リカルド・カルヴァーリョ

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リカルド・カルヴァーリョ Football pictogram.svg
Carvalho in 2010-11 Real Madrid.jpg
名前
本名 リカルド・アルベルト・シルヴェイラ・カルヴァーリョ
Ricardo Alberto Silveira Carvalho
愛称 リッキー
ラテン文字 Ricardo Carvalho
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 1978年5月18日(35歳)
出身地 アマランテ
身長 183cm
体重 78kg
選手情報
在籍チーム モナコの旗 ASモナコ
ポジション DF (CB)
背番号 6
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-1998
1998-2004
1999-2000
2000-2001
2004-2010
2010-2013
2013-
レッサ
FCポルト
ヴィトリア・セトゥーバル
FCアルベルサ
チェルシーFC
レアル・マドリード
ASモナコ
22 (1)
72 (6)
25 (2)
29 (1)
135 (7)
50 (3)
代表歴
2003-2011 ポルトガルの旗 ポルトガル 75 (4)
2012.8.30現在
1. 国内リーグ戦に限る。2012年5月16日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

リカルド・アルベルト・シルヴェイラ・カルヴァーリョ(Ricardo Alberto Silveira Carvalho, 1978年5月18日 - )は、ポルトガルポルト近郊の都市アマランテ出身のサッカー選手リーグアンASモナコ所属。ポジションはDF

人物[編集]

鋭い読みで相手の攻撃を寸断し、ラインコントロールや後方からのビルドアップなど頭脳的なプレーも一級品の守備職人[1]。空中戦に強くテクニックもあり、そのプレーはかつてイタリア代表ACミランで活躍したフランコ・バレージとも比較されている[2]。ファウルまがいの激しいプレーも厭わず、チェルシー時代に「自分の身体はプレミアリーグの一般的なセンターバックに比べて決して強くはない。しかし、激しいプレーやタックルが好きで、芝の上を滑ることが好きだ。」と語っている。チェルシー移籍初年度、タフでフィジカルの強いイングランドの選手に対抗するため2005年5月からジムに通い身体を作った[3]

同郷でありFCポルト時代の恩師であるジョゼ・モウリーニョを最高の監督と語っており[4]、ポルト、チェルシー、レアル・マドリードと異なる3つのクラブでモウリーニョの下でプレーした。

ポルトガル人の夫人との間に二人の子供がいる。

経歴[編集]

クラブ経歴[編集]

1996-97シーズンにポルトガルの名門FCポルトの下部組織に入団。翌年にはトップチームでデビューを果たした。1999-00、2000-01シーズンはレンタル移籍されたが、2002年ジョルジュ・コスタの代役としてジョゼ・モウリーニョに抜擢されると[5]2002-03シーズンには多くのタイトルを獲得。カルヴァーリョはポルトガル年間最優秀選手賞を受賞する活躍をした。2004年にはリーグスーパーカップ連覇のほかクラブ2度目となるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を果たし、チャンピオンズリーグに全試合フル出場したカルヴァーリョもUEFA最優秀DF賞UEFAチーム・オブ・ザ・イヤーを獲得した。また、その年のバロンドールではルート・ファン・ニステルローイと並んでディフェンダー最上位となる9位に選ばれた[6]。そうした活躍で注目を集めたカルヴァーリョに対して、2004年夏の移籍市場でインテルFCバルセロナレアル・マドリードマンチェスター・ユナイテッドなどが獲得のための調査を行い[7]、レアル・マドリードは移籍金700万ポンドを提示した。しかし、ポルト側は2,000万ポンド未満でのオファーは受け付けないとし、そのオファーを拒否した[8]。その後、ロマン・アブラモヴィッチが買収して資金力を得たチェルシーから移籍金3000万ユーロのオファーを受けた。

チェルシーでプレーするカルヴァーリョ(2009年)

その後、モウリーニョ、パウロ・フェレイラと共にチェルシーに移籍[9]マルセル・デサイーに代わる存在として[5]ジョン・テリーらとともに強固なディフェンス陣を形成し、50年ぶりとなるリーグタイトル獲得に貢献すると共に、カーリング・カップの2冠を達成する。ノリッジ・シティ戦では初得点も記録。2005-06シーズン、カルヴァーリョは開幕戦に自身を出場させなかったモウリーニョに対し公の場で不満を爆発させた。それに対してアーセナル戦でメンバー漏れし、8万5000ポンドの罰金を科せられた[10]。その後本人は謝罪。この直後に1試合だけ左SBで出場させられた。その試合では1得点決めている。

2006-07シーズンはチェルシーの選手の多くが怪我に見舞われ、テリーに変わってディフェンスリーダーを務める機会も多くなった。そのシーズン、モウリーニョは「06-07シーズンではチェルシーでもっとも信頼の置けるディフェンダー」と語った。4月7日に行われたトッテナム戦では、30ヤードの距離からシュートを決めた。4月28日のボルトン戦で足を負傷してしまい、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝セカンドレグのリヴァプール戦、FAカップ決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦に欠場した。

2007-08シーズンは、モウリーニョが去ったことによりレアル・マドリードから興味が伝えられる[11]も残留。チェルシーでの150試合目となるミドルスブラ戦では決勝ゴールも挙げた[12]。また、4月26日のマンチェスター・ユナイテッド戦でプレミアリーグ100試合出場も達成した。そして、5月にはジョー・コールミヒャエル・バラックらと共にチェルシーのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた[13]。一方でカルヴァーリョは、再びモウリーニョの下でプレーしたいと希望を語った[14]。翌2008-09シーズンでは怪我が増え数週間以上の離脱も多くなっており、18試合の出場に止まった[15]

2009年夏、カルヴァーリョは「最初の4シーズンは素晴らしかったが、最後の1年は違った」として[16]、かつての恩師であるモウリーニョが率いるインテル・ミラノへの移籍を志願した。結局その年は残留し、コミュニティーシールドを獲得したほか、プレミアリーグ、FAカップも制した。8月9日に行われたマンチェスター・ユナイテッドとのコミュニティーシールドでは、ルイス・ナニのゴールによって1点ビハインドで迎えた後半にダイビングヘッドから同点ゴールを決めるなど勝利に貢献し[17]、その試合のマン・オブ・ザ・マッチにも選ばれた。その後も12月20日ウェストハム・ユナイテッド戦でチェルシーでの200試合出場を果たした[18]。しかし、2010年3月24日ポーツマス戦でまたしても負傷してしまった。チームを離れている間、テリーとアレックスがファーストチョイスとなり[19]、さらにポルトガル代表監督であるカルロス・ケイロスが、カルヴァーリョが南アフリカW杯のメンバーに入れない可能性も示唆した[20]。その怪我によってリーグ戦やFAカップ決勝に出場することが出来なかったカルヴァーリョは、チェルシーからの退団、そしてモウリーニョが新たに監督として就任したレアル・マドリードへの移籍願望を語った[21]

2010年8月10日、移籍金670万ポンドの2年契約でレアル・マドリードに移籍、三度モウリーニョの下でプレーすることとなった。マジョルカとのリーグ開幕戦では先発出場し、ホーム初戦である第2節オサスナ戦ではクリスティアーノ・ロナウドのパスから決勝点となる移籍後初ゴールも挙げた。その後も多くの試合に先発出場し、サンティアゴ・ベルナベウで行われたアトレティコ・マドリードとのダービー戦でも前半13分に得点を決め、試合のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[22]

出場すれば経験豊富な老獪な技術で守備陣を統率するも、近年は加齢もあってか負傷の頻度が増えている。2011-12シーズンは背中やひざなどの故障に悩まされ、2012年1月18日に行われたコパ・デル・レイでのエル・クラシコで4ヶ月ぶりに戦線復帰した。しかし、その後もセルヒオ・ラモスペペらが重宝され、出場機会は激減。2012-13シーズンはラファエル・ヴァラーヌに背番号2を奪われ、遂に構想外となった。

2013年5月28日、自由契約でASモナコに移籍、契約期間は1年[23]

代表歴[編集]

ポルトガル代表でのR.カルヴァーリョ(左からP.フェレイラペペカルヴァーリョJ.ボシングワ

2003年10月11日アルバニアとの親善試合でポルトガル代表デビュー。EURO2004のグループリーグ初戦であるギリシャ戦後、フェルナンド・コウトからスターティングメンバーの座を奪った[24]。大会では優秀選手に選ばれ、ポルトガルの準優勝にも貢献。アラン・ハンセンソル・キャンベルと共に大会で最も優れたディフェンダーに挙げられた[25]

ドイツW杯の準々決勝、対イングランド戦でウェイン・ルーニーに股間を踏まれる。この行為により、ルーニーはレッドカードを掲示されて退場させられた。その際、クリスティアーノ・ロナウドがポルトガルのベンチに向かってウインクする映像が映し出されたことにより、イギリスのメディアはロナウドの抗議がオラシオ・エリソンドの判断に影響を与えたのではないかと推測した。その試合は結局、PK戦までもつれ込むもポルトガルが勝利した。準決勝のフランス戦、カルヴァーリョはペナルティエリア内でティエリ・アンリに対してファールを犯してPKを与えると、ジネディーヌ・ジダンに決められた。それが決勝点となり、ポルトガルは敗れた[26]。3-1で敗れたドイツとの3位決定戦には、累積警告で出場することは出来なかった。その試合を除く全ての試合に出場し、大会のオールスターチーム23人にも選ばれた。

EURO2008では、グループステージのトルコ戦、チェコ戦、準々決勝のドイツ戦の3試合に出場。南アフリカW杯でも先発に選ばれ、ブルーノ・アルヴェスとDFコンビを組んだ。

2011年8月31日に行われた代表遠征の練習において控え組に回され、それに不満を持ったカルヴァーリョはパウロ・ベント監督と衝突。代表キャンプを途中で放棄した[27]。この騒動によってカルヴァーリョは代表から追放され、ベントも「リカルドが望むなら、私はいつでも彼と話す準備がある。しかし、プロフェッショナルとしての見解で、このままなら私は自分の意見を変えることはない」と語った[28]。また、カルヴァーリョも代表引退の考えを明かした。その後ベントは話し合いの場を設け、代表復帰の可能性も示唆した。しかし、ポルトガルサッカー連盟はこの騒動を重く受け止め、カルヴァーリョに対して1年間の代表戦出場停止処分を課した[29]

所属クラブ[編集]

ポルトガルの旗 ヴィトリア・セトゥーバル 1999-2000 (loan)
ポルトガルの旗 FCアルベルサ 2000-2001 (loan)

獲得タイトル[編集]

チェルシーでのカルヴァーリョ(2007年)

FCポルト[編集]

チェルシー[編集]

レアル・マドリード[編集]

個人成績[編集]

シーズン クラブ ディビシオン リーグ カップ リーグカップ UEFA その他 シーズン通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
1997-98 レッサ スーペル・リーガ 22 1 2 0 - - - - - - 24 1
1998-99 FCポルト 1 0 0 0 - - 0 0 0 0 1 0
1999-00 ヴィトリア・セトゥーバル 25 2 2 0 - - - - - - 27 2
2000-01 FCアルベルサ 29 1 3 0 - - - - - - 32 1
2001-02 FCポルト 25 0 2 0 - - 10 0 - - 37 0
2002-03 18 1 6 0 - - 7 0 1 0 32 1
2003-04 29 2 3 0 - - 13 1 1 0 46 3
2004-05 チェルシーFC プレミアリーグ 25 1 1 0 3 0 10 0 - - 39 1
2005-06 24 1 3 0 0 0 8 2 0 0 35 3
2006-07 31 3 5 1 4 0 10 0 1 0 51 4
2007-08 21 1 2 0 4 0 10 0 1 0 38 1
2008-09 12 1 2 0 0 0 4 0 - - 18 1
2009-10 22 0 1 0 0 0 5 0 1 1 29 1
2010-11 レアル・マドリード プリメーラ・ディビシオン 33 3 6 0 - - 9 0 - - 48 3
2011-12 8 0 1 0 - - 2 0 2 0 13 0
2012-13 8 0 6 0 - - 1 0 0 0 15 0
ポルトガル通算 149 7 18 0 0 0 30 1 2 0 199 8
イングランド通算 135 7 14 1 11 0 47 2 3 1 210 11
スペイン通算 49 3 13 0 0 0 12 0 2 0 76 3
クラブ通算 333 17 45 1 11 0 89 3 7 1 485 22

脚注[編集]

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  1. ^ REAL MADRID レアル・マドリー リカルド・カルヴァーリョOCNスポーツ
  2. ^ Who's coming to England?BBC Sport、2004年5月29日
  3. ^ Carvalho strengthens Chelsea's grip at the topUEFA.com、2010年2月9日
  4. ^ R・カルバーリョ:「モウリーニョは世界のベスト」Goal.com、2010年9月7日
  5. ^ a b リカルド・カルバーリョGoal.com
  6. ^ European Footballer of the Year ("Ballon d'Or") 2004rsssf.com、2004年12月14日
  7. ^ Doidos por RicardoRecord、2004年6月25日
  8. ^ Carvalho priced at £20mBBC Sport、2004年7月18日
  9. ^ Chelsea to sign FerreiraBBC Sport、2004年6月23日
  10. ^ Mourinho angered by Carvalho rantBBC Sport、2005年8月19日
  11. ^ Real Madrid target Chelsea's Ricardo CarvalhoThe Daily Telegraph、2008年4月24日
  12. ^ Chelsea 1-0 MiddlesbroughBBC Sport、2008年3月30日
  13. ^ JOE IS FANS' NUMBER ONEchelseafc.com、2008年5月8日
  14. ^ カルバーリョ モウリーニョ監督の下でのプレーを熱望AFPBB News、2008年6月11日
  15. ^ Carv up for JoseThe Sun、2009年6月16日
  16. ^ Ricardo Carvalho Let me go ChelseaThe Sun、2009年7月7日
  17. ^ Ancelotti's Blues on the spotThe FA.com、2009年8月9日
  18. ^ CARVALHO: 200 AND COUNTING...chelseafc.com、2009年12月18日
  19. ^ Chelsea rocked by Ricardo Carvalho ankle injuryBBC Sport、2010年3月25日
  20. ^ Futebol: Mundial2010 - Ricardo Carvalho evita cirurgia e estará apto para a seleçãoDiário de Notícias、2010年3月26日
  21. ^ Carvalho: I Want Real SwitchThe Sun、2010年7月24日
  22. ^ Carvalho impone su ley en las dos áreas del derbiMarca、2010年11月8日
  23. ^ R・カルバーリョもモナコへ - Goal.com、2013年5月29日
  24. ^ Chelsea land CarvalhoBBC Sport、2004年7月28日
  25. ^ Alan Hansen's title verdictBBC Sport、2004年8月9日
  26. ^ Portugal 0-1 FranceBBC Sport、2006年7月5日
  27. ^ R・カルバーリョ、ポルトガル代表監督と確執か - goal.com、2011年9月1日
  28. ^ R・カルバーリョの代表追放騒動に終止符打つ指揮官 - asahi.com、2011年9月8日
  29. ^ R・カルバーリョ、1年は代表戦アウト - Goal.com、2011年9月14日