UCサンプドリア
| UCサンプドリア | ||||
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| 原語表記 | Unione Calcio Sampdoria s.p.a | |||
| 愛称 | Samp, Blucerchiati | |||
| クラブカラー | ||||
| 創設年 | 1946年 | |||
| 所属リーグ | セリエA | |||
| ホームタウン | ジェノヴァ | |||
| ホームスタジアム | スタディオ・ルイジ・フェッラーリス | |||
| 収容人数 | 41,917 | |||
| 代表者 | ||||
| 監督 | ||||
| 公式サイト | 公式サイト | |||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | ||||
ウニオーネ・カルチョ・サンプドリア s.p.a(伊: Unione Calcio Sampdoria s.p.a)は、イタリア・ジェノヴァを本拠地とするサッカークラブチーム。
愛称「サンプ」または「ブルチェルキアーティ(青に囲まれしもの)」。
目次 |
歴史 [編集]
1946年にサンピエルダレネーゼとアンドレア・ドリアが合併して誕生。1980年代にはパオロ・マントバーニ会長による積極経営の下で、セリエAを代表するチームに成長し、名将ヴヤディン・ボシュコヴの下で1990-91シーズンにはセリエA優勝を果たした。しかしその後は資金難により1998-99シーズンにはセリエBに降格。2003-04シーズンにはセリエAに復帰し、安定した経営により中堅クラブとして地位を確立していたが、2010-11シーズンはリカルド・ガッローネ会長がアントニオ・カッサーノと喧嘩となり、冬の移籍でカッサーノがミランに移籍し、ジャンパオロ・パッツィーニもインテルに移籍したこともあり、決定力不足が顕著に表れて18位となり8シーズンぶりにセリエBへの降格となった[1]。2011-12シーズンは6位になり、プレーオフでASヴァレーゼ1910に勝利してセリエA復帰を決めた。
なお、2003-04シーズンには日本の柳沢敦が所属していた。
同じくジェノバを本拠地とする古豪ジェノアCFCとはライバル関係にあり、両クラブの対戦はデルビー・デッラ・ランテルナ(灯台ダービー)と呼ばれる。
タイトル [編集]
国内タイトル [編集]
- スクデット: 1回
- 1990-1991
- コッパ・イタリア: 4回
- 1984-1985, 1987-1988, 1988-1989, 1993-1994
国際タイトル [編集]
- UEFAカップウィナーズカップ: 1回
- 1989-1990
過去の成績 [編集]
- 1987-1988 セリエA 4位
- 1988-1989 セリエA 5位
- 1989-1990 セリエA 5位
- 1990-1991 セリエA 優勝
- 1991-1992 セリエA 6位
- 1992-1993 セリエA 7位
- 1993-1994 セリエA 3位
- 1994-1995 セリエA 8位
- 1997-1998 セリエA 9位
- 1998-1999 セリエA 16位(セリエB降格)
- 1999-2000 セリエB 5位
- 2000-2001 セリエB 5位
- 2001-2002 セリエB 10位
- 2002-2003 セリエB 2位 昇格
- 2003-2004 セリエA 8位
- 2004-2005 セリエA 5位
- 2005-2006 セリエA 14位→12位
- 2006-2007 セリエA 9位
- 2007-2008 セリエA 6位
- 2008-2009 セリエA 12位
- 2009-2010 セリエA 4位
- 2010-2011 セリエA 18位(セリエB降格)
- 2011-2012 セリエB 6位 プレーオフで昇格
- 2012-2013 セリエA 14位
歴代会長 [編集]
- パオロ・マントバーニ(1930-1993)
サンプドリア黄金期を創り上げた伝説の会長。ローマ出身。 サンプドリアにおけるこの会長の功績は計り知れない。
1979年、自身が所有する船舶の一部を売却し、セリエBに低迷していたサンプドリアを買収。1982年にセリエA昇格を成し遂げ、ボローニャより40億リラでロベルト・マンチーニを獲得。1984年には当時代表でもコンビを組んでいたジャンルカ・ビアッリを30億リラでクレモネーゼより獲得。その後も積極的にクラブへ投資し、トニーニョ・セレーゾ、ジャンルカ・パリュウカ、アッティリオ・ロムバルドなど優秀な選手を集める事に成功。 そして1990-91のスクデットを頂点とする「サンプ・ドーロ」と呼ばれる黄金期を創出した。
1993年、持病の心臓病が悪化し逝去。 葬儀の際、その棺をマンチーニをはじめとするサンプの選手達が運んだ映像はジェノバ市民のみならず、多くの人の涙を誘った。
- エンリコ・マントバーニ(任1993-2002)
パオロ・マントバーニの息子。パオロ逝去後、会長に就任。 在任中はシニシャ・ミハイロヴィッチ、クラレンス・セードルフ、クリスティアン・カランブー、フアン・セバスティアン・ベロンなど、優秀な選手を集めたもののクラブの財政状況の悪化から長く引き留めることはできなかった。
父パオロとは異なり、クラブの財政悪化によりビジネスライクに物事を運んだため、優秀な選手は集めるもののチーム強化には至らなかった。更にチームの象徴であるマンチーニとの確執も表面化。96-97シーズンを最後にマンチーニは、監督であったエリクソンとともにラツィオへ去った。 98-99シーズンはアリエル・オルテガやヴィンチェンツォ・モンテッラを要したもののチームとしてはうまく機能しなかった。更に監督の解任-再任騒動などフロントの対応のまずさも露呈し、最終節を待たずにセリエBに陥落した。
そして3年後の2002年にクラブは深刻な経営危機に陥り、マントバーニ一族はクラブの経営から手を引いた。
- リカルド・ガッローネ(任2002-2013)
ガッローネは石油精製業を経営するイタリア有数の大富豪であり、2002年財政破綻寸前のサンプドリアをマントバーニ一族より買収した。チームをセリエC1降格の危機より救い、ジュゼッペ・マロッタをGM(ジェネラル・マネージャー)に招聘、小規模予算ながら堅実かつ強力なチームづくりに成功した。2002-03シーズンにはワルテル・ノヴェッリーノ監督の下でセリエA昇格を果たした。
2009-10シーズンはルイジ・デル・ネーリ監督の下、ジャンパオロ・パッツィーニ、前任者ワルテル・マッツァーリ監督の下で再生を果たしたアントニオ・カッサーノの2トップが機能し、4位という大躍進を遂げ、UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11のプレーオフからの出場権を獲得した。
2010-11シーズンにはセリエB降格を経験し、2011-12シーズンは苦しみながらも途中就任したジュゼッペ・イアキーニ監督の下でプレーオフを経て、セリエA昇格を果たした。しかし晩年は、デル・ネーリ退任以降は相次ぐ監督解任と2012-13シーズンには昇格の功労者イアキーニを切り、インテルを率いた経験を持つラファエル・ベニテス招聘を検討するなど、一貫性のないチーム作りが露呈しまう結果となった。
2013年1月21日、癌により76歳で逝去。
現所属メンバー [編集]
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括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍選手 [編集]
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歴代監督 [編集]
デリオ・ロッシ 2012-
チロ・フェラーラ 2012
ジュゼッペ・イアキーニ 2011-2012
ジャンルカ・アッツォーリ 2011
アルベルト・カヴァジン 2011
ドメニコ・ディ・カルロ 2010-2011
ルイジ・デル・ネーリ 2009-2010
ワルテル・マッツァーリ 2007-2009
ワルテル・ノヴェッリーノ 2002-2007
ルイジ・カーニ 2000-2001
ルチアーノ・スパレッティ 1998,1999
セサル・ルイス・メノッティ 1997
スヴェン・ゴラン・エリクソン 1992-1997
セルジオ・サンタリーニ
ヴヤディン・ボシュコヴ 1986-1992,1997-1998
歴代所属選手 [編集]
詳細は「:Category:UCサンプドリアの選手」を参照
GK [編集]
パオロ・コンティ 1981-1983
イヴァノ・ボルドン 1983-1986
ジャンルカ・パリュウカ 1986-1994
ワルター・ゼンガ 1994-1996
フランチェスコ・アントニオーリ 2003-2006
ルカ・カステラッツィ 2005-2010
マルコ・ストラーリ 2010
DF [編集]
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MF [編集]
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FW [編集]
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注釈 [編集]
- ^ 内部分裂で降格のサンプドリア 会長息子 チーム運営の失敗認める(2011年5月17日スポーツニッポンより)-2011年5月22日閲覧
外部リンク [編集]
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