FCヴァッカー・インスブルック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
FCヴァッカー・インスブルック
原語表記 FC Wacker Innsbruck
創設年 2002年
所属リーグ オーストリア・ブンデスリーガ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン インスブルック
ホームスタジアム
Spain vs Sweden, Euro 2008 01.jpg
ティヴォリ・シュターディオン
収容人数 17,400
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

FCヴァッカー・インスブルックドイツ語: FC Wacker Innsbruck)は、オーストリアチロル州の州都インスブルックを本拠地とするサッカークラブである。

歴史[編集]

創設から1950年代まで [編集]

オーストリア=ハンガリー帝国時代の1915年に現クラブの母体となるFCヴァッカー・インスブルックが創設された。当初はオーストリア国内や当時はオーストリア領であった北イタリアで数多くの親善試合を行うが、第一次世界大戦の影響もあり、オーストリアサッカー協会が運営する公式リーグに参加するようになるのは1920年からのことであった。

戦力強化のために1922年には同じくインスブルックを拠点としていたFCラピード・インスブルックと一時的に合併したこともあったが、翌年には合併を解消し、再びFCヴァッカー・インスブルックとして公式戦に参加した。

1924年からインスブルック市内にあるティヴォリ地区のサッカー場でホーム戦が行われるようになった。現在でも同じ地区に本拠地のサッカースタジアムティヴォリ・シュターディオンが建てられており、FCヴァッカー・インスブルックとティヴォリ地区はお互いなくてはならない関係になっている。[要出典]

トップチームは1920年代から1930年代にかけて徐々に力をつけていき、下位リーグからの昇格を重ねるようになる。1930年代後半から1940年代後半にかけてはナチス・ドイツ時代の政策と第二次世界大戦の影響もあり、再び下位リーグに降格することもあった[要出典]が、1953年にはオーストリア3部に、1958年にはオーストリア2部への昇格を果たした。

1960年代-1970年代[編集]

オーストリア1部リーグにあたるオーストリア・ブンデスリーガ(当時のリーグ名は「シュターツリーガ」(「Staatsliga」))に1964年に昇格。1967年と1968年には同リーグでの準優勝を、1970年にはオーストリア・カップでの優勝を果たし、翌シーズンのUEFAカップウィナーズカップ 1970-71ではスペインレアル・マドリードと対戦している。

1971年にオーストリア・ブンデスリーガで優勝。またクラブの歴史上最も多くのタイトルを獲得したことから、「クラブの第1黄金時代」と言われている1970年代が幕開けする。[要出典]

1970年代に入ると後にガンバ大阪で監督を務めることになるフリードリッヒ・コンシリアをはじめ、4年連続バロンドール(ヨーロッパ年間最優秀選手賞)でベスト10に選出されるブルーノ・ペッツァイ、同クラブでの活躍により後にスペインプリメーラ・ディビシオンの名門バレンシアCFで主力選手となるクルト・ヤーラなど多くのオーストリア代表選手が所属するようになり、オーストリアを代表する強豪クラブに成長する。[要出典]

クラブの第1黄金時代といえる1970年代[要出典]には、オーストリア・ブンデスリーガで優勝5回(1971年、1972年、1973年、1975年、1977年)、準優勝2回(1974年、1976年)、オーストリア・カップ優勝5回(1970年、1973年、1975年、1978年、1979年)、準優勝1回(1976年)の成績を残した。

1975年と1976年にはミトローパ・カップでも優勝。ミトローパ・カップを連覇した翌年にはUEFAチャンピオンズカップ 1977-78英語版FCバーゼルセルティックFCを破ってベスト8へ進出。準々決勝ではドイツボルシア・メンヒェングラートバッハをホームで破るなどヨーロッパカップでも結果を残した。

しかし、1970年代末になるとクラブは財政難に陥り1979年には2部へ降格した。

1980年代[編集]

1981年にオーストリア・ブンデスリーガに復帰。1986年チロル州に本社を置くスワロフスキー社がクラブのオーストリア・ブンデスリーガ・ライセンスを買収。巨大な資金力をバックにクラブ経営に直接関わるようになり、クラブ名を「FCスワロフスキー・チロル」に変更した。

オランダのフェイエノールト元監督のエルンスト・ハッペルが監督に就任。オーストリア代表ミヒャエル・バウアーブルーノ・ペッツァイクリストフ・ヴェスターターラーペーター・パクルトなどの他、ドイツ代表選手ハンズィ・ミュラーや、アルゼンチン代表選手ネストル・ゴロシートなどを獲得した。

UEFAカップ1986-87ではロシアFCスパルタク・モスクワイタリアACトリノなどを次々と破り準決勝に進出。UEFAインタートトカップでは1989年から1991年まで3連覇を果たす。

オーストリア・ブンデスリーガでは1989年および1990年と2連覇。1991年は準優勝の成績を残した。オーストリア・カップでも1987年、1988年に準優勝、1989年に優勝を果たす。

また、ハッペルの指導の下、多くの若手選手が飛躍的な成長を成し遂げ、1990 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではオーストリアA代表チームのスタメンの約半分が同クラブ所属選手であることも珍しくなかった。[要出典]

1990年代[編集]

1992年にスワロフスキー社がクラブから手を引くとクラブは再び財政難に陥り、1990年代後半まで低迷が続く。クラブの正式名称も「FCチロル・インスブルック」に変更された。

1990年代後半までには、後にドイツA代表ヘッドコーチに就任するホルスト・フルベッシュ、後に浦和レッズの監督に招聘されるホルスト・ケッペル、現役時代にゴールデンブーツ賞(ヨーロッパ年間最優秀得点王賞)を獲得し、後にオーストリアA代表監督に就任するヨハン・クランクルなどが監督に就任し、オーストリア・ブンデスリーガでの中位の地位は維持するものの、上位に進出し優勝争いに絡むことはなかった。

1998年頃から政治的なサポートもあり[要出典]チロル州の数多くの企業がスポンサーとしてつき、クラブは3度目の黄金期を迎えた。

インスブルック出身のクルト・ヤーラが監督に就任し、2000年のオーストリア・ブンデスリーガ優勝を皮切りに、2001年、2002年と国内リーグで3連覇した。なお、2001年秋にヨアヒム・レーヴが監督に就任。

UEFAカップではドイツ・ブンデスリーガVfBシュトゥットガルトセリエAフィオレンティーナを相手に勝利を収めるなど好結果を残したが、高額な選手年俸とUEFAチャンピオンズリーグ 2000-01の本大会出場を最後の最後で逃したこともあり(最終予選で敗退)、財政が破綻してクラブ消滅へと追い込まれた。[要出典]

再建 - 新たなスタート[編集]

2002年に「FCヴァッカー・チロル」の正式名称の下、新たに再建されたクラブは、オーストリアサッカー協会の特別な計らいにより、レギオナルリーガ西部(オーストリア3部)からの再出発を許可された。[要出典] (注:オーストリアには9部リーグまであり、このようなクラブ再建のケースでは通常9部からの再スタートが慣例となっている)。[要出典]

2002年にオーストリア3部、2003年にエアステリーガドイツ語版(2部リーグ)で優勝を果たし、2004年にオーストリア・ブンデスリーガ復帰を果たした。

2007年7月に、クラブの正式名を「FCヴァッカー・チロル」から「FCヴァッカー・インスブルック」へ変更した。

2008年現在では、まだ一昔前の黄金時代を彷彿させるような圧倒的な強さを誇るだけの戦力は整っていないが、若手経営陣の下、名門復活に向けて多くの新しい取り組みが行われており、将来が楽しみなオーストリアを代表するクラブである。[要出典]

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

過去の成績[編集]

シーズン リーグ 順位 得点 失点 勝ち点
1993-94 オーストリア・ブンデスリーガ 4位 14 11 11 48 33 39
1994-95 オーストリア・ブンデスリーガ 5位 15 10 11 61 44 40
1995-96 オーストリア・ブンデスリーガ 3位 18 8 10 64 40 62
1996-97 オーストリア・ブンデスリーガ 4位 16 7 13 49 40 55
1997-98 オーストリア・ブンデスリーガ 6位 12 12 12 49 51 48
1998-99 オーストリア・ブンデスリーガ 6位 15 10 11 49 41 55
1999-2000 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 24 5 7 54 30 77
2000-01 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 20 8 8 63 31 68
2001-02 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 23 6 7 63 20 75
2002-03 レギオナルリーガ西部 1位 26 2 2 101 17 80
2003-04 エアステリーガ 1位 22 6 8 65 44 72
2004-05 オーストリア・ブンデスリーガ 6位 11 11 14 48 48 44
2005-06 オーストリア・ブンデスリーガ 9位 10 12 14 44 55 42
2006-07 オーストリア・ブンデスリーガ 9位 8 10 18 40 64 34
2007-08 オーストリア・ブンデスリーガ 10位 6 11 19 32 63 29
2008-09 エアステリーガ 2位 18 8 7 65 44 62
2009-10 エアステリーガ 1位 21 6 6 67 26 69
2010-11 オーストリア・ブンデスリーガ 6位 13 11 12 43 42 50
2011-12 オーストリア・ブンデスリーガ 7位 10 15 11 36 45 45
2012-13 オーストリア・ブンデスリーガ 8位 11 3 22 41 75 36
2013-14 オーストリア・ブンデスリーガ 10位 5 14 17 42 70 29

歴代監督[編集]

氏名 国籍 期間
エルンスト・ハッペル オーストリアの旗 オーストリア 1987年 - 1991年
ホルスト・フルベッシュ ドイツの旗 ドイツ 1992年
ホルスト・ケッペル ドイツの旗 ドイツ 1993年 - 1994年
ヴォルフガング・シュヴァルツ(暫定監督) オーストリアの旗 オーストリア 1994年
ヨハン・クランクル オーストリアの旗 オーストリア 1994年 - 1995年
ディートマール・コンスタンティーニ オーストリアの旗 オーストリア 1995年 - 1997年
ハインツ・パイシュル(暫定監督) オーストリアの旗 オーストリア 1997年
フランティシェク・ツィプロ チェコの旗 チェコ 1997年 - 1998年
クルト・ヤーラ オーストリアの旗 オーストリア 1999年 - 2001年
ヨアヒム・レーヴ ドイツの旗 ドイツ 2001年 - 2002年
ミヒャエル・シュトライター オーストリアの旗 オーストリア 2002年 - 2003年
ヘルムート・クラフト オーストリアの旗 オーストリア 2003年 - 2004年
スタニスラフ・チェルチェソフ ロシアの旗 ロシア 2004年 - 2006年
フランティシェック・ストラカ ドイツの旗 ドイツ 2006年 - 2007年
クラウス・フォーグラー(暫定監督) オーストリアの旗 オーストリア 2007年
ラース・ゼンデガールド デンマークの旗 デンマーク 2007年
ヘルムート・クラフト(暫定監督) オーストリアの旗 オーストリア 2007年 - 2008年
ヴァルター・コーグラー オーストリアの旗 オーストリア 2008年 - (在任中)

歴代所属選手[編集]

女子サッカー[編集]

FCヴァッカー・インスブルックの元々の女子サッカー部門設立は、1980年代と現在オーストリア・ブンデスリーガに所属しているクラブの中では最も古い(オーストリアでは男子とは全く別の女子サッカーの強豪クラブがあり、男子のプロサッカークラブが女子チームを運営することは長い間行われていなかった)。

1985年にはオーストリア・カップでの優勝を果たすなど好結果を残していたが、財政敵な理由から1990年代に入ってから一度活動が停止されている。

2004年にオーストリアサッカー協会は全てのオーストリア・ブンデスリーガ(男子)のクラブは女子サッカー部門をも運営するべし、という方針を打ち出すと、元々FCヴァッカー・インスブルックのサポーターの間で「女子サッカー部門の復活を」と願う声が多かったことから[要出典]、同クラブとしても女子サッカー部門の新たなる創設に取り組むようになる。

2006年6月に同じくインスブルックを拠点とし、提携関係を結んでいた女子サッカーの名門インスブルッカーAC (Innsbrucker AC)の女子部門を譲り受けた。そのため、当初FCヴァッカー・インスブルックの女子サッカーチームの選手はほぼ全員元インスブルッカーACの選手、という状況であった。

インスブルッカーACの女子チームは長年に渡り女子のオーストリア・ブンデスリーガ(1部)に所属、女子のUEFA女子チャンピオンズリーグにも出場したことがあるほか、多くのオーストリア代表選手を輩出し、イタリアセリエAなどからも選手が移籍してくるオーストリアを代表する強豪チーム[要出典]であったが、ブンデスリーガの所属ライセンスをクラブ同士で譲ることがオーストリアサッカー協会に認められなかったため、2006-2007年シーズンに新たに創設されたFCヴァッカー・インスブルックの女子トップチームは、女子のレギオナルリーガ(オーストリア2部)からの再出発を余儀なくされた。

しかしインスブルッカーAC時代から同チームに所属していたオーストリア代表選手を始め多くの選手が残留したほか、FIFA U19ワールドカップ大会優勝経験のある元U19ドイツ代表選手などがFCヴァッカー・インスブルックの女子部門に新たに移籍してきたため、レギオナルリーガで優勝し、2007-08年のシーズンから再びブンデスリーガに復帰した。

現在では女子のトップチーム(オーストリア・ブンデスリーガ)とサテライトチーム(オーストリア2部)がFCヴァッカー・インスブルックによって運営されており、特にトップチームはオーストリアでもコンスタントにベスト3に入る強さを誇っている。[要出典]

また、他のオーストリア・プロサッカークラブの中でもクラブ内で最も女子サッカーのステータスが高いクラブとして女子サッカー業界で高い評価を得ており、ホームページなどでも女子のトップチーム及びサテライトチームは男子のトップチーム及びサテライトチームと同等の扱いを受けている。[要出典]

また、「女子サッカー部門はクラブのフィロソフィーの一環として存在しているので、万が一クラブが財政的な問題に陥る女子サッカーチームを放棄することはあり得ない」と公言しており、オーストリアサッカー協会のみならず、他のプロサッカークラブにとって模範的な存在となっている。[要出典]

サポーター[編集]

オーストリアを代表する名門であることから、「ノルドポール・インスブルック」(”Nordpol Innsbruck“)や「フェアリュックテン・ケップフェ」(“Verrückten Köpfe“)など多くのサポーターズクラブが存在しており、各サポーターズクラブの代表からなる「ティヴォリ・ノルド」(”Tivoli Nord”)グループの下、全サポーターズクラブが組織されている。[要出典]

同クラブのサポーターは試合中の派手なコレオグラフィーや試合開始直前の緑色の発煙筒などで有名である[要出典]また、サッカースタジアム内だけではなく、スタジアム外などでも外国人排除反対や差別反対などの政治的な活動や移民や金銭的に貧しい人々を援助する社会的活動を積極的に行っていることで知られており、クラブ自体がこのような活動を積極的サポートしていることから、上記活動のために毎シーズン一定の金額がサポーターズクラブに供給されている。[要出典]

イングランドドイツイタリアスコットランド同様サッカーが単なるエンターティメントやスポーツではなく、社会、そして生活の一部として根付いているオーストリアでは、各クラブのサポーターにも個性と政治的な位置づけがある。[要出典]

右翼のクラブとして知られているSKアウストリア・ケルンテンとは対照的に、FCヴァッカー・インスブルックのサポーターは外国人に非常に好意的である。その好例として、2008-09年シーズンのチーム最大のスターはアフリカ系オランダ人であることがあげられる。チームのために「常に高いモチベーションをみせる選手」に対して正当な評価を与え、オーストリア人であろうと外国人であろうと良いパフォーマンスを見せればサポーターから愛され歓迎される。[要出典]

ドイツの名門アイントラハト・フランクフルトとイタリアの名門アタランタBCのサポーターズクラブと友好関係を結んでおり、定期的に交流が行われている。[要出典]

外部リンク[編集]