ルート・ファン・ニステルローイ
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| ルート・ファン・ニステルローイ | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | Rutgerus Johannes Martinus van Nistelrooij | |
| 愛称 | ルート | |
| カタカナ | ルトヘルス・ヨハネス・マルティニウス・ファン・ニステルローイ | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1976年7月1日(33歳) | |
| 出身地 | オス | |
| 身長 | 188cm | |
| 体重 | 79kg | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 17 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1993-97 1997-98 1998-01 2001-06 2006- |
69 (17) 31 (13) 67 (62) 150 (95) 67 (45) |
|
| 代表歴2 | ||
| 1998-08 | 64 (33) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年5月3日現在。 2. 2009年5月3日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ルトヘルス・ヨハネス・マルティニウス・ファン・ニステルローイ "ルート・ファン・ニステルローイ"(Rutgerus Johannes Martinius van Nistelrooij "Ruud" van Nistelrooy, 1976年7月1日 - )は、オランダ・北ブラバント州オス出身でリーガ・エスパニョーラのレアル・マドリードに所属するサッカー選手。
目次 |
[編集] 経歴
1993年にオランダのクラブチーム・FCデン・ボスでキャリアをスタート。フォワードとして頭角を現し、1998年にPSVへ当時のオランダリーグ最高額の移籍金で移籍。オランダ代表にも招集され、同年11月19日のドイツ戦で代表デビューを果たす。
PSVでの活躍が海外からも注目され、2000年にマンチェスター・ユナイテッドが獲得に名乗りを挙げたが、故障のため先送りとなり翌年入団。2001-2002シーズンから2年連続でチャンピオンズリーグ得点王、2002-2003シーズンにはプレミアリーグ得点王に輝くなど、オランダのみならず世界有数のストライカーに成長した。所属するマンチェスターユナイテッドでは2005-2006シーズンもゴールを量産したが、ウェイン・ルーニーを主軸にルイ・サハとファン・ニステルローイをチョイスする監督のアレックス・ファーガソンの起用法に反発。2006-2007シーズンを前に1500万ユーロで、スペインのレアル・マドリードに移籍した。
2006年11月12日のオサスナ戦で、前半にハットトリック後半にも1点を追加し計4得点を取るなど、移籍1年目から得点を量産。優勝を争った終盤戦でも、最終節の前の試合まで7試合連続ゴールを決める大活躍。チームの優勝に大きく貢献し、個人としても得点王に輝いた。しかし2007-08シーズン後半に負傷した際、メディカルスタッフやミヤトビッチSDの静止にも関わらずアメリカで独断で手術を行い残りのシーズンをふいにした(2008-09シーズンにも同じくアメリカで手術を行ったがこの時はクラブとの合意を得た上で行った)。本人はレアル・マドリードで現役生活を終えたいと代理人を通じ語っている。
また、オランダ代表としても2006ドイツワールドカップメンバーにも選ばれたが、監督のファン・バステンの起用法などに不満を持ち、大会終了後には「マルコ(ファン・バステン)がベンチにいる間は代表として戦わない」とその後の代表招集を拒み続ける。また、EURO2008の予選で若きエースのアヤックスのフンテラールが怪我で出場できない試合があったときにはファン・バステンから直接出てくれないかと電話があったが、ファン・ニステルローイは断った。フンテラールの代役という形が嫌だったらしい。その後、ファン・バステンと和解し、2007年8月22日のスイス代表との親善試合からオランダ代表に復帰している。
2008年8月5日、代表引退を発表した。しかし、「2010南アフリカワールドカップに出て欲しいと言うのなら、NOとは言えない」と代表復帰を匂わす発言をしている。
[編集] プレースタイル
長身と柔らかい足元、深い懐を生かした典型的なセンターフォワード。ポジショニング、得点感覚、トラップの技術は世界トップクラス。フィジカルコンタクトにも強く、それを生かしたボールスクリーンも上手い。両足が使え、ゴール前ではあらゆるパターンでゴールを決めることが出来る。特に浮き球を処理してシュートまで持っていく技術は目を瞠るものがる。シュートの威力とその精度は抜群で、エリア内だけでなくミドルシュートでの得点を挙げることもある。高さもあり、ヘディングも上手く、マンチェスター・ユナイテッド時代はデビッド・ベッカムとライアン・ギグスの強力2翼のホットラインで得点を量産した。レアル・マドリードに移籍してからはアシスト能力も向上し、さらなる成長を見せている。PKの名手でもあり、キッカーを任されており、たとえGKに読まれても手の届かないコースに蹴ることができる。
戦術上もあるが、サイドにあまり流れず中央に構えていることが多いため、消える時間帯の多さや運動量の少なさを指摘する人も多い。以前はスピードを活かしたプレーもしていたが、2000-01シーズンの怪我の影響により若干衰えており、最近はスピード不足が目立つようになった。SCヘーレンフェーン在籍時には、コーチ陣からデニス・ベルカンプを手本にするように指導されていたという。そのためかベルカンプの試合映像をビデオで何度も見、研究を重ねて自身のプレースタイルを研鑽し、守備の隙を突くシャドーストライカー的なスタイルを確立した。そのせいかオフサイドでイエローカードを多くもらっている。
ポジションと役割柄、ファウルをよく受けるタイプの選手であるが、倒れてファウルに甘んじることは殆どない。
[編集] エピソード
- セミプロ時代は両親の影響で地元の大学に通いながらプレーしていた。
- 同じオランダ代表のパトリック・クライファートとは生年月日と身長が全く同じであるが、犬猿の仲であることはよく知られている。2人のサッカー人生、生まれた環境等も対照的。2トップを組んだことがあるが全く噛み合わなかった。
- 本人ではなくパトリック・クライファートがオランダ代表で先発メンバーだったときに記者会見の場で「僕はパトリック・クライファートのように完成されたセンターフォワードではないがストライカーとしての自信はある」と言い、ポストワークによるアシストよりも点を取ることの方が得意だと語った。
- サッカーの他に、テニスと体操をやっていた時期がある。
- 07-08シーズンのチャンピオンズ・リーグのグループステージ最終節、対ラツィオ戦終了後、すぐにピッチサイドへと向かい、観客席の女性にユニフォームを手渡した。その女性はファン・ニステルローイと同郷の余命2か月と宣告されていた重病患者で、お互いに面識はなかったが、彼女の事情を耳にしたファン・ニステルローイの父親がそれを息子に伝え、ファン・ニステルローイがその試合に招待した。女性はそれを受け取ると、涙を流しながら感謝の気持ちをキスで表現し、泣き崩れる彼女をファン・ニステルローイは、温かい表情で見守った。
- 利き手は左
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1993-94 | FCデン・ボス | エールディヴィジ | 2 | 0 | |||||||
| 1994-95 | FCデン・ボス | エールディヴィジ | 15 | 3 | |||||||
| 1995-96 | FCデン・ボス | エールディヴィジ | 21 | 2 | |||||||
| 1996-97 | FCデン・ボス | エールディヴィジ | 31 | 12 | |||||||
| 1997-98 | ヘーレンフェーン | エールディヴィジ | 31 | 13 | |||||||
| 1998-99 | PSV | 8 | エールディヴィジ | 34 | 31 | ||||||
| 1999-00 | PSV | 8 | エールディヴィジ | 23 | 29 | ||||||
| 2000-01 | PSV | 8 | エールディヴィジ | 10 | 2 | ||||||
| イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
| 2001-02 | マンチェスター・U | 10 | プレミアリーグ | 32 | 23 | ||||||
| 2002-03 | マンチェスター・U | 10 | プレミアリーグ | 34 | 25 | ||||||
| 2003-04 | マンチェスター・U | 10 | プレミアリーグ | 32 | 20 | ||||||
| 2004-05 | マンチェスター・U | 10 | プレミアリーグ | 17 | 6 | ||||||
| 2005-06 | マンチェスター・U | 10 | プレミアリーグ | 35 | 21 | ||||||
| スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2006-07 | レアル・マドリード | 17 | リーガ | 37 | 25 | ||||||
| 2007-08 | レアル・マドリード | 17 | リーガ | 24 | 16 | ||||||
| 2008-09 | レアル・マドリード | 17 | リーガ | 6 | 4 | ||||||
| 通算 | オランダ | エールディヴィジ | 167 | 92 | |||||||
| イングランド | プレミアリーグ | 150 | 95 | ||||||||
| スペイン | リーガ | 67 | 45 | ||||||||
| 総通算 | |||||||||||
[編集] 経歴・タイトル
- クラブ
- エールディヴィジ優勝 1999-2000, 2000-2001
- FAプレミアリーグ優勝 2002-2003
- リーガ・エスパニョーラ優勝 2006-2007, 2007-2008
- 個人
- エールディヴィジ得点王 2回 1998-99、1999-2000
- FAプレミアリーグ得点王 1回 2002-2003
- リーガ・エスパニョーラ得点王1回 2006-2007
- チャンピオンズリーグ得点王 3回 2001-2002、2002-2003、2004-2005
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| レアル・マドリード - 現所属メンバー |
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1 カシージャス | 2 サルガド | 3 ペペ | 4 S・ラモス | 5 ガゴ | 6 ラス | 7 ラウール | 8 カカ | 9 C.ロナウド | 10 スナイデル | 11 ロッベン | 12 マルセロ | 14 グティ | 15 ドレンテ | 16 エインセ | 17 パレホ | 18 アルビオル | 19 フンテラール | 20 イグアイン | 21 メッツェルダー | 22 M・トーレス | 23 ファン・デル・ファールト | 24 ハビ・ガルシア | 25 ドゥデク | 28 アルベルト・ブエノ | - M・ディアッラ | - デ・ラ・レッド | - ファン・ニステルローイ | - ベンゼマ | - ガライ 監督: ペジェグリーニ |
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