リバウド

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リバウド Football pictogram.svg
名前
本名 リバウド・ヴィトル・ボルバ・フェレイラ
Rivaldo Vítor Borba Ferreira
愛称 リーヴォ、左足の魔術師
ラテン文字 RIVALDO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1972年4月19日(42歳)
出身地 ペルナンブーコ州レシフェ
身長 185cm
体重 75kg
選手情報
ポジション FW (CF) / MF (OH)
利き足 左足
代表歴
1993–2003[1] ブラジルの旗 ブラジル 74 (34)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

リバウド・ヴィトル・ボルバ・フェレイラ(Rivaldo Vítor Borba Ferreira, 1972年4月19日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。「レフティモンスター」「左足の魔術師」と言われる。リヴァルド、ヒヴァウド、ヒバウドと表記される場合もある。

人物[編集]

1999年には世界最優秀選手と欧州最優秀選手(バロンドール)に選ばれ、2002年日韓W杯ではロナウドロナウジーニョらと共に3Rと呼ばれる攻撃陣を結成し、ブラジルの5回目の優勝に貢献した。 実家の家計が苦しく、ユース時代にはバス代を節約するために、25kmも離れた練習場まで歩いて通った。また、プロになって初めてステーキを食べた時に、それまで栄養失調だったことから歯が抜け落ち、入れ歯になってしまった。

2008年10月には古巣モジミリンECの会長に就任した。

経歴[編集]

クラブ[編集]

パルメイラスでの活躍を経て1996年、当時ヴェルディ川崎から500万ドルのオファーがきていたが、スペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍。初年度にも関わらず46試合で21得点という好成績を残し、移籍したロナウドの後釜としてFCバルセロナへと移籍した。

バルセロナでは1997-98、1998-99シーズンでのリーグ連覇に貢献し、1998-99シーズンにはバロンドールFIFA最優秀選手賞を受賞。2000-2001シーズンから背番号が「11」から「10」になり、スター選手であるルイス・フィーゴがライバル関係にあるレアル・マドリードへ移籍したため、リバウドがエースとなった。また2001-02シーズンでは、パトリック・クライファートハビエル・サビオラと共にトリデンテ三椏の矛)とよばれるトリオの中心として、強烈な攻撃を披露していた、しかし、このシーズンのリバウドは怪我が多く、試合数得点数ともに入団以来最低の成績であった。

ルイス・ファン・ハール監督との折り合いが悪く、2002-03シーズンからファン・ハールがバルセロナの監督を再び就任することになると、2002年にACミランへ移籍した。だが、イタリアのプレースタイルに馴染めず、更に自身の離婚問題でコンディションを崩し出場機会に恵まれず、2003年に退団した。

その後ギリシャのオリンピアコスFCに移籍。リーグの得点王になるなど中心選手としてリーグ3連覇に貢献したが、2006-07シーズンオフに契約交渉が決裂し退団。ブラジルに帰国する予定であったが、家族がギリシャに残ることを希望したため、退団して2週間後にオリンピアコスのライバルであるAEKアテネFCと2年契約を結ぶ。しかし、またもチームと軋轢が生じ、2008年8月29日、ウズベキスタンリーグ1部のFCブニョドコルと2年契約を結んだことがAEKアテネより発表された。その後、クラブでは2連覇に貢献し、特に2009年シーズンにはリーグ得点王にも輝いた。 2010年8月にブニョドコルとの契約を解除して退団した。その後、自身のツィッター上において、2011年にリバウド自身が会長を務めるモジミリンECで現役生活を再開することを発表した。しかし、2011年1月23日にサンパウロFCへのレンタル移籍が発表された。それからカブルスコルプSCと契約を結んだ。そして2012ー2013シーズンからは、ADサンカエターノと1年契約で移籍し、2013年2月9日、移籍後初ゴールをあげた。

2014年3月15日、自身のインスタグラム内で現役引退を発表した[2]

伝説のハットトリック[編集]

バルセロナ所属時の2000-2001リーガ最終節、勝利した方が翌シーズンのチャンピオンズリーグ出場(4位)となるバレンシアCF戦で、リバウドはチームの全得点となるハットトリックを記録し勝利に導いた。1点目は前半3分、バレンシアの壁を僅かに掠めてネットに突き刺さったフリーキック。2点目は前半ロスタイムに、得意の強烈な低い弾道のミドルシュートゴールを奪った。

そして3点目は、2対2の同点のまま、後半43分と残り時間はわずかとなり、引き分けならバレンシアがチャンピオンズリーグに出場するという状況であった。ペナルティエリア外にいたリバウドは、フランク・デ・ブールからのパスを「ゴールを背にしたまま胸でトラップして、左足のオーバーヘッドキックを放ち」それを一挙動で行った。ゴールキーパーサンティアゴ・カニサレスは、アウトカーブがかかったこのシュートを止められず、ゴール左下隅に突き刺さった。

スタンドで観戦していた当時のジョアン・ガスパール会長が珍しく狂喜乱舞し、試合が終了するとカンプ・ノウの観客は興奮のあまりピッチに崩れ込んだ。ルイス・エンリケに「あれはキャプテン翼でしか表現できないプレーだよ」と言わしめ、メディアからも「キャプテン翼は実在した」と絶賛された。2001年から『キャプテン翼 ROAD TO 2002』が連載されるとリバウドをモデルにしたFCバルセロナとブラジル代表の10番・リバウールが登場し、上記のゴールシーンもリバウールの必殺技「ハイジャンピングボレー」として誌上で再現されている[3]

ブラジル代表[編集]

ブラジル代表としては1993年12月16日メキシコ戦で代表デビューを飾る。ブラジル五輪代表として1996年アトランタオリンピックに出場するが、自身のミスもあり準決勝で敗戦した。

FIFAワールドカップではブラジルの栄光のNo.10を1998年2002年の二大会にわたって背負った。1998 FIFAワールドカップ大会では、準々決勝で当時世界最高のゴールキーパーと言われていたデンマーク代表のピーター・シュマイケルから2得点を奪い計3得点をあげるものの、ブラジル国民を納得させることが出来なかった。

2001年に行われた2002 FIFAワールドカップ南米予選では同国は苦戦を続けたが、10月7日のチリ戦で1得点を上げ本大会出場に貢献した。試合後、スタジアムを埋め尽くしたサポーターがリバウドへ大喝采を送った。

2002年の本大会では5得点を決め決勝でも2得点に絡む活躍を見せ、代表で活躍出来ないと言われていた批判を一蹴し、ロナウドロナウジーニョカフーロベルト・カルロスらとともに5度目の優勝に大きく貢献した。また1999年のコパ・アメリカではロナウドとともに得点王になりMVPにも輝いた。

所属クラブ[編集]

獲得タイトル[編集]

個人タイトル[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1991 サンタクルス 18 8
1992 モジ・ミリン 27 9
1993 コリンチャンス 1部 19 11
1994 22 6
1994 パルメイラス 29 13
1995 45 17
1996 30 23
スペイン リーグ戦 国王杯 オープン杯 期間通算
1996-97 デポルティーボ 11 プリメーラ 41 21
1997-98 FCバルセロナ 34 19
1998-99 37 24
1999-00 31 12
2000-01 10 35 23
2001-02 20 8
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
2002-03 ACミラン 11 セリエA 22 5
2003-04 0 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2004 クルゼイロ 11 1部 11 2
ギリシャ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2004-05 オリンピアコス 5 スーパー 23 12
2005-06 10 23 7
2006-07 27 17
2007-08 AEKアテネ 29 8
ウズベキスタン リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2008-09 FCブニョドコル 6 オリーリーグ 7
2009-10 10 20
通算 ブラジル 1部 156 72
ブラジル 45 17
スペイン プリメーラ 198 107
イタリア セリエA 22 5
ギリシャ スーパー 73 43
総通算 494 244
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFA UEFA CL
1998-99 FCバルセロナ 6 3
1999-00 14 10
2000-01 13 11
2001-02 12 6
2002-03 ACミラン 13 2
2004-05 オリンピアコス 6 1
2005-06 5 2
2006-07 6 0
2007-08 6 3
通算 UEFA 81 38

出典[編集]

外部リンク[編集]