サッカーフェロー諸島代表
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| 国または地域 | ||||
| 協会 | フェロー諸島サッカー協会 | |||
| 愛称 | landsliðið | |||
| 監督 | ||||
| 最多出場選手 | オリ・ヨハネセン(83試合) | |||
| 最多得点選手 | ログビ・ヤコブセン(10得点) | |||
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| 初の国際試合 | 1988年8月24日対アイスランド 0-1 |
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| 最大差勝利試合 | 1995年5月25日対サンマリノ 3-0 |
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| 最大差敗戦試合 | 1996年10月6日対ユーゴスラビア 1-8 |
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| FIFAワールドカップ | ||||
| 出場回数 | 0回 | |||
| 欧州選手権 | ||||
| 出場回数 | 0回 | |||
サッカーフェロー諸島代表(Færøernes fodboldlandshold)は、フェロー諸島サッカー協会(FSF)によって編成されるフェロー諸島のサッカーのナショナルチームである。「landsliðið」という愛称で知られている。
フェロー諸島の人口は4.8万人であり、人口の観点で言えば、サンマリノ(人口3.0万人)とリヒテンシュタイン(人口3.4万人)に次いで、UEFA加盟国(または地域)中3番目に小さな国である。アンドラ(7.0万人)もサンマリノやフェロー諸島同様の小規模国家である。これまでにUEFA欧州選手権やFIFAワールドカップの本大会に出場したことはない。1989年と1991年にはアイランド・ゲームズのサッカー競技に出場し、どちらの大会でも優勝した。2000-01シーズンには初めてノルディック・サッカー選手権に出場したが、この大会はそれ以来開催されていない。
目次 |
歴史 [編集]
FIFA/UEFA加盟 [編集]
フェロー諸島はデンマークの自治領であるが、Atli Dam首相がフェロー諸島サッカー連盟の独立を本国に働きかけ、フェロー諸島サッカー協会(FSF)は1988年7月2日に国際サッカー連盟(FIFA)の会員となり、1990年4月18日に欧州サッカー連盟(UEFA)の会員となった[1][2]。フェロー諸島代表は1930年から存在していたが、FIFAもFSFも1988年以降の試合を公式試合とみなしている[3]。1988年以前における初試合は、1930年6月9日にシェトランド諸島のラーウィックで行われたシェトランド諸島戦(1-5)である。1988年以降における初試合は、1988年8月24日にアイスランドのアクラネースで行われたアイスランド戦(0-1)である。加盟当初は島内に芝生の競技場が存在せず、ホームゲームは地理的に近いスウェーデンのスタジアムでホームゲーム扱いの試合を行っていた[4]。初の公式戦勝利は1989年に行われたカナダとの親善試合(1-0)であった。
ヨーロッパの自治領レベルで、単独でFIFA及びUEFAに加盟したのはフェロー諸島が最後になっている。チェチェンやコソボなどの自治領レベルの協会、ナショナルチームが存在するが、東欧革命以降に誕生したコソボ等の協会、ナショナルチームに関しては、FIFA及びUEFAの承認、加盟が政治的問題に発展する可能性を孕んでいることから、現状では自治領レベルの協会、ナショナルチームの承認が難しい状態になっている。
1990年代 [編集]
- UEFA EURO '92予選
初めて参加した国際大会はUEFA EURO '92予選であり、グループ4に組み分けられてユーゴスラビア、デンマーク、北アイルランド、オーストリアと同組となった。その初戦となった1990年9月12日のオーストリア戦では、1-0で勝利してサッカー史に残る番狂わせを演じた。同予選では北アイルランドからも勝ち点1を奪っている。1勝1分6敗(3得点26失点)の勝ち点4で5ヶ国中最下位であった。
- 1994 FIFAワールドカップ・予選
FIFAワールドカップ予選には1994 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選から参加している。グループ4に組み分けられ、ルーマニア、ベルギー、チェコスロバキア [5]、ウェールズ、キプロスと同組となったが、10戦全敗(1得点38失点)で6ヶ国中最下位であった。
- UEFA EURO '96予選
UEFA EURO '96予選ではグループ8に組み分けられ、ロシア、スコットランド、ギリシャ、フィンランド、サンマリノと同組となった。ホーム&アウェーでのサンマリノ戦で勝利を挙げ、2勝8敗(10得点35失点)の勝ち点6で6ヶ国中5位となり、国際大会予選で初めて最下位を脱した。
- 1998 FIFAワールドカップ・予選
1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではグループ6に組み分けられ、スペイン、ユーゴスラビア、チェコ、スロバキア、マルタ共和国と同組となった。マルタ共和国からはホーム&アウェーともに勝ち点3を獲得し、2勝8敗(10得点31失点)の勝ち点6で6ヶ国中5位となり、国際大会予選で2大会続けて最下位から逃れた。
- UEFA EURO 2000予選
UEFA EURO 2000予選ではグループ9に組み分けられ、チェコ、スコットランド、ボスニア・ヘルツェゴビナ、リトアニア、エストニアと同組となった。0勝3分7敗(4得点17失点)の勝ち点3で6ヶ国中最下位だった。
2000年代 [編集]
- 2002 FIFAワールドカップ・予選
2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではグループ1に組み分けられ、ロシア、スロベニア、ユーゴスラビア、スイス、ルクセンブルクと同組となった。この予選では大きな成功を収め、ホームでのスロベニア戦に2-2で引き分けたほか、アウェーでのルクセンブルク戦に2-0で勝利し、ホームでもルクセンブルクを1-0で下して、国際大会で過去最高の勝ち点7を獲得。2勝1分7敗(6得点23失点)の勝ち点7で6ヶ国中5位となり、2大会ぶりに最下位を回避した。
- UEFA EURO 2004予選
UEFA EURO 2004予選ではグループ5に組み分けられ、ドイツ、スコットランド、アイスランド、リヒテンシュタインと同組となった。ホームでのスコットランド戦で勝ち点1を挙げ、7得点18失点(0勝1分7敗)と得失点差を大幅に改善したが、6ヶ国中最下位に終わった。
- 2006 FIFAワールドカップ・予選
2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではグループ4に組み分けられ、フランス、スイス、イスラエル、アイルランド共和国、キプロスと同組となった。しかし、同予選で挙げた勝ち点はキプロス共和国戦(2-2)で挙げた1点のみに留まり、0勝1分9敗(4得点27失点)で6ヶ国中最下位に終わった。
- UEFA EURO 2008予選
UEFA EURO 2008予選ではグループBに組み分けられ、イタリア、フランス、スコットランド、ウクライナ、リトアニア、グルジアと同組となった。2007年6月2日のイタリア戦では77分まで同点を保つ緊迫した展開に持ち込み、世界王者相手に接戦を演じた。予選全体では4得点43失点で12戦全敗であり、7ヶ国中最下位に終わった。4得点はいずれもRógvi Jacobsenが記録したものであり、このうちの2点はイタリアから挙げた得点であった。2008年夏には2試合の親善試合を行った。6月1日に行われたエストニア戦には3-4で敗れたが、国際Aマッチで初めて3得点を挙げた。ポルトガルには0-5で敗れた。
- 2010 FIFAワールドカップ・予選
2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではグループ7に組み分けられ、セルビア、フランス、オーストリア、リトアニア、ルーマニアと同組となった。初戦のセルビア戦には0-2で敗れたが、セルビア戦の数日後のルーマニア戦では約60分間を無失点に抑え、0-1の僅差での敗戦となった。2008年10月11日に行われたオーストリア戦には1-1で引き分け、過去4年間の国際大会予選で初の勝ち点を挙げた。オーストリア戦とリトアニア戦後、フェロー諸島を3年間指揮したイェグヴァン・マルティン・オルセン監督は退任を発表した。2009年3月22日にはアイスランドと親善試合を行って2-1で勝利。アイスランド相手に初めて白星を挙げた。4月5日、アイルランド共和国代表を指揮していたブライアン・カーが新監督に就任した[6]。9月9日にはリトアニアに2-1で勝利し、2002 FIFAワールドカップ予選以来となる公式戦での勝利を挙げた[7][8]。
2010年代 [編集]
- UEFA EURO 2012予選
UEFA EURO 2012予選では、イタリア、セルビア、北アイルランド、スロベニア、エストニアと同組となった。2010年8月11日のエストニア戦では、アウェーで勝利に近づいた。前半にJóan Símun Edmundssonが先制点を挙げてフェロー諸島がリードし、90分を迎えた段階でも1-0のままであったが、ロスタイムにエストニアが2得点して逆転し、フェロー諸島は1-2で敗れた。エストニア戦の2ヶ月後の10月12日、トフティルで行われた北アイルランド戦(1-1)では格上相手にドローに持ち込んだ。ストライカーのクリスティアン・ホルストが60分に先制点を挙げ、その16分後に北アイルランドのKyle Laffertyが同点弾を決めたが、両者は勝ち点1ずつを積み上げた。2011年6月7日、フェロー諸島はエストニアを2-0で破った。キャプテンのFróði Benjaminsenが43分にPKで先制点を挙げ、Benjaminsen の2回目のPKの際にArnbjørn Hansenが駄目押しの得点を挙げた。UEFA欧州選手権予選での勝利は1995年以来16年ぶりであった。予選10試合を1勝1分8敗の勝ち点4(6得点26失点)で終え、6ヶ国中最下位であった。
- 2014 FIFAワールドカップ・予選
2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では、ドイツ、スウェーデン、オーストリア、カザフスタン、カー監督がかつて指揮したアイルランド共和国と同組となった。しかし、フェロー諸島サッカー協会(FSF)は「カー監督と新契約を結ぶことはない」と発表し、2011年10月26日にカー監督が退任した[9]。11月8日、UEFA EURO 1992でデンマーク代表キャプテンを務めたラルス・オルセンが新監督に就任すると発表された。アラン・シモンセン、ヘンリク・ラルセンに次いで、オルセン監督はデンマーク人として3人目のフェロー諸島代表監督となった[10]。
スタジアム [編集]
フェロー諸島には平坦な土地がほとんどないため、1994年に岩山を爆破する大工事を行って国際規格を満たすトフティル・スタジアム(Svangaskarð)が建設され[4]、2000年には首都トースハウンに天然芝のナショナル・スタジアム(Tórsvøllur)が建設された[11]。なお、フェロー諸島にはトースハウンとトフティルにしか天然芝のグラウンドが存在せず、トップリーグの試合も人工芝のグラウンドで行われる[12]。
人気 [編集]
スコットランド人の船員がフェロー諸島にサッカーを伝えたため、英国流のプレースタイルを基調とし、フェロー諸島ではイングランド・プレミアリーグの人気が高い[2]。1980年代にデンマーク人のジャン・モルビーがプレーしていたことなどからリヴァプールFCの人気が高く[13]、「アーセナル・スタジアム・ミステリー」という映画の中でフェロー諸島が紹介されたことからアーセナルFCも人気がある[14]。
記録 [編集]
非公式試合での最大得点差勝利は、1980年7月2日にアイスランドのソイザウルクロウクルで行われたグリーンランド戦(6-0)と、1889年7月6日にフェロー諸島のトースハウンで行われたAnglesey戦(6-0)と、1989年7月12日にトースハウンで行われたオーランド諸島戦(7-1)である。公式試合での最大得点差勝利は、1995年5月25日にフェロー諸島のトフティルで行われたサンマリノ戦(3-0)である。
1988年以前の最大得点差敗北は、1985年7月10日にアイスランドのケフラヴィクで行われたアイスランド戦(0-9である。1988年以降の最大得点差敗北は、1991年5月16日にユーゴスラビアのベオグラードで行われたユーゴスラビア戦(0-7)と、1992年5月6日にルーマニアのブカレストで行われたルーマニア戦(0-7)と、1993年8月11日にフェロー諸島のトフティルで行われたノルウェー戦(0-7)と、1996年10月6日にフェロー諸島のトフティルで行われたユーゴスラビア戦(1-8)である。
出場試合数 [編集]
| 順位 | 名前 | 出場 | 期間 |
|---|---|---|---|
| 1 | オリ・ヨハネセン | 83 | ? |
| 2 | Jákup Mikkelsen | 73 | ? |
| 3 | Fróði Benjaminsen | 71 | ? |
| 3 | Jens Martin Knudsen | 65 | ? |
| 5 | Julian Johnsson | 62 | ? |
| 5 | Jákup á Borg | 62 | ? |
| 7 | John Petersen | 57 | ? |
| 8 | Allan Mørkøre | 54 | ? |
| 9 | Rógvi Jacobsen | 52 | ? |
| 10 | Øssur Hansen | 51 | ? |
得点数 [編集]
| 順位 | 名前 | 出場 | 期間 |
|---|---|---|---|
| 1 | ログビ・ヤコブセン | 10 | ? |
| 2 | Todi Jónsson | 9 | ? |
| 3 | Uni Arge | 8 | ? |
| 3 | John Petersen | 8 | ? |
| 5 | Fróði Benjaminsen | 5 | ? |
タイトル [編集]
- アイランド・ゲームズ サッカー競技 優勝 : 2回
- 1989, 1991
FIFAワールドカップの成績 [編集]
UEFA州選手権の成績 [編集]
| UEFA欧州選手権での成績 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年 | 回 | 順位 | 試合数 | 勝利 | 引分 | 敗北 | 得点 | 失点 |
| 参加せず | ||||||||
| 予選敗退 | ||||||||
歴代監督 [編集]
| 名前 | 備考 | 在任期間 |
|---|---|---|
| 1988–93 | ||
| 暫定監督 | 1993 | |
| 1994–2001 | ||
| 2002–05 | ||
| 2006–08 | ||
| 暫定監督 | 2009 | |
| 2009–11 | ||
| 2011– |
歴代キャプテン [編集]
- Jóannes Jakobsen
- Jens Martin Knudsen
- Jan Dam
- Jens Kristian Hansen
- Óli Johannesen
- Jákup Mikkelsen
- Fróði Benjaminsen
脚注 [編集]
- ^ Faroese future in safe handsUEFA.com
- ^ a b footballista、ソルメディア、2010年10月20日号、30頁
- ^ Courtney, Barrie (2008年5月16日). “Faroe Islands – List of International Matches”. RSSSF. 2010年11月3日閲覧。
- ^ a b アンディ・ミッテン『ダービー!! フットボール28都市の熱狂』、澤山大輔訳、東邦出版、2009年、181頁
- ^ 1993年にチェコとスロバキアが分割されたが、同予選はチェコとスロバキアの合同チームとして日程を最後まで消化した
- ^ “Kerr takes on Faroe Islands post”. BBC Sport (2009年4月6日). 2009年4月6日閲覧。
- ^ “Eight years of hurt ends”. ESPN (2009年9月9日). 2009年11月17日閲覧。
- ^ 宇都宮徹壱『フットボールの犬』、東邦出版、2009年、142頁
- ^ “Brian Kerr steps down as coach for the Faroese National Team”. UEFA.com (2011年10月26日). 2011年10月26日閲覧。
- ^ “Lars Olsen becomes coach of the Faroe Islands”. UEFA.com (2011年11月8日). 2011年11月8日閲覧。
- ^ 宇都宮徹壱『フットボールの犬』、東邦出版、2009年、130頁
- ^ 宇都宮徹壱『フットボールの犬』、東邦出版、2009年、129頁
- ^ アンディ・ミッテン『ダービー!! フットボール28都市の熱狂』、澤山大輔訳、東邦出版、2009年、179頁
- ^ アンディ・ミッテン『ダービー!! フットボール28都市の熱狂』、澤山大輔訳、東邦出版、2009年、185頁
- ^ Football.fo, Landsliðsleikarar 1988 - 2012 (List of all players who have played for the Faroe Islands national team, matches and goals)
外部リンク [編集]
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