィオナーレ・ミラノへ移籍した。移籍金は1500万ユーロ(約20億円)、年俸400万ユーロの4年契約とされている。加入から2日でミラノダービーに先発出場し、加入したばかりとは思えないパフォーマンスを見せ、インテルの大勝に貢献。10月3日に行われたウディネーゼ戦で後半ロスタイムにチームを救うセリエA初得点を挙げた。その後も中心選手として活躍し、インテルの史上3度目となるセリエA5連覇、また、イタリア史上初の主要タイトル3冠達成に大きく貢献した。シーズン終了後、UEFA最優秀MFに選出された。
インテルでの3冠獲得と後述のワールドカップでの活躍から2010年のFIFAバロンドールの最有力候補と考えられていたが、2010年12月7日に発表された最終候補3人から外れ、物議を醸した[3][4]。結局、スナイデルはベストイレブンに選出されるにとどまった。
[編集] 代表での実績
2003年4月30日のポルトガル戦で代表デビューを果たす。同年10月11日のUEFA欧州選手権2004予選モルドバ戦で代表初得点を記録すると、同年11月19日には同予選プレーオフスコットランド第2戦で1得点3アシストの活躍で同国をUEFA欧州選手権2004本戦出場に導き、自身も本大会のメンバーに選出された。予選終盤での活躍とは裏腹に本大会ではシステムが4-4-2から4-3-3へ変更され中盤の枚数が減り、フィリップ・コクー、エドガー・ダーヴィッツ、クラレンス・セードルフといった百戦錬磨のベテランを揃えていたため、ベンチを暖める時間が多かった。同国は準々決勝で開催国ポルトガルに敗れ、ベスト4で大会を去った。
その後、新監督に就任したマルコ・ファン・バステンからも信頼を与えられ、2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のフィンランド戦、アンドラ戦でゴールを挙げる活躍を見せ、同国の2006 FIFAワールドカップ出場に貢献。自身も本大会メンバーに選出された。かつてのアヤックスでのチームメイトラファエル・ファン・デル・ファールトと攻撃的MFのポジションを争い、死のグループと呼ばれたグループCを突破したが、ベスト16で敗退を喫した。
UEFA欧州選手権2008では、グループリーグ第1戦のイタリア戦にて、ジョバンニ・ファン・ブロンクホルストが左サイドから上げたアーリークロスを、エリア右からディルク・カイトがヘディングでふわりとあげたボールを、完璧なタイミングで飛び出してきたイタリアのGKジャンルイジ・ブッフォンが僅かに開けてしまったシュートコースに叩き込んだ。このゴールと1アシストの活躍で勝利に貢献。同国はベスト8で敗退してしたものの、大会を通じて非常に高いパフォーマンスを見せ、欧州サッカー連盟の選ぶ23人のベストプレイヤーの中に選ばれた。
2010 FIFAワールドカップでは、グループリーグの日本戦で決勝点となるゴールを決め、ワールドカップ初ゴールを記録。決勝トーナメントでは準決勝まで3試合連続ゴールを決めた。前述の日本戦の他、グループリーグ第1戦のデンマーク戦、逆転の2ゴールを挙げた準々決勝ブラジル戦、勝ち越しゴールを挙げた準決勝ウルグアイ戦の4試合で大会選定のマンオブザマッチに選出される活躍を見せ、オランダの32年ぶりの決勝進出に貢献した。また、大会5ゴールでディエゴ・フォルラン、トーマス・ミュラー、ダビド・ビジャに並ぶ得点王(FWとして併用されない純粋なミッドフィールダーがW杯得点王に輝いたのは、スナイデルが初の快挙)となり、ブロンズブーツ賞とシルバーボール賞を受賞した[5]。
[編集] 人物・エピソード
- 闘志が空回りすることもあり、2004-05シーズンのUEFAチャンピオンズリーグのユヴェントスFC戦で体の小ささを煽ったパベル・ネドベドを危険なタックルで病院送りにしてしまった[要出典]。
- ラファエル・ファン・デル・ファールトとはアヤックスユース時代からの友人。
- 前妻とは2005年6月18日に結婚し、2006年9月4日には長男が誕生するも、前述したオランダのテレビタレントの女性との不倫が原因で2009年1月21日に離婚[2]。2010年7月17日に不倫関係にあった女性との結婚式を行った[6]。
- 前述の通り2010年のFIFAバロンドールの有力候補とされていながら最終候補3人にも残ることができなかったスナイデルだが、これはこの年からバロンドールとFIFA年間最優秀選手が統合され、選出方法が変わったことによるものだと報じられた。以前までのバロンドールの選出方法であるジャーナリストによる投票のみを見るとスナイデルはトップの得票を得ており、各国代表の投票によりリオネル・メッシらに逆転されている[7]。
- インテルで3冠を経験した時の監督であるジョゼ・モウリーニョを高く評価しており、2011年1月10日にチューリッヒで行われたFIFAの授賞式で顔を合わせた際にはスピーチで「モウリーニョと一緒に仕事ができて嬉しかった。彼には、僕が彼を世界最高の監督だと思っていると伝えたい」と語り、モウリーニョの涙を誘った[8]。
- あるサッカー雑誌のインタビューで、今まで対戦した中で、最も上手いと思った選手に、現在、清水エスパルスに所属する、小野伸二の名を挙げた[9]。
- 自宅に招いたチームメートの長友佑都とチャンピオンズリーグを一緒にテレビ観戦する様子をtwitterに投稿したことが話題となった[10]。また、2011年夏にインテル残留の希望を表明した際にも、「素晴らしいチームメイト」としてハビエル・サネッティとともに長友の名前を挙げるなど、仲が良い[11]。
[編集] 個人成績
| クラブ | シーズン | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 欧州カップ戦 | 合計 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | ゴール | 試合 | ゴール | 試合 | ゴール | 試合 | ゴール | ||||
| 2002–03 | エールディヴィジ | 18 | 17 | 4 | 3 | 1 | 3 | 0 | 23 | 5 | |
| 2003–04 | エールディヴィジ | 18 | 30 | 9 | 1 | 0 | 7 | 1 | 38 | 10 | |
| 2004–05 | エールディヴィジ | 18 | 30 | 7 | 4 | 2 | 7 | 0 | 41 | 9 | |
| 2005–06 | エールディヴィジ | 18 | 19 | 5 | 3 | 2 | 7 | 4 | 29 | 11 | |
| 2006–07 | エールディヴィジ | 10 | 30 | 18 | 4 | 1 | 9 | 1 | 43 | 20 | |
| 合計 | 126 | 43 | 15 | 6 | 33 | 6 | 174 | 55 | |||
| 2007–08 | リーガ・エスパニョーラ | 23 | 30 | 9 | 2 | 0 | 5 | 0 | 37 | 9 | |
| 2008–09 | リーガ・エスパニョーラ | 10 | 22 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 23 | 2 | |
| 合計 | 52 | 11 | 2 | 0 | 6 | 0 | 60 | 11 | |||
| 2009–10 | セリエA | 10 | 26 | 4 | 4 | 1 | 11 | 3 | 41 | 8 | |
| 2010–11 | セリエA | 10 | 25 | 4 | 2 | 0 | 9 | 3 | 36 | 7 | |
| 合計 | 51 | 8 | 6 | 1 | 20 | 6 | 77 | 15 | |||
| 合計 | 229 | 62 | 23 | 7 | 59 | 12 | 311 | 81 | |||
[編集] 獲得タイトル
[編集] クラブ
- アヤックス
- エールディヴィジ : 2003-04
- KNVBカップ : 2005, 2006
- ヨハン・クライフ・シャール : 2002, 2005, 2006
- レアル・マドリード
- リーガ・エスパニョーラ : 2007-08
- スペインスーパーカップ : 2008
- インテル
- コッパ・イタリア : 2009-10
- セリエA : 2009-10
- UEFAチャンピオンズリーグ : 2009-10
- イタリアスーパーカップ : 2010
- FIFAクラブワールドカップ : 2010
[編集] 個人
- アムステルダム年間最優秀若手選手賞 : 2003
- オランダ年間最優秀若手選手賞 : 2004
- アヤックス年間最優秀若手選手賞 : 2004
- アヤックス年間最優秀選手賞 : 2007
- UEFA欧州選手権2008大会選定優秀選手
- UEFA欧州選手権2008 大会ベストゴール(グループリーグ初戦、フランス戦)
- UEFA最優秀MF : 2010
- 2010 FIFAワールドカップ アディダス・シルバーボール賞
- 2010 FIFAワールドカップ アディダス・ブロンズブーツ賞
- FIFA年間ベストイレブン : 2010
[編集] 脚注
- ^ 当時、その女性にはオランダ人歌手の恋人がいたが、スナイデルとの密会が破局の原因となった。
- ^ a b スナイデルのインテル移籍の真相!?最愛の女性をマドリッドに残し…… http://news.livedoor.com/article/detail/4415680/
- ^ スナイデル、バロンドール争いでトップ3に入れずLivedoorスポーツ 2010年12月6日
- ^ モラッティ、スナイデル落選に「愚かな決定」Livedoorスポーツ 2010年12月7日
- ^ スポーツナビ (2010年7月12日). “大会MVPはウルグアイのフォルラン=W杯”. 2010年7月13日閲覧。
- ^ http://news.livedoor.com/article/detail/4999387/
- ^ バロンドール、従来の選出法なら受賞者はスナイデルLivedoorスポーツ 2011年1月11日
- ^ スナイデル:「モウリーニョはベストの監督」Livedoorスポーツ 2011年1月11日
- ^ / 「Wes Sneijder: analysis of world class player-Netherlands」
- ^ 「長友がスナイデルの自宅でクラシコを観戦、ビッグイヤーを手にする記念ショットも」
- ^ スナイデル、残留希望の理由は長友「ユウトがいるインテルに残りたい」SOCCER KING 2011年7月13日
[編集] 外部リンク
- スナイデル公式HP
- Wesley Sneijder FanSite
- ヴェスレイ・スナイデル (sneijder101010) - Twitter
|
|
|---|
|
1 J・セザル | 2 コルドバ | 4 サネッティ | 5 スタンコビッチ | 6 ルシオ | 7 パッツィーニ | 8 グアリン | 9 フォルラン | 10 スナイデル | 11 アルバレス | 12 カステラッツィ | 13 マイコン | 17 パロンボ | 18 ポーリ | 19 カンビアッソ | 20 オビ | 21 オルランドーニ | 22 ミリート | 23 ラノッキア | 25 サムエル | 26 キヴ | 28 サラテ | 30 カスタイニョス | 37 ファラオーニ | 45 フアン | 48 クリセティグ | 55 長友 | 70 トルナーギ 監督: ラニエリ |
|
|||||
|
||||||||||||||
|
|||||
|
||||||||||||||||