ラウール・アルビオル

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ラウール・アルビオル Football pictogram.svg
RAlbiol.JPG
名前
本名 Raúl Albiol Tortajada
カタカナ ラウール・アルビオル・トルタハダ
ラテン文字 Raúl ALBIOL
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 1985年9月4日(28歳)
出身地 バレンシア
身長 190cm
体重 84kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 SSCナポリ
ポジション DF / MF
背番号 33
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2004
2004-2009
2004-2005
2009-2013
2013-
スペインの旗 メスタージャ
スペインの旗 バレンシア
スペインの旗 ヘタフェCF (Loan)
スペインの旗 R・マドリード
イタリアの旗 SSCナポリ
35 (2)
131 (5)
17 (1)
81 (1)
代表歴2
2004
2003-2005
2006
2007-
スペインの旗 スペイン U-19
スペインの旗 スペイン U-20
スペインの旗 スペイン U-21
スペインの旗 スペイン
7 (0)
4 (0)
7 (0)
42 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年6月30日現在。
2. 2013年9月15日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ラウール・アルビオル・トルタハダRaúl Albiol Tortajada1985年9月4日 - )は、スペインバレンシア出身のサッカー選手セリエASSCナポリ所属。スペイン代表である。4バックのセンターを務める機会が多いが、ヘタフェCF在籍時には3バックの一角や右サイドバック、ボランチなど多くのポジションでプレーした。

クラブ経歴[編集]

バレンシアCF[編集]

9歳の時にベニドルムCFの下部組織に入団し、バレンシアの下部組織との練習試合で印象的な活躍を見せたことからバレンシアのトライアルを受け、バレンシアの下部組織に移った。2003年9月24日、18歳4日の時にUEFAカップ1回戦・AIKソルナ戦でトップチームデビューしたが、2003-04シーズンはバレンシアCF・メスタージャでプレーした。2004年8月にはヘタフェへのレンタル移籍が決まったが、その直後に自動車事故に巻き込まれ、昏睡状態まで陥った[1]。半年後に戦線復帰し、2005年1月15日のアトレティコ・マドリード戦(1-1)で復帰した。キケ・サンチェス・フローレス監督に重用され、3月のレアル・マドリード戦(2-1)では強豪相手の金星に導く得点を挙げた。

2005年夏、キケ・フローレス監督がバレンシア監督に就任すると、その跡を追うようにしてバレンシアに移籍し、すぐにレギュラーポジションを獲得した。2006-07シーズン開幕戦のベティス戦(2-1)では決勝点を挙げたが、この得点はこのシーズンのリーグ戦唯一の得点であった。2006年9月12日、UEFAチャンピオンズリーグオリンピアコス戦(4-2)ではロングレンジからゴールを決めた[2]。2007-08シーズンにはコパ・デル・レイで優勝を果たした。2008年夏にはチーム内の投票により第2キャプテンに選ばれ、2008-09シーズンは33試合に出場して2得点したが、2009年2月から3月にかけての2週間でオウンゴールを2回記録した。

R・マドリード[編集]

2009年6月25日、移籍金約1500万ユーロでレアル・マドリードと5年契約を結んだ[3]。7月2日にはエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで背番号18がお披露目され、心臓疾患の疑いにより登録が見送られたルベン・デ・ラ・レーが2008-09シーズンに着けていた背番号に対して「彼が帰るまで僕が(この背番号を)守る」と語った[4]。12月8日、チャンピオンズリーグのマルセイユ戦(3-1)で初得点を決めた。ペペが膝の負傷で欠場する試合が多かったため、2009-10シーズンはアルビオルが守備陣に不可欠な存在であった。2010年夏にはリカルド・カルヴァーリョがチームに加入。更に怪我で出遅れたこともあって[5]、控えに回り、リーグ戦での先発出場は13試合に終わった。コパ・デル・レイ準決勝セビージャ戦1stレグ(1-0)ではルイス・ファビアーノのシュートをゴールライン上でクリアし、決勝進出に貢献した[6]
2011-2012シーズンはセルヒオ・ラモスのCBへのコンバートやラファエル・ヴァラーヌの加入等により出場機会が更に激減。リーグ戦での先発出場はわずか5試合に終わった。

SSCナポリ[編集]

2013年7月17日、SSCナポリの会長、アウレリオ・デ・ラウレンティスが自身のTwitterでアルビオルがメディカルチェック中であると発表[7]。 21日、正式に移籍が決定。契約は4年間。 レアル・マドリード時代の同僚であったゴンサロ・イグアインホセ・マリア・カジェホンに加えスペイン代表の同僚でもあるホセ・マヌエル・レイナとも同僚になる。

代表経歴[編集]

スペインU-21代表の経験が豊富である。2006年にはルイス・アラゴネス監督によって代表ミーティングに招集されたが、ドイツW杯の出場メンバーからは漏れた。2007年10月13日、EURO2008予選デンマーク戦(3-1)でスペイン代表デビューした。EURO2008本選にも出場し、レギュラーはカルレス・プジョルカルロス・マルチェナであったが、スウェーデン戦に途中出場し、ギリシャ戦に先発フル出場した。2009年6月にはコンフェデレーションズカップに参加した。グループリーグ初戦のニュージーランド戦(5-0)ではマルチェナを差し置いてプジョルとコンビを組み、その後も1試合に出場した。

2010年の南アフリカW杯にも選ばれたが、練習中にフェルナンド・ジョレンテと衝突して負傷し[8]、試合には出場できなかった。

人物[編集]

既婚者であり、2009年3月と2010年1月に生まれたふたりの娘がいる[9]。父のミゲル・アルビオル(Miguel Albiol)もサッカー選手であり、ベニドルムCFの人気選手だった。兄のミゲル・アルビオル(父親と同名)はミッドフィールダーとしてプレーするサッカー選手であり、彼もバレンシアCFの下部組織出身でトップチームで1試合に出場している。

所属クラブ[編集]

2004-2005 →スペインの旗 ヘタフェCF (Loan)

タイトル[編集]

クラブ[編集]

代表[編集]

個人[編集]

個人成績[編集]

クラブ成績 リーグ カップ 国際大会 通算
シーズン クラブ リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
スペイン リーグ 国王杯 ヨーロッパ 通算
2003–04 バレンシアCF B セグンダB 35 2 0 0 1 0 36 2
2004–05 ヘタフェCF プリメーラ 17 1 0 0 - - 17 1
2005–06 バレンシアCF 29 1 0 0 0 0 29 1
2006–07 36 1 2 1 12 1 50 3
2007–08 32 1 3 0 7 0 42 1
2008–09 34 2 2 0 6 0 42 2
2009–10 レアル・マドリード 33 0 2 0 8 1 43 1
2010–11 20 0 6 0 6 0 32 0
2011–12 10 0 2 0 5 0 17 0
2012–13 18 1 5 0 3 0 26 1
通算 264 9 23 1 48 2 336 12

脚注[編集]

外部リンク[編集]