イアン・ハート (サッカー選手)

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イアン・ハート Football pictogram.svg
名前
本名 Ian Patrick Harte
愛称 ハート、ゴールデン・レフティ
カタカナ イアン・パトリック・ハート
ラテン文字 Ian HARTE
基本情報
国籍 アイルランドの旗 アイルランド
生年月日 1977年8月31日(36歳)
出身地 ドラハダ
身長 177cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 AFCボーンマス
ポジション DF (LSB)
背番号 14
利き足 左足
代表歴
1996-2007 アイルランドの旗 アイルランド 63 (12)
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

イアン・ハート(Ian Patrick Harte、1977年8月31日 - )は、アイルランド・ドラハダ出身のサッカー選手。イングランド・フットボールリーグ・チャンピオンシップ(2部相当)のAFCボーンマス所属。ポジションは主に左サイドバック。叔父のギャリー・ケリーはアイルランド代表及びリーズ・ユナイテッドAFCの元チームメイト。

経歴・クラブでの活躍[編集]

1996年1月にイングランドプレミアリーグリーズ・ユナイテッドでプロデビューを果たす。リーズ・ユナイテッドAFC入団後は、ジョナサン・ウッドゲイトリオ・ファーディナンドポール・ロビンソンらと共に守備陣を構築、ハリー・キューウェルアラン・スミスマーク・ヴィドゥカロビー・キーンなど豪華な攻撃陣をバックアップし、リーズ・ユナイテッド黄金期を支えた。

99/00シーズンにはプレミアベストイレブンにも選出された。 00/01シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、1次リーグでACミランFCバルセロナと互角に渡り合い2位で通過、続く2次リーグもレアル・マドリードSSラツィオと同じグループを2位で通過した。 準々決勝デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦の1stレグで先制点を挙げて突破を果たすものの、バレンシアCFに完敗を喫した。 2000年には親善試合でフリーキックのみでハットトリックを達成するという離れ業を演じた。

2002年には日韓W杯のアイルランド代表の出場にも大きく貢献、チームメイトのロビー・キーンダミアン・ダフナイアル・クインらをはじめとするアイルランドを代表する名選手達と共に見事チームをベスト16進出に導いた。

2004年にはリーズ・ユナイテッドが財政難に陥り、リオ・ファーディナンドアラン・スミスらチームの主力選手が次々と放出されてゆくなか、ハートは2002/03シーズンにアーセナルFC相手の大切な試合で素晴らしいフリーキックを決めたり、それ以前のUEFAチャンピオンズリーグでの活躍からかFCバルセロナACミランを含む多数のビッグクラブから1100万ポンド(約23億円)でのオファーを受けたと言われていたにも関わらず、スペインリーガ・エスパニョーラレバンテUDへ移籍した。レバンテでは56試合出場で4得点を上げたが、2005-2006シーズン以降はイングランドリーグ復帰の噂が絶えず、2006-2007シーズン終了をもってレバンテとの契約を満了。2007年8月にイングランド・プレミアリーグのサンダーランドAFCと契約したが、2008年6月をもってサンダーランドとの契約を満了。2008年12月から2009年2月までブラックプールFCに所属して4試合に出場。2009年3月にフットボールリーグ1(3部相当)のカーライル・ユナイテッドFCと契約。カーライル・ユナイテッドではディフェンダーとしてプレーしながらも、2009-2010シーズンに44試合出場、16得点という好成績を残し、チーム得点王となった。 2010年8月、レディングFCへ移籍。

2013年6月、AFCボーンマスへ移籍[1]

アイルランド代表[編集]

当時のアイルランド代表は、全ての選手がイングランドプレミアリーグでプレイしていたこともあり、"もうひとつのイングランド代表"と呼ばれた。

アイルランドのサイドバックは昔から優れた選手が集うことで有名で、イタリアのセンターバックと並ぶ世界最高の激戦区である。そんな中で、ハートはアイルランド代表として1996年に18歳の若さでみごと代表入りを果たした。当時の世界的左サイドバックであり、アイルランド代表のレギュラーだったデニス・アーウィンはハートの成長を見て代表引退を決意した程である。[要出典]2002年日韓W杯では、全試合にスターティングメンバーとして出場を飾る。チームとしても予選にてポルトガルオランダという強豪に対し、ロイ・キーン率いるアイルランドは非常にタフなメンタリティを発揮、そしてハート・スティーヴ・フィナンらの高速サイドアタックなどの伝統的なアイリッシュサッカーを展開し、互角に渡り合った。 敗北はイランに対する一回だけで、ホームでは強豪オランダを2-1で破るなどの大健闘を見せた。ハート自身も4得点を挙げ、アイルランドを2大会振りの大会出場に大きく貢献し、チームの最終的な成績も8勝3分1敗と好成績であった。 グループリーグでも持ち前のアイリッシュサッカーを展開、一敗もすることなくドイツに次いで2位でグループリーグ突破を決めた。 決勝トーナメント初戦にて、強豪スペイン相手にPK戦まで持ち込んだものの惜しくも敗退、アイルランド代表はベスト16進出という成績に終わった。

また、日韓W杯の際、アイルランド代表は練習を非公開にせず、キャンプ地である千葉県周辺の地域住民らとの積極的な交流が彼らに大変好印象を与えたようで、有志による「アイルランドサポートクラブ千葉」というアイルランド代表を応援する会が発足された。「アイルランドサポートクラブ千葉」は大会終了後もアイルランド代表の応援活動や、「日本代表対アイルランド代表戦の実現」に向けての署名活動を現在でも続けている。

そういったこともあり、アイルランド代表メンバーでありチームの攻撃の要でもあるハートは日本(特に千葉県)での大きな知名度と人気を得た。

エピソード[編集]

  • レバンテ時代、セルティックFCへの移籍を熱望していることを地元の新聞各紙に取り上げられた。当時セルティックにはすでに日本が誇るプレースキッカーである中村俊輔がおり、日本でも注目を浴びた移籍騒動であった。更にハートはリーズ時代にゴードン・ストラカン監督の愛弟子だった経緯もあったり、セルティックの補強ポイントとも合致するなど非常に移籍が確定する可能性が高かったことなどから移籍は確定視されていたが、結局セルティックへの移籍は夢に終わった。ちなみにセルティックへの移籍を希望していた理由は「アイルランド人なら誰でも緑と白のシャツでプレーしたい」からとのこと。
  • アイルランド代表のセットプレーはPK含め一通りハートが担当していた。
  • 2009年にイギリスデイリーメール紙が選ぶ「偉大なる歴代フリーキックの王様50人」に選出された。

当時ケガなどの度重なるコンディション不調に悩まされ、彼に対する評価も下がっていたにも関わらずアンドレア・ピルロリバウドロベルト・バッジョボビー・チャールトンスティーヴン・ジェラードら錚々たる名フリーキッカーや伝説的キッカー達を抑えて堂々の第24位にランクインを果たした[2]

  • 2001年のCL準決勝のヴァレンシアの第2戦で、リーズの選手が全員丸刈りにしていた中、結婚式を直前に控えていて彼女が許さなかったため、一人だけ丸刈りにしないで登場したことがある。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
イングランド リーグ戦 FLカップ FAカップ 期間通算
1995-96 リーズ プレミア 4 0
1996-97 リーズ プレミア 14 2
1997-98 リーズ プレミア 12 0
1998-99 リーズ 20 プレミア 35 4
1999-00 リーズ 3 プレミア 33 6
2000-01 リーズ 3 プレミア 29 7
2001-02 リーズ 3 プレミア 36 5
2002-03 リーズ 3 プレミア 27 3
2003-04 リーズ 3 プレミア 23 1
スペイン リーグ戦 国王杯 オープン杯 期間通算
2004-05 レバンテ 2 プリメーラ 24 1
2005-06 レバンテ 2 セグンダ 26 3
2006-07 レバンテ 2 プリメーラ 6 0
イングランド リーグ戦 FLカップ FAカップ 期間通算
2007-08 サンダーランド 3 プレミア 8 0
2008-09 ブラックプール チャンピオンシップ 2 0
カーライル リーグ1 3 1
2009-10 カーライル リーグ1 45 16
2010-11 レディング 23 チャンピオンシップ
通算 イングランド プレミア 221 28
スペイン プリメーラ 30 1
スペイン セグンダ 26 3
イングランド チャンピオンシップ 2 0
イングランド リーグ1 48 17
総通算 281 32
代表個人成績[3]
年度 出場 得点
1996 7 2
1997 9 0
1998 2 0
1999 3 0
2000 5 1
2001 10 4
2002 11 2
2003 7 0
2004 2 1
2005 4 2
2006 2 0
2007 1 0
通算 63 12


代表歴[編集]

脚注[編集]

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