マイケル・オーウェン
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| 名前 | |||||||
| 本名 | Michael James Owen[1] | ||||||
| 愛称 | ワンダーボーイ | ||||||
| カタカナ | マイケル・ジェームス・オーウェン | ||||||
| ラテン文字 | Michael OWEN | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1979年12月14日(32歳) | ||||||
| 出身地 | チェシャー州チェスター | ||||||
| 身長 | 173cm[2] | ||||||
| 体重 | 70kg[2] | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | FW | ||||||
| 背番号 | 7 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| ユースクラブ1 | |||||||
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| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年9月24日現在。 2. 2009年7月3日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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マイケル・ジェームス・オーウェン(Michael James Owen, 1979年12月14日 - )は、イングランド出身のサッカー選手。ポジションはフォワード、マンチェスター・ユナイテッドFCに所属している[3]。
サッカー選手であったテリー・オーウェンの息子であり[4]、リヴァプールFCの下部組織からトップチームに昇格し、1997年5月にデビューを飾った[5]。初めてフルシーズンを戦った1997-98シーズンは18ゴールでプレミアリーグの得点王となり、翌シーズンも得点王となった。ハムストリングの怪我でチームを離れることが多かったが、1997-98シーズンから2003-04シーズンまでリヴァプールのシーズン最多得点者であった[6]。2001年にはUEFAカップ、FAカップ、リーグカップのカップトレブルを達成し、バロンドールを受賞した。リヴァプールではリーグ戦で216試合に出場し、118ゴールを挙げた。
2004年の夏に800万ポンドの移籍金でレアル・マドリーに移籍[7]、交代での出場が多かったが13ゴールを挙げ、出場時間に対する得点率ではリーガ・エスパニョーラ全体で最高であった。翌シーズンには1,600万ポンドでニューカッスル・ユナイテッドに移籍し、プレミアリーグに復帰した[8]。4年契約の最後のシーズンにニューカッスルは降格が決定し、自由契約でマンチェスター・ユナイテッドに加入することになった[3]。
代表では、1998年に当時イングランド史上最年少でイングランド代表代表デビューを飾り、最年少ゴールも記録した[9]。1998 FIFAワールドカップでの活躍は国内外で知名度を高め、EURO2000、2002 FIFAワールドカップ、EURO2004でもゴールを挙げ、4つのメジャー大会でゴールを記録している唯一の選手となっている[10]。2006 FIFAワールドカップにも出場したが、膝に大怪我を負ってしまった[11]。キャプテンを務めたこともあるイングランド代表では史上7位のキャップ数を誇り、89試合で40ゴールを記録している[12]。
2006年のワールドカップで負った負傷に対して、FIFAとThe FAとニューカッスル・ユナイテッドの間で論争が起き[13]、最終的にニューカッスルに対してそれまで前例のなかった補償金1,000万ポンドが支払われ[14]、クラブの契約下にある選手が出場する義務のある国際試合で負傷した際の補償について変更がもたらされた[15]。
目次 |
[編集] 生い立ち
オーウェンはチェシャー州チェスターで1979年12月14日にジャネットとテリー・オーウェンの4番目の子どもとして生を受けた[4]。父は元サッカー選手であり、チェスター・シティやエヴァトンなどのクラブでプレイしていた。父から家族の中で最も有望だとみなされたオーウェンは7歳の時にサッカーを始めた[4]。エヴァトンのファンであったオーウェンは[16]、ウェールズのハワーデンにあるレクター・ドリュー・プライマリー・スクールに通い、10歳の頃には既に多くのスカウトの注目を集めていた[17]。
オーウェンは後にディーサイド・プライマリー・スクールに通い、そこのサッカーチームでは2年間で通算97ゴールを挙げ、イアン・ラッシュが保持していた72ゴールの記録を更新し[18]、モールド・アレクアンドラのユースチームでは地元の体育教師であったハワード・ロバーツが年齢が下の選手が上のカテゴリーでプレイできるようリーグを説得して以降、8歳でU-10のチームでプレイしていた[4]。モールド・アレクサンドラでのデビュー戦ではゴールを挙げ、地元のライバルであるベイギルトとの試合の勝利に貢献した[18]。ディーサイドを離れてからはハワーデン・ハイ・スクールに通い、そこのスクールチームでもプレイをした[17]。
[編集] クラブ経歴
[編集] リヴァプール
13歳になりハイ・スクールに通い始めたオーウェンはスクールボーイ契約を結べる資格を有していた。チェルシーFC、マンチェスター・ユナイテッドFC、アーセナルFCからも誘いを受けたが、オーウェンはリヴァプールFCを選び、14歳の時にクラブはシュロップシャー州リレシャルにあるFAのスクールに通うようにオーウェンを説得した。この時までオーウェンはハワーデン・ハイ・スクールで学習を続けており、10科目のGCSEを取得した[19]。
卒業後16歳でクラブと練習生契約を結び、4-1で勝利した1996年のFAユースカップ決勝ではフランク・ランパード、リオ・ファーディナンド擁するウェストハム・ユナイテッドFCと対戦し、ゴールを奪った[20]。その4ヶ月後の17歳の誕生日にクラブとプロ契約を結んだ。
1997年5月6日に行われたウィンブルドンFC戦でトップチームデビューを飾り、オーウェンはデビュー戦で初ゴールを記録したが、チームは1-2で敗れた[5]。
ロビー・ファウラーが怪我によりチームを離脱していたため、1997-98シーズンはポール・インス、スティーヴ・マクマナマンらとともにレギュラーとしてプレイした。UEFAカップのセルティックFC戦でUEFAの大会での初ゴールを記録し、リーグカップのグリムズビー・タウンFC戦でハットトリックを達成した。アンフィールドで行われ2-3で敗れたサウサンプトンFCでは2ゴールを挙げ、翌週にヒルズボロ・スタジアムで行われたシェフィールド・ウェンズデイFC戦ではリーグ戦で初となるハットトリックを達成した[21]。
最終的にプレミアリーグでは、ブラックバーン・ローヴァーズFCのクリス・サットン、コヴェントリー・シティFCのディオン・ダブリンと並び18ゴールで得点王となり、PFA年間最優秀若手選手賞を受賞した。
1998-99シーズンもオーウェン個人は40試合に出場し23ゴールを挙げたが、チームはUEFAカップの出場権すら得られない7位でシーズンを終えた。1999年4月12日に行われたリーズ・ユナイテッド戦でハムストリングを負傷し、慢性的な怪我であることが判明すると同時にシーズンは終わりを告げた。
1999-2000シーズンは昨シーズンに負った負傷と怪我に悩まされるシーズンであったが、12ゴールを挙げ、クラブのUEFAカップの出場権獲得に貢献した。
EURO2000開幕前までオーウェンはハムストリングの問題に悩まされ、バイエルン・ミュンヘンのハンス=ヴィルヘルム・ミュラー=ヴォールファールト医師の診察を受けた[22]。
2000-01シーズンは近年で最も成功を収めたシーズンである。リーグカップとFAカップとUEFAカップのタイトルを獲得し、FAカップ決勝のアーセナルFC戦では残り10分でオーウェンが2ゴールを決め逆転に成功した。この試合は「マイケル・オーウェンの決勝戦」と呼ばれている[20]。
FAカップとUEFAカップを制したことにより、チャリティー・シールドとUEFAスーパーカップの出場権を得たリヴァプールは両試合ともに勝利した。マンチェスター・ユナイテッドとのチャリティー・シールドでは決勝ゴールを決め、2-1の勝利に貢献し、バイエルンとのスーパーカップではチームの3ゴール目を決めた。リバプールは1年間で5つのトロフィーを獲得したイングランドで初めてのチームとなり、翌週に行われたバイエルンのゴールキーパーであるオリバー・カーンを擁するドイツ代表戦ではハットトリックを達成した[23]。その年の終わりにはリヴァプールの選手として初めてバロンドールを受賞し、『ワールドサッカー』誌が選出する最優秀選手にイングランド人として、また、プレミアリーグに所属する選手として初めて選出された[24]。2001年12月21日に行われたウェストハム・ユナイテッドFCでリヴァプールでの通算100ゴールを達成した。2001-02シーズンは2位でリーグ戦を終え、オーウェンはトータル28ゴールを挙げた。
2002-03シーズンも好調を維持し、28ゴールを決めた。リーグタイトルへの期待も高まったが、最終的に5位でシーズンを終えた。リーグカップ決勝ではオーウェンもゴールを決め、マンチェスター・ユナイテッドに2-0で勝利し、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC戦でプレミアリーグ通算100ゴールを達成した[20]。
2003-04シーズンは怪我に苦しんだが19ゴールを挙げ、2004年2月15日のポーツマスFC戦でキャリア通算150ゴールを達成した。
ジェラール・ウリエが監督を解任され、オーウェンもクラブを離れるのではないかという噂が流れた。2004-05シーズンのチャンピオンズリーグ予備予選でカップタイドを避けるためにプレイせず、2004年8月13日に800万ポンドの移籍金でレアル・マドリードへ移籍することになり、この移籍に伴いアントニオ・ヌニェスがリヴァプールに加入することになった[7]。1998年からオーウェンは毎シーズン、クラブのトップスコアラーであった[6]。
[編集] レアル・マドリー
レアル・マドリードでは11番を与えられた。マドリーではシーズンの初めはファンやスペインの記者からコンディションの悪さを指摘されたが、2004年10月に代表戦から戻るとチャンピオンズリーグのディナモ・キエフ戦で初ゴールを記録し、1-0の勝利に貢献した[25]。その数日後に行われたバレンシアCF戦でリーグ戦初ゴールを記録し、その後4試合で3ゴールを挙げ、7試合で5ゴールを挙げる活躍を見せた[26]。最終的にリーガ・エスパニョーラでは最高の得点率を記録した。2005年の夏にクラブはロビーニョとジュリオ・バチスタと契約し、オーウェンはプレミアリーグに復帰することになった。
[編集] ニューカッスル・ユナイテッド
2005年8月24日、選手の代理人とは交渉中であったが、ニューカッスル・ユナイテッドFCはクラブ記録となる移籍金1,680万ポンドでオーウェンの獲得にクラブ間で合意したと発表した[27]。リヴァプールとエヴァートンFCも獲得に興味を示していたが、マドリーの提示した金額を支払う意思はなかった。イングランド代表でのポジションを掴むために多くの出場機会を得る必要があり、年棒1,200万ポンドと噂される中、ニューカッスルへの加入が決定した[28]。当初、オーウェン自身はリヴァプールに戻りたがっているという報道がなされたが、8月31日にニューカッスルと4年間の契約を結んだ[8]。セント・ジェームズ・パークで行われた入団発表にはおよそ20,000人のファンが集まったが[29][30]、プレシーズンに大腿を負傷したため、2005-06シーズンの開幕には間に合わなかった。リーグ戦での初ゴールはニューカッスルで2試合目の出場となった9月18日に行われ、3-0で勝利したブラックバーン・ローヴァーズFC戦で決めたゴールであり、チームの2ゴール目をマークし、チームもシーズン初勝利を挙げた。12月17日に行われたウェストハム・ユナイテッドFC戦ではハットトリックを達成し、4-2の勝利に貢献した[31]。3ゴールはそれぞれ左足、右足、ヘディングで決めた。
12月31日に行われたトッテナム・ホットスパーFC戦で中足骨を骨折してしまい、早期に復帰するために金属製のピンを埋め込む手術を受けた。3月末頃の復帰が期待されたが[32]、期待した通りの成果は得られず、2006年3月24日に簡単な手術を受け、シーズン最後の数週間に向けて決意を述べた[33]。4月29日に行われたバーミンガム・シティFC戦で62分から交代で出場し、チームに復帰したが、試合後には足の状態について100%とは言えないと話した[34]。X線検査を受け、ニューカッスルのシーズン最後の試合には出場できなかった。
ワールドカップで負った右膝の前十字靭帯断裂は回復まで1年近くを要し、2007年4月まで試合に出場できなかった。ワールドカップで負ったオーウェンの深刻な怪我を契機にFIFAとFAを中心に選手が出場する義務を負う試合で負傷した場合の補償について議論が起こり[13][15]、ニューカッスルはオーウェンがワールドカップで負った怪我によりプレミアリーグやその他のカップ戦の試合に長期に渡り出場できなことに憤慨していた。怪我をして以降、FIFAとFAは従来の保険契約に基づきオーウェンの週給110,000ポンドの内50,000ポンドを支払っていた[14]。2006年9月までニューカッスルはFAに対して2,000万ポンドのさらなる補償を求めて訴えると話していた[13]。オーウェンの今回のケースを契機に2004年にモロッコ代表の選手が負った怪我についても取り上げられた[15]。ニューカッスルの求める補償金額の内訳は、オーウェンの代役として獲得したオバフェミ・マルティンスの移籍金620万ポンド、オーウェンの給料、長期の離脱がオーウェンに与える影響、リーグ戦とカップ戦の戦績への影響、オーウェンの4年契約の減価償却、医療費を試算してのものであった[13][14][35]。2007年2月、FIFAは100万ポンドの最後の補償額を提示した[35]。2007年4月までニューカスルはFAに対し今後オーウェンの招集には応じない可能性を示唆した[36]。最終的にFIFAとFAとクラブは和解し、FIFAは600万から700万ポンドを支払い、ニューカッスルはオーウェンの給料は満額支払われていると述べたため、総額で1,000万ポンドに達すると見られている[14]。オーウェンの補償を巡って、FAはイングランド代表選手にかかる保険金の額を100,000ポンドに倍増し、FIFAはワールドカップで負傷した際の補償金を支払うための基金を導入した[15]。
2007年2月12日、オーウェンは軽い練習を行い、クラブの公式サイトにランニング風景の写真などを掲載した。4月10日に行われたグレトナとの親善試合で実戦復帰し、その試合ではゴールを決めた[37]。4月30日に行われたレディングFC戦に90間出場したが、チームは0-1で敗れた[38]。
2007年5月9日、クラブのチェアマンであるフレディ・シェパードは2006-07シーズン終了後に1,000万ポンド以下の金額でオーウェンが別のクラブに移籍できるという報道に対して怒りをもって反応した[39]。リヴァプールファンの一部は復帰を求め[40]、新たに監督に就任したサム・アラダイスもオーウェンの契約に契約解除の条項が盛り込まれていることを明かしたが[41]、オーウェンは移籍する意思がないと話した[42]。
移籍のルールでは契約最終年である2008-09シーズンの1月には他のクラブと仮契約を結ぶことが可能となっていた。2008年12月22日にクラブから提示された新契約は拒否したが、1月の移籍市場で移籍しないことを条件にシーズン終了後まで契約の延長について協議しないと述べた[43][44]。2009年5月15日に『デイリー・エクスプレス』がオーウェンに関心を示しているプレミアリーグのクラブは存在せず、オーウェンのキャリアは事実上終了し、引退を示唆しているという記事を掲載したが、公的な謝罪を求めロンドンの高等裁判所に訴え、損害賠償を勝ち取った[45][46]。シーズンの最後の8試合はアラン・シアラーが監督を務めたが、シーズン最終日の2009年5月24日にクラブの15シーズンぶりの降格が決定した。6月14日にはオーウェンのマネジメント会社であるワッサーマン・メディア・グループがいくつかのクラブに34ページに渡るオーウェンのパンフレットを送付していたことが明らかになった[47][48]。6月22日、オーウェンはプレミアリーグのクラブか国外のトップリーグでのプレイを望み、ニューカッスルとの契約を更新しないことを明らかにし[44]、契約が満了しフリートランスファーの身となる6月30日までいかなるクラブとも交渉しないと報道された[44]。
[編集] マンチェスター・ユナイテッド
2009年7月3日、マンチェスター・ユナイテッドと2年間の契約を結んだことが発表された[3][49]。アレックス・ファーガソンからのアプローチは突然の思いがけないものであった[3]。背番号はレアル・マドリードに移籍したクリスティアーノ・ロナウドが背負っていた7番に決まった。この番号はエリック・カントナ、ブライアン・ロブソン、デイヴィッド・ベッカム、ジョージ・ベストというユナイテッドの名選手たちが付けていた番号である[50]。
ユナイテッドでのリーグ戦デビューは2009年8月16日に行われ、1-0で勝利したバーミンガム・シティ戦であり、交代で出場した[51]。公式戦での初ゴールは、8月22日に行われ、5-0で勝利したウィガン・アスレティックFC戦で記録したゴールである[52]。9月20日に行われたマンチェスター・ダービーではアディショナル・タイムに決勝点となるゴールを挙げ、4-3の勝利に貢献した[53]。試合後には、「すぐにゴールシーンを思い返すことは出来ないが、僕のキャリアにとって重要なものになる。」と、話した[54]。10月27日に行われたリーグカップ4回戦のバーンズリー戦でゴールを決め2-0の勝利に貢献した。マンチェスター・ユナイテッドにおけるチャンピオンズリーグでの初ゴールは11月3日に行われたCSKAモスクワ戦で決めたゴールであり、試合は3-3の引き分けに終わった[55]。2010年のワールドカップメンバー入りを目指すオーウェンは12月8日に行われたVfLヴォルフスブルク戦で2005年以来となるハットトリックを決めるなどアピールをしたが[56]、2010年2月28日に行われたリーグカップ決勝のアストン・ヴィラFC戦で先制となるゴールを挙げるも前半42分に負傷により交代となった。当初はすぐに復帰できる怪我だと考えられていたが、3月5日に残りのシーズンを欠場することが発表された[57]
怪我から復帰したオーウェンは2010年8月4日にアビバ・スタジアムで行われたリーグ・オブ・アイルランド選抜とのプレシーズンマッチに出場し、ゴールを決めた[58]。公式戦では9月22日に行われたリーグカップ3回戦のスカンソープ・ユナイテッドFC戦で2ゴールを挙げ、シーズン初ゴールを記録した[59]。4日後に行われたボルトン・ワンダラーズFC戦ではファーストタッチでゴールを決めリーグ戦での初ゴールを記録した[60]。2011年2月25日には監督であるアレックス・ファーガソンが残りのシーズンにおいてオーウェンは重要な戦力になると話したが、鼠蹊部を負傷し、その後に行われた4試合を欠場することになった。
バルセロナとのチャンピンオンズリーグ決勝はメンバー入りはしたが出場機会は与えられなかった。2011年6月に1年間の契約延長を結んだことが発表された[61]。
[編集] 代表経歴
U-20代表では1997 FIFAワールドユース選手権に出場し、4試合で3ゴールを挙げた。1998年2月11日に行われたチリ代表との親善試合でA代表デビューを飾る前にU-21代表としてキャロウ・ロードで行われたギリシャ代表戦に出場し、ゴールを記録している。チリ代表戦でプレイしたオーウェンは18歳と59日であり、20世紀にデビューした選手の中では最年少の記録となっている[62]。
オーウェンは若さ溢れる熱意と抜群の瞬発力、スピードにより国民的な人気を集め[63]、ファンの多くは1998年に開催されるワールドカップでレギュラーとしてプレイすることを熱望した。初ゴールは大会前に行われたモロッコ代表との親善試合で生まれ、このゴールにより彼への評価はさらに高まった[64]。このゴールは2003年にウェイン・ルーニーに更新されるまで、イングランド代表史上最年少ゴールであった[9]。
グレン・ホドルより1998 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれたが、最初の2試合はスターティングメンバーを外れた。しかし、交代で出場した第2戦のルーマニア代表戦は1-2で敗れたがゴールを決め、ポストに当てるシュートも放った[65]。この試合以降、ホドルはスターティングメンバーでオーウェンを起用し、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン代表戦ではロベルト・アジャラとホセ・チャモを抜き去り、個人技からゴールを奪った。
試合は引き分けに終わりPK戦の末に敗れたが、オーウェンはイングランド代表で確固たる地位を確立し、国民からの人気は大幅に高まった。その年の終わりには一般投票により、BBCスポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤーを受賞した[66]。
その後はEURO2000、2002 FIFAワールドカップ、EURO2004に出場し、3大会すべてでゴールを記録しており、4つの主要な国際大会でゴールを決めた唯一の選手となっている[10]。
2002年4月、デイヴィッド・ベッカムが欠場したため、パラグアイ代表との親善試合でキャプテンを務めた。1963年のボビー・ムーア以来となる若さであり[67]、その後もベッカムが出場していない場合はキャプテンを務めた。2006年5月25日には2006 FIFAワールドカップ前のコンディション調整を目的としたベラルーシ代表とのB代表の試合に出場し、61分に交代するまでキャプテンを務めた[68]。
2006 FIFAワールドカップではパラグアイ代表戦、トリニダード・トバゴ代表戦に出場したがゴールは決められなかった。80キャップ目となる3戦目のスウェーデン代表戦では試合開始51秒で左膝を捻り、担架で運び出された[69]。その後の検査で左膝の前十字靭帯を断裂していることが明らかとなり、決勝トーナメントに出場することは出来なかった[11]。
2006年9月6日にはリチャード・ステッドマン医師の手術を受けたが[70]、2007年4月まで欠場を余儀なくされ、EURO2008の予選の最初の6試合に出場できなかった。B代表の試合であるアルバニア代表戦で代表に復帰し[71]、ブラジル代表戦とエストニア代表戦に向けたA代表のメンバーに招集された[72]。オーウェンは2試合ともに出場し、エストニア代表戦ではゴールを決め、ガリー・リネカーが保持していた親善試合を除いた国際試合の得点記録を更新した[73]。オーウェンの代表戦での最後の得点は3-0で勝利したロシア代表戦で挙げたゴールとなっている[74]。
ロシア代表戦では2ゴールを挙げ、新旧ウェンブリ―・スタジアムでゴールを決めた初めての選手となった。これまで89試合に出場し40ゴールを記録しているが、このゴール数はボビー・チャールトン(49ゴール)、ガリー・リネカー(48ゴール)、ジミー・グリーブス(44ゴール)に続いて歴代4位の記録である。ワールドカップ、ユーロとその予選の試合では26ゴールを記録しており、7試合でキャプテンを務めた[75]。
2007年12月現在まで4試合以上ゴールを記録しなかったことはなく、レギュラーとして起用され続けてきたが、ウェイン・ルーニーやセオ・ウォルコットを始めとした選手の台頭によりポジションは不確かなものとなり、ファビオ・カペッロが指揮を執った初めの2試合は4-5-1のフォーメーションを採用したため、代表でプレイする機会は減少すると見られた[76]。
2008年は低迷したクラブで活躍をしていたが、ワールドカップ予選のアンドラ代表、クロアチア代表、カザフスタン代表、ベラルーシ代表との試合に招集されなかった[77]。多くのファンや識者はオーウェンの招集を望んでいたが、カペッロは招集しなかった[78]。
2008年11月に行われたドイツ代表との親善試合では、ウェイン・ルーニーとエミール・ヘスキーが起用できないにも関わらず、オーウェンは招集されなかった。しかし、カペッロは今後オーウェンを招集する可能性を否定しなかった[79]。
カペッロはレギュラーとしてプレイしている選手を招集する方針を示したため、オーウェンが招集される可能性は低くなってしまった。ユナイテッドでは交代での出場がほとんどであり、2010年2月28日に行われたリーグカップの決勝でハムストリングを負傷し、結果として2010 FIFAワールドカップのメンバーには選ばれなかった[57]。
[編集] 代表で記録したゴール
[編集] パーソナルライフ
オーウェンは1984年にプライマリー・スクールでイングランド出身のルイーズ・ボンソールと出会った[80]。北ウェールズのフリントシャーに土地を購入し、オーウェンは自動車、彼女は競走馬をそこに預けている。二人は2004年2月14日に式を挙げ、2005年6月24日に入籍をした[81]。
二人には4人の子どもがおり、2003年5月1日にジェマ・ローズが生まれ[82]、2006年2月6日にジェームス・マイケルが生まれ、2007年10月29日にはエミリー・メイが生まれ、2010年2月26日にジェシカが生まれた[83]。
ニューカッスルでプレイするためにイギリスに戻ってからは、毎日近くのBAEシステムズからヘリコプターで練習に通っていた。後に家にヘリポートとAS 365を所有し、パイロットになるための訓練を受けていたが[84]、高額な保険料を支払わなければならないため、クラブから訓練を受けることを禁止された[85]。
オーウェンは家族のためにかつて住んでいた場所の近くの通り全体を購入し[86]、2008年にはウォルト・ディズニーが所有していた土地をエステポナの有名な不動産屋であるポール・グリムショウから購入したと『デイリー・エクスプレス』紙が報じた[87]。
2004年にはオーウェンの姉カレンが若者二人に誘拐されそうになったが、彼女が妊娠していることを告げると犯人は逃亡した[88]。
オーウェンは数台の自動車とヘリコプターを持ち、競馬とギャンブルを趣味にしている。多くの競走馬も所有しており、トム・ダスコムが調教をしている[89]。義理の兄リッチー・パートリッジもサッカー選手である[90]。
オーウェンは多くの広告に出演し、2001年にオーウェンは朝食用のシリアル「ネスレ・スポーティーズ」の広告塔を務め、粉洗剤「パーシル」とは100万ポンド相当の契約を結んだ[91]。「ワールドサッカー ウイニングイレブン 2008」ではイメージキャラクターを務め[92]、1998年からティソのアンバサダーを務め、ジャガーとも契約している[93][94]。
引退後は地元のチームであり、かつて父がプレイしていたチェスター・シティに何らかの形で関わっていきたいと話している[95]。
[編集] 個人成績
| 所属クラブ | シーズン | リーグ戦 | カップ戦 | リーグカップ戦 | UEFA主催 | その他[96] | 通算 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | ゴール | 出場 | ゴール | 出場 | ゴール | 出場 | ゴール | 出場 | ゴール | 出場 | ゴール | ||
| リヴァプール | 1996–97 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 |
| 1997–98 | 36 | 18 | 0 | 0 | 4 | 4 | 4 | 1 | 0 | 0 | 44 | 23 | |
| 1998-99 | 30 | 18 | 2 | 2 | 2 | 1 | 6 | 2 | 0 | 0 | 40 | 23 | |
| 1999-2000 | 27 | 11 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 30 | 12 | |
| 2000-01 | 28 | 16 | 5 | 3 | 2 | 1 | 11 | 4 | 0 | 0 | 46 | 24 | |
| 2001-02 | 29 | 19 | 2 | 2 | 0 | 0 | 10 | 5 | 2 | 2 | 43 | 28 | |
| 2002-03 | 35 | 19 | 2 | 0 | 4 | 2 | 12 | 7 | 1 | 0 | 54 | 28 | |
| 2003-04 | 29 | 16 | 3 | 1 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | 38 | 19 | |
| 通算 | 216 | 118 | 15 | 8 | 14 | 9 | 49 | 21 | 3 | 2 | 297 | 158 | |
| レアル・マドリー | 2004–05 | 36 | 13 | 4 | 2 | – | 5 | 1 | 0 | 0 | 45 | 16 | |
| 通算 | 36 | 13 | 4 | 2 | – | 5 | 1 | 0 | 0 | 45 | 16 | ||
| ニューカッスル・ユナイテッド | 2005-06 | 11 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 7 |
| 2006-07 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |
| 2007-08 | 29 | 11 | 3 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 33 | 13 | |
| 2008-09 | 28 | 8 | 2 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 32 | 10 | |
| 通算 | 71 | 26 | 5 | 1 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 79 | 30 | |
| マンチェスター・ユナイテッド | 2009-10 | 19 | 3 | 1 | 0 | 4 | 2 | 6 | 4 | 1 | 0 | 31 | 9 |
| 2010-11 | 11 | 2 | 2 | 1 | 1 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 16 | 5 | |
| 2011-12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | |
| 通算 | 31 | 5 | 3 | 1 | 6 | 6 | 8 | 4 | 2 | 0 | 49 | 16 | |
| キャリア通算 | 354 | 162 | 27 | 12 | 23 | 18 | 62 | 26 | 5 | 2 | 470 | 220 | |
[編集] 獲得タイトル
[編集] クラブ
[編集] リヴァプール
- FAカップ:2000-01
- フットボールリーグカップ:2000-01、2002-03
- FAコミュニティ・シールド:2001年
- UEFAカップ:2000-01
- UEFAスーパーカップ:2001年
[編集] マンチェスター・ユナイテッド
- プレミアリーグ:2010-11
- フットボールリーグカップ:2009-10
- FAコミュニティ・シールド:2010年
[編集] 個人
- PFA年間最優秀若手選手賞:1997-98
- プレミアリーグ月間最優秀選手:1998年8月
- プレミアリーグ得点王:1997-98、1998-99
- PFA年間ベストイレブン:1997-98
- BBCスポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー:1998年
- バロンドール:2001年
- プレミアリーグ10周年記念ベストイレブン(国内選手による):2002年
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人(44位):1999年
- 世界最優秀選手賞:2001年
- FIFA 100:2004年
[編集] 脚注
- ^ Premier League clubs submit squad lists (PDF) (英語)
- ^ a b Michael Owen
- ^ a b c d Owen completes switch to Man Utd
- ^ a b c d JockBio – Michael Owen
- ^ a b A timeline for Liverpool Football Club
- ^ a b Owen move speculation increases
- ^ a b Owen unveiled by Real
- ^ a b Newcastle prepare to unveil Owen
- ^ a b Morocco 0-1 England
- ^ a b England's World Cup Final Tournament Player Record Performances
- ^ a b Owen ruled out for several months
- ^ England–Record International Players
- ^ a b c d Newcastle threaten to sue over striker's World Cup injury
- ^ a b c d Newcastle claim victory over £10m Owen pay-out
- ^ a b c d Fifa are adding insult to injury
- ^ Moyes to offer boyhood Toffees fan Owen an Everton escape route
- ^ a b Michael Owen’s wife recalls paralysis fear
- ^ a b Michael Owen facts
- ^ Michael Owen
- ^ a b c MICHAEL OWEN
- ^ SEASON 1997-98
- ^ Owen shrugs off fitness fears
- ^ Awesome England thrash Germany
- ^ Owen's crowning glory
- ^ Soccer: A first for Owen as Real beats back Dynamo Kiev
- ^ Michael owen and real madrid
- ^ Newcastle 2006 Annual Report
- ^ Michael Owen signs
- ^ 'HE IS THE MAN'
- ^ Owen completes move to Newcastle
- ^ West Ham 2-4 Newcastle
- ^ Owen denies problem at Newcastle
- ^ Owen: I'll be 100% fit for World Cup
- ^ Grip confident about Owen fitness
- ^ a b Fifa stands firm on Owen pay-out
- ^ Toon 'warranted' says Macdonald
- ^ Owen scores on return from injury
- ^ Reading 1-0 Newcastle
- ^ Shepherd tells Owen to stay loyal
- ^ Review of the week
- ^ Allardyce reveals Owen exit fears
- ^ Owen rejects Newcastle exit talk
- ^ Owen delays decision
- ^ a b c Hull 'serious' about bid for Owen
- ^ Michael Owen wins damages from Daily Express over 'incredulous allegations'
- ^ MICHAEL OWEN - AN APOLOGY
- ^ Agents offer Michael Owen to clubs with help of 34-page brochure
- ^ http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-1194252/MARTIN-SAMUEL-The-32-pages-detailing-Michael-Owen-spent-force.html
- ^ Crossing the divide: Brave stars who pulled on the red of Liverpool and Manchester United
- ^ Owen: Injuries aren't an issue
- ^ Man Utd 1-0 Birmingham
- ^ Wigan 0-5 Man Utd
- ^ Man Utd 4-3 Man City
- ^ Michael Owen: I struggle to recall the goal against Manchester City
- ^ Man Utd 3-3 CSKA Moscow
- ^ Wolfsburg 1-3 Man Utd
- ^ a b Michael Owen ruled out for rest of season
- ^ Airtricity League XI 1 United 7
- ^ Scunthorpe 2-5 Man Utd
- ^ Bolton 2-2 Man Utd
- ^ Michael Owen signs new Manchester United deal
- ^ Michael James Owen – Biography
- ^ Michael Owen
- ^ Michael Owen's Biography
- ^ World Cup: Romania shocks England; Colombia down Tunisia
- ^ Sports Personality Of The Year
- ^ Owen named England captain
- ^ England B 1-2 Belarus
- ^ Sweden 2-2 England
- ^ Owen may face season on sidelines
- ^ England B 3-1 Albania
- ^ Beckham recalled to England squad
- ^ Owen's honour
- ^ England 3-0 Israel
- ^ Owen the key
- ^ Capello offers Owen England hope
- ^ Ray Clemence convinced Michael Owen can revive England career
- ^ Why Michael Owen should be in Fabio Capello's England squad
- ^ Capello offers Owen hope
- ^ Star Owen switches wedding plans
- ^ Michael Owen marries girlfriend
- ^ Baby joy for Owen
- ^ Michael Owen tastes the sweet and sour at Wembley
- ^ One millionaire footballer's new goal: to fly like a Bond villain
- ^ Sky-high bills `ground Michael Owen'
- ^ Star's old home for sale
- ^ EXCLUSIVE: OWEN MAY BUILD HIS OWN 'DISNEYLAND'
- ^ Kidnap attempt on Owen's sister
- ^ Twitter@themichaelowen
- ^ AT ODDS
- ^ Owen stars in his own soap
- ^ Michael Owen fronts PES 08
- ^ SOCCER Michael Owen
- ^ Jaguar Signs Agreement With Michael Owen
- ^ Michael Owen: My town
- ^ その他とはFAコミュニティ・シールド、UEFAスーパーカップのこと。
[編集] 外部リンク
- プロフィール クラブ公式サイトのプローフィール
- プロフィール プレミアリーグ公式サイトのプロフィール
- 公式ファンサイト
- マイケル・オーウェン - Soccerbase
- マイケル・オーウェン - FIFA主催大会成績
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