オスカル・タバレス

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オスカル・タバレス Football pictogram.svg
Óscar Tabárez 7493.jpg
名前
本名 オスカル・ワシントン・タバレス・シルバ
愛称 El Maestro (先生)
ラテン文字 Oscar TABAREZ
基本情報
国籍 ウルグアイの旗 ウルグアイ
生年月日 1947年3月3日(67歳)
出身地 ウルグアイの旗 モンテビデオ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1967-1971
1972-1973
1975
1976
1976-1977
1977-1979
ウルグアイの旗 スド・アメリカ
アルゼンチンの旗 スポルティーボ・イタリアーノ
ウルグアイの旗 モンテビデオ・ワンダラーズFC
ウルグアイの旗 CAフェニックス
メキシコの旗 プエブラFC
ウルグアイの旗 CAベジャ・ビスタ
監督歴
1980-1983
1983
1984
1985-1986
1987
1987
1988
1988-1990
1991-1993
1993-1994
1994-1995
1996
1997-1998
1998-1999
2001
2002
2006-
ウルグアイの旗 CAベジャ・ビスタ
 U-20ウルグアイ代表
ウルグアイの旗 ダヌービオFC
ウルグアイの旗 モンテビデオ・ワンダラーズFC
ウルグアイの旗 CAペニャロール
 U-20ウルグアイ代表
コロンビアの旗 デポルティーボ・カリ
 ウルグアイ代表
アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ
ウルグアイの旗 CAペニャロール
イタリアの旗 カリアリ・カルチョ
イタリアの旗 ACミラン
スペインの旗 レアル・オビエド
イタリアの旗 カリアリ・カルチョ
アルゼンチンの旗 ベレス・サルスフィエルド
アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ
 ウルグアイ代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

オスカル・ワシントン・タバレス・シルバ(Óscar Wáshington Tabárez Silva, 1947年3月3日 - )は、ウルグアイモンテビデオ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションディフェンダー。2006年からウルグアイ代表の監督を務めている。

かつて小学校で教師をしていたことから[1]、マエストロ(先生)の愛称で親しまれている。チェ・ゲバラの教えの信奉者であると公言しており、タバレスの娘の名前はゲバラの最後の配偶者の名前に由来している[1]

経歴[編集]

選手時代[編集]

スド・アメリカスポルティーボ・イタリアーノ(アルゼンチン)、モンテビデオ・ワンダラーズFCCAフェニックスプエブラFC(メキシコ)、CAベジャ・ビスタで計12年間プレーし、32歳で現役引退した。

指導者時代[編集]

現役引退から1年後の1980年、CAベジャ・ビスタの監督に就任した。翌年にはU-20ウルグアイ代表監督に就任し、その後は母国ダヌービオFCモンテビデオ・ワンダラーズFCなどの監督を務めた。1987年にはCAペニャロール監督に就任し、同年のコパ・リベルタドーレスでは決勝でアメリカ・デ・カリを破って優勝した。

1988年にはウルグアイ代表監督に就任し、イタリアで開催された1990 FIFAワールドカップではウルグアイを決勝トーナメントに導いた。決勝トーナメント1回戦で開催国に敗れた。1991年にはアルゼンチンのボカ・ジュニアーズ監督に就任し、アペルトゥーラ1992でプリメーラ・ディビシオンを制した。

1994年にはイタリアに渡り、セリエAカリアリ・カルチョ監督に就任した。1994-95シーズンにカリアリをリーグ戦9位に導くと、ACミランの監督に抜擢されたが、スーペルコッパ・イタリアーナではACFフィオレンティーナに敗れた。サン・シーロで行われたリーグ戦でピアチェンツァ・カルチョに敗れて順位を11位に落としたことで解任され、アリゴ・サッキ監督と交代した[2]

1997年にはスペインのレアル・オビエド監督に就任したが、1997-98シーズンは残留争いに巻き込まれ、UDラス・パルマスとの昇降格プレーオフに2試合合計4-3で勝利してかろうじてプリメーラ・ディビシオン(1部)残留を決めた。その後は再びセリエAのカリアリ監督に就任したが、4試合で1分3敗と1勝もできずに解任された。南米大陸に戻り、アルゼンチンのベレス・サルスフィエルドとボカ・ジュニアーズで計2年間指揮を執った後、2002年から2006年まで指導者としての職を離れた。

2度目のウルグアイ代表[編集]

2006年夏、2006 FIFAワールドカップ本大会出場を逃したウルグアイ代表監督に就任した[3]。ベネズエラで開催されたコパ・アメリカ2007が初めての主要国際大会となり、ウルグアイは4位となった。2010 FIFAワールドカップ・南米予選では6勝6分6敗の勝ち点24で5位となり、北中米カリブ海予選で4位となったコスタリカとの大陸間プレーオフに回ったが、2戦合計2-1で勝利して本大会出場権を得た。南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップ本大会では開催国の南アフリカフランスメキシコと同組となった。初戦のフランス戦では守備的な戦術を採用し、スコアレスドローに終わったが、2戦目の南アフリカ戦は3-0で快勝し、グループ首位で迎えた最終戦のメキシコ戦はカウンターからの得点で1-0と勝利した。3試合を無失点に抑えて勝ち点7を挙げ、1990 FIFAワールドカップ以来となる決勝トーナメント進出を果たした。決勝トーナメント1回戦では韓国に2-1で勝利し、準々決勝ではPK戦の末にガーナに勝利した。5試合で2点しか許さない堅守を武器に、40年ぶりに準決勝に到達したが、準決勝ではオランダに2-3で敗れて3位決定戦に回った[4]。3位決定戦は1970 FIFAワールドカップと同じ顔合わせ(1970年大会時は西ドイツ)となり、ドイツに2-3で敗れて4位となった。

2011年1月には南米年間最優秀監督賞を受賞した。同年にアルゼンチンで開催されたコパ・アメリカ2011ではウルグアイを史上最多15回目の優勝に導いた。優勝が決まるまでに3勝3分と厳しい戦いが続いたが、6試合で3失点しか許さなかった。同年のFIFAバロンドールでは世界最優秀監督賞にノミネートされ、7.47%の得票を得て5位に選出された。

タイトル[編集]

指導者[編集]

クラブ[編集]

コパ・リベルタドーレス 優勝 : 1987
プリメーラ・ディビシオン 優勝 : アペルトゥーラ1992
スーペルコパ・マスターズ 優勝 : 1992

代表[編集]

パンアメリカン競技大会 優勝: 1983
FIFAワールドカップ 4位 : 2010
コパ・アメリカ 優勝 : 2011

個人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b El Maestro seeks to restore the tradition of a forgotten footballing identity The Guardian、2009年10月14日
  2. ^ Leo avvisato: da Sacchi a Terim, al Milan o stelle o stalle” (Italian). Sky Italia (2009年9月3日). 2010年7月7日閲覧。
  3. ^ Away curse stalks Uruguay”. FIFA.com (2008年2月28日). 2009年4月7日閲覧。
  4. ^ Khedira completes comeback”. ESPNsoccernet (2010年7月10日). 2010年7月14日閲覧。

外部リンク[編集]