メホ・コドロ
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| 名前 | ||||||
| カタカナ | メホ・コドロ | |||||
| ラテン文字 | Meho Kodro | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1967年1月12日(46歳) | |||||
| 出身地 | ||||||
| 身長 | 188cm | |||||
| 体重 | 81kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1985-1991 1991-1995 1995-1996 1996-1999 1999-2000 2000-2001 |
FKヴェレジュ・モスタル レアル・ソシエダ FCバルセロナ CDテネリフェ デポルティボ・アラベス マッカビ・テルアビブFC |
129 (48) 129 (73) 32 (9) 72 (18) 30 (5) 9 (1) |
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| 代表歴 | ||||||
| 1991-1992 1996-2000 |
2 (0) 13 (3) |
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| 監督歴 | ||||||
| 2008 | ボスニア・ヘルツェゴビナ | |||||
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メホ・コドロ(Mehmed "Meho" Kodro , 1967年1月12日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナ・モスタル出身のサッカー選手。元ボスニア・ヘルツェゴビナ代表主将。ポジションはフォワード。1990年代に活躍し、ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー史上最高のストライカーとしてその名を残す。現在はサッカー指導者。
[編集] キャリア
地元のクラブであるFKヴェレジュ・モスタルにて1985年にキャリアデビューを果たす。 1991年ユーゴスラビア紛争の影響もあり、リーガエスパニョーラのレアル・ソシエダへ移籍。恵まれた体格を活かしたダイナミックなプレーに繊細なテクニックを兼備し、強烈なシュートと正確なヘディングで移籍1年目から10ゴールを挙げる活躍。1993-1994シーズンには23ゴールを挙げ、この活躍を目にしたビッグクラブからオファーが殺到する。しかし、コドロはラ・レアルとの契約を延長し、残留する。1994-1995シーズンもヴァレリー・カルピンらのアシストからコンスタントに得点を挙げ、イバン・サモラーノに次ぐ、リーグ2位の25ゴールを記録。
4シーズンに渡り2桁ゴールを挙げ、リーガエスパニョーラ屈指のストライカーとなったコドロは、1995-1996シーズン開幕前にヨハン・クライフ率いるFCバルセロナに移籍。新加入のルイス・フィーゴ、ロベルト・プロシネツキ、ゲオルゲ・ポペスクらと共に第2期ドリーム・チームを構成すると期待された。しかし、新加入の選手が多かったバルセロナはシステムが機能せず、コドロ自身も僅か9ゴールと活躍することができなかった。
シーズン終了後、バルセロナはヨハン・クライフからボビー・ロブソンに政権が交代。コドロ自身もバルセロナからCDテネリフェにフアン・アントニオ・ピッツィと入れ替わる形で移籍する。1997-1998シーズンにロイ・マカーイとのコンビで12ゴールを挙げるも、ラ・レアルに在籍していた頃の活躍をすることはできなかった。
その後、1999-2000シーズンにはデポルティーボ・アラベスに移籍し、2001-2002シーズンにイスラエルのマッカビ・テルアビブにて現役を引退した。
[編集] 代表
ユーゴスラビア代表として2試合に出場。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表としては紛争の影響で13試合に出場し3ゴールを挙げる。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表としてのキャップはわずかであるが、独立間もないボスニア・ヘルツェゴビナ代表黎明期にあって唯一のワールドクラスであり、主将、大黒柱としてチームを支えた。