ボビー・ロブソン
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| 名前 | |||||||
| 本名 | Robert William Robson | ||||||
| カタカナ | ロバート・ウィリアム・ロブソン | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1933年2月18日 | ||||||
| 出身地 | ダラム州サクリストン | ||||||
| 没年月日 | 2009年7月31日(満76歳没) | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | FW | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 | |||||||
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| 監督歴 | |||||||
| 1968 1969-1982 1982-1990 1990-1992 1992-1994 1994-1996 1996-1997 1998-1999 1999-2004 2006-2007 |
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サー・ロバート・ウィリアム・ロブソン CBE(Sir Robert William Robson CBE, 1933年2月18日 - 2009年7月31日)は、イギリス出身の元イングランド代表サッカー選手、サッカー指導者。
[編集] 人物
選手としてはフルハムやウェストブロムウィッチでプレー。ポジションはインサイドフォワードだった。
指導者としては1969年からイプスウィッチを指揮し、それ以降イングランド代表、PSV、スポルティング・リスボン、FCポルト、バルセロナ、ニューカッスルを率いる。PSVでは計3シーズンを指揮したが、1998-99シーズンはユトレヒトの奇跡と呼ばれた。最終節を前にして、PSVがUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得するためには自身がFCユトレヒトに勝利してなおかつローダJCとフィテッセが引き分け以下に終わることが必要だった。前半途中までに2点を先行されたPSVの夢は潰えるかと思われたが、ルート・ファン・ニステルローイのPK、ギオルギ・ガホキーゼのゴールで残り10分で2-2に追いつき、ロスタイムにアーノルド・ブルヒンがヘディングを決めて逆転した[1]。3位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得し、ロブソンの退団に花を添えた。
その間イングランド代表監督として1990年のイタリアW杯ではベスト4へ導き、クラブチームではUEFAカップ、カップウィナーズカップ、国内リーグ、国内カップ戦などの優勝は数知れず、イングランドではサーの称号を持つ名将である。
またファンやメディアを大切にする人柄で、過去指揮をしていたチームとの対戦では古巣サポーターからいつも拍手で迎えられる事が多い。また問題児といわれる選手を上手くコントロールする事に長けた指導者でもあることから、彼の指導を受けた選手からは不満などはまず聞かれない。
ジョゼ・モウリーニョはバルセロナ時代の通訳としてロブソンと共に仕事をした経験があり、父親のように尊敬していることもあって、周囲の意見を受け付けないモウリーニョが唯一耳を傾けるのがロブソンからの忠告と言われている。
2006年1月から2007年11月までアイルランド共和国代表の顧問を務めた。
1991年に大腸癌と診断されて以降は手術と入退院を繰り返していたが、少しでも調子が良いと精力的にスタジアムへ足を運び、ファンの暖かい歓迎を受けていた。晩年は全身に腫瘍が転移し末期癌を宣告されていた。
2009年7月31日、故郷ダーラムの自宅で夫人や家族に看取られつつ病没[2]。76歳没。ロブソンの逝去の報を受けたジョゼ・モウリーニョ、アレックス・ファーガソン、ジョゼップ・グアルディオラなど、親交のあった多くのサッカー関係者が、その死を惜しむコメントを発表し、ロブソンの人物と業績を讃えた。
[編集] 脚注
- ^ Telegraaf.com (2007年7月31日). “Robsons 'Mirakel van Utrecht'”. 2009年8月13日閲覧。
- ^ uefa.com (2009年7月31日). “ボビー・ロブソン氏が76歳で死去”. 2009年8月1日閲覧。
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