プレドラグ・ミヤトヴィッチ

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プレドラグ・ミヤトヴィッチ Football pictogram.svg
Petrag Mijatovic1.JPG
名前
愛称 ページャ
ラテン文字 Predrag MIJATVIĆ
セルビア文字表記 Предраг Мијатовић
基本情報
国籍 モンテネグロの旗 モンテネグロ
生年月日 1969年1月19日(45歳)
出身地 ポドゴリツァ
身長 177cm
体重 71kg
選手情報
ポジション FW
利き足
代表歴
1989–2003 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 73 (28)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

プレドラグ・ミヤトヴィッチセルビア語: Предраг Мијатовић, Predrag Mijatović, 1969年1月19日 - )は、モンテネグロポドゴリツァ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元ユーゴスラビア代表

ユーゴスラビアを代表するストライカーのひとり。巧みな足技と力強いドリブルが持ち味で、速い足の振りから繰り出す強力なシュートから「バルカンの速射砲」の異名をとった。元々は攻撃的なMFとしてキャリアをスタートしたが、のちに前線FWへとポジションを上げ活躍した。

経歴[編集]

数年ユースチームで過ごした後、1987年に地元のクラブチーム・ブドゥチノスト・チトーグラードでキャリアをスタート。同年のワールドユースに出場し、ユーゴスラビアチームの優勝に貢献する。1987-88シーズンにはクラブのレギュラーとなり、デヤン・サビチェビッチドラゴリュブ・ブルノヴィッチブランコ・ブルノヴィッチらと共にプレー、31試合に出場した。

1989年冬の移籍市場にてパルチザン・ベオグラードへ移籍して、デビュー戦となった古巣ブドゥチノストとの試合でゴールを挙げた。しかし、移籍後半年程度は新しい環境にうまく適応することが出来ず、得点を重ねることができなかった。翌シーズン、14得点を記録して才能を開花させた。1991-92シーズンには国内カップ獲得。1992-93シーズンにはチームのリーグ優勝に貢献した。

1993年夏の移籍市場でリーガ・エスパニョーラバレンシアへ移籍。9月5日のレアル・オビエド戦でデビューを果たすと、フース・ヒディンク率いるチームにおいて絶対的な存在となった。最終的にリーガ初シーズンは35試合に出場し、16得点を記録した。1995-96シーズンにはリーグ2位となる28得点を挙げた。

1996-1997シーズンからはレアル・マドリードでプレー。移籍1年目からファビオ・カペッロの下ダヴォール・シューケルラウル・ゴンサレスの3人で攻撃を展開し、リーガ優勝の原動力となる。翌シーズンには怪我などもあってリーグ戦は24試合出場に留まったが、アムステルダム・アレナで行われたユヴェントスとの決勝では唯一の得点を決めるなど活躍し、UEFAチャンピオンズリーグ制覇も成し遂げた。しかし、翌年にはラウルとフェルナンド・モリエンテスの二人が優遇され、ミヤトヴィッチは不遇の時期を過ごした。1999年にクラブがニコラ・アネルカを獲得したことにより、シーズン後にセリエAフィオレンティーナへ移籍。しかし怪我の影響もあって目立った活躍は出来ず、2001-2002シーズン後のクラブ消滅を期にイタリアを離れた。他クラブからいくつかのオファーがあったものの、家庭の事情からスペインに戻り、当時セグンダ・ディビシオン(2部)のレバンテへ加入。1シーズンプレーした後、2003年に現役を引退した。

1989年8月23日フィンランド戦で代表デビュー。1998年フランスW杯プレーオフでは2試合7得点と大爆発しヒーローとなったが、本大会では4試合1得点に留まった。代表通算73試合出場、28得点。

2006年ラモン・カルデロンがレアル・マドリードの会長となったことにより、スポーツディレクターに就任。2009年まで同職を務めた。

所属クラブ[編集]