ディエゴ・シメオネ

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ディエゴ・シメオネ Football pictogram.svg
Diego Simeone - 01.jpg
名前
本名 Diego Pablo Simeone
愛称 Cholo(チョロ)
カタカナ ディエゴ・パブロ・シメオネ
ラテン文字 Diego SIMEONE
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 1970年4月28日(43歳)
出身地 ブエノスアイレス
身長 177cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1990
1990-1992
1992-1994
1994-1997
1997-1999
1999-2003
2003-2005
2005-2006
アルゼンチンの旗 V・サルスフィエルド
イタリアの旗 ピサ
スペインの旗 セビージャ
スペインの旗 A・マドリード
イタリアの旗 インテル
イタリアの旗 ラツィオ
スペインの旗 A・マドリード
アルゼンチンの旗 ラシン・クラブ
76 (14)
55 (6)
64 (12)
98 (21)
57 (11)
90 (15)
36 (2)
37 (3)
代表歴
1988-2002 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 106 (11)
1. 国内リーグ戦に限る。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj
オリンピック
男子 サッカー
1996 サッカー

ディエゴ・パブロ・シメオネDiego Pablo Simeone1970年4月28日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の元サッカー選手、現在はサッカー指導者。アルゼンチン代表として歴代3位の出場試合数を誇る。現役時代のポジションは守備的ミッドフィールダー

そのエネルギッシュなプレースタイルから、14歳の時に監督からチョロCholo、インディオの意)というあだ名を付けられた。このあだ名は、かつてボカ・ジュニアーズでプレーしたカルメロ・シメオネ英語版(血縁関係はない)のあだ名であった[1]

選手経歴[編集]

クラブ[編集]

1987年にCAベレス・サルスフィエルドからデビューし、その後はイタリアとスペインで長くプレーした。1990年に初めてヨーロッパに渡り、ミルチェア・ルチェスクが監督を務めるイタリアのピサ・カルチョに移籍。スペイン・リーガ・エスパニョーラセビージャFCを経て、1994年にアトレティコ・マドリードに移籍すると、1995-96シーズンにはリーグ戦とコパ・デル・レイの2冠を達成した。1997年に再びセリエAに戻り、インテルではロナウドらとともにプレーした。1998年のUEFAカップでは、決勝でSSラツィオを3-0で破って優勝した。

1999年、スヴェン・ゴラン・エリクソン監督が率いるSSラツィオに移籍し、ベテランのネストル・センシーニマティアス・アルメイダエルナン・クレスポ、優れたパス技術を持つフアン・セバスティアン・ベロンなど多くのアルゼンチン人選手たちとともにプレーした。彼らのチームはシメオネの加入とともにスクデット争いに加わり、シメオネはユヴェントスFCとの白熱した首位争い参加に貢献した。最終節を前にして勝ち点2差を付けられていたが、ユヴェントスFCは雨中のペルージャ・カルチョ戦に敗れ、SSラツィオはホームのスタディオ・オリンピコレッジーナ・カルチョ相手に会心の勝利を挙げたため、自身初となるセリエAのタイトルを手に入れた。1999-2000シーズンはコッパ・イタリアでも決勝でインテルを破って優勝し、スペイン時代に続く2冠を達成した。その後、2002-03シーズンまでSSラツィオでプレーした。2001-02シーズン最終節のインテル戦では古巣相手にゴールを決め、インテルのリーグ制覇の夢を打ち砕いた。

2003年にアトレティコ・マドリードに復帰し、2シーズンプレーした後に母国のラシン・クラブに移籍した。ファンであるラシン・クラブで引退するという願いが叶い、長い選手生活を終え、2006年に引退した。

代表[編集]

1996年にはアトランタオリンピックに出場して銀メダルを獲得した。

1988年にアルゼンチン代表デビューしてから2002年までに106試合に出場した[2]。1991年と1993年にはコパ・アメリカで優勝し、1994 FIFAワールドカップ1998 FIFAワールドカップ2002 FIFAワールドカップと3度のFIFAワールドカップ出場を果たしている。ミッドフィールダーながら11得点を挙げており、1998年のFIFAコンフェデレーションズカップでは決勝で得点している。アルゼンチン代表の最多出場記録を更新したが、この記録は後にロベルト・アジャラハビエル・サネッティに更新された。

1998 FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦のイングランド戦では、シメオネを蹴ったデヴィッド・ベッカムが報復行為とみなされて退場処分を受けた。シメオネは後に、ベッカムを退場に追い込むために痛がる振りをしたことを認めている[3]。このワンプレーによりアルゼンチンはイングランドに辛勝し、ベスト8に進出した。準々決勝のオランダ戦ではタックルを受けて実際に負傷した。最後の国際大会となった2002 FIFAワールドカップはグループリーグ敗退に終わった。この大会でベッカムと和解しており、ベッカムがPKを決めてイングランドがアルゼンチンにリベンジを果たしている。

指導者経歴[編集]

2006年2月17日の試合で現役を終えると同時にラシン・クラブの監督に就任。シーズン終了後にクラブの会長が交代したことに伴い、レイナルド・メルロに後任の座を譲る。

直後の2006年5月18日、エストゥディアンテス監督に就任。12月13日のボカ・ジュニアーズとのシーズン最終戦(優勝決定戦となった)に2-1で勝利し、アペルトゥーラ2006ではクラブを23年ぶりのリーグ優勝に導いた。同年10月にOle紙が行った投票でアルゼンチンリーグの最優秀監督に選ばれ[4]、元アルゼンチン代表のロベルト・ペルフーモに「生まれながらの監督」と称された[5]。アペルトゥーラ2007では低調なスタートとなり、9試合無敗でシーズンを終えたものの、優勝争いに加わることができず、シーズン終了後に退任した。

2007年12月15日、ダニエル・パサレラの後任としてCAリーベル・プレートの監督に就任。コパ・リベルタドーレスでは決勝トーナメント1回戦でCAサン・ロレンソとの同国対決に敗れて早期敗退したが、クラウスーラ2008ではエスタディオ・モヌメンタルで行われた最終節でCAオリンポを2-1で下して優勝した[6]。同年のコパ・スダメリカーナではウルグアイのデフェンソール・スポルティングなどを下して準々決勝に進出したが、準々決勝でメキシコのCDグアダラハラに敗れてベスト8に終わった。国内リーグでも11試合連続未勝利となって最下位に低迷し、2008年11月7日に監督の座を辞任した[7][8]

2009年4月15日、コパ・リベルタドーレス1回戦で敗退して解任されたミゲル・アンヘル・ルッソ監督の後任としてCAサン・ロレンソ監督に就任した[9]。2010年4月3日、成績不振と積み重なる批判の責任を取ってCAサン・ロレンソ監督を辞任した[10]

2011年1月、解任されたマルコ・ジャンパオロの後任としてセリエAカルチョ・カターニアの監督に就任した[11][12]。セリエA残留という目標を果たし、2010-11シーズン終了後の2011年6月1日にカルチョ・カターニアの職を離れた[13]

2011年6月21日、ルッソ監督の後任としてラシン・クラブの監督に復帰した[14]

2011年12月23日、グレゴリオ・マンサーノ監督の後任として古巣アトレティコ・マドリードの監督に就任し、1年半の契約を結ぶ[15]。就任1年目にUEFAヨーロッパリーグ 2011-12優勝、2年目に2012 UEFAスーパーカップ優勝とクラブに相次いで国際タイトルをもたらすことに成功。2013年3月には契約を2017年までの4年間延長したことが発表された[16]。さらに、コパ・デル・レイでは決勝でレアル・マドリードを下し17年ぶり10回目の国王杯優勝をもたらした。 13-14シーズンでは9月28日のリーガ第7節でもアウェーでレアル・マドリードを破り、63年ぶりのマドリード・ダービー連勝を果たすと同時にクラブ史上初の開幕7連勝を記録した。

人物[編集]

狡猾・老獪な守備姿勢は人々から、そしてサポーターからも親しみを込めて「悪党」と呼ばれた[17]

少年時代の憧れの選手は、パウロ・ロベルト・ファルカンと、ラシン・クラブでプレイしていたボランチ、ウーゴ・サバグノホセ・ベルタである。

ベレス・サルスフィエルドのユース出身であったが、ラシン・クラブで引退することを選び、ラシン移籍の際にベレスのサポーターから反感を買った。少年時代からラシン・クラブのサポーターである。

長男のジョバニ・シメオネもサッカー選手で、CAリーベル・プレートに所属しており、U-20アルゼンチン代表としてプレーしている[18]

所属クラブ[編集]

指導クラブ[編集]

タイトル[編集]

選手[編集]

スペインの旗 アトレティコ・マドリード
イタリアの旗 インテル
イタリアの旗 SSラツィオ

指導者[編集]

アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス
アルゼンチンの旗 CAリーベル・プレート
スペインの旗 アトレティコ・マドリード

個人成績[編集]

クラブでの出場記録[編集]

[19]

クラブ成績 リーグ カップ リーグ杯 国際大会 通算
シーズン クラブ リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
アルゼンチン リーグ カップ リーグ杯 南米 通算
1987–88 CAベレス・サルスフィエルド プリメーラ 28 4
1988–89 16 2
1989–90 32 8
イタリア リーグ イタリア杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
1990–91 ピサ・カルチョ セリエA 31 4
1991–92 セリエB 24 2
スペイン リーグ 国王杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
1992–93 セビージャFC ラ・リーガ 33 4
1993–94 31 8
1994–95 アトレティコ・マドリード ラ・リーガ 29 6
1995–96 37 12
1996–97 32 3
イタリア リーグ イタリア杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
1997–98 インテル セリエA 30 6 2 0 - - 9 1
1998–99 27 5 8 0 - - 9 2
1999–00 SSラツィオ セリエA 28 5
2000–01 30 2
2001–02 8 1
2002–03 24 7
スペイン リーグ 国王杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2003–04 アトレティコ・マドリード ラ・リーガ 28 2
2004–05 8 0
アルゼンチン リーグ カップ リーグ杯 南米 通算
2004–05 ラシン・クラブ プリメーラ 17 2
2005–06 20 1
通算 アルゼンチン 113 17
イタリア 202 32
スペイン 198 35
総通算 513 84

代表での年別出場試合数[編集]

[20]


アルゼンチン代表 国際Aマッチ
出場 得点
1988 2 1
1989 3 0
1990 1 0
1991 9 2
1992 3 1
1993 13 1
1994 10 0
1995 8 2
1996 6 2
1997 9 1
1998 12 0
1999 11 1
2000 11 0
2001 6 0
2002 2 0
通算 106 11

脚注[編集]

  1. ^ Diario Deportivo Olé – El más odiado, el más bancado Ole、2002年6月5日
  2. ^ RSSSF Argentine international players RSSSF
  3. ^ Carlin, John (2002年5月19日). “England v Argentina – A history”. Observer Sport Monthly, 19 May 2002 (London). http://football.guardian.co.uk/worldcup2002/countries/story/0,,716632,00.html 2006年11月15日閲覧。 
  4. ^ Simeone, el gran estratega del fútbol argentino Clarin、2006年10月31日
  5. ^ El técnico se hace, sí, pero sobre todo nace Ole
  6. ^ River Plate crowned champion of Argentine Clausura International Herald Tribune 、2008年6月9日
  7. ^ Diego Simeone renunció a la dirección técnica de River ESPN Deportes、2008年11月7日 (スペイン語)
  8. ^ Las causas de una salida inevitable Fox Deportes
  9. ^ Ex-River boss Simeone to manage San Lorenzo ESPN soccernet、2009年4月16日
  10. ^ Simeone quits San Lorenzo post after dismal run ESPN soccernet、2010年4月4日
  11. ^ “ESCLUSIVA TMW - Criscitiello: "Colpo Lo Monaco: Simeone a Catania"” (Italian). Tutto Mercato Web. (2011年1月19日). http://www.tuttomercatoweb.com/?action=read&id=248797 2011年1月19日閲覧。 
  12. ^ “Diego Pablo Simeone è il nuovo allenatore del Catania” (Italian). Calcio Catania. (2011年1月19日). http://www.calciocatania.it/comunicati/comunicati.php?id=21846 2011年1月19日閲覧。 
  13. ^ “Catania, rescinde Simeone” (Italian). Tutto Mercato Web. (2011年6月1日). http://www.tuttomercatoweb.com/?action=read&id=271540 2011年6月1日閲覧。 
  14. ^ “Diego Simeone fue presentado como nuevo técnico de Racing Club” (Spanish). ラシン・クラブ公式サイト. (2011年6月21日). http://www.racingclub.com.ar/detalle/noticias/2789/ 2011年6月21日閲覧。 
  15. ^ “シメオネ氏がアトレティコの新監督に”. UEFA.com. (2012年1月14日). http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/news/newsid=1738041.html 2011年12月24日閲覧。 
  16. ^ アトレティコ、シメオネ監督と契約更新 uefa.com 2013年3月5日
  17. ^ 金子義仁 『ワールドサッカーすごいヤツ全集』 フットワーク出版、1999年、p.71-77。ISBN 4-87689-330-6
  18. ^ シメオネ息子がU-20アルゼンチン代表入り Goal.com 2012年8月14日
  19. ^ :: National Football Teams ::.. Player – Diego Simeone
  20. ^ Diego Pablo Simeone - Century of International AppearancesRSSSF

外部リンク[編集]