サッカーボスニア・ヘルツェゴビナ代表
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| 国または地域 | ||||
| 協会 | ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー連盟 | |||
| 愛称 | Zmajevi, Zlatni Ljiljani |
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| 監督 | ||||
| 最多出場選手 | ズヴェズダン・ミシモヴィッチ(73試合) | |||
| 最多得点選手 | エディン・ジェコ(28得点) | |||
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| 初の国際試合 | 1993年6月6日対イラン 3-1 |
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| 最大差勝利試合 | 2008年9月10日対エストニア 7-0 2012年9月7日対リヒテンシュタイン 8-1 |
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| 最大差敗戦試合 | 1998年5月14日対アルゼンチン 0-5 |
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| FIFAワールドカップ | ||||
| 出場回数 | 0回 | |||
| UEFA欧州選手権 | ||||
| 出場回数 | 0回 | |||
サッカーボスニア・ヘルツェゴビナ代表(BiH nogometna reprezentacija)は、ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会(FSBiH, NSBiH)によって編成されるボスニア・ヘルツェゴビナのサッカーのナショナルチームである。愛称はズマイェヴィ(Zmajevi、ドラゴンズ)、または1998年までの国章に描かれたフルール・ド・リスからズラトニ・リリャニ(Zlatni Ljiljani, 金のユリ)[1][2]。
目次 |
歴史 [編集]
ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年にユーゴスラビアからの独立を宣言したが、これに続くボスニア紛争の影響により、旧ユーゴスラビア構成諸国家の中で、最も国際舞台への復帰が遅れた。
ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会は1996年に、国際サッカー連盟、欧州サッカー連盟に加盟。ワールドカップへのエントリは1998年フランス大会予選から、欧州選手権へのエントリは2000年のベルギー・オランダ大会予選からとなった。
当初、ボスニア・ヘルツェゴビナ協会はボシュニャク人のみで構成されていたが、1998年にクロアチア人が、2001年にはセルビア人が合流し、3民族によるナショナルチームとなった。ただし、クロアチア人やスルプスカ共和国のセルビア人の中にはクロアチアやセルビアに対しての帰属意識を持つ者もおり、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身ながらサッカークロアチア代表やサッカーセルビア代表に加わる者もいる。この3民族のそれぞれの代表者が連盟会長職に付いていた[3]ことを国際サッカー連盟(FIFA)と欧州サッカー連盟(UEFA)が問題視し、2011年3月31日までに解決しない場合は資格停止処分を科すと警告していた[4]が結局、3月29日の協会の総会では解決しなかったため、FIFAとUEFAは4月1日をもって資格停止処分を科した[5]。その後、協会側が会長職を1人とした制度改革を発表した為、制裁は5月30日に解除された[6]。
スタジアム [編集]
スタジアムは主にサラエヴォのオリンピイスキ・スタディオン・アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ、ゼニツァのビリノ・ポリェが使用される。サラエヴォオリンピックの開会式会場としても使用されたスタディオン・アシム・フェルハトヴィッチ・ハセは、1967年に引退したFKサラエヴォの選手で1964年のユーゴスラビア1部リーグ得点王にもなったアシム・フェルハトヴィッチの功績を称え彼の名を冠している。収容人数は37,500人で[2]、旧称であるコシェヴォ(Koševo)の名も通称として使用される。
FIFAワールドカップの成績 [編集]
UEFA欧州選手権の成績 [編集]
歴代監督 [編集]
| 氏名 | 期間 | 備考 |
|---|---|---|
| 1992-1993 | ||
| 1993-1998 | 1998 FIFAワールドカップ予選 | |
| 1999-1999 | ||
| 1999-2002 | UEFA欧州選手権2000予選、2002 FIFAワールドカップ予選 | |
| 2002-2006 | UEFA欧州選手権2004予選、2006 FIFAワールドカップ予選 | |
| 2006-2007 | UEFA欧州選手権2008予選 | |
| 2008-2008 | ||
| 2008-2009 | 2010 FIFAワールドカップ予選 | |
| 2009- |
歴代選手 [編集]
- GK
- DF
- MF
- FW
キャップ [編集]
| 位 | 名前 | キャップ数 | 期間 |
|---|---|---|---|
| 1 | ズヴェズダン・ミシモヴィッチ | 73 | 2004- |
| 2 | エミル・スパヒッチ | 64 | 2003- |
| 3 | エディン・ジェコ | 52 | 2007- |
| 4 | エルヴィル・ボリッチ | 51 | 1996-2006 |
| 5 | セルゲイ・バルバレス | 47 | 1998-2006 |
| 6 | ヴェダド・イビシェヴィッチ | 45 | 2007- |
| 7 | ヴェディン・ムシッチ | 45 | 2003- |
| 8 | ケナン・ハサギッチ | 44 | 2002-2011 |
| 9 | ハサン・サリハミジッチ | 43 | 1996-2006 |
| 10 | ムハメド・コンジッチ | 39 | 1995-2006 |
得点 [編集]
| 位 | 名前 | 得点数 | キャップ数 | 期間 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | エディン・ジェコ | 28 | 52 | 2007- |
| 2 | ズヴェズダン・ミシモヴィッチ | 23 | 73 | 2004- |
| 3 | エルヴィル・ボリッチ | 22 | 51 | 1996-2005 |
| 4 | セルゲイ・バルバレス | 17 | 47 | 1998-2006 |
| 5 | ヴェダド・イビシェヴィッチ | 16 | 45 | 2007- |
| 6 | エルヴィル・バリッチ | 14 | 38 | 1995-2006 |
| 7 | ズラタン・ムスリモヴィッチ | 12 | 30 | 2006–2011 |
| 8 | ミラレム・ピアニッチ | 7 | 39 | 2008- |
| 9 | ハサン・サリハミジッチ | 6 | 43 | 1996-2006 |
| ジェラルディン・ムハレモヴィッチ | 6 | 19 | 1997–2001 |
脚注 [編集]
- ^ 斉藤 健仁 『図解世界のサッカー愛称のひみつ』 光文社、2010年。ISBN 978-4-334-03564-8。
- ^ a b “Golden Lilies blossoming”. FIFA.com (2009年9月9日). 2010年7月16日閲覧。
- ^ ボスニアが資格停止へ…オシム氏も連盟決定を批判 - スポーツ報知、2011年3月31日
- ^ UEFA理事会の決定事項が発表 - UEFA.com、2011年3月21日
- ^ ボスニア・ヘルツェゴビナ・サッカー協会に処分 - UEFA.com、2011年4月1日
- ^ ボスニア・ヘルツェゴビナの資格停止が解除 - UEFA.com、2011年5月30日
外部リンク [編集]
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