セバスティアン・ロサーダ
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| 名前 | ||||||
| 本名 | セバスティアン・ロサーダ・ベスタルド | |||||
| ラテン文字 | Sebastián Losada Bestard | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1967年9月3日(45歳) | |||||
| 出身地 | マドリード | |||||
| 身長 | 180cm | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1984-1987 1984-1991 1987-1988 1991-1992 1992-1993 1993-1995 |
→ |
63 (17) 38 (13) 28 (8) 9 (1) 3 (0) 53 (12) |
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| 代表歴 | ||||||
| 1983 1984-1986 1985 1985 1988-1990 1995 |
U-16スペイン U-18スペイン U-19スペイン U-20スペイン U-21スペイン |
5 (3) 10 (5) 1 (0) 5 (3) 7 (1) 1 (0) |
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セバスティアン・ロサーダ・ベスタルド(Sebastián Losada Bestard、1967年9月3日 - )は、スペイン・マドリード出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。スペイン代表であった。
目次 |
経歴 [編集]
レアル・マドリードの下部組織出身であり、1984年9月9日のスポルティング・デ・ヒホン戦(1-1)でトップチームデビューしたが、レアル・マドリード在籍時には成功を収めることができなかった。1985年にはU-20スペイン代表としてFIFAワールドユース選手権に出場し、5試合に出場して3得点を挙げて準優勝に貢献した[1]。1987-88シーズンにはRCDエスパニョールにレンタル移籍し、リーグ戦では8得点を挙げてブレイクスルー選手賞を受賞した。UEFAカップでは決勝進出に貢献し、決勝のバイエル・レバークーゼン戦ではファーストレグ(3-0)で2得点を挙げたが、2試合合計同点となってもつれ込んだPK戦でPKを外し、準優勝に終わった。1988年夏にレアル・マドリードに復帰すると、1989-90シーズンにはわずかリーグ戦16試合の出場で8得点を挙げ、クラブのリーグ優勝に貢献した。1990年11月7日、UEFAチャンピオンズリーグのFCチロル・インスブルック戦(2-2)ではクラブの大会通算400得点目となるゴールを決めた。
1991年にはレアル・マドリードのライバルのアトレティコ・マドリードに移籍したが、しばしばヘスス・ヒル会長と対立した[2]。1992年に移籍したセビージャFCではアルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナとチームメイトになり、1993年に移籍したセルタ・デ・ビーゴでは、1995年1月16日のウルグアイ戦でスペイン代表デビューを飾った。同年には27歳の若さで現役引退して弁護士となった。2004年にはスペインサッカー連盟(RSFF)の会長選挙に出馬したが落選した[3]。
タイトル [編集]
クラブ [編集]
- UEFAカップ 優勝: 1984–85
- リーガ・エスパニョーラ 優勝: 1988–89, 1989–90
- コパ・デル・レイ 優勝: 1988–89
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ 優勝: 1988, 1989, 1990
- コパ・デ・ラ・リーガ 優勝: 1984–85
- コパ・デル・レイ 優勝 : 1991–92
- UEFAカップ 準優勝 : 1987–88
代表 [編集]
- FIFA U-20ワールドカップ 準優勝 : 1985
個人 [編集]
- ドン・バロン・アワード ブレイクスルー選手賞 : 1987-1988
脚注 [編集]
- ^ セバスティアン・ロサーダ - FIFA主催大会成績
- ^ La década «ostentórea» El Mundo (スペイン語)
- ^ Great and "little" Celta de Vigo players: Sebastián Losada (スペイン語)
外部リンク [編集]
- BDFutbol profile
- National team data (スペイン語)
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