ナイアル・クイン

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ナイアル・クイン Football pictogram.svg
Quinn, Niall.jpg
名前
本名 ナイアル・ジョン・クイン
ラテン文字 Niall John Quinn, MBE
基本情報
国籍 アイルランド共和国の旗 アイルランド
生年月日 1966年10月6日(48歳)
出身地 ダブリン
身長 193cm
体重 87kg
選手情報
ポジション FW
利き足
代表歴
1986-2002 アイルランド共和国の旗 アイルランド 92 (21)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ナイアル・クイン (Honorary)MBENiall John Quinn, MBE1966年10月6日 - )は、アイルランド共和国ダブリン出身の元サッカー選手、元サッカー監督、実業家。現在はサンダーランドAFC会長。大英帝国勲章名誉受勲者。現役時代のポジションはフォワード

経歴[編集]

クラブ[編集]

元々はハーリングの選手として全国的に名の知られた若手有望選手であったが、最終的にはサッカー選手を志し、1983年アーセナルFCとプロ契約。トップチームデビューは1985年12月のリヴァプールFC戦。1986-87シーズンよりレギュラーに定着し、このシーズンのリーグカップ制覇に貢献する。しかし翌シーズンにはレギュラーを外れ、1989年のリーグ制覇でも出場試合不足の為、優勝メダルを手に入れることが出来なかった。アーセナルでは94試合出場で20得点。

1990年3月にマンチェスター・シティFCに移籍したクインは1990-1991シーズンに22得点を上げる。しかし1993-1994シーズンに膝十字靱帯を負傷。結局マンチェスター・シティには6シーズン所属し、245試合で78得点。

1996年にサンダーランドAFCに移籍したクインはケヴィン・フィリップスとのコンビで得点を量産し、クラブのプレミアシップ昇格の原動力となる。1997年に完成したサンダーランドAFCの新しいホームスタジアムであるスタジアム・オブ・ライトで最初にゴールを決めたのもクインである。彼の全盛期は1999-2000シーズンまでで、その後は得点も減っていった。サンダーランドでの通算成績は220試合で69得点。2002-2003シーズン限りで現役引退。

代表[編集]

アイルランド代表には1986年に初招集され、2002年の日韓ワールドカップ本大会限りで引退。最後の試合は水原で行われた決勝トーナメント1回戦のスペイン戦。通算では92試合出場21得点で、これはロビー・キーンに破られるまでアイルランド代表の最多得点記録であった。ちなみにこの大会では直前のサイパン合宿でロイ・キーンが当時のミック・マッカーシー監督と衝突し、代表チームから追放されるという事件が発生。クインはこの事件に際し代表チームの最年長者として事態収拾に奔走するも、ロイ・キーンからはミック・マッカーシー監督の肩をもったと見られて恨みをもたれることになった(サイパン事件)。実際、2002年9月に行われたプレミアシップのマンチェスター・ユナイテッドFC対サンダーランドAFC戦では同じくアイルランド代表の同僚であったジェイソン・マカティーアとロイ・キーンが乱闘騒ぎを起こし、仲裁に入ろうとしたクインをロイ・キーンが無視してドレスルームに引き上げるというシーンもあった。

テスティモニアル・マッチ[編集]

クインは2002年5月にサンダーランドAFC対アイルランド代表のテスティモニアル・マッチを開催。この試合の収益を全て慈善事業に寄付した。この試合には当初、ロイ・キーンも出場する予定であったが彼は直前で故障を理由に出場をキャンセル。しかし試合当日にショッピングをしている姿がマスコミによって報道され、バッシングが巻き起こった。これは翌月のロイ・キーンのアイルランド代表離脱事件の伏線ともされる。ただ、これに関しクイン本人はロイ・キーンに含むところは無いと表明した。

現役引退後[編集]

2003年に現役引退したクインはその後解説者などの仕事をしていたが、2006年6月にドラマヴィル・コンソーシアムの代表として古巣のサンダーランドAFCを買収。クラブのチェアマンに就任した。ドラマヴィル・コンソーシアムは8人のアイルランド人と1人のイングランド人実業家による共同組合で、クインは1000株を保有している(筆頭株主はパディ・ケリーの2360株でクイン以外の大半は1180株を保持)。

2006-2007シーズンの開幕直後はチャンピオンシップに降格されたサンダーランドAFCの暫定監督を務めたが一勝も出来なかった。しかし彼が口説き落として監督に就任させたロイ・キーンはサンダーランドAFCに連勝に次ぐ連勝をもたらし、このシーズンを優勝で終え、プレミアシップへの自動昇格を勝ち取った。

ロイ・キーンとの関係[編集]

2002年の日韓ワールドカップではクインを厳しく糾弾したロイ・キーンであるが、実は彼の代理人とクインの代理人は以前から同一人物であった。その後もロイ・キーンはメディアに於いてはクインへの敵対姿勢を崩さないままであったが、2006年にはクインの求めに応じてサンダーランドAFCの監督に電撃就任している。二人のコンビはサンダーランドAFCを2部優勝に導き、さらに2007年夏のオフシーズンにナイアルはロイ・キーンに大金を与えて彼が望む選手を次々に獲得するなど、周囲の懸念と当惑をよそに、二人のコンビは順調に機能している。

所属クラブ[編集]