サッカーアイルランド共和国代表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
サッカーアイルランド共和国代表
国または地域 アイルランド共和国の旗 アイルランド
協会 フットボール・アソシエーション・オブ・アイルランド
愛称 The Boys in Green
監督 北アイルランドの旗 マーティン・オニール
最多出場選手 ロビー・キーン(137試合)
最多得点選手 ロビー・キーン(65得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1926年3月21日イタリア
0-3
最大差勝利試合 1983年11月16日マルタ
8-0
最大差敗戦試合 1982年3月27日ブラジル
0-7
FIFAワールドカップ
出場回数 3回(初出場は1990
最高成績 ベスト8 (1990)
UEFA欧州選手権
出場回数 1回
最高成績 グループリーグ敗退 (1988)

サッカーアイルランド共和国代表(Republic of Ireland national football team)は、フットボール・アソシエーション・オブ・アイルランド(FAI)により編成されるアイルランド共和国サッカーのナショナルチームである。

一般的には「(サッカー)アイルランド代表」と呼称されるが、1922年アイルランド自由国が成立する以前のアイルランド全域を代表したナショナルチームアイルランド代表および後継のサッカー北アイルランド代表と区別するため、ここではen:Republic of Ireland national football teamに倣って項目名を「アイルランド共和国代表」とする。

概要[編集]

ユニフォームの色は緑。国旗の色であり、アイルランドにキリスト教を伝えた聖パトリック三位一体を説いたときに使用したシャムロックの色である。このシャムロックはアイルランド代表のシンボルになっている。

ホームゲームは原則としてダブリンのアビバ・スタジアム(旧名ランズダウン・ロード)で開催している。ランズダウン・ロードが改修中の時期は、ゲーリック体育協会が所有するクローク・パークを一時的に使用していた。

選手の選考[編集]

小国であり、また有望な選手が少年期よりイングランドやスコットランドのチームのユースにスカウトされて海外に渡ってしまうため、代表選手には国内でプレーする選手がほとんどいない。国内リーグの規模や予算も小さなもので、トップの数チームを除けばセミプロ状態のチーム・選手が殆どである。また、殆どの代表選手は国内リーグを経ずに直接イングランドのプレミアリーグおよびその下部組織から選手生活を始める。また、何人かの代表選手はイングランド生まれ、イングランド育ちの選手であるが、アイルランド系の選手を積極的に発掘するという方針により多くの英国籍の選手がアイルランド代表に招集されている。2002年ワールドカップ直前キャンプにおけるチーム内部の衝突の原因の一つも、アイルランド系英国人である監督のミック・マッカーシーとその出自に不満を抱くアイルランド生まれ・アイルランド育ちである主将のロイ・キーンとの対立であった(サイパン事件)。国内リーグの人気は低く、殆どのアイルランド人は隣国のプレミアリーグ(中でもアイルランドとのつながりが強いリヴァプールFCマンチェスター・ユナイテッドFC)、およびスコットランドのケルト系チームであるセルティックFCに熱狂している。

サポーター[編集]

W杯や欧州選手権などでのアイルランドサポーターの多さは有名である。人口400万にも満たない小国にもかかわらず、地元での試合ばかりか敵地や中立地での試合にも多くのサポーターが観戦に訪れる。

二三四拍子での「アイルランド」コールや、好プレーには大きな拍手を送るなど、アイルランドサポーターの応援スタイルは、隣国イングランドとほぼ同じといっていい。また、暴力沙汰を起こす事はなく他国サポーターにも非常に友好的な為、各方面で絶賛される事が多い[1]

歴史[編集]

誕生[編集]

現在のアイルランド共和国に相当するアイルランド26州が英愛条約によってアイルランド自由国としてイギリスから分離したのは、1922年である。それ以前はアイルランド全島で、統一された協会アイリッシュ・フットボール・アソシエーション(IFA)と「アイルランド代表」を有していた。しかし、アイルランド26州がイギリスから分離したため、これらの地域では英愛条約締結後の1921年にアイリッシュ・フットボール・アソシエーションから分離したサッカー協会が設立された。これがフットボール・アソシエーション・オブ・アイルランド(FAI)である。

一方でアイリッシュ・フットボール・アソシエーションはイギリスに残ったアルスター6州で存続したため、それまでの協会と、その協会によって編成されていた「アイルランド代表」の経歴はIFAと、「北アイルランド代表」と呼称されることになったナショナルチームに継承されることになった。

アイルランド自由国では独立後も、条約容認派と反対派によってアイルランド内戦が引き起こされ情勢が安定しなかった。国内情勢が影響し、国際試合の開催は遅れに遅れ、1926年3月21日に初めての国際試合がダブリンで開催された。相手はイタリアでこの試合でアイルランド自由国代表は0-3で敗れたが、これが新興国家アイルランド自由国代表の第一歩であった。

国際大会への挑戦[編集]

その後アイルランド自由国は、1937年に「エール」、1949年にはイギリス連邦から完全に独立して「アイルランド共和国」に国名を変更した。この間絶え間なく国際大会への挑戦が続いていたが、ことごとく退けられていた。

W杯1990年イタリア大会で本大会初出場。ベスト8入りを果たした。1994年米国大会でもベスト16入り。1998年・フランス大会では予選プレーオフベルギーに敗れ、3大会連続本大会出場はならなかったものの、2002年・日韓共催大会予選ポルトガルオランダと同じグループという激戦区の中、オランダを蹴落としてグループ2位となりプレーオフに回る。プレーオフではアジア予選第3位[2]イランと対戦し、1勝1敗ながら総得点で上回り[3]2大会ぶりの本大会出場権獲得。本大会のグループリーグではドイツカメルーンという、またしても激戦区を突破。決勝トーナメント一回戦ではスペインと対戦、1-1で延長戦でも決着せずPK戦にまでもつれたが、2-3で惜しくも敗退。2006年・ドイツ大会の予選では、フランススイスなどと同組になり、イスラエルの躍進で激戦区となった。結果、2位とは勝ち点1差の4位で敗退した。2010年・南アフリカ大会の予選では、前回優勝国イタリアと2試合とも引き分けるなど健闘し、グループ2位でプレーオフへ。そのプレーオフではフランスと対戦し、1勝1敗。総得点数ならびにアウェーゴール数も並んだため延長戦にもつれ込んだが、その延長前半に相手の「決勝」ゴールを許し、2大会ぶりの本大会出場を逃した。だが、その「決勝」ゴールはフランスFWティエリ・アンリの左手に当たってのアシストによるものだったことが確認されており、物議を醸した[4]

EURO(欧州選手権)1988年・西ドイツ大会で初出場し、グループリーグ最終戦で引分以上なら準決勝進出というところまで進めるが、優勝したオランダに0-1で敗れて敗退。以降、5大会続けて予選敗退となったが、2012年ウクライナ・ポーランド共催大会で6大会ぶりに本大会出場権を獲得した。だが本大会では3連敗でグループリーグ敗退となった。

FIFAワールドカップの成績[編集]


UEFA欧州選手権の成績[編集]

  • 1960 - 予選敗退
  • 1964 - 予選敗退
  • 1968 - 予選敗退
  • 1972 - 予選敗退
  • 1976 - 予選敗退
  • 1980 - 予選敗退
  • 1984 - 予選敗退
  • 1988 - グループリーグ敗退
  • 1992 - 予選敗退
  • 1996 - 予選敗退
  • 2000 - 予選敗退
  • 2004 - 予選敗退
  • 2008 - 予選敗退
  • 2012 - グループリーグ敗退


歴代監督[編集]


選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

キャップ[編集]

2014年10月11日時点
  水色は現役選手
# 名前 出場 得点 期間
1 ロビー・キーン 137 65 1998-
2 シェイ・ギヴン 126 0 1996-
3 ケヴィン・キルバーン 110 8 1997-2011
4 スティーヴ・ストーントン 102 7 1988-2002
5 ダミアン・ダフ 100 8 1998-2012
6 ジョン・オシェイ 98 2 2001-
7 ナイアル・クイン 91 21 1986-2002
8 トニー・カスカリーノ 88 19 1986-2000
9 ポール・マグラー 83 8 1985-1997
10 パット・ボナー 80 0 1981-1996
リチャード・ダン 8 2000-2014
12 レイ・ホートン 73 6 1986-1998
13 ケニー・カニンガム 72 0 1996-2005
リアム・ブレイディ 9 1975-1990
15 ケヴィン・モーラン 71 6 1980-1994
フランク・ステープルトン 20 1977-1990
エイダン・マクギーディ 5 2004-
18 アンディ・タウンセンド 70 7 1989-1997
19 ジョン・オルドリッジ 69 19 1986-1997
20 デヴィッド・オレアリー 68 1 1977-1993

得点[編集]

2014年10月11日時点
  水色は現役選手
# 名前 得点 出場 期間 得点率
1 ロビー・キーン 65 136 1998- 0.48
2 ナイアル・クイン 21 91 1986-2002 0.23
3 フランク・ステープルトン 20 71 1976-1990 0.28
4 ドン・ギヴンズ 19 56 1969-1981 0.34
トニー・カスカリーノ 19 88 1985-1999 0.22
ジョン・オルドリッジ 19 69 1986-1996 0.28
7 ノエル・キャントウェル 14 36 1954-1967 0.39
ケヴィン・ドイル 61 2006- 0.23
8 ジェリー・デイリー 13 48 1973-1987 0.27
ジミー・ダン 13 15 1930-1939 0.87
11 イアン・ハート 12 63 1996- 0.19
12 シェーン・ロング 11 50 2007- 0.22
13 リアム・ブレディ 9 72 1975-1990 0.12
デヴィッド・コノリー 41 1996-2004 0.22
ロイ・キーン 67 1989-2006 0.13
デヴィッド・ケリー 26 1988-1998 0.35
クリントン・モリソン 36 2001-2006 0.25
ケヴィン・シェーディ 46 1984-1993 0.20
19 ポール・マグラー 8 83 1985-1997 0.10
ダミアン・ダフ 8 100 1998-2012 0.08
リチャード・ダン 8 80 2000-2014 0.10
ケヴィン・キルバーン 8 110 1997-2011 0.07


脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ とはいえ、彼らを「悪臭をまきちらしている」と人種差別的に批判した杉山茂樹のように、彼らに批判的な論者もごく少数ながら存在している
  2. ^ 2002年・日韓共催大会の欧州予選は9組に分けて行われ、各組1位国は自動的に本大会出場権獲得。2位国はプレーオフに回ることになっていたが、その中でも最も成績が良いチームがアジア予選3位国との大陸間プレーオフに回るルールとなっており、結果、アイルランドが大陸間プレーオフに回った。
  3. ^ 第1戦(ホーム)は2-0で勝利。第2戦(アウェー)は0-1で敗戦。
  4. ^ アンリのハンドが巻き起こした衝撃 (1/2)2010年W杯南アフリカ大会欧州地区予選プレーオフ”. スポーツナビ (2009年11月24日). 2010年9月5日閲覧。
  5. ^ 誤審にて最終戦敗退。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]