カルロス・テベス
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|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||
| 本名 | Carlos Alberto Tévez | |||
| カタカナ | カルロス・アルベルト・テベス | |||
| ラテン文字 | Carlos TEVEZ | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1984年2月5日(28歳) | |||
| 出身地 | ブエノスアイレス | |||
| 身長 | 173cm | |||
| 体重 | 75kg | |||
| 選手情報 | ||||
| 在籍チーム | ||||
| ポジション | FW | |||
| 背番号 | 32 | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 2 | ||||
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| 2. 2011年6月20日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 男子 サッカー | ||
| 金 | 2004 | サッカー |
カルロス・アルベルト・テベス(Carlos Alberto Tévez, 1984年2月5日 - )は、アルゼンチン出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
目次 |
[編集] 略歴
ブエノスアイレスの貧民街で5人兄弟の長男として生まれた[1]。
プリメーラB・ナシオナル(2部)のCAオール・ボーイズでプレーしていた時にボカ・ジュニアーズにスカウトされ[2]、13歳でボカ・ジュニアーズの下部組織に入団した。17歳でトップチームデビューするとすぐにレギュラーの座を獲得した[1]。
[編集] クラブ
ボカ・ジュニアーズ所属時代は2003年のリーグ優勝、コパ・リベルタドーレス優勝、トヨタカップではACミランをPK戦の末に破るなど、大きな活躍をした。
MSI社が保有権を獲得し、特殊な移籍形態で2004年にコリンチャンスに移籍した。移籍から半年後にはキャプテンを任され[2]、2005年のブラジル全国選手権で優勝した。アルゼンチン人ながらブラジルのサッカーファンに愛された。ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領は、「アルゼンチン人サッカー選手がブラジルで活躍することはないだろう」と発言したことがあったが、テベスがリーグ最優秀選手に輝いたために自身の発言を謝罪した[2]。2003年から2005年まで3年連続で南米年間最優秀選手賞に輝いた。
2006年、ハビエル・マスチェラーノとともにプレミアリーグのウエストハム・ユナイテッドFCに移籍。入団当初は不振であったが、シーズン終盤には10試合で7得点を挙げて、チームを残留に導く原動力となる。
2007年にマンチェスター・ユナイテッドFCに2年間の期限付き移籍が決定した。2007-08シーズンはクリスティアーノ・ロナウドやウェイン・ルーニーとともに、マンチェスター・ユナイテッドの2冠(プレミアリーグ・チャンピオンズリーグ)に貢献。39試合に出場し19得点を挙げた。シーズン前、ウェイン・ルーニーとの共存は不可能ではないかとされていたが、プレミアリーグ屈指のコンビであると試合で証明した。2008年12月に行われたFIFAクラブワールドカップで優勝したため、南米・欧州の両代表で同タイトルを獲得した史上初の選手となった。
2009年7月13日、契約満了に伴いマンチェスター・シティFCに5年契約で移籍した。移籍初年度から23得点を挙げる活躍でチームの中心となると、2010-11シーズンからはキャプテンに就任。クラブ35年ぶりのタイトルとなるFAカップ優勝と、クラブ初となるチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献。またプレミアリーグでは20得点を挙げ、ディミタール・ベルバトフとともに初の得点王に輝いた。
2011年のシーズンオフには移籍志願したものの[3]、条件が折り合わずに残留となった。2011年9月27日、UEFAチャンピオンズリーグのバイエルン・ミュンヘン戦で途中出場を拒否したとして騒動となった[4]。この出場拒否により週給4週間分の罰金を科せられたが、イングランドサッカー選手協会の異議により2週間分に減額。ロベルト・マンチーニ監督は謝罪すれば起用するとしたものの、謝罪を拒否しアルゼンチンに無断帰国するなどした。そのため11-12シーズンの冬の移籍では移籍が有力視されていたが、条件が折り合わず残留。2012年2月21日、クラブの公式ページで謝罪を発表[5]。
[編集] 代表
2001年に2001 FIFA U-17世界選手権に出場し2得点を記録。アテネオリンピックでは、8ゴールを記録して得点王となり、ハビエル・マスチェラーノらと共にアルゼンチンの金メダル獲得に大きく貢献した。
A代表では2004年3月30日のエクアドル戦でデビュー。コパ・アメリカ2004のペルー戦で決勝点となる代表初得点を挙げた。
2006 FIFAワールドカップのメンバーにも選ばれ、セルビア・モンテネグロ代表戦で途中出場し、ゴールを決めている。
2010 FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦の対メキシコ代表戦では、前半26分にリオネル・メッシからのパスを受けて先制ゴールを決める。パスを受けたのはオフサイドポジションだったが、ゴールが認められた[6]。この試合ではミドルシュートでもう1得点を挙げ、大会選定のマンオブザマッチに選出された。
[編集] エピソード
- 1歳の時に誤って熱湯を浴び、火傷を負った。母親によってタオルにくるまれた際に繊維が皮膚に付着し、首や胸にはプロになった現在でも傷が残っている[2]。ボカ・ジュニアーズ時代に、この火傷の痕を取り除く手術の費用をチームが負担するとオファーされたものの、「この顔は神様から与えてもらったものだから、変えるつもりはない。それに、この傷は生きてきた証でもある。」として固辞している[7]。
- マンチェスター・ユナイテッドを退団する際は残留の要請を受けていたものの、ディミタール・ベルバトフの入団後は出場機会が少なかったことや、ファーガソン監督と確執があったことなどから、クラブ側からの残留要請を拒否し、ユナイテッドのライバルチームであるマンチェスター・シティFCへ移籍した。
- ファン・ロマン・リケルメは本人も認める兄弟分である。
- 金銭にまみれた現代のサッカー界や年長者への敬意を欠く若手に辟易しており、早期の引退を希望している[8]。
[編集] タイトル
[編集] クラブ
- ボカ・ジュニアーズ
- アルゼンチン前期リーグ - 優勝(2003年)
- コパ・リベルタドーレス - 優勝(2003年)
- トヨタカップ - 優勝(2003年)
- コパ・スダメリカーナ - 優勝(2004年)
- コリンチャンス
- カンピオナート・ブラジレイロ - 優勝(2005年)
- マンチェスター・ユナイテッドFC
- FAプレミアリーグ - 優勝(2007-2008)
- UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝(2007-2008)
- コミュニティーシールド - 優勝(2008年)
- FIFAクラブワールドカップ2008 - 優勝
- マンチェスター・シティFC
- FAカップ - 優勝(2010-11)
[編集] 代表
- 2003 南米ユース選手権 - 優勝
- アテネオリンピック - 金メダル
[編集] 個人タイトル
- コパ・リベルタドーレスMVP(2003年)
- 南米年間最優秀選手(2003年、2004年、2005年)
- アテネオリンピック得点王
- ブラジル全国選手権 最優秀選手(2005年)
- カーリングカップ 得点王(2009年、2010年)
- プレミアリーグ得点王(2010-11)
[編集] 所属クラブ
- 2001年-2004年
ボカ・ジュニアーズ - 2005年-2006年
コリンチャンス - 2006年-2007年
ウェストハム・ユナイテッドFC - 2007年-2009年
マンチェスター・ユナイテッドFC(loan) - 2009年-現在
マンチェスター・シティFC
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| アルゼンチン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2001-02 | ボカ・ジュニアーズ | プリメーラ | 11 | 1 | 11 | 1 | |||||
| 2002-03 | 32 | 11 | 32 | 11 | |||||||
| 2003-04 | 23 | 12 | 23 | 12 | |||||||
| 2004-05 | 9 | 2 | 9 | 2 | |||||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005 | コリンチャンス | セリエA | 38 | 25 | 38 | 25 | |||||
| 2006 | 9 | 6 | 9 | 6 | |||||||
| イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
| 2006-07 | ウェストハム | 32 | プレミア | 26 | 7 | 0 | 0 | 1 | 0 | 27 | 7 |
| 2007-08 | マンチェスター・U | 34 | 14 | 0 | 0 | 2 | 1 | 36 | 15 | ||
| 2008-09 | 29 | 5 | 6 | 6 | 3 | 2 | 38 | 13 | |||
| 2009-10 | マンチェスター・C | 35 | 23 | 6 | 6 | 1 | 0 | 42 | 29 | ||
| 2010-11 | 31 | 20 | 0 | 0 | 6 | 3 | 37 | 24 | |||
| 通算 | アルゼンチン | プリメーラ | 75 | 26 | 75 | 26 | |||||
| ブラジル | セリエA | 47 | 31 | 47 | 31 | ||||||
| イングランド | プレミア | 155 | 70 | 12 | 12 | 13 | 6 | 180 | 88 | ||
| 総通算 | 277 | 127 | 12 | 12 | 13 | 6 | 302 | 145 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| UEFA | UEFA CL | |||
| 2007-08 | マンチェスター・U | 32 | 12 | 4 |
| 2008-09 | 9 | 2 | ||
| UEFA | 21 | 6 | ||
[編集] 脚注
- ^ a b 「誇りとわだかまりの間で」footballista、ソルメディア、2009年3月25日号、4-5頁
- ^ a b c d 「カルリートスの来た道」ワールドサッカーキング増刊号、フロムワン、2008年4月30日号
- ^ テベス、退団希望の声明を発表Goal.com
- ^ マンチーニ激怒、テベスが途中出場拒否Goal.com
- ^ Manchester City's Carlos Tevez apologises and withdraws appeal - Manchester City FC
- ^ “誤審、神の手ゴール…「幸運」呼ぶマラドーナ” ((日本語)). 読売新聞. (2010年6月28日) 2010年6月28日閲覧。
- ^ Goal.com 凄惨な過去を語るテベス
- ^ テベス:「カネまみれのサッカーにあと3、4年でさよなら」 Goal.com 2010年11月26日
[編集] 関連項目
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2 リチャーズ | 4 コンパニ | 5 サバレタ | 6 レスコット | 7 ミルナー | 8 ピサーロ | 10 ジェコ | 11 ジョンソン | 12 テイラー | 13 コラロヴ | 15 サヴィッチ | 16 アグエロ | 18 バリー | 19 ナスリ | 20 ハーグリーヴス | 21 シルバ | 22 クリシー | 25 ハート | 28 コロ・トゥーレ | 30 パンティリモン | 32 テベス | 34 デ・ヨンク | 37 ニールセン | 42 ヤヤ・トゥーレ | 45 バロテッリ | 62 ラザク 監督: マンチーニ |
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