ゴンサロ・イグアイン
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| 名前 | ||||
| 本名 | ゴンサロ・ヘラルド・イグアイン | |||
| 愛称 | エル・ピピータ "El Pipita" | |||
| ラテン文字 | Gonzalo Higuaín | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1987年12月10日(24歳) | |||
| 出身地 | ブレスト | |||
| 身長 | 184cm | |||
| 体重 | 81kg | |||
| 選手情報 | ||||
| 在籍チーム | ||||
| ポジション | FW / MF | |||
| 背番号 | 20 | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 2 | ||||
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| 2. 2011年10月7日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ゴンサロ・ヘラルド・イグアイン(Gonzalo Gerardo Higuaín, 1987年12月10日 - )はフランス生まれのアルゼンチン人サッカー選手。ポジションはFW、MF。父はボカ・ジュニアーズなどでプレーしたホルヘ・ニコラス・イグアイン。兄のフェデリコ・イグアインもサッカー選手(コロン・デ・サンタフェ所属)である。
2010 FIFAワールドカップの監督でもあったディエゴ・マラドーナからは「バティとクレスポの資質を備えている」と評され[1]、クレスポ自身も代表での後継者として指名した[2]。
目次 |
[編集] 経歴
フランス、ブレストでサッカー選手の父の下で生まれ、イグアインが生後10ヶ月の時に一家はアルゼンチンへと移った。アルゼンチンの名門CAリーベル・プレートのユースに加入したイグアインは、2005年5月29日のヒムナシア・ラ・プラタ戦でデビュー。若くして頭角を現し、2006年10月8日のボカ・ジュニアーズとのスーペルクラシコでは2得点を挙げ、注目を浴びる。2006-07シーズンの冬のオフ、1200万ユーロ(当時のレートで約20億円)でレアル・マドリードへと移籍。
2006-07、2007-08シーズンでは主に3トップの右ウイングとして起用された。2007-08シーズンではイグアインの先発により、ロビーニョがベンチを暖める機会が増えた。2007-08シーズンのアウェイでの優勝をかけた第35節オサスナ戦では、後半の途中から出場。終盤にフリーキックからアリエン・ロッベンのヘディングでの同点ゴールをアシストすると、試合終了間際には自ら優勝を決める決勝ゴールを決めた。更に第36節のFCバルセロナとのエル・クラシコでは後半の途中から出場し、ファーストタッチでゴールを決めた。この2試合を含む4試合連続途中出場でゴールを記録するなど、切り札としてレアル・マドリードのリーガ連覇に大きく貢献した。2008-09シーズン途中からチーム事情(シーズン序盤にロビーニョ放出、ファン・ニステルローイが長期離脱)により、CFを任されることが増え、ラウル・ゴンサレスとの2トップを形成した。このシーズン、マラガ戦では不調のチームの中でイグアインが一人気を吐き、4得点を挙げてチームを勝利へと導いた[3]。最終的にこのシーズン22得点を挙げチーム得点王となる活躍を見せた。
2009-10シーズンも、クリスティアーノ・ロナウド、カカ、カリム・ベンゼマといったそうそうたるアタッカーの加入により、開幕戦こそスターティングメンバーに名を連ねることが出来なかったが、徐々に信頼を得ると主将のラウル、ベンゼマからレギュラーを勝ち取り、前年を超えるハイペースでゴールを量産。シーズン初ゴールは開幕から7週間後となる10月中旬であった。しかし、最終的にリーグ戦で前シーズンを上回る27得点を挙げ、リーガの得点ランク2位となった。 ゴールをコンスタントに決めることから、マヌエル・ペジェグリーニ前監督からの信頼も厚かった。
- ベスト16に終わったチャンピオンズリーグ、リヨン戦の2ndレグでは、ゴールキーパーをかわした後に無人のゴールに決められなかったこと、ディフェンスが3人いたにも関わらずフリーだったクリスティアーノ・ロナウドにパスを出さなかったことなどから戦犯の一人と見なされ、チームの第2キャプテンであるグティから暗に批判された[4]。
2010年6月には2016年まで契約を延長[5]。ラウルが移籍してクリスティアーノ・ロナウドが背番号7を求めたことにより空き番となったエースナンバー9番を背負うという話が出た際には背番号20に対する愛着を語り、変更しないことを望んだ。ジョゼ・モウリーニョが監督に就任した2010-11シーズンは1トップを任されるもゴールが遠く、序盤戦は不調に喘いだ[6]。その後は徐々に復調の兆しを見せ、11月3日に行われたチャンピオンズリーググループステージのACミラン戦では、前半終了間際にアンヘル・ディ・マリアのパスからクラブの欧州大会通算700点目となる先制点を挙げた。このシーズンは18試合で10得点と高い得点率を誇っていたものの、その後椎間板ヘルニアによって離脱。12月1日に精密検査を受けた結果、手術が必要であると判断され[7]、翌年1月11日にシカゴにて手術を行った。手術の直前に行われたビジャレアル戦の試合前、チームメイトはイグアインへのメッセージが書かれたTシャツを着て励ました[8]。
4月3日のスポルティング・デ・ヒホン戦で後半から途中出場。メスタージャでのバレンシア戦では、復帰後初ゴールを含むハットトリックを達成した。バルセロナとのチャンピオンズリーグ第2戦でも後半開始直後にゴールネットを揺らしたが、直前のハビエル・マスチェラーノに対するクリスティアーノ・ロナウドのファウルが取られたことにより得点は取り消された[9]。
2011-12シーズンの開幕前プレーオフで好調だったベンゼマとは対照的にあまり調子の上がらなかったイグアインは、開幕戦をベンチスタートで迎えることとなった。その後もモウリーニョはベンゼマを信頼し、イグアインはほとんどの試合で先発メンバーに選ばれなかった。しかしその後、チャンピオンズリーグのアヤックス戦でベンゼマは左足長内転筋を負傷。第7節RCDエスパニョール戦で先発のチャンスを得るとハットトリックを記録し、復調を印象づけた[10]。さらに次のレアル・ベティス戦でも2試合連続でハットトリックを達成した。
[編集] 代表歴
2006年11月、ドメネク監督からフランス代表に招集されたが辞退。2007年初頭にアルゼンチン市民権を獲得したことを受けて、アルゼンチン代表入りを目指すことを表明。 2008年2月、バティスタ監督からU-23アルゼンチン代表メンバーとして初招集されると、グアテマラ戦で代表デビューを飾り2ゴールを挙げた。5月、カタルーニャ選抜との親善試合にも出場したが、両試合ともFIFAが承認する国際Aマッチではないため国際試合での出場数やゴール数は記録されていない。
2009年9月25日、マラドーナ監督から2010 FIFAワールドカップ・南米予選メンバーとしてピンチに陥っていたアルゼンチン代表に招集される。2009年10月10日のペルー戦で代表デビューを飾り、先制点となる代表初得点も挙げた。2010年3月3日の親善試合・ドイツ戦では決勝点を挙げた。イグアインは窮地に追い込まれていたアルゼンチン代表を救い、ワールドカップ出場へと導く。
2010 FIFAワールドカップでは、イグアインはマラドーナ監督からFWのファーストチョイスとされていた。ギリシャ戦を除く全ての試合に先発出場し、6月17日の韓国戦で大会唯一のハットトリックを記録した。アルゼンチン代表としてワールドカップでハットトリックを記録したのは元アルゼンチン代表として歴代最多ゴールを挙げたガブリエル・バティストゥータ以来、ギジェルモ・スタービレ、バティストゥータに次いで3人目の快挙。ちなみに2006 FIFAワールドカップではハットトリックは無かったため、2大会ぶりのハットトリックだった
2011年、ホスト国として臨んだコパ・アメリカにも招集された。グループリーグの2試合はベンチを温めたが、2試合とも引き分けという結果から、バティスタ監督は最終戦の対コスタリカで多くの先発メンバーを変更し、イグアインも先発に名を連ねた。決勝トーナメント準々決勝のウルグアイ戦でも先発出場し、前半17分に同点ゴールを決めた。しかしその後スコアは動かず、アルゼンチンはPK戦の末敗れた。
2011年10月7日の2014 FIFAワールドカップ・南米予選初戦のチリ戦で、ワールドカップ以来となる自身二度目のハットトリックを達成した[11]。
[編集] エピソード
- 愛称の『ピピータ』は、父親のホルヘ・ニコラス・イグアインの愛称が『ピパ』であったことから付けられた[12]。レアル・マドリード移籍の数ヶ月前にベルナベウツアーに参加した時、その父親から「ゴンサロ、フェデリコ、このスタジアムで君たちはプレーしないといけない」と冗談交じりに言われたという[13]。
- イグアインが不調のときに、チームメイトであったルート・ファン・ニステルローイから「ゴールはケチャップみたいなものだ」とアドバイスを受け、その後復調し得点を量産した[14]。ケチャップは、必死に振っても出てこないが、一気に出てくることもある所がゴールと似ているということ。ゴールとはそういうものだとイグアインを落ち着かせようという意図の発言だと考えられる。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
| クラブ | リーグ | シーズン | リーグ戦 | カップ戦 | 国際試合 | 期間通算 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
| CAリーベル・プレート | プリメーラ・ディビシオン | 2004-05 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 |
| 2005-06 | 12 | 5 | 5 | 3 | 0 | 0 | 17 | 8 | ||
| 2006-07 | 17 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 17 | 8 | ||
| 通算 | 35 | 13 | 5 | 3 | 0 | 0 | 40 | 16 | ||
| レアル・マドリード | プリメーラ・ディビシオン | 2006-07 | 19 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 23 | 2 |
| 2007-08 | 25 | 8 | 4 | 1 | 5 | 0 | 34 | 9 | ||
| 2008-09 | 34 | 22 | 2 | 1 | 7 | 0 | 43 | 23 | ||
| 2009-10 | 32 | 27 | 1 | 0 | 7 | 2 | 40 | 29 | ||
| 2010-11 | 17 | 10 | 2 | 1 | 6 | 2 | 25 | 13 | ||
| 2011-12 | 7 | 8 | 0 | 0 | 3 | 0 | 10 | 8 | ||
| 通算 | 127 | 69 | 11 | 3 | 27 | 4 | 165 | 76 | ||
| 総通算 | 162 | 82 | 16 | 6 | 27 | 4 | 205 | 92 | ||
[編集] 獲得タイトル
- リーガ・エスパニョーラ 2006-07, 2007-08
- コパ・デル・レイ 2010-11
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ 2008-09
[編集] 脚注
- ^ イグアインとバティ、クレスポを比較するマラドーナgoal.com、2010年6月26日
- ^ クレスポ:「後継者はイグアイン」goal.com、2011年10月19日
- ^ レアル・マドリード イグアインの4得点でマラガに勝利AFP BB News、2008年11月9日
- ^ “C・ロナウド、イグアインの“エゴ”に怒り心頭”. スポーツナビ (2010年3月13日). 2010年3月27日閲覧。
- ^ イグアイン、レアルと2016年まで契約延長footballweekly、2010年6月8日
- ^ “戦犯扱いされるイグアイン、「とてもつらい」”. goal.com (2010年9月26日). 2010年10月6日閲覧。
- ^ “レアル・マドリーのイグアイン、椎間板ヘルニアの手術か”. スポーツナビ (2010年12月2日). 2010年12月6日閲覧。
- ^ “選手たちがイグアインにメッセージ”. realmadrid.jp (2011年1月10日). 2011年3月17日閲覧。
- ^ レアル敗退 またも判定に泣く?中日スポーツ、2011年5月5日
- ^ リーガ第7節:エスパニョール戦(A)レビュー. real madrid.com、2011年10月3日
- ^ “ハットのイグアイン、白星発進に満足”. Goal.com (2011年10月8日). 2011年10月10日閲覧。
- ^ “FW 20 イグアイン”. realmadrid.jp (2010年3月6日). 2010年5月17日閲覧。
- ^ “イグアイン:サンティアゴ・ベルナベウで復帰することを夢見ている”. realmadrid.jp (2011年3月5日). 2011年3月17日閲覧。
- ^ “ゴールはケチャップ同様と伝授された絶好調FW”. livedoorスポーツ. 2010年5月17日閲覧。
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