ヘラルド・マルティーノ

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ヘラルド・マルティーノ Football pictogram.svg
Gerardo Martino (marzo de 2014).jpg
名前
本名 Gerardo Daniel Martino
愛称 Tata(タタ、パパ)
カタカナ ヘラルド・ダニエル・マルティーノ
ラテン文字 Gerardo MARTINO
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 1962年11月20日(51歳)
出身地 ロサリオ
身長 175cm
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1990
1991
1991-1994
1994-1995
1995
1996
1996
アルゼンチンの旗 ニューウェルズ
スペインの旗 テネリフェ
アルゼンチンの旗 ニューウェルズ
アルゼンチンの旗 ラヌース
アルゼンチンの旗 ニューウェルズ
エクアドルの旗 バルセロナSC
チリの旗 オヒギンス
392 (35)
15 (1)
81 (2)
30 (3)
15 (0)
5 (0)
0 (0)
代表歴
1991 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1 (0)
監督歴
1998
1999
2000
2002-2003
2003-2004
2005
2005-2006
2007-2011
2012-2013
2013-2014
アルゼンチンの旗 ブロウン・デ・アレシフェス
アルゼンチンの旗 CAプラテンセ
アルゼンチンの旗 I・コルドバ
パラグアイの旗 リベルタ
パラグアイの旗 セロ・ポルテーニョ
アルゼンチンの旗 コロン
パラグアイの旗 リベルタ
パラグアイの旗 パラグアイ代表
アルゼンチンの旗 ニューウェルズ
スペインの旗 FCバルセロナ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヘラルド・マルティーノGerardo Daniel Martino1962年11月20日 - )は、アルゼンチンロサリオ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。アルゼンチン代表であった。現役時代のポジションは攻撃的ミッドフィールダー

経歴[編集]

選手時代[編集]

地元ロサリオのニューウェルズ・オールドボーイズからデビューし、10年間でリーグ戦392試合に出場した。1991年には短期間だけスペインのCDテネリフェに在籍し、その後ニューウェルズを挟んでCAラヌース、エクアドルのバルセロナSCでプレーした。ニューウェルズでの2度目の在籍時にはマルセロ・ビエルサ監督の指導を受けているが、マルティーノは自他ともに認めるビエルサの弟子であり、後の指導者経歴にもビエルサの影響が強く表れている[1]。1996年にチリのCDオヒギンスに在籍したが、プレーすることなく現役引退した。ニューウェルズでは公式戦通算505試合に出場しているが、これはクラブの歴代最多記録であり[2]、ファン投票によりクラブ史上最高選手に選ばれている[2]

指導者時代[編集]

1998年、ブロウン・デ・アレシフェスの監督に就任して指導者の道を歩み始め、2002年から2003年まで率いたクラブ・リベルタではリーガ・パラグアージャで2連覇を果たした。2003年にセロ・ポルテーニョに移ると、セロ・ポルテーニョもリーグ優勝に導き、2006年にもクラブ・リベルタで3度目のリーグ優勝を成し遂げている。同年のコパ・リベルタドーレスではアルゼンチンのCAリーベル・プレートなどを抑えてグループリーグを首位通過し、決勝トーナメントではメキシコのUANLティグレス、CAリーベル・プレートを撃破して準決勝に進出した。準決勝ではブラジルのSCインテルナシオナルと対戦し、優勝したチームに2試合合計0-2で敗れたが、クラブ史上最高位のベスト4という快挙を遂げた。クラブの監督時代には7年間連敗しなかったという記録を持つ[1]

パラグアイ代表監督[編集]

コパ・アメリカ2007

2007年2月、アニバル・ルイス(Aníbal Ruiz)監督に代わってパラグアイ代表監督に就任した。同年6月から7月にはコパ・アメリカ2007に出場し、アルゼンチンコロンビアアメリカと同居したグループリーグでは2勝1分(得失点差6)の好成績で、アルゼンチンに次ぐ2位で決勝トーナメントに進出した。決勝トーナメント1回戦ではメキシコに0-6と大敗し、コパ・アメリカ2004と同じベスト8にとどまった。

2010 FIFAワールドカップ

2007年10月から行われた2010 FIFAワールドカップ・南米予選では、開幕から5戦無敗とスタートダッシュを決め、2008年6月15日にはホームでブラジルに2-0と完勝した。ハイプレスでボールを奪い、素早く展開してシュートに結びつけるカウンター戦術が持ち味であり、予選一巡目終了時点(6勝2分1敗、勝ち点20)で不動の首位に立っていた[3]。戦術が研究された二巡目には成績を落としたが[3]、常に本大会出場権獲得圏内を保ち、10勝3分5敗の3位で2010 FIFAワールドカップ本大会出場を決めた。2010年1月にはエースのFWサルバドール・カバニャスが銃撃される事件が起こったが、アルゼンチン出身のFWルーカス・バリオスを素早く帰化させて代表に加える対応を取っている[4]。本大会出場メンバーの中にはバリオス、MFホナタン・サンターナ、MFネストル・オルティゴサ(Néstor Ortigoza)の3人のアルゼンチン出身選手が含まれ、パラグアイ代表のアルゼンチン化に対してはパラグアイ国内で否定的な意見も聞かれた[4]

2010年6月から7月にかけて南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップのグループリーグはイタリアスロバキアニュージーランドと同組に振り分けられた。初戦のイタリア戦は1-1と引き分け、2戦目のスロバキア戦は「私たちが90分、試合を支配した」と語るほどの内容で2-0の快勝を収めた[5]。3戦目のニュージーランド戦でキャプテンのデニス・カニサを初出場させる余裕を見せ、0-0の引き分けで試合を終えた。グループリーグを1勝2分で首位通過し、決勝トーナメント1回戦では日本と対戦した。延長も含めて120分間は0-0とスコアが動かなかったが、PK戦の末に勝利してパラグアイ史上初のベスト8に勝ち進んだ。準々決勝では優勝したスペインに0-1で敗れたが、マルティーノのチームは堅い守備力やチームの一体感が評価された[6]。なお、日本戦の試合前には自宅が窃盗の被害に遭っていたことが判明している。彼の4年契約は2010 FIFAワールドカップまでであり、当初は契約を延長するつもりがなく、7月5日にはパラグアイ代表監督を退くことを発表したが[7]、7月10日、コパ・アメリカ2011までパラグアイ代表を率いることで合意に達した[8]

コパ・アメリカ2011

2011年7月に開催されたコパ・アメリカ2011では、チームの中心選手であるFWオスカル・カルドソを外して国内リーグ得点王のFWパブロ・セバージョス(Pablo Zeballos)をメンバーに加えるなどし、2010 FIFAワールドカップで好成績を残したチームの引き締めを図った。大会前の親善試合では守備の強化を模索し、負けないサッカーで上位進出を目指した[1]。グループリーグはブラジル、エクアドルベネズエラと同組となり、初戦のエクアドル戦は0-0のスコアレスドローであったが、2戦目のブラジル戦は途中出場のFWネルソン・アエド・バルデスが得点するなど采配が冴え、前回大会覇者相手に2-2の引き分けに持ち込んだ。3戦目のベネズエラ戦は3-3の引き分けとなり、3戦3分の勝ち点3でグループ3位であったが、グループ3位国の中で成績上位の2国に残り、決勝トーナメント進出を決めた。

準々決勝はグループリーグでも対戦したブラジルとの対戦となったが、守備的な戦術でスコアレスドローの末にPK戦に持ち込むと、相手キッカー全員がPKを失敗するという幸運もあって準決勝進出を決めた[9]。準決勝はグループリーグでも対戦したベネズエラとの対戦となったが、やはりスコアレスドローの末のPK戦に勝利して、1979年大会以来の決勝進出を果たした[10]。なお、この試合で審判を批判したことにより退席処分を受け、試合後にはブラジルのマノ・メネーゼス監督と口論になったことから決勝のウルグアイ戦ではベンチ入り禁止となった[11]。グループリーグから5戦5分(PK勝ちが2試合)未勝利で決勝に勝ち上がったが[12]、決勝のウルグアイ戦は終始劣勢に立ち、選手交代も得点には結びつかなかった。0-3と完敗し、32年ぶり3度目の優勝はならなかった[13]

ニューウェルズ[編集]

2011年末にはコロンビア代表監督のオファーを断った[14]。2012年、ニューウェルズ・オールドボーイズ監督に就任すると[14]、チームを降格から救うどころかリーグ優勝まで導き、コパ・リベルタドーレスではベスト4まで勝ち上がった。シーズン終了後に辞任した。

FCバルセロナ[編集]

2013年7月19日、当時FCバルセロナの監督であったティト・ビラノバが、健康上の理由から急遽退任する事が発表され[15]、23日にマルティーノの就任が発表された[16]。契約は2年間。欧州クラブでの初の指揮となる。

2013-14シーズンは、スーペルコパ・デ・エスパーニャアトレティコ・マドリードを破りスペインスーパーカップを制覇。さらに9月28日のリーガ第7節アルメリア戦ではクラブ史上初の開幕7連勝を達成。UEFAチャンピオンズリーグでは準々決勝でアトレティコ・マドリードに敗れ、ベスト8に終わった。コパ・デル・レイ決勝ではレアル・マドリードに敗れて2年ぶりの優勝を逃し、リーガでは最終節でアトレティコ・マドリードと引き分けて連覇を逃すなどリーグ戦とカップ戦では無冠に終わった。

最終節終了後、2013-14シーズン限りでの退団が決定した。

所属クラブ[編集]

選手時代[編集]

指導者時代[編集]

タイトル[編集]

選手時代[編集]

クラブ[編集]

アルゼンチンの旗 ニューウェルズ・オールドボーイズ

指導者時代[編集]

クラブ[編集]

パラグアイの旗 クラブ・リベルタ
パラグアイの旗 セロ・ポルテーニョ
スペインの旗 FCバルセロナ

個人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 「W杯時よりも手堅いチームに。一方で攻撃面にツケ」footballista、ソルメディア、2011年7月13日・20日合併号、14頁
  2. ^ a b Gerardo Martino, el más paraguayo de los argentinos comandará al equipo 'guaraní'” (Spanish). UnivisiónFútbol.com (2010年5月27日). 2010年6月3日閲覧。
  3. ^ a b 「ハイプレスにはハイプレスで。得意技返しで低迷」 footballista、ソルメディア、2009年7月15日・22日合併号、30頁
  4. ^ a b “パラグアイの強さの秘密に迫る 日本に立ちはだかる南米の雄”. スポーツナビ. (2010年6月29日). http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/10southafrica/text/201006280011-spnavi.html 2011年7月26日閲覧。 
  5. ^ 『2010 南アフリカ・ワールドカップ決算号』ベースボール・マガジン社、2010年、149頁
  6. ^ 『2010 南アフリカ・ワールドカップ決算号』ベースボール・マガジン社、2010年、175頁
  7. ^ “Gerardo Martino quits Paraguay post”. ESPNsoccernet (ESPN). (2010年7月4日). http://soccernet.espn.go.com/world-cup/story/_/id/806168/ce/uk/?cc=5739&ver=global 2010年7月5日閲覧。 
  8. ^ “Martino to stay as Paraguay coach”. BBC Sport (BBC). (2010年7月9日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/world_cup_2010/8806138.stm 2010年7月11日閲覧。 
  9. ^ “ブラジル、ゴールが決まらずベスト4入り逃す”. Goal.com. (2011年7月18日). http://www.goal.com/jp/match/63472/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB-vs-%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%82%A4/report 2011年7月26日閲覧。 
  10. ^ “パラグアイ、未勝利のままファイナルへ”. Goal.com. (2011年7月21日). http://www.goal.com/jp/match/63501/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%82%A4-vs-%E3%83%99%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%82%A8%E3%83%A9/report 2011年7月26日閲覧。 
  11. ^ “南米選手権、パラグアイ監督に決勝ベンチ入り停止処分”. ロイター. (2011年7月23日). http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-22339120110723 2011年7月26日閲覧。 
  12. ^ “パラグアイ未勝利のまま決勝へ”. サポティスタ. (2011年7月21日). http://supportista.jp/2011/07/news21132346.html 2011年7月26日閲覧。 
  13. ^ “ウルグアイ、コパ・アメリカ最多15度目の優勝”. Goal.com. (2011年7月25日). http://www.goal.com/jp/match/63650/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%82%A4-vs-%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%82%A4/report 2011年7月26日閲覧。 
  14. ^ a b “ジラルディーノがメディカルチェック アンリはアーセナル復帰に近づく”. livedoorスポーツ. (2011年12月31日). http://news.livedoor.com/article/detail/6160607/ 2012年3月19日閲覧。 
  15. ^ “バルセロナビラノバが急きょ退任”. goal.com. (2013年7月20日). http://www.goal.com/jp/news/73/スペイン/2013/07/20/4129452/バルセロナビラノバが急きょ退任?ICID=OP 2013年7月22日閲覧。 
  16. ^ “バルサ マルティーノ監督就任合意を正式発表”. goal.com. (2013年7月23日). http://www.goal.com/jp/news/73/スペイン/2013/07/23/4137119/バルサマルティーノ監督就任合意を正式発表?ICID=HP_BN_1 2013年7月23日閲覧。 

外部リンク[編集]