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イバン・サモラーノ |
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| 名前 |
| 本名 |
イバン・ルイス・サモラーノ・サモラ |
| 愛称 |
ヘリコプター、バンバン、雷帝 |
| ラテン文字 |
Iván ZAMORANO |
| 基本情報 |
| 国籍 |
チリ |
| 生年月日 |
1967年1月18日(46歳) |
| 出身地 |
サンティアゴ・デ・チレ |
| 身長 |
178cm |
| 体重 |
73kg |
| 選手情報 |
| ポジション |
FW |
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| 代表歴 |
| 1987-2001 |
チリ |
69 (34) |
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| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
イバン・サモラーノ(Iván Luis Zamorano Zamora、1967年1月18日 - )は、チリ出身の元サッカー選手、現在は指導者。選手時代はフォワードを務め、チリ代表のエースストライカーとしても活躍。空中戦に強かった事から、「ヘリコプター」の異名をとった。
来歴 [編集]
地元のクラブチーム、コブレサルでデビュー。1987年にはカップ戦も制した。その後1988年にスイスのクラブチームへ移籍して頭角を現し、23得点を挙げて得点王になり翌年セビージャFCへ移籍。ここでも得点能力の高さを証明し、1992-1993シーズンには500万ドルでレアル・マドリードへ移籍を果たす。
レアル・マドリードに所属した4年間でリーグ戦137試合に出場し、77得点を記録。リーグ、カップ、スーパーカップを獲得した。移籍初年度に26得点を挙げたほか、1994-1995シーズンには28得点を挙げて得点王に輝いた。さらに1996-1997シーズンにはセリエA・インテルへ移籍。1998年にUEFAカップを獲得した。
2001年にはメキシコのクラブ・アメリカへ移籍し、初戦でハットトリックを達成するなどの活躍でリーグ優勝に貢献。キャリアの最後のシーズンを母国のクラブチーム・CSDコロコロで過ごし、2003年に現役を退いた。同12月23日にはサンティアゴで引退試合が行われ、5万の観衆が引退を惜しんだ。
1987年6月19日のペルー戦で代表デビューを果たす。コパ・アメリカ1991では6得点を挙げたガブリエル・バティストゥータに次ぐ5得点を記録した。チリの4大会ぶりの出場となったフランスW杯に出場し、マルセロ・サラスとの「Za-Sa(サ・サ)コンビ」で同国をベスト16へと導いた。また2000年のシドニー五輪にはオーバーエイジ枠で出場し銅メダルをもたらす原動力となり、自身は6得点を挙げて大会得点王となった。2001年9月1日のフランス戦を最後に代表を引退した。
現在はチリのユース年代の代表チームでアシスタントコーチを務めている。
エピソード [編集]
サッカーの世界でエースストライカーの代名詞とされる背番号「9」に特別なこだわりを持っていたことで知られる。インテル在籍時の1997-98シーズン、サモラーノが背番号9、そしてロナウドが10をつけていたが、翌1998-99シーズンにロベルト・バッジョが加入すると、バッジョが背番号10、ロナウドが9となり、サモラーノはクラブから背番号の明渡しを命じられた。一旦は拒否したが認められず、サモラーノは背番号18のユニフォームの1と8の間に小さな「+」を加えて(1+8=9)着用していた[1]。
そのバッジョに関しては「僕がイタリアに来てから、ずっとバッジョとプレーする日を夢見ていた」と語り、インテルで共にプレーしていた当時、バッジョがゴールを決めると靴を磨くパフォーマンスや祈りを捧げるパフォーマンスで敬意を惜しまなかった。 敬虔なカトリック信者でもある。
現役時代は空中戦に強くヘディングの名手として知られたが、サモラーノ自身もヘディングでの得点については「ヘディングでのゴールはその選手がオールラウンドで、より完全な選手であることの証明となる」と独自の哲学を持っている[2]。
人格者としても有名で、2003年日に現役を引退した後は、ユニセフの親善大使となったことでも知られている。
かつて、マドンナが「最も抱かれてみたい男」だとコメントしていたこともあった。
選手経歴 [編集]
脚注 [編集]