ロナウジーニョ

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ロナウジーニョ・ガウーショ
名前
本名 ロナウド・デ・アシス・モレイラ
愛称 ロニー
カタカナ ロ(ホ)ナウジーニョ・ガウーショ
ラテン文字 RONALDINHO GAUCHO
基本情報
国籍 ブラジル スペイン
生年月日 1980年3月21日(28歳)
出身地 ポルト・アレグレ
身長 182cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム ACミラン
ポジション FW(ST、LWG)、MF(OH)
背番号 80
利き足 右足


代表歴
出場 76
得点 30
2007年8月26日現在

Template(ノート 解説)サッカー選手pj

ロナウジーニョ・ガウーショ(Ronaldinho Gaúcho、本名 ロナウド・デ・アシス・モレイラ:Ronaldo de Assis Moreira、1980年3月21日 - )はブラジルポルト・アレグレ出身のサッカー選手。愛称はガウーショ、またホナウジーニョと表記される事もある(名前の読みについては後述)。

ポジションはフォワードミッドフィールダー(主に1.5列目)。

目次

[編集] 人物

[編集] 愛称

通称ロナジー。 Ronaldinhoは、日本ではナウジーニョと多く表記・呼称される。彼の出身であるポルト・アレグレなどの南部では、R発音は昔のポルトガル語発音であるラ行も多いが、現在ブラジルではリオなどの北部を中心として広い範囲でブラジルポルトガル語からR発音はハ行で読むのがほぼ一般的になりつつある。したがって日本でもナウジーニョというネイティブに近い表記・呼称も多い。このため、表記や読みを完全に統一することは難しくなっている。

また、Ronaldinhoとは「小さなロナウド」というアペリードであるが、セレソン選出当時に既にロナウド(ロナウド・ルイス・ナザリオ・ジ・リマ)がおり、彼がロナウジーニョと呼ばれていた。後から入ったロナウド(ロナウド・デ・アシス・モレイラ)もロナウジーニョと呼ばれたが、ホナウド=ホナウジーニョと区別するために、ブラジル南部出身である事から彼はガウーショとも呼ばれることになる。ガウーショとは南米のカウボーイを意味し、ブラジル国内では南部地域、とりわけリオグランデ・ド・スル州サンタカタリナ州出身の男性(気質)を強調する際に用いられる語である(戦争の時にガウチョが活躍したため)。

現在、ブラジルではロナウドはロナウジーニョもしくはFenômeno(フェノーメノ、天変地異、転じて「怪物」)、ロナウジーニョをGaúcho(ガウーショ、ロナウジーニョ・ガウーショ)と呼び区別している。

なお、このようにブラジル人を本名で呼ばず、愛称で呼ぶことが多いのは、母親と父親の名前の両方を受け継ぎ、名前が非常に長くなることと、またロナウドのように同じ名前が非常に多いためである。

[編集] 家族

ロナウジーニョの代理人である実兄のロベルトは、1999年アシスという登録名でコンサドーレ札幌に在籍していた。

[編集] スポンサーシップ

2008年4月、アムウェイのサプリメントブランドであるニュートリライトとグローバル契約を結んだ。

[編集] 経歴

ブラジルA代表デビューは1999年6月26日ラトビア戦。その直後に開催されたコパ・アメリカのメンバーにも選ばれ、対ベネズエラ戦の技巧的なゴールはブラジル国民に衝撃を与えた。

1999年のFIFAコンフェデレーションズカップ2000年シドニーオリンピック予選で得点王を獲得。2002年日韓W杯では、ロナウド・リバウドと共に強力な攻撃ユニットを組み(3人のイニシャルから「3R」と呼ばれた)、優勝に貢献。2006年ドイツW杯ではクラブでの活躍やバロンドールを獲得していることなどから「ロナウジーニョのための大会」とまで言われ注目を集めたが、結局1ゴールも挙げないまま同国は準々決勝で敗退してしまう。このことにブラジル国民は怒り、ブラジルにあるロナウジーニョの像が燃やされる事態にもなった。

クラブでは、2003年フランスパリ・サンジェルマンからリバウドの後釜を探していたFCバルセロナに移籍(レアル・マドリードマンチェスター・ユナイテッドとも交渉を行っていた)。リバウドも背負った10番を身にまとい、ローテーションを取り入れたクラブの中心選手として君臨し、ファンに愛された。

2004年、2005年と2年連続でFIFA選出の世界最優秀選手に選ばれた。また2005年には欧州最優秀選手(バロンドール)にも選ばれ、ペレが選んだ偉大なサッカー選手100人『FIFA 100』、2006年にUEFA年間最優秀選手に選出される。

2008年4月にフランス・フットボール誌が発表した世界のサッカー選手の年収ランキングで第2位(2410万ユーロ)に選ばれた。(1位はデビッド・ベッカム

2008年7月15日、イタリアセリエAACミランへ3年契約での完全移籍が発表された。マンチェスター・シティからより高いオファーを受けていたのだが、それを断っての選択だった。背番号をめぐっては現10番クラレンス・セードルフとの駆け引きに注目が集まったが、自らの生まれた年にちなんで80番を背負う予定。

[編集] プレースタイル

自由奔放なプレイのなかで洗練された高度な技術を駆使し、独創的なプレーで観客を魅了する。

バルセロナでのプレーエリアは基本を左サイドとしているが、ポジションはないに等しく試合中に頻繁に中央や右に流れる。ディフェンスにはほとんど関与せず、もっぱら休憩時間としている。

幼少時代は線の細さを指摘されていたが、ブラジル時代のクラブチームの方針で筋力トレーニングを重ね、フィジカルの強さも手に入れた。05-06シーズンの欧州CL決勝トーナメント1回戦のチェルシー戦では屈強で有名なチェルシーのジョン・テリーのショルダーチャージを弾き返した事もある。しかし今現在は重量感が増し過ぎて、以前のような身体のキレが影を潜めている。

[編集] ドリブル

体が左右に横揺れしてるようなリズミカルな動きが特徴的で、ほぼ右足のアウトフロントにボールを引掛けてドリブルを開始する。トップスピードでも繊細なボールタッチが可能であり、複雑なフェイントを駆使しつつもスピードに秀でる突破はまさに天才ドリブラーと呼ぶに相応しい。変則的なシザースやロコモーティヴ、シザースからのマシューズ、スピードに乗った状態からのメイア・ルア等をその場に応じて感覚的に使い分ける。突破のイメージとしては緩急の差が激しく、直角的な突破が多い。ボールコントロールも巧みで、故に浮き球でも処理することなくリフティングの要領で突破するシーンも多い。

ロナウジーニョの代名詞ともいえる足首を使った“Elastico(エラシコ)”と呼ばれるフェイントは有名。スポーツ工学の専門家が検証を行ったところ、横に移動しながらでも重心が身体の中心からほとんどずれていないことが確認された。

[編集] パス

30m程度の正確なミドルパス、2列目3列目の選手の飛び出しを上手く使うスルーパスを武器とし、自身へのマークの厳しさを逆に餌として、トリッキーなワンタッチプレー、引きつけてからのサイドチェンジ等を使い分ける。ロナウジーニョのユニークなプレイスタイルの象徴的ともいえるノールックパスは有名。

試合中に味方からのパスを背中でFWに落としてアシストを記録したこともあるが、インタビューではそのプレーについて「狙ってやった」と語った。同時に「練習でやっていないことは本番でもできない」ともコメントを残している。

[編集] シュート

右足を振りぬいて巻き込むようにカーブをかけたシュートを好んでおり、膝下だけを振りぬくようなシュートだけにモーションが少ない。ロナウジーニョの印象深いゴールは04-05シーズンの欧州CL決勝トーナメント1回戦のチェルシー戦で、ゴール前のシュートチャンスに腰と足首で3、4回フェイントをかけ、そして右足だけを振りぬき決めたゴールが挙げられる。彼は自分のこのシュートに対し「ピンボールのようだった」と語っている。 たまに、角度がなところからでも大袈裟にサイドネット目掛けて蹴ってるような場面があったりする。

ミドルシュートは得意としてないが、プレースキックは得意で直接フリーキックで得点を決めることも多い。通常の変化をかけたボールだけでなく、06-07シーズンの欧州CL決勝トーナメントのブレーメン戦ではジャンプする壁の下を通す、地を這うような弾道のフリーキックで得点を決めている。

[編集] ロナウジーニョとメンタル

大変な負けず嫌いで、勝負事では手を抜かないことは有名だが、反面燃え尽き症候群のようなことが多々見られる。日韓W杯優勝、05-06CL優勝後のロナウジーニョの言動の変貌ぶりは周りの人間を驚かせたという。ただ、本来は試合前に選手一人一人と抱擁を交わし、味方選手を励ます選手であり、どんな強敵を前にしても勇猛果敢にそのファンタジックなプレーをする様は、チームに多大な勇気を与えている。

試合中もサッカーを楽しむことを忘れない選手であり、たびたび笑顔をちらつかせプレーしている。これほど笑顔を絶やさずプレーする選手は、かつてのセレソンの英雄ガリンシャとロナウジーニョをおいて他にいないと言われてる。

[編集] エピソード

  • ナイキのCMにも多く出演しており、主にその華麗なボール捌きを題材にしている。特に、ボールを一度も落とす事なく4連続でクロスバーに命中させるという神がかり的な映像は、実際のプレーなのか合成映像なのか論争になり、現在も真偽は不明だが本人は合成であることを否定。ナイキジャパンのスタッフで、現地にいた人間は『あれは実際にやったプレー』と証言している。
  • 2006年にはナイキとの縁で、ファンであるマイケル・ジョーダンと対談した。スーパースターであるロナウジーニョも、さすがに憧れのジョーダンの前では子供のように目を輝かせていた。
  • 2006年には、ゴマブックスから人生を叙事的につづった『ロナウジーニョ The Smiling Champion』が出版された。
  • 2007年にスペイン国籍を取得している。
  • 日本代表監督を務めたイビチャ・オシム氏に「好不調の波が激しく絶好調か絶不調しかない選手。彼が活躍するには不調時もカバーしてくれる献身的に動き回る極めてレベルの高いチームメイトが必要」とコメントされていた。

[編集] リバウドとの関係

ロナウジーニョにとってロナウドは特別な存在であることは良く知られているが、リバウドとの関係はあまり知られていない。とある雑誌で、FCバルセロナ加入時に「リバウドやロナウドのような僕のアイドルのあとを追う事が出来て嬉しい」と語っている。

2002年夏、ルイス・ファン・ハールの監督復帰によってリバウドとバルサの間に決定的な亀裂が生じた。このような状況の中、10番としてやってきたのがフアン・ロマン・リケルメであった。その後リバウドはミランへと移籍。リケルメは後の2006年W杯でアルゼンチン代表の主軸を担う選手だが、当時の彼はプレーにムラがあり、監督であるファン・ハールの戦術にもフィットしなかった。当時リバウドはジダンらと並び称されるトッププレーヤーながら、プレーやポジション、チームでの役割は異質なものがあり、その穴を埋めるのは至難の技だったと言える。そんな中バルサが目をつけたのが、当時パリ・サンジェルマンに所属していたロナウジーニョであった。

スペインはフランスと違いポルトガル語が通じる上に生活習慣にも共通点が多く、元々ロナウジーニョはスペインに行きたいという願望があったよう。そしてブラジル代表とFCバルセロナで10番を背負っていたリバウドの後釜としてカンプ・ノウの舞台に立ち、その上でタイトルの獲得、バロンドール、年間最優秀選手などの個人タイトルを獲得し、はては代表で背番号10を付けていく経緯は大変意味深である。結果的にはリバウドの辿ったミランへの移籍も決まった。

[編集] 所属クラブ

[編集] タイトル

代表
オリンピック
男子サッカー
2008 サッカー
クラブ
個人

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1998 グレミオ 5 0
1999 グレミオ 19 6
2000 グレミオ 11 8
2001 グレミオ 0 0
フランス リーグ戦 リーグ杯 フランス杯 期間通算
2001-02 パリ-SG 21 28 10
2002-03 パリ-SG 10 27 8
スペイン リーグ戦 国王杯 オープン杯 期間通算
2003-04 バルセロナ 10 32 15
2004-05 バルセロナ 10 35 9
2005-06 バルセロナ 10 29 17
2006-07 バルセロナ 10 32 21
2007-08 バルセロナ 10 17 8
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
2008-09 ミラン 80
通算 ブラジル
フランス
スペイン
イタリア
総通算

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ



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FIFA最優秀選手
2004, 2005
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2005
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