ライー

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ライー Football pictogram.svg
Raí Souza Vieira de Oliveira 01.jpg
名前
本名 ライー・ソウザ・ヴィエイラ・ジ・オリヴェイラ
ラテン文字 RAI
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1965年5月15日(48歳)
出身地 リベイラン・プレト
身長 189cm
体重 89kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
代表歴
1987-1998 ブラジルの旗 ブラジル 51 (17)
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ライーこと、ライー・ソウザ・ヴィエイラ・ジ・オリヴェイラRaí Souza Vieira de Oliveira, 1965年5月15日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手

実兄のソクラテスは「ドトール(医者、博士)」の愛称で呼ばれた1980年代を代表するサッカー選手で、スペインW杯の「黄金のカルテット」の一人でもある。

目次

略歴 [編集]

サンパウロFC1992年トヨタカップを制した時のキャプテン。そのときのゴールは伝説の股間ゴールと称されている。

ボタフォゴFCでキャリアをスタートすると頭角を現し1988年にブラジル代表へ選出、同年にはサンパウロFCに移籍するが適応する事が出来ず、長い低迷期に入り代表からも外れる。数年の雌伏を経てライーは復調を果たしサンパウロFCの不動のエースに成長。ブラジル代表には1991年カルロス・アルベルト・パレイラが監督に就任すると復帰し、不動の10番として活躍した。1992年にはサンパウロFCにインターコンティネンタルカップをもたらした。

この活躍を受けて、1993年にライーはフランスパリ・サンジェルマンに移籍。しかし、ライーはここでも短期間でフィットすることができず、絶不調に陥る。ちょうどアメリカ大会予選の真っ最中だったが、パレイラはあくまでライーを10番(プレーメーカー)として起用し続けた。絶不調に対し「10番論争」がブラジル世論を席巻したが、「ライーが復調すれば10番問題は片付く」とパレイラは擁護し続けた。

しかし、ライーは1994年に入っても不振を極め、当時、日本で最晩年を迎えたジーコ待望論が起きるほどだった。迎えたアメリカワールドカップの開幕戦、注目のブラジル代表の10番、主将、プレーメーカーはライーだった。ライーはPKで得点するが、全般的に低調で、決勝トーナメントに入るとライーの指定席はベンチとなり、これ以降、ブラジル代表主将は「闘将ドゥンガ」のものとなった。

皮肉なことにライーは、1994年アメリカ大会以降、パリ・サンジェルマンで復調。しかし、ブラジル代表の10番は、レオナルドリバウドに任されることとなった。結局、レオナルド、リバウドに押され、ザガロが監督になって以降、セレソンに招集されることはほとんどなくなっていき、フランスリーグでプレイしながら、1998年フランス大会には、招集されなかった。

ライーは選手としての晩年をサンパウロFCで過ごし、2000年に現役を引退した。

所属クラブ [編集]

記録 [編集]

サンパウロFC時代 - 393試合 (クラブ歴代最多出場21位)、124ゴール (クラブ最多得点ランキング8位)- 2005年7月現在

外部リンク [編集]