ロベルト・リベリーノ
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| リベリーノ | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | ロベルト・リベリーノ | |
| 愛称 | リーバ | |
| ラテン文字 | Roberto RIVELINO | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1946年1月1日(63歳) | |
| 出身地 | SP、サンパウロ | |
| 身長 | 169cm | |
| 体重 | 73kg | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | FW/MF | |
| 利き足 | 左足 | |
| 代表歴 | ||
| 1965-1978 | 122 (43) | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
ロベルト・リベリーノ(Roberto Rivelino、1946年1月1日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身の元サッカー選手、指導者である。元ブラジル代表で、現役時のポジションはFWとMFだった。ニックネームはリーバ。
利き足である左足から巧みなフェイント、正確なパスや強烈なシュートを放ち、またフリーキックの名手でもあることから左足の魔術師と呼ばれた。
目次 |
[編集] 略歴
1962年に名門クラブコリンチャンスに入団。1965年にトップチームの公式戦にデビュー。同年ブラジル代表に初選出されハンガリー戦に出場。
1969年にブラジル代表デビュー。メキシコワールドカップでは左ウイングのレギュラーとして3得点をあげるなど活躍し優勝に貢献した。ペレを擁したブラジルは圧倒的な強さを見せつけ史上最強のブラジル代表といわれた。
ペレの引退後のブラジル代表ではトップ下の位置で背番号10をつけ、ペレの後継者として活躍した。1974年のワールドカップでも3得点をあげた。この大会では対東ドイツ戦でみせたトリッキーなフリーキックが印象に残った。相手選手の作った壁の間にはいったブラジル選手(ジャイルジーニョ)がリベリーノがボールを蹴る直前にしゃがみ込む。ボールはそのわずかなすき間を通過しゴールにつきささった。全力で蹴ったにもかかわらず完璧なまでのコントロールであり、GKも一歩も動けない、まさにマジックのようなFKであった。
1978年のワールドカップではジーコを含めた若い選手の台頭もあり3試合の出場にとどまった。リベリーノはワールドカップに3度出場、15試合6得点。代表公式戦には通算122試合出場、43得点をあげた。
晩年はサウジアラビアのアル・ヒラルでプレーし1982年に引退。
1994年セカンドステージから清水エスパルスの監督に就任したが,成績不振のためこの年限りで辞任した。 澤登正朗へFKの個人指導をする等、自らの技術をチームに伝える指導に熱心であった。 また、ジャウミーニャ(後のブラジル代表)を入団させた。彼はチーム在籍1年であったが、ドリブルからシュートまで持っていける個人技でチームの攻撃を担った。パルメイラスを経て、デポルティーボ・ラ・コルーニャで1997年~2004年まで在籍。(2002-2003年のレンタル移籍も含む)ピッチの魔術師と言われ、ヨーロッパの舞台に活躍した。
2003年から2004年までコリンチャンスでゼネラルマネージャーを務めた。
[編集] エラシコ
エラシコはリベリーノが得意にしていたフェイントの一種でポルトガル語で輪ゴムの意。 リベリーノのエラシコは左足のアウトサイドをボールに軽く当て相手にその方向へ行くと思わせ、すぐ次の瞬間に同じ足のインステップで切り返し相手を抜き去るという難易度の高い技である。インステップで切り返した時にボールが指ではじいた輪ゴムのように素早く移動することからエラシコと名付けられた。 リベリーノがエラシコの発明者といわれることもあるが、一説にはコリンチャンスのチームメイトであったセルジオ越後がリベリーノに教えたともいわれる。 現在の使い手としては同じブラジルのロナウジーニョがあまりにも有名。彼によってエラシコの名が一躍有名になったと言っても過言ではない。
[編集] 所属クラブ
[編集] 代表歴
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