ポール・ガスコイン
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| ポール・ガスコイン | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | ポール・ジョン・ガスコイン | |
| 愛称 | GAZZA(ガッサ) | |
| ラテン文字 | Paul John Gascoigne | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1967年5月27日(42歳) | |
| 出身地 | ゲイツヘッド | |
| 身長 | 178cm | |
| 体重 | 74kg | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | MF | |
| 代表歴 | ||
| 1988-1998 | 57 (10) | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
ポール・ガスコイン(Paul John Gascoigne、1967年5月27日 - )は、イングランドの元サッカー選手。イギリス・タインアンドウィア州ゲイツヘッド出身。元イングランド代表。ポジションはMF(攻撃的MF)。フランスのガスコーニュにそのルーツを持つ。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 選手時代
1984年にニューカッスル・ユナイテッドに入団すると、頭角を現し、1988年には当時の最高額の移籍金でトッテナム・ホットスパーへ移籍した。
1988年にはイングランド代表に招集され、同年9月のデンマークとの親善試合で代表デビューを飾った。1990年のワールドカップ・イタリア大会では中心選手として6試合に先発出場。1次リーグ第3戦のエジプト戦でのアシスト、決勝トーナメント1回戦、ベルギー戦でアシストを決める活躍などで地元開催の1966年以来となるベスト4進出に貢献した[1]。
トッテナムではテリー・ベナブルズ監督の指導下でゲーリー・リネカーと共に1991年のFAカップ優勝に貢献した。しかしFAカップ決勝のノッティンガム・フォレスト戦で相手DFの悪質なタックルを受け右膝に重傷を負い、治療の為に1年以上試合から遠ざかった。その後、1992年にはセリエAのラツィオへ移籍[2]、1995年にはスコティッシュ・プレミアリーグのレンジャーズへ移籍し、好調なプレーを取り戻した。
代表でも、体調面が不安視されたが、1996年のEURO1996では鮮やかなプレーを披露し、完全復活を印象付けた。1次リーグ第2戦のスコットランド戦でのボレーシュートは大会史上に残る名場面の一つとして語り草となっている。これらの活躍から1998年のワールドカップ・フランス大会でも代表入りが有力視されていたが、当時の監督グレン・ホドルは大会直前にメンバーから外す決定を下した。
代表を外されて以降、プレーに精彩を欠くようになり下降線を辿っていった。また私生活においても無類の酒好きで知られ、アルコール依存に絡んだ問題をしばしば起こした。2003年には中国のサッカークラブに移籍したが生活環境に馴染めず直ぐに退団。イングランドの下部リーグへ在籍した後、現役を引退した。
[編集] 引退後
現役引退後、サッカー選手としてではなく、アルコール関係の騒動でマスコミの注目を集めるようになった。
2005年10月から下部リーグの古豪・ケタリング・タウンの監督に就任し、指導者としての再起を図るも同年12月、飲酒によるトラブルにより解任された。
2006年11月、ナイトスポットで騒ぎを起こし傷害容疑で逮捕された。
2008年02月、ホテルの従業員から通報を受け警察は、深刻な精神障害に犯された者を強制的に精神病院に収容できるという心の健康に関する法律に基づき、イングランド北東部のゲートヘッドのホテルでガスコインを拘束(警察発表では負傷者及びホテルへの被害は無し)、“メンタルヘルス法”に基づき精神病院へ強制収容された。2008年9月18日、パブの窓を激しく叩いたとして器物損壊容疑で逮捕された。[3]
2008年11月、世界的金融危機の影響を受け、税金も滞納するなどし、一部では破産寸前との報道もある。
[編集] 人物
愛称は「ガッサ」。1990年代のイングランド・サッカー界において異彩を放っていた選手として注目を集め、デイヴィッド・ベッカムが登場するまでは国民的英雄であった。ピッチ内外での悪童ぶりでも知られ、夫人に対するDVや審判や相手選手への奔放な言動はしばしば注目された。ラツィオ時代は、当時の監督ディノ・ゾフに激しく叱責され、記者団の前で号泣した経緯がある。一方で、ピッチ上ではずんぐりした体型からは考えられないほどのドリブルテクニックとパスセンス、戦術眼を披露した。 自伝は英国最優秀スポーツブック賞を受賞しており、悪童と呼ばれる反面、その愛嬌あるキャラクターで愛されてきたガッサの栄光と挫折、苦悩が赤裸々に語られている。
[編集] プレースタイル
パワー系中心のイングランド代表の中、アクセントのつけられる数少ない技巧派の選手である。 正確なパスを始め、技巧的なドリブル、強烈なシュートと、理想的なMFだった。
[編集] 脚注
[編集] 選手経歴
ニューカッスル・ユナイテッド - 1984-1988
トッテナム・ホットスパー - 1988-1992
ラツィオ - 1992-1995
レンジャーズ - 1995-1998
ミドルスブラ - 1998-2000
エバートン - 2000-2001
バーンリー - 2001-2002
甘粛天馬 - 2003
ボストン・ユナイテッド - 2003
[編集] 指導者経歴
- ケタリング・タウン:監督 2005.10-2005.12
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